行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

紅葉の見ごろにはまだは早かった「早出川ダム」

2021年10月27日 | 土木構造物・土木遺産


写真は「早出川ダム」。新潟県の新潟地域整備局が管理するダムで、堤高82.5メートル、堤頂長240メートルの重力式コンクリートダム。治水、農地かんがい、発電を目的に、羽越大水害後の1969年に完成した。
まあ、そこまで突出した諸元は見当たらないのであるが、ここは県内でも三面ダムや笹ヶ峰ダムなどと並んで、紅葉が美しいダムとの情報を得てやって来た。まあ、自宅から1時間半もあれば行ける場所でもあり、満を持しての訪問となった。
といっても、下の写真のとおり、紅葉真っただ中とはいかなかった。少し冷え込みを感じるようになった今日この頃、山の中でもあるしいい時期かなと思ったが少し早かったみたい。



早出川は、地元の胎内川と似た川であり、上流部は急峻な地形で急流。平野部に出ると扇状地を形成し阿賀野川に合流するのだが、やはり集中豪雨になると大きな被害になることがしばしばあったという。名前のとおりの川なのだ。
ダムの主目的は洪水被害から村松・五泉・新津の市街地を守り、ひいては新潟市を守るという重要な役目を担う。まあ、川自体にも捷水路(しょうすいろ)事業など、いろいろな仕掛けが行われている川でもある。これも魅力的。
発電はダム直下の「田川内(たこうぢ)発電所」(県企業局管理)で最大出力7,100kWを発電。決して大きい出力ではない。落差がすくなく水量が多いということから、効率を考えカプラン水車を用いて発電している。まあこれも特別なものではありませんがー。



紅葉が見頃でなかったことにネガティブになったわけではないのだが、周辺の公園整備や看板などはもう少し手を加えてほしい気がした。県だけでなく、地元・五泉市ももう少し力を入れては?
ダムのすぐ下流には、写真下にも紹介するように「夫婦滝」や「衣岩」といった景勝地もある。先に触れた川自体の歴史・治水工事の変遷、ダムとその景色、周辺の観光スポットをリンクさせる取り組みになってほしい。
「衣岩」については、ダム管理にあたる県の職員と少し話をする時間があって教えてもらったもの。先に紹介した奥清津発電所でもそうだったが、ダム・水力発電といった分野にかかわる人たちは優しく、気さくで丁寧だ。
そんな人たちとの連携が、いまの地方の歴史・観光・まちづくりを語る上では重要だし、何かヒントになるのではないだろうか?



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霊地でもある「大田切橋梁」には近づけなかった

2021年10月24日 | 土木構造物・土木遺産


車中泊を経験し、市や明けた早朝に万内川の堰堤を見学して、予定にはなかったがここまで来てそのまま戻るのはもったいないと思い、妙高高原方面に向かった。
ここには土木学会が選奨する「日本の近代土木遺産・現存する重要な土木構造物2800選」のAランクにある大田切(おおたぎり)橋梁がある。1887年(明治20年)に旧信越線(現・妙高はねうまライン)の敷設に伴い建設されたもの。
大田切川の深い谷底にあり、一級河川の関川に合流する地点に位置する。上信越道の大田切川橋(写真上の奥)や国道18号の妙高大橋(写真手前のトラス橋、新橋)のすぐ下流で、写真からもその谷の深さが伺える。



線路近くまで行くことはできたのだが、この深い谷を下る道と勇気がない。先に触れた矢代川第一発電所と同じように、山歩きの装備が必要な場所。
橋梁の上には鉄道のために盛土がされており、線路レベルよりもかなり低い場所にあることが予想される。グーグルの航空写真で下調べはしたのだが、なかなかアプローチが見つからない。地元の人にでも案内してもらわないとダメだな。
まあ、あえなく断念したのだが、帰ってきてから調べてところ、旧道の妙高大橋から撮影したものと思われる写真を見つけた。「しまった!」まあ、矢代川の発電所ととももに、再訪の機会を狙いますか。まあ、こんなことは度々あること。



旧道の旧道は行きかうクルマもなく、今の時期はうっそうとした木々にかもまれた場所で、北国街道の難所だった。「田切」という地名は、深くえぐられた谷がある場所を意味するそうだ。
そんなところに清水の音が響く。「大田切清水」という名水が湧き出る場所があって、昔から街道を行きかう人の喉を潤していた。ちょっとしたパワースポットのようにも感じられる。
一方、線路わきには国鉄時代の殉職者慰霊碑が立つ。昭和21年冬に「遭難」事故があったということで、7名が犠牲になったと記されている。なんでも信越線の工事でも多くの方が殉職された場所でもあり、それからすると霊地でもあるんですね。



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初体験!自慢の装備で、あこがれの車中泊

2021年10月20日 | 旅行記・まち歩き


湯沢まで行って奥清津発電所を見学後、一旦家に戻ろうと思ったのだが足は妙高に向かっていたと記載した。あてもなく一泊することを選んだかのような言い方だが、実はある程度の計算をして車中泊の装備を用意してきていた。
国道17号の石打から国道353号、そして253号で頸城の山々を抜け、県道30号で妙高市新井へ。ここには上信越道のハイウエイオアシスやパーキング施設と併設された「道の駅・あらい」がある。とても設備が整っている道の駅だ。
兼ねてから、車中泊にあこがれ、アマゾンで装備を整え、各地の土木・鉄道遺産などを見に行くことを夢見ていたが、この日ついに今流行りの車中泊に初挑戦することになる。



道の駅あらいには、トイレ・休憩施設・案内所だけでなく、コンビニやコインランドリー、各種飲食店も揃っている。ビジネスホテルまであるのだが、車中泊目的の人には、水とトイレはあれば、あとはあまり関係ない。
休憩する大型車を避けて、トイレにも近くなく遠くなくという場所を選び車を陣取り、窓にカーテンを張り、地元のスーパーから買ってきた食料をつまみに、車中での一人宴会が始まる。
翌朝の朝食はどうしようかとか、夜中にのどが乾いたらどうしようとかついつい買い物が増える。施設内の飲食店で夕食を済ませ、必要なものは目の前のコンビニに行けばいいだけなのに!(でも食料の持参も、車中泊では大事なコンテンツ)



やはり大事なアイテムとしては「電源・バッテリー」だ。もちろんクルマには室内灯もあるし、エンジンを駆けていればエアコンも使える。我が愛車にはテレビもついているのでそれでも不便はない。
ただここは車中泊の醍醐味として車のバッテリーへの負荷を軽減し、気兼ねなく電気を使うため大容量のバッテリーを備え付け、常に充電できる仕組みを選んでいる。クルマからだけでなく、ソーラーパネルも準備してある。
というのも、これからの季節寒さしのぎには電気毛布、セラミックヒーターの使用を想定。また、車載冷蔵庫も必需品。何より目玉焼きを作るためにはIH調理器も必要となると、大容量電源はどうしても必要だ。



妻は「キャンピングカーでも買ったら?」となんと優しい言葉をかけてくれるが、先立つものがないし、一人旅であればミニバンとこれらの装備があれば十分!もしかして、自分をも連れて行けというのだろうか?
まあ、初心者だけに、どこへ行く?どこで泊まる?というのも大事なのだが、少しずつ足を延ばしながら、楽しんだり、不都合な部分を埋めて行ったり、狭い空間をどうやって活用するか思案する。それがまた楽しみなのである。
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見れ触れて、自然の中の電力ミュージアム

2021年10月18日 | 旅行記・まち歩き


さて、先に触れた日本でも最大規模を誇る奥清津発電所のもう一つの魅力である「電力ミュージアム・OKKY(オッキー)」を紹介する。(「奥清津(おくきよつ)から命名されたと思われる。)
三国の緑の山々と二居ダムの調整池の自然豊かな地に囲まれた奥清津発電所。その奥清津第二発電所に併設される形で、OKKYは開設されている。日本最大級の揚水式水力発電を目の当たりにできる体験型の施設になっている。
下の写真にあるように、展示室の窓から発電機の上部を見ることができるし、通常開館時であれば同じフロアに入って間近に見学できるのだそうだ。(コロナの関係で、訪問時は立入禁止不可でした。)



下池の二居ダム・二居調整池と上池のカッサダム・カッサ調整池(田代湖)の関係を立体模型にし、揚水発電の仕組みを分かりやすく解説。効率的に発電する仕組みを教えてくれる。改めてそのスケールの違いに驚かされる。
また、数々の方式により発電施設を運営する電源開発(J-POWER)の施設を紹介しながら、環境対策やクリーンエネルギー・再生可能エネルギーに対する取り組みの重要性にも言及している。
福島県の阿賀川にある大川ダム(下郷発電所)・大内ダムを以前紹介したが(6月19日記事参照)、この時はコロナの影響で電源開発や地域整備局の施設である展示館が休館していたので比べようもないが、脱炭素の時代を迎え、各電力会社や公的機関もかなりPRに力が入っていると見る。小千谷市の「おじゃーる(JR東日本と小千谷市が共同設置、2020年9月9日記事参照)」なんかもそうですよね?



ただ、この施設ならではの最大の特徴とすれば、「水の路」と言われている実際水路建設に使用されていたトンネルを見学通路として開放。一番奥には実際第二発電所とカッサダムを結ぶ鉄管(下部水圧鉄管、内径4.4メートル)を見ることができる。しかも触れる。しかも耳を当てて水が流れる音を聞くこともできる。
トンネル内にも揚水発電や工事のことを伝えるパネル展示など多数。斜坑工事に使用されたビット(岩盤掘削機の先端)や、行動の入り口には奥只見発電所で使用されていた水車ランナ(立軸フランシス水車、実物)が展示されている。
この日は地元の小学生が見学に来ていたというが、私がお邪魔したときは一人だけ。それでも係の人が丁寧に説明してくれたし、発電所周辺の「のびのび広場」と名付けられた公園は手入れも行き届いていた。ぜひ多くの人に体感してもらいたいところだ。




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「山のげ」を乗り越え、まもなく100歳になる万内川石積堰堤

2021年10月16日 | 土木構造物・土木遺産


湯沢の奥清津発電所から家に帰るつもりだったが、足は魚沼・頸城の山中を抜けて、妙高方面へ向かっていた。
上の写真は、矢代川と妙高山。矢代川には歴史ある発電所があるのだが、なかなか人を寄せ付けない地にあることから、今回はもう一方の写真の美しい8連アーチ「あらい高架橋」の下を流れる万内川の上流部を訪ねることにする。
というのも、ここには新潟県の砂防発祥の地でもある「万内(ばんない)川石積堰堤群」がある。僅かの区間に18基の堰堤があり、うち11基は登録有形文化財に指定されている。古いものは、まもなく100歳を迎えるものだ。



ここにも川との戦いがあった。1902年(明治35年)、上流部で発生した土砂崩れにより村(西野谷集落)が飲み込まれという災害があった。これを「山のげ」と言っている(新潟県人なら、なんとなくニュアンスは伝わる)。
しかし当時の新潟県は、大河津分水の工事に予算をつぎ込むことを優先していたことから、なかなか他の砂防工事に着手することができなかった。ここ万内川もそのひとつで、工事を開始するまで24年の歳月が過ぎたそうだ。
当時、山の中の工事では、石こそ瓦のものを現地で加工したものの、砂やセメント、足場に使う資材などは人力で運び上げ、災害を目の当たりにした村人がそれらを運搬する重労働を引き受けたそうである(写真下:当時の写真が案内板に刻まれてあった)。



地域を守り、家族を守るため、「山のげ」に立ち向かった村人たちの努力の結晶が、100年近い年月が経った今でも機能しているという。
その精巧な石積みの技術だけでなく、妙高山ろくの自然とも見事に調和していることから、堰堤や用水(写真下)、床固などが2003年(平成15年)に国の登録有形文化財に指定された。
しかし、山の中にありながら、よく整備されている場所だ。東屋や見晴台などの施設や植栽、案内板、遊歩道、今でも地域の方々の思いを伝えるかのように、しっかりと管理されているというのも感動モノでした。



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国内最大級の揚水発電所「奥清津発電所」を訪問

2021年10月15日 | 土木構造物・土木遺産


さて、またまたダムと発電施設の紹介。今回は県内でも随一の発電規模を誇る「奥清津発電所」。実は、この揚水式の発電設備は、国内最大級のもの。「最大級」とは、実は関西電力の奥多々良木発電所(兵庫県)に次ぐ、第二位の発電量となるためだ。
上下の写真は、揚水式発電の下池にあたる「二居ダム」とその調整池。上池は、カッサダムと田代調整池というが、田代高原にある県内でも最も標高が高く、なかなかたどり着くには難儀な場所。田代ロープウェーがまだ紅葉営業を開始する前の訪問だったため、今回は下池とダム、発電所の紹介ということになる。(田代湖、カッサダムには、また必ず行きますから!)



二居ダムは清津川にあって、高さ87メートル、堤頂長280メートルのロックフィルダム。カッサダムは、清津川の支流であるカッサ川にあって、高さ90メートル、堤頂長487メートルで、やはりロックフィル式のダムだ。
この二つの調整池の落差470メートルを活用し、奥清津発電所・第二清津発電所の6台の発電機を回し、合計160万キロワットを発電することができる。運転開始は昭和53年。ダムも発電所も、電源開発(J-POWER)の設備である。
新潟県でも、一番奥(群馬県境)の発電所ということになるが、みつまた、かぐら、田代、苗場と各スキー場が周辺にあって、ゴンドラやロープウェーが整備されている。スキーヤーやハイカーの方が、ダムや発電施設を何気に見ているかもしれない。



火力発電所や原子力発電所に匹敵する出力を要する国内最大級の揚水式の水力発電所が新潟にある。これは誇るべきことで、ぜひ子どもたちにこのことを伝えていきたいものだ。
これまでに紹介してきた、信濃川発電所や、三国川ダム、いずれ紹介することになる奥只見ダム・発電所(阿賀野川水系)など、魚沼地方には奥深い山の中に人々の生活を支えるダムや発電設備が数多くある。そこで生まれた電力は、多くは首都圏のために送電されている。
巨大土木構造物としてだけでなく、人々の生活を支えるために、新潟県という土地柄を活用し発電設備があること、それがどういう仕組みで発電され送電されているか?学習素材に事欠かない奥清津発電所なのである。

えっ?学習する場所があるの?そう、ここ奥清津発電所には「電力ミュージアム」なるものが併設されていて、子どもたちの学習の場所になっているんです。次回、紹介します!

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佐渡味紀行その14、ちょっと気になるお店探訪

2021年10月12日 | 食(グルメ・地酒・名物)
さて、今回も佐渡のグルメ紹介していきますね!



こちらの「佐渡うどん・蒼囲(あおい)」は、今年の7月にオープンしたばかり。東京の日本料理「僖成(きなり)」が、アフターコロナを見据えて佐渡に出店した店。雇用抄出のための補助金を活用してオープンした。
「佐渡うどん」と銘打たれた黒いうどん?これは海藻の「アカモク」を練りこんである。佐渡の魚介を使ったかき揚げや南蛮エビのご飯など、佐渡にこだわり、佐渡のブランドを県外にも発信していくという崇高なコンセプトがある。
民家を改装した趣のある店の中は、畳の上にテーブルを配し、モダンな空間が広がり、落ち着いた大人の食事空間を提供してくれる。まあ当方は、子ども連れでだったもので、個室風の座敷に案内してくれました、とても気が利いて接客も抜群です!



こちらは、農家か民家そのもの。「カフェホーム・プラス・サドアイランド “Cafe HOME+”」(ちょっと、どこまでが店の名前なのかわからない!)一般社団法人「ミライサト」というところが運営している民宿兼カフェだ。
若くして香港の会社役員を脱サラ?した旦那さんと、香港生まれ香港育ちでイギリスや日本への留学経験のある奥さんの二人が2年前に佐渡に移住、切り盛りする店だ。見るからに自然派?人柄も抜群のお二人で、自分も話をしていると思い切り佐渡の魅力を感じることになる。
ここで人気が沸騰しているのは「ガイダンジャイ」というホットケーキとワッフルに似た味のする香港のお菓子。4種類の味が楽しめて、写真のようにフルーツとアイスを乗せたものもある。全味制覇。どれも美味しかったです。



最後は、「Heaven's Kitchen(ヘブンズキッチン)」。カフェ&バーとあるように、昼はカフェ、夜はバーというが、我が家の佐渡諜報員によると、なかなか開店している時を見ることが少ないという。
ランチ時だったので、メニューはパスタ二種類とピザのみ。我が家はパスタを選択し、一つはガーリックのオイルにジャガイモが入ったもの。もう一つは、海藻のクリームパスタ。とてもシンプルだけど、素材を上手に活かしている。さらに添えられたベーグルもGood!
しゃれたお姉さんが一人で切り盛りしていて、待ったつもりもないのに「遅くなってすみません」とか、「レタスが高騰していて今日は添えられずにすみません」とか、とても人柄を感じさせる素敵な店でした。一人だから、なかなか店を開けるのも不規則になるのかなー。「すいません」の声が聞こえてきそうだ。
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アースダムとしては県内最大級、海の見える「佐和田ダム」の紹介

2021年10月10日 | 土木構造物・土木遺産


信濃川発電所の「浅河原調整池」(5月21日記事)や柏崎市の水がめ「川内ダム」(5月27日記事)を紹介したときに、「お勧めのアース(フィル)ダムがある」と書き込んでいたが、実はそれが佐渡にある「佐和田ダム」である。
今回孫も連れて行ってたし、果たして行けるのかどうか半ば諦めていたところ、娘が「いいところだよ」と後押しするかの言葉。娘を案内人に念願のダムを訪れることができた。(案内がなかったら、別のダムを目指すところだった。)
佐和田市街地である東大通の国道350号からクルマで10分ほど。アースダムだけに、この時期は草や雑木に覆われて下から堤体をしっかりと確認することは困難。ダムの堤頂までクルマを走らせることになる。



上の写真のように、堤頂はコンクリートで塗られていて、アースダムとしては立派な造りだ(ちょっと失礼な言い方ですが)。管理施設(今は常駐していない様子)も立派なものがあって、貯水池も大きい(この日の貯水量は少なかったけど。)上の写真の立派な洪水吐も印象的だ。
実はこの佐和田ダム、アースダムとしては県内一の堤高45メートルを誇る。前述の川西ダム(まだ行ったことはないのですが)は43メートルだから、佐和田の方が2メートル高い。1988年竣工、アースダムとしては比較的新しい。
川西は堤頂長(堤防の長さ)が170メートルで、佐和田より40メートルほど長いのだが、貯水量や流域面積は文句なく佐和田ダムの方が規模を上回るといっていい。だから県内随一のアースダムといっていいと思う。



佐渡では、灌漑用のため池としてアースダムが多く建設されている。島では農業用水の確保が大きな課題だ。先輩の新穂ダムを筆頭に、アースダムの宝庫。近年、大野川ダムや、久知川ダムなど、県土木部管理の多目的重力コンクリートダムもあるんですがね?
ただ、佐和田ダムの場合、コア(堤体中心の遮水ゾーン)が斜めに三か所設置されている(三層の傾斜コア型ゾーンタイプ)といったマニアック場部分や、堤頂から海(真野湾)や市街地が一望できるといった一般の人が喜びそうな景観も魅力とされている。
県営事業として建設され、国仲西部土地改良区が管理。水環境整備事業を活用、また地元ボランティアなども活動しながら、遊歩道、広場、東屋、植栽など、きれいに整備されているお勧めのスポットです!








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フェリーの長旅は、カモメの餌付けで時間潰し

2021年10月08日 | 旅行記・まち歩き


さて、ようやく佐渡のお話が書き込めるようで!選挙が終わって、事務所の片付けもひと段落し、コロナも下火というわけで久々に佐渡を訪れた時のお話。
今回は、一番上の5歳の孫を連れて、佐渡に住む従妹に会いに行くというミッション。孫は初めて佐渡にわたる。お母さんより先に佐渡汽船デビュー!考えてみると、公共交通機関を使いのも初めてとなる。
子どもがいるということで、フェリーを選択しクルマで乗船。佐渡で娘一家を乗せながら機動力が発揮できるし、何より荷物をまとめるという作業も必要ない。ドンと積み込んでしまえばいい。



さてフェリー、佐渡へは2時間半という長旅になる。クルマを船の口から乗せるのに興奮していたものの、わざわざ取った1等船室にじっとしていられる訳はない。
最初は、ゲームセンターやスナックコーナーのたこ焼きで気を紛らわしていたが、勝手に船内をうろつくようになる。5歳の冒険。まあ、デッキから海に落下しない限り、広いとはいえ迷子になってもそう心配はない。
往路は少し海上もうねりがあって、時折大きく揺れる中、よたよたと船内を歩き回る孫をこっそりと背後から見守るようにしていた。



結局デッキに出ていくんですよね。外の方が気持ちいし、海の眺めを見ながら船旅を堪能できるから?他のお客様にも愛想をかけて、話などもしている。開放的になるのかな?
じゃないんですねー。カモメの餌(かっぱえびせん)が狙いなんです。デッキにいた他のお客さんの手からこぼれ落ちた餌を拾ってカモメに投げつける。一緒にいたお客さんも、カモメだけでなく孫にも餌を分けなくてはならないシチュエーションになる。
爺さんは、他のお客さんに謝ったり礼を言ったりしながら、かっぱえびせんを買ってやることに。一袋では足りないくらい?まあ、いい時間潰しにはなりましたがね。船酔いも全くなかった様子でホッとしています。

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魅力的な小川町に伝わる「女郎うなぎ」をいただいて

2021年10月06日 | 食(グルメ・地酒・名物)


埼玉出張で、昼食にはうなぎ!よくあるパターンだな。埼玉県小川町で、なんともレトロなうなぎ屋に偶然に遭遇したので紹介しておきたい。
内陸部でも川があればうなぎ料理は食べられる。埼玉でも、川越などにはうなぎ屋が多いし、宿場ごとになかなかの名店があるようである。
小川町で今回紹介するのは「女郎うなぎ・福助」。名前からして、ちょっと気になるのだが、この店は安政2年(1855年)創業。店構えにも歴史を感じさせるし、数々の著名人なども訪れたという。

小川町は武州と上州・秩父を結ぶ交通の要所で商業地として栄えた。「武蔵の小京都」と言われ、伝統工芸の和紙が有名。人口は2万8千人あまり。どこかの町と同じ規模だな!
スーパーの「ヤオコー(八百幸)」や衣料品の「しまむら(島村呉服店)」はここが発祥地。古くから商業の町として、その才能あふれた起業家を輩出した街でもある。(私にとっては、東武東上線の急行の終着駅というイメージが強い。)
女郎うなぎ・福助も、創業当時に吉原の遊女を見受けし、その遊女の生家に伝わる秘伝のタレを伝授されたことに端を発し、割烹旅館福助の名物料理としてこの地で代々引き継がれた逸品なのである。(建物は明治年間に建造。)



趣のある写真はロビーか。大部屋・小部屋がいくつもあって、どれも歴史を感じさせる作りになっているが、メニューはそれほど古臭さを感じさせない。「仙元重」は近くの仙元山に由来するものと思われる。
うなぎの食レポ?注文を受けてから生簀のうなぎを調理するというが、それほど時間もかからなかった。ふっくらと焼きあがったうなぎは肉厚。秘伝のたれは甘いことは甘いけど、もう少しうなぎ自体に絡めて焼いてもいいかな?もう数回漬けては焼く?
いずれにしても、近隣の割烹旅館「二葉」(こちらは創業270年で、建物は「国の登録有形文化財」、うなぎが食べれます!)とともに、伝統と重要建造物として残してもらいたい。

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出張帰りに、トンネル内事故で足止めを食った件

2021年10月03日 | 日記・エッセイ・コラム


緊急事態宣言が冷めやらぬ9月の晦日の日に、ジョージの運転手として埼玉へ日帰り出張。建築関係の現場に出かけた帰り道のことである。
順調に車を進めで、少し休憩がとりたくなったもので関越自動車道の谷川岳PAに立ち寄る。関越トンネルの東京寄りに設置されていて、下り線は高原ホテルを思わせるきれいなパーキングだ。
トイレにより、タバコを吸って、すぐさま車に戻ろうとしたとき、けたたましいサイレン音とともにアナウンスが入る。関越トンネル内で事故のため、トンネル内は進入禁止だという。

本線上を走っている車はしばらくして立ち往生。パーキングの駐車場もみるみるクルマで埋めつくされていく。
難題ものパトカーや消防車・救急車がトンネルの中に吸い込まれていき、こりゃ大変な事故ではないかと予測される。何時間足止め食うことになるのか?高速だから戻って下道というわけにもいかない。
電車で雪のために3時間立ち往生という経験はあったが、高速道路では初めての経験。まあ、用事を済ませた帰り道だから、少し覚悟して待つことにする。

1時間以上は待ったと思うのだが、間もなくして「通行再開」のアナウンス。まあ、覚悟を決めていたものの、予想よりも早く解放されることになった。
通行再開時、トンネルの中ではまだ警察車両が1車線になった地点で交通整理や現場検証に追われていた。どうやら、大型トラックとバイクの接触事故らしい。
それにしても、本線上やトンネル内で待たされることもなく自由の利くPAにいて良かったし、時間的に事故に巻き込まれることを考えれば、ここでの休憩は正解だったと思った。


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