行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

カネギフルーツのフルーツサンドにばったり遭遇

2023年03月30日 | 食(グルメ・地酒・名物)


昨年秋に予約注文していた孫のランドセルが、小学校入学を前にしたこの時期に店に届いたということで、私の最も苦手な新潟市内のショッピングモールまで受取行くことになったのは先週の週末。
受け取った後入学準備のために娘は雑貨店で文具などを物色していると、モールの館内放送で「グルメストリート」なる催事を開催中とのこと。耳を傾けると、県内の美味いものが勢ぞろいしているという。これはのぞいてみる価値があるのではと、帰り際に家族を連れ立って行ってみることにする。
弥彦のわらび餅、市内名店の鳥の半身揚げ、以前紹介したことのあるカヌレ、バスセンターのカレーのほかに、ワゴンには県内駅弁の姿もある。そんな中に、その名前と見栄えで注目の店が目に入ってきた。三条・カネギフルーツの「フルーツサンド」があった。次に三条市を訪れた時には絶対立ち寄ろうと思っていた名店である。



カネギフルーツは1903年設立。季節のフルーツを扱う青果店で、「雪国・新潟の暖か~い果物屋」との触れ込みであるが、地域の人に愛され続けながら、現在は果物をふんだんに使ったケーキなどのスイーツも販売。特にブームの火付け役にもなったフルーツサンドは店の名を新潟県の銘品に押し上げた人気商品になっている。
色とりどりのフルーツをドーンと生クリームでサンドし、断面が映えるようにカット。みかんやいちごは時期的にもお勧めというが(写真上)、欲張りな自分は「贅沢5種類ミックス」をチョイス(写真下)。いちご、みかん、バナナ、パイン、キウイが一度に楽しめるという正に贅沢なものである。
クリームは甘くなく、あっさり系のものを使用しフルーツ本来の味わいを楽しめし、何より果物の新鮮さが伝わってくる。この手の商品を扱うお店が急増している感はあるが、ぜひ一度、本家(元祖とは言わないが…)の味を試してみてはいかがだろうか?なお、フルーサンド以外のケーキ類は「要予約」となっているのでご注意を!



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佐渡味紀行(その18)、佐渡島民を引き付ける噂のお店

2023年03月26日 | 食(グルメ・地酒・名物)
前にも触れたとおり、今回佐渡に渡ったのは引っ越し作業のため。娘が転勤のために、本土に渡ることになり、慌ただしい一泊二日の旅であり、いつものようねグルメ旅はできなかったものの、ランチは近場であるが外で食べることにした。
今回紹介できるのは2店。できるだけ佐渡の人に親しまれていて、アフターコロナにあっても観光客はあまり訪れることない店であるが、なかなか本格的な料理を提供する店である。娘が佐渡を離れることで、今後佐渡を訪問する機会は激減するのではないかと思いながら、しみじみと味わいながら紹介したいと思う。



最初の店は「昴(すばる)」。その屋号や店構えからして、中華料理の店とは思えないのだが、佐渡では少ないチャイニーズレストラン。土日のランチ時には家族連れやグループ客で行列ができるほどの人気ぶり。場所も、佐和田の国道350号沿い(正確には佐和田バイパスができたので県道沿い)で、佐渡でも大型店が立ち並ぶ商業地のど真ん中にある。
メニューは中華一本で、エビチリ、かに玉、チンジャオロース、麻婆豆腐などお馴染みの料理がランナップ。丼物や麺も完全中華系、かつ丼とかはない。その中から、五目揚げ焼きそばをチョイス。本来なら揚げていない方が好きではあるが、あんかけ風のものが食べたくて。
娘夫婦と別々なメニューを注文するが、ラーメン、チャーハンもGood。餃子があまり特徴的なところはないが美味しかった。隣の家族連れに提供された普通のラーメンは、やっぱりあっさり系の感じで、これまた美味そうだったので次回試してみたいと思った。



佐渡では、国道350線を「本線」と呼び、その南側を走る両津港から新穂・畑野・真野を経由する県道を「南線」というが、畑野駅前(決して、鉄道がある訳ではないのだが、旧町村の中心地に「駅前」と呼ばれる場所がある。)交差点から少し入ったところに、隠れ家的な洋食屋「まちの洋食屋・アッシュ」がある。
以前、一度訪れた時に満席で入店をあきらめた経緯があり、今回はお昼の時間を少し外して再チャレンジ。店内もきれいで、開放感のある空間にテーブル席が並んでいるが、ご夫婦で切り盛りする店自体にかしこまったところはなく落ち着いた雰囲気がある。
メニューも、ハンバーグ、ステーキ(夜のメニュー)、エビフライ、クリームコロッケ、オムライス、カレーにパスタもある。ご主人、これだけのメニューを一人で作るというだけでもかなりの腕を持っているな!欲張りな自分は、コンボメニューを選んだが、どれも美味しいし、ボリューム満点。これは隠れ家にしても人気になりますわ。
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3月18日ダイヤ改正、上越新幹線は1時間30分の壁を破ることになったものの

2023年03月21日 | 鉄道


佐渡に渡った3月18日、JRグループは春のダイヤ改正を行った。以前の記事では、今回のダイヤ改正によって、上越新幹線からE2系が退くという記事を紹介したが、それほどの大幅んダイヤの見直しなどはないものの、そのほか新潟関連のダイヤ改正について触れておきたい。
昨年12月に発表された「JR東日本ニュース(今回は新潟支社発表のものを参考:写真下)」では、まず、上越新幹線・北陸新幹線の所要時間短縮と上越新幹線をE7系に統一することがトップ記事になっている。果たして、どれほどの時間短縮になっているのか?
上越新幹線で停車駅が大宮のみという最速タイプが以前から一往復設定されているが、今回の改正により下りの「とき311号」が7分時間を短縮し、1時間29分で東京・新潟間を結ぶことになった。ついに1時間30分の壁を破ることはかなり大きなインパクトを与えるものといってよい。(上りは、とき312号最速で同じく7分短縮されるが、所要時間は1時間31分。)



ほかには、地元を走る特急「いなほ」だが、酒田など庄内地方と首都圏の所要時間を短縮したとある。これは上りのいなほ4号ととき312号を乗り継いだ場合、酒田・東京間は所要時間3時間44分で14分短縮される。ただ、いなほ号のスピードアップは図られておらず、新潟駅での乗り換え時間の改善と新幹線の時間短縮によるものだ。
2年ほど前に同じホームにて新幹線と在来線の乗り換え可能になったが、新潟駅の改装工事が進み乗り換えのための時間短縮に自信を持った様子のJR東日本。東京・大宮間の新幹線はキツキツのダイヤの中で、冬などに遅れの多い羽越線が他の列車に迷惑をかけないといいんですがねー。
なお、前回触れた上越新幹線から姿を消すことになったE2は、東北新幹線の東京・仙台間の「やまびこ」で今回のダイヤ改正後も運用されている。(写真下:E7系とE2系新幹線。いずれも東京駅で)



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久々に佐渡汽船のフェリー、チェア席新設も割高感否めず

2023年03月19日 | 旅行記・まち歩き


佐渡に渡るのは実に久々のこと。去年の7月に仕事で訪れた以来。8月にも出張予定だったが、コロナ感染症の影響で研修会が中止となったことがあり、実に8か月ぶりの訪問。佐渡ファンの私にとって、これだけ間隔があくのは異例だ。
これもコロナの影響が大ということにもなるが、それだけ佐渡に通い詰めたのも、娘が嫁いでいたという関係で孫の顔を見に行ったり、仕事でも佐渡事情に詳しいことから声を掛けられてたりすることがあったからだ。
その娘がこの春に本土へ転勤となり、今回は引っ越しのために久々の佐渡汽船。朝イチ(新潟港6:00発)、フェリーにハイエースを乗せての乗船ということになった。



ネットで乗船券を購入しようと調べていたら、佐渡汽船のフェリーにはこの春「チェア席」というパーソナルタイプの1等席が新設された(写真上)。調べてみると、私の乗船した前日からの運用開始。新しいものに飛びついてしまうんだよね!
前後左右、ゆったりとした間隔で設置されているのは贅沢。機能とすると深いリクライニング、少し中途半端なフットレスト、ひじ掛け収納タイプのサイドテーブル、そして佐渡汽船1等では初めて各席にAC電源を設置。やっとJRのグリーン車に追いついたって感じはする。
ビジネス目的ならいいかもしれないが、同じ1等料金を払うならイス席やカーペット席(写真下)の方がくつろげるかもしれない。ただ料金ですよねー。航送料金も含め、割引などは一切なし。1等(チェア席、イス席、カーペット席同額)は5,430円(片道)。



今回は一人で乗船。車を積んで1等グレードアップで往復47,000円。以前は休日割引やシニア割引などがあって2万円台で往復できた。調べてみると2等やジェットフォイルの料金も明らかに値上がりしている。
世間は値上がりラッシュだし、佐渡汽船の会社事情も理解しているが、以前の料金を知っている者からすると、今回のチェア席新設はともかくとして、全体的に割高を感じてしまう。
娘の話だと、「佐渡島民割引」にもその手は及んでいるようで、この航路は佐渡の観光を担っているというほか、離島の島民の生活を支えている。人口減少の続く佐渡、帰省やビジネスで利用する人、転出のため佐渡汽船を使う人は複雑な気持ちになる。
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amoaで出会った、「こころに残る青山士のことば」

2023年03月17日 | 土木構造物・土木遺産


荒川放水路というとこの人に触れない訳にはいかない。青山士(あおやま・あきら)。川の神様。かの広井勇の勧めでパナマ運河建設に唯一の日本人技師として参加したことは有名だが、日本に帰国後、内務省の技師として東京土木主張所(現関東地方整備局)に勤務、荒川放水路の建設を指揮したのである。
青山は、先に紹介した旧岩淵水門(赤水門)の工事も担当したが、経歴の中で東京土木出張所の「岩淵工場」の主任を務めたとの記録がある。管轄する区域や所掌事務などの違いはあるものの、正に現在の荒川下流河川事務所(写真上)付近で荒川(隅田川)を見ていたに違いない。
そして、前回紹介した下流河川事務所の隣にある「荒川知水資料館・amoa」では、開館した1998年(平成10年)には「開館特別記念『青山士』展」を開催し、それらの資料は現在も青山士コーナー(写真上)として展示が続けられているのである。パネル、写真、工事関連機材、青山の遺品など、とにかく充実した内容だ。



そのコーナーでは、青山の年譜が詳しく紹介されている。パナマ運河の建設に参加したことをはじめ、荒川放水路や旧岩淵水門といった首都・東京を守るために尽力したこと、その後、これまた先に紹介した大河津分水の自在堰の修復など、数々の功績とともに静岡県磐田市に生まれ(1878年)から84歳で亡くなるまでが詳しく記載されていた。
青山に影響を与えた人々の紹介するパネルには、内村鑑三、広井勇のほかに、青山が渡米する際、パナマ運河の工事に参加できるよう世話をしたアメリカ政府の顧問のウィリアム・バー、大河津分水の工事でもコンビを組んだ宮本武之輔の紹介などもある。土木に限らず、多くの著名人とのつながりを持っていたことが分かる。
そして、「こころに残る青山士のことば」というパネルでは、多くの河川関連工事に携わった際に残した言葉が掲げられている。漢詩や俳句にも造詣が深く、敬けんなクリスチャンであった青山の利他の心をもって仕事にあたっていたことに感銘を受ける展示だ。



荒川放水路の完成にあたり、「此ノ工事ノ完成ニアタリ 多大ナル犠牲ト労役トヲ払ヒタル 我等ノ仲間ヲ記憶センカ為ニ」と青山は言葉を残している(1922年・大正11年)。これが完成記念の碑として残されているという。どこにあるのか?
amoaの受付の人にどこにあるのか?と聞いてみたが、あまり気にしていない様子で「確かこの辺に、石碑があったけど」と資料館の玄関前に案内される。おー、確かに写真で見たとおりの記念碑がある。入館時には、堀越閘門の移設展示しか目に入らなかったからなー。(amoa玄関に向かって、右に堀越閘門頭頂部、左に完成記念碑がある。)
この碑は、青山と工事関係者が工事の犠牲者を弔うため資金を出し合って作られたもので、青山の「巨大な工事は関係者全員で造り上げていくものである」という精神が刻まれており、工事の最高責任者である青山の名前は書き込まれてはいない。







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荒川放水路開削の歴史を語る「amoa」という資料館で

2023年03月14日 | 土木構造物・土木遺産


前回の岩淵水門をはじめ、江東デルタや荒川ロックゲートなどの関連施設を先に紹介してしまったが、あくまでも主役となるのは「荒川放水路」の掘削事業ということになる。
それまで荒川は、現・隅田川により東京湾に流れ出ていたが、人工の放水路を掘削して江戸・東京を守ろうというのが、これまで紹介してきた一連の記事の中でも最大のプロジェクト。1911年(明治44年)着工、1930年(昭和5年)完成、何と20年もの歳月を費やした。
隅田川(旧・荒川)の下流部沿川では、明治期に入って10回もの床上浸水を伴う洪水が発生し、特に明治43年の洪水は浅草、深川などの東京の下町を中心に甚大な被害を及ぼし、これがきっかけとなり荒川放水路の基本計画が策定されたという。



岩淵水門から隅田川の東へ放水路は開削され、延長は22キロ。工事期間中にも水害が発生するとともに、関東大震災(1923年・大正12年)もこの工事を難航させた。
ただ、開削面積も大きかったため、11平方キロメートルの土地買収と1300戸の移転が最も大変だったともいわれている。多くの方々の協力によりなし得た事業であり、おかげで安全が守られているとも言えるのである。
掘削・浚渫(しゅんせつ)、築堤という放水路の本体工事のほか、鉄道橋4橋、道路橋13橋、そのほかにも低地帯には以前紹介した閘門3か所や水門7か所が設置された(いずれも開削当時の数字)。



大事なことをまた後回しにしてしまったが、岩淵水門のある荒川と隅田川の分岐点には国土交通省の「荒川下流河川事務所」がある。荒川ロックゲートを含めて、荒川下流部の河川管理をする大役を担っている(写真最上段)。
そこに併設されているのが「荒川知水資料館・amoa」という荒川の歴史や役割を紹介する施設がある(写真最上段)。今回の記事は、ここamoaで収集したものを掲載しているといったところ。ぜひ一度訪ねていただきたい施設である。
そしてパワーアップしながら荒川放水路は、いよいよ来年開削100年を迎える。amoa管内にもカウントダウンの表示により、放水路の100歳の誕生日を祝い、移転住民や工事関係者を労う準備が進められている。
(写真と記事がバラバラに掲載されていることをお詫びする。amoa周辺・外観と内部の展示類を掲載する。下の写真は屋外に展示されている堀越閘門の頭頂部と、内部に掲げられている開削100周年カウントダウンの表示。)




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大都市・東京の守り神的存在である「岩淵水門」を訪ねて

2023年03月11日 | 土木構造物・土木遺産


さて、お話は隅田川・荒川に戻ることになる。今回訪れたのは隅田川の起点、荒川との分水地点となる北区志茂にある岩淵水門と国土交通省荒川下流河川事務所。東京の下町を水害から守る最後の砦でもある。
先にも少し触れたとおり、東京が江戸と呼ばれている頃は、荒川は現在の隅田川(大川)を本流としていて、その昔は利根川の水もここから東京湾に注がれていた。つまり、流域面積日本一の利根川によって関東平野の水が江戸に集まっていたのである。
そんなことから少しの雨でも下流部は浸水し、水害を繰り返していたという。現在の江東区や墨田区、江戸川区、はずぶずぶの湿地帯、荒川区や台東区、中央区の東側などでも大雨時には浸水区域であったに違いない。それを解消するために、江戸時代初期に利根川の瀬替えが行われ、明治に入って荒川放水路(現・荒川)が新設されたという歴史を持つ。



岩淵水門は、大雨時に隅田川の氾濫を防ぎ、流量を調整しながら荒川方向に流す役目を担っており、旧岩淵水門(赤門)は1924年(大正13年)に完成。その後1982年(昭和57年)に完成した新水門(青門)がその役目を引き継いでいる。
旧岩淵水門は、9メートル幅の5門のゲートを持ち、右岸側の第5ゲートは通船のために1960年に改良が加えられた。地盤沈下に悩まされたというが、新水門が完成した後も地元の人たちの意向も受けて保存されることになったそうだ。
その後、土木建造物としての歴史的価値が見直されて、「北区景観百選」、「東京都選定歴史的建造物」、産業考古学会「推薦産業遺産」、土木学会「日本の近代土木遺産」、2008年(平成20年)経済産業省「近代化産業遺産(群・続33)」など、数々の栄誉に選定されている。



新しい岩淵水門は、旧水門の下流300メートルの付近に設置されている。RC造、10メートル幅のゲート3門で構成。1,500tの水圧に耐えられるゲートは、1枚214t。鋼製ローラーゲートだが、地震等の非常時には電源がなくても15分で自重降下できる装置を持っている。
新旧合わせて99年間、大都市・東京を守り続けていよいよ100歳を迎えるのだが、その活躍振りはいかがなものだろうかと調べてみた。平成に入ってから岩淵水門が閉鎖されたのは5回。近くでは令和元年の東日本台風の際に12年ぶりに閉門したとのこと。
先に触れた江東デルタなどの海抜0メートル地帯周辺のいざというときの守り神的存在ではあるのは確かであるし、荒川放水路という大事業を成し遂げてきたという先人の功績は正に凄いと言わざるを得ないのである。


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横浜新港、行きは汽車道、帰りは「エアキャビン」がお勧め

2023年03月05日 | 旅行記・まち歩き


ここまで汽車道やハンマーヘッドクレーンなど、横浜の歴史ある構造物を紹介してきたが、今回は「YOKOHAMA AIR CABIN(横浜エアキャビン)」という、2021年4月に開業したい新しい乗り物、日本初・都市型循環式ロープウェイという交通システムを紹介してみたい。
みなとみらいの最寄り駅でもある根岸線(京浜東北線)のJR桜木町駅の駅前広場から新港・運河パークを結ぶロープウェイ。片道630メートルという区間を約5分で結ぶ循環式(連続式)で、最新の設備を備えている交通システムは、みなとみらいの街並みや運河などを一望できる都市型とはいえ観光の目玉にもなっているものだ。
今回、いちごフェスティバルという仕事の一環での横浜出張、料金も片道1,000円(往復1,800円)と距離からすると少しお高めであることから、自分からは乗ってみたいとは言えずにいたが、同行した社長から「乗ってみよう」との神の声ような言葉が。往路は汽車道、復路はエアキャビンという夢のような行程が実現した。



循環式索道はスキー場や山間部の観光地で乗ったことはあるが、確かにこれほど近代的な街並みにある都市部で見るというのは記憶がない。テーマパークや博覧会場の移動・アクセスに使われたことはあったそうだが、都市部の循環式ではこの横浜が「日本初」ということらしい。(よみうりランドのアクセスに活用されている「スカイシャトル」もメーカーでは自動循環式都市索道としている。現在、国内でも数か所新たに建設計画がある。)
また、キャビンはバリアフリー、空気の自然循環による換気システム、最新式のバッテリーを導入した冷房システム、安全監視システム、フルカラーLEDによる演出照明など、この辺が最新技術を導入しているということになりそうだ。
索道の営業(事業主)は、よこはまコスモワールドを運営する泉陽興業(大阪市浪速区)。設計・施工は日本ケーブル(東京都千代田区)で、この会社は石打丸山や湯沢高原、八幡平などの各スキー場の事業運営を行っている。キャビンはオーストリア製。



確かに都市交通としては運賃が片道1,000円は高いとの感じは否めない。コスモワールドに行くという人は、大観覧車の「コスモロック21」とのセット券1,500円(往復2,300円、コスモロック21は1名900円なので400円お得)というのもある。
とにかく横浜のみなとみらい21や運河パーク、汽車道などを眺められる景色は最高!2度目は乗るかどうかは別にして、一度は乗ってもらいたい。お勧めは私たちが利用したように行きは汽車道を歩いて、帰りはエアキャビンでということになる。
というのも、進行方向左手がキャビンの乗り込み口になっていて、桜木町駅から運河パークへ搭乗すると、みなとみらい側にドアフレームがくるので視界を遮ることになる。つまり我々の選択は正解。ちょうど夕日に映える大観覧車やインターコンチネンタルホテル、ランドマークタワーなどがくっきり見えた。夜景も素晴らしいことは間違いないだろう。(エアキャビンは夜9時まで営業)



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横浜・新港ふ頭のシンボルは「ハンマーヘッドクレーン」

2023年03月03日 | 土木構造物・土木遺産


横浜の話題が続いている。先に「横浜ハンマーヘッド」を紹介したが、これは商業施設であり、実は現役の港湾旅客ターミナルでもある。年に数回大型のクルーズ船なども着岸する場所だ。
「新港」とはいっても歴史は古く、明治から大正期(1914年(大正3年)完成)に造成された。大さん橋を補完する形で旅客ターミナルが作られたが、最盛期には赤アレンやみなとみらい21側を含め12の岸壁があったが現在は2岸壁のみ。官民連携(PPP)により、2019年商業施設やホテルをを併設した形で生まれ変わった。
それにしても「ハンマーヘッド」といういかつい名前はどこから来たのか?それはかつて岸壁だった場所に鎮座する大型クレーンにある。商業施設の2階から湾岸のテラスに出ると、その雄姿がドーンと視界に入ってくる!



確かにカナヅチ(ハンマー)のヘッドに見えるこのクレーン。1914年(大正3年)に建造されたイギリス製の50トンのジャイアント・クレーンでカンチレバークレーンで、同様のものが日本には3基(長崎市、佐世保市)のみで、世界でも僅か17基しかないという貴重なもの。
関東大震災や横浜の大空襲などの幾多の災難を免れて、横浜開港期や高度経済成長期には日本の経済産業の発展を支えてきたが、船便もコンテナ化が進むと横浜港でも水深の深い本牧ふ頭や大黒ふ頭へと荷役の役目が移ることになり、2001年(平成13年)に現役を引退することになった。
ただ、塗装を塗り替え耐震化も図るなどしてしっかりと保存されており、いつでも動かせる状態にはある。新港地区のシンボルとして存在感を誇っていて、2007年(平成19年)に近代化産業遺産、2018年(平成30年)には土木学会選奨土木遺産に指定・認定されている。



みなとみらい地区や先に紹介した汽車道、赤レンガ倉庫などとは違い、地味であまり注目されることもないのかもしれないが、テラス(ハンマーヘッドデッキ)やふ頭付近は「ハンマーヘッドパーク」として整備され、2020年から供用開始。デートスポットやクルーズ船見学の場所としても人気だそうだ。
日没後はライトアップもされているそうで、そんな姿もぜひ見てみたいものだが、市民や買い物客だけでなく、クルーズ船で訪れる人たちにとっても印象的な「ハマのシンボル」として目に焼き付くのではないだろうか?
なお、長崎は三菱長崎造船所に。こちらは国の登録有形文化財で世界文化遺産の構成資産。また佐世保に佐世保重工業のものは250トンクレーンで、国の登録有形文化財、日本遺産の構成資産であり近代化産業遺産でもある。いずれも横浜港のものより大型で設置年も古いが、この2基(いずれもイギリス製)は現役だそうである。
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