行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

菩提樹のある「ぼだいじゅ」というお店の閉店に寄せて

2021年04月29日 | 食(グルメ・地酒・名物)


それほど通い詰めて「行きつけの店」とまでは言えないものの、その居心地の良さに、長い間お世話になった店が今月いっぱいで閉店する。
客入りが悪いわけではなく、コロナの影響でもない。同い年の女性店主が「少しゆっくりしたい」という理由には納得してしまう。
連れ合いのマスターを10年ほど間に無くし、母と娘で切り盛りしてきたが、娘も嫁に行き、その子どもも小学校に入学。昼のランチに、夜のお酒の提供とあっては大変だよな。

亡くなったマスターとは古くから親交があった。私の前職の時には町づくりの関係で意見を交わすと、いろいろアイディアを持ち、行動的な人であった。
人口減少により客足が遠のく商店街の一角に店を構え、地元商店街の活性化に力を注いだり、自ら中心となってイベントを企画したりという人でもあった。
そんな人柄と遺志によって、集まる客は多様。なかなか面白いというか奇妙というか、個性的なメンバーが集まる。それがまた魅力?

料理はパスタ、ピザだからイタリアン系?まあ、かなり日本流にカスタマイズされているようだが、創作的な料理も多い。
昼はパスタのランチセット。夜はビール、ワインなどをはじめお酒の種類も多いので、ここでも万人の趣向に対応している。
地元の酒屋とコラボするビールや日本酒を楽しむ会の開催や、ミュージシャンを迎えてミニライブハウスなどにも変身する。



先日は、私の誕生日ということもあって、小さい孫を連れて家族で食事会。子ども用のケーキを持ち込みもOK。誕生日用のデザートプレートも用意してくれた。
酔って暴れて「出禁」かと思えば、「そんなことを考えるなら、毎日飲みに来い!」と気合を掛けてくれるママ。
ライブには参加したことがなかったが、誰かが店の片隅に置いてあるギターを弾き始めると、大合唱。古い卓上のレコードプレーヤーを持ち込み、レコードを聴いていた客もいたなー。

私を含めて客は動物園の猛獣か小動物、はたまたマジックショーのマジシャンが入り乱れる店内。マジックショーを仕切る娘と猛獣使いのママがいて、安心で家族的な雰囲気を作ってくれる。
止まり木をなくす寂しさはある。ただマスターが店先に植えた「菩提樹」は、新緑の季節を迎え今年も緑を濃くしている。そう、来年も再来年も。
「釈迦は菩提樹の下で悟りを開いた」。もちろん釈迦の足下に及ぶわけもないが、気持ちを高めたいときに見上げることにしよう。




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孫4歳の迷カメラマンは「連写の鬼」

2021年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム
既に二週間ほど前のことになる。長男の二男(孫)が、保育園の未満児保育を受けることになり4月のある日入園式を迎えた。
出かける前に写真でも撮ろうとカメラを持って新居に行くと、すかさず4歳の長男の長男にカメラを貸せとせがまれることになる。こちらも好奇心旺盛な年頃ですからね。
コンパクトカメラを取りに家に戻ろうとも思ったが、まあ僅かの時間で気が済むだろうと、大事な大事なカメラを渡した。ストラップを首に架けてやり、シャッターボタンの場所だけ教えた。

連写設定なっていたことは知っていた。しかもハイスピード。シャッター音が響く。まあ、フィルムじゃないし「いいかー」と思いながら、その辺にぶつけないように、落とさないようにだけ心配でついて回る爺さん。
僅かの時間だが、ゆうに300枚弱は撮っていただけに、整理するのに大変。ほとんどが削除しなければならないファイルだが、全部捨てるのはもったいないし、記念にもなるので、まあまあ使えそうなものを数十枚だけピックアップした。
厳しい審査の上で生き残ったファイル(45枚)の一部(6枚)が、下の写真ということになる。



家の周りや玄関・車庫、庭を短い間に駆け抜けまわって無闇にシャッターを切った割には、しかっり被写体を捉えていることは分かる。何を取りたいかハッキリしているのはいい!
オートフォーカス機能でどうすれば焦点が合うかまでは分からないため、ピントが甘いのは仕方ない。もちろんボケボケのものやブレブレのものは削除の対象となってしまった。
それでも何枚かは弟やパパ・ママ、お爺ちゃんも映っていた。その中の一枚が下の写真。やはりちょいとピンアマなのだが、構図はいい。パパの顔やママの背中も優しげだ。全く画像処理はしていない。
天才カメラマン誕生?整理して改めて感心するが、下手な鉄砲もといった感じですかね。連写のシャッター音は、マシンガンみたいですからね。


※カメラ:Sony α7Ⅲ、f:4.5、露出:1/250、ISO:100
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「エスニック&イタリアン+居酒屋」な新感覚の蕎麦屋さん

2021年04月24日 | 食(グルメ・地酒・名物)


お洒落なお蕎麦屋さんの紹介の巻。
仕事柄、外に出向くことは多いのだが、コロナで昼食の場所選びには苦労する。そんな時、長年営業マンとして外歩きしていた同僚(本人は一回りも下のくせに、自分は「上司だ」と言っているが)のトーマスは頼りになる存在。
私もトーマスも、蕎麦は好物とあって、この日は以前から紹介したいと言っていた、新潟市西区にある新感覚の蕎麦屋に案内された。

「蕎麦DAYS」という、名前から蕎麦屋としては異色。店内も明るく、イタリアンレストランの雰囲気がある。厨房含め女性だけで切り盛りしている。
看板メニューは、「肉ベジ」。メニューには「開店以来の定番」と記されている。トーマスのおすすめメニューでもある。名前でも想像できるが、上の写真のとおり蕎麦の上にたっぷり野菜と牛バラ肉が載っている。
つけつゆには冷たいものをチョイス。少し辛めの香辛料が入った独特のタレだ。野菜も新鮮、蕎麦も本格的な味と食感、ボリュームも満点だ。丁寧に説明書きで食べ方が書いてあるのもこだわりか?

昼食時なのにそれほど混んでいないのは、やはりコロナの影響か?通常だと行列のできる店というのは食べてみて納得できる。
満足感に浸りながら店を出る時になって気が付いた。「日本一獲得」?後で調べてみると、「ご当地オリジナル麺選手権」とやらで、5,000店舗の中で1位に選ばれた店だという。そのメニューは「純白のビアンカ塩麹ステーキつけ蕎麦」。
阿賀野市で、安田ヨーグルトを食べて育ったブランド豚「純白のビアンカ」の肩ロース肉を塩麴に漬けて、焼いたものを蕎麦の上にのせてあるそうだ。まあ、次回の楽しみにしますかね!

そのほかにも変わり種のメニュー満載。蕎麦の上にカツとカレーがのった「カツカレーぶっかけ蕎麦」や、チーズをを乗せてトマト味のつゆで楽しむ「トマトつゆつけ蕎麦」、豆乳仕立てでゴマと生姜が香る「豆乳とり団子蕎麦」などなど。まるでエスニック&イタリアンの店で、居酒屋系の要素を併せ持つ蕎麦屋なんだな。アルコールメニューも充実している。
オーソドックスな蕎麦ももちろんあるし、天ぷらもある。こちらも一度食べてみないと!絶対に美味いはず。本格的ながら、チャレンジ精神旺盛な店ということですかね。





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サクラを見に行ったのではなく、水門を見に行ったのです!

2021年04月21日 | 土木構造物・土木遺産


加治川治水記念公園に行ったのは、ただサクラを眺めに行ったわけではない。本来の目的は加治川治水のための分水路に設置された「加治川運河水門・土砂吐水門」を紹介するのに、サクラの季節がいいだろうなー、と思ってのことだ。

このブログでも、昨年の8月2日、8月12日などの記事で、砂丘と潟、洪水、分水路などを紹介しているが、どうしても新潟平野の成り立ちからの話をしなければならない。
その時の記事でも紹介しているとおり、新潟下越地方でも山間部から流れ出た土砂が堆積し平野を作り、北西の季節風激しい新潟ではその平野部の海岸線には砂丘が連なるという地形がある。
山から流れ出た水は川となり、大雨が降ると砂丘部にぶつかった川の水は平野部でしばしば湛水被害を及ぼしていた。そこで計画されたのが砂丘地を切り開き、川の流れをまっすぐ日本海に導く分水路の設置だった。

加治川分水路は、1913年(大正2年)に完成した。下越地方では、長者掘り(落掘川)、松ヶ崎放水路(阿賀野川)、胎内川などの開削は早くから進められていたのだが、農業用水や水運などの利害が交錯して、加治川の分水路工事はかなり遅くなってからのもの。
ただその分、明治期に培われた土木技術が駆使され、旧加治川(派川加治川)と放水路(現加治川河口)の水量調整のため設置されたのが運河水門(写真上1枚目の左手と二枚目(下流部から))と土砂吐水門(写真上1枚目の右)ということになる。
この水門と分水路のおかげで、下流部(島見潟方面)や上流部(新発田市周辺)を水害から守ることになり、早くから利用されこの後衰退するものの水運も確保されるということになった。

土木学会選奨の土木遺産(平成24年)。「現存する重要な土木構造物2800選」でもAランク。
土木学会選奨土木遺産選鉱員会でも「大正初期に治水対策として建設された分水路の水門で、当時の技術による美しい石造りと加治川の治水史を今に伝える貴重な土木遺産である。」と解説されている。
地元でも、こんな土木遺産があることご承知おきいただきたい。

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加治川の堤防と治水記念公園のサクラもどうぞ

2021年04月17日 | 旅行記・まち歩き


地元びいきになるのは仕方ないとしても、とはいっても加治川のサクラはやはり見事なものがある。
加治川は早くから桜の名所として知られていた。これは、大正天皇の即位と加治川の分水工事などの完成を祝い、1914年(大正3年)に堤防を中心に幼木を6,000本植樹したのが始まり。3年後には見事なサクラの名所になったという。
サクラの開花に伴い、一時は羽越線の加治川鉄橋付近に臨時停車場が設けられたり、臨時バスも運行されたりと、大勢の花見客で賑わった時期があったそうだ。



ただ、先に書き込んだように、昭和42年の羽越水害では破堤するという大惨事となった加治川周辺。サクラの木が堤防を弱めたとされて、やむなく伐採。一時は水害前の面影を全くなくしてしまうほど変貌した。
しかし、河川復旧後には、自治体を中心にサクラ並木の復元を願う運動が高まり、新潟県も河川を中心とした憩いの場の整備に乗りだしたことから、再度植樹。運河でもあった旧河川(派川加治川)を公園化するなどした。
両岸に植えられたサクラは40歳ほど。加治川治水記念公園内のサクラと共に、今では4月上旬になると見事な景観を見せてくれる。往時とそん色ないほどにまでに成長したようだ。

まあ、私の受け売りの安い解説より、堤防の傍らに設置されていた案内看板を撮影してきたので下の写真をご覧あれ。

(とにかくこの時期には駐車場は満杯。農道や路肩駐車も増える。民家が近いため、マナーは守って楽しんでいただきたい。河川敷の駐車場は、比較的空いている。)



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サクラを見ながら川や堤防が心配になる人がいる?

2021年04月16日 | 旅行記・まち歩き


週末はいい天気に恵まれ、久々のサイクリング。桜の季節だったので、迷わずお気に入りのサイクリングコースへ。少し山間に入ったところなので、市街地と比べると1週間ほど遅く咲くので、ちょうど見頃だったのかな?
サクラは日本人だけでなく、外国人にも日本の花として認知されており、この季節には南から桜前線が北上し、それに伴って話題を振りまいてくれる。
地元では、川にとって市域が海から山へつながっており、川の流れとは逆に、河口から源流部へと桜前線が駆け上り、長い期間サクラを楽しめるという特徴がある。(まあ、多くの地域で言えることでしょうがー)



地元の川の土手に植えられたサクラは、いつからか「千本ザクラ」とか呼ばれるようになったみたいだけど、あまりピンとこない。千本歩かないかは別にして、近年注目のサクラの名所になったのは確か。
堤防に沿って植樹されたサクラは、川の流れとその傍らに沿って作られた道の間に、きれいにカーブを描き遠くまで見渡せる場所にある。
コロナ禍とはいえ、コロナ禍だからこそ?多くの人たちが車を止めて写真に収める姿があった。まあ、自転車の私も同じなのだが。(写真下:沿線にも見事なサクラが咲いていた。)



ただ、よく見てみるとサクラの木は老木でもある。昭和42年の羽越水害の後植樹されたはずだが、50年位は経過してる?桜の咲き方が少し疎らになっているようでならない。老木化に加え「てんぐ巣病」や堤防の決壊、自然環境の変化や管理が追い付かないということもあるのかもしれない。
堤防は決して高くない。というか、河床が上がってきているんだな。河川敷は雑木が茂って、増水したときには決壊の恐れがあるのでは?(どうしても川の方に目が行ってしまう。)
サクラの名所でお隣の加治川では、羽越水害の時に大正期に植樹されたサクラが堤防に影響して、決壊したという事例がある。周りに人家はないものの(集落は河岸段丘の上で守られている)、ちょっと気になる光景に思えた。

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こちらは130歳のボウストリングトラスの「切立橋」

2021年04月10日 | 土木構造物・土木遺産


まだ気持ちは会津に行ったまま。
今回、会津に行った本当の目的は、十六橋水門でもなければ日橋川の発電所群を見るためのものではない。まあ、それなりに調べ上げたりして勉強になったし、楽しかった。
しかし、最初に訪れたのはJR磐越西線の広田駅。会津若松から上り方向(郡山方向)に一駅目あたる。ここから廃線跡をたどることが今回最大のミッションだ。(写真上:広田駅の駅舎とホーム。駅舎は2007年に火災により半焼、2008年に新駅舎が建設された。)



実は、先に紹介した猪苗代第四発電所を建設資材を運搬するために、東京電燈(現・東京電力)の専用線(広田専用軌道)が存在し、この広田駅から第四発電所の間をつないでいたという。
決して廃線マニアではなく、その痕跡を探すのは難しい。何せ大正時代の話、周辺の宅地開発や道路整備、圃場整備もされているので全くちんぷんかんぷん。後で調べてみると、私が単に地図上で確認していた道路よりも、かなり西側にある県道沿いにあったようだ。(写真上:駅周辺や住宅地、田んぼの中をウロウロ、まるで不審者のよう!)
それじゃ廃線跡はたどれない。何しに行ったの?という感じになる。廃線跡も興味がないことではないのだが、終点の猪苗代第四発電所の手間に目指すお宝があるのだ。



それが写真の「切立橋(きったてばし)」だ。以前紹介した福島市にある松齢橋(今年3月5日の記事参照)と同じ、ボウストリングプラットトラス橋だ。1921年(大正10年)架橋だから、ちょうど100歳。松齢橋より5歳年上。
実は、東京電燈の前身である猪苗代水力電気という会社の社長が、九州鉄道の元社長だったという関係から、鹿児島本線の矢部川にかかる橋梁を移設したもの。もしかして、100歳以上の年齢?
矢部川橋梁のある鹿児島本線の久留米駅と高瀬駅(現・玉名駅)が開業したのが、1891年(明治24年)だから、130歳と推定される橋なのである。



当時、この橋で専用線は日橋川を渡り、対岸の発電所建設地まで資材を運んでいた。軌間762ミリの軽便サイズ、総延長4.8キロ。完成後にはすぐに軌道は撤去され、跡形もなくなった。(僅かに盛土とかが確認できる場所があります。)
ただ、この日橋川橋梁は道路用に転用され、切立橋として付近住民のために現役で頑張っている姿は頼もしい。近代化産業遺産、近代土木遺産2800選でBランク。
このほかに、第二発電所、第三発電所の建設のため大寺専用軌道(大寺駅(現・磐梯町駅)と第二発電所、そこでスイッチバックして大発電所に続く5.5キロ)でというものもあったそうだ。
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日橋川、魅力ある水力発電を教育や観光に活用しよう

2021年04月06日 | 土木構造物・土木遺産


猪苗代湖を水源とし、日橋川から阿賀川、そして阿賀野川を経由して日本海に。猪苗代湖が日本海と通じていることは前回説明したとおりだが、日橋川には、まだまだ魅力がある。それが水力発電所。
日本屈指の水力発電量を誇る阿賀野川水系では、明治期から昭和にかけて盛んに電源開発が行われた。日本屈指の豪雪地帯を抱える只見川における日本発送電(日発)のダム建設計画、先に紹介した鹿瀬ダム(2020年10月22日記事参照)は有名だが、日橋川では大正期から、首都圏への電灯を点すために水力発電・長距離送電が行われていた。

これは安積疎水による開発が早かったこと。それ以前から会津城下を潤すための生活用水として、戸ノ口堰からの取水(写真上:十六橋水門のすぐ下流の戸ノ口堰貯水湖と取水口)が行われていたが、ここから会津盆地までのわずかな間に、300メートルの高低差を駆け降りる日橋川に目が向けられていた。
日橋川では、建設した当時の運営会社は違えども、6か所の発電所が東京電力(東京電力リニューアブルパワー)が管理し、現在も合計16万キロワットを発電している。そのほかにも、戸ノ口堰から水を引き入れている金山川には、三つの発電所、近年では小水力の発電所が建設されている。
猪苗代の水と灌漑の歴史と、そしてこの地方独特の地形により、山の中を発電用の開渠・暗渠の水路が駆け巡っているのである。(写真下:戸ノ口堰から猪苗代第一発電所に向かう導水路、そして会津若松市河東町から見る会津盆地)



日橋川の発電は、上流で水の取水口を設けて、導水路で水を引き込む「流れ込み式」を採用している。猪苗代第一発電所から第二発電所へ、そして猪苗代第三発電所と日橋川発電所で使った水はいったん日橋川に放出されるが、下流では猪苗代第四発電所と金川発電所がその水を使う。
一番古い日橋川発電所は明治44(1911)年建設(送電開始は翌年)、最も新しい猪苗代第四発電所でも大正15(1926)年というから、現在脚光を浴びている他の阿賀野側水系のダムより古いものばかり。
(写真下:猪苗代第一発電所とそのすぐ下流の第二発電所用の取水口。そして第二発電所の全景と第三発電所へ水を供給するための貯水池)



猪苗代第一発電所と第二発電所は日本遺産に登録(猪苗代第一と第二は、建て替え前まではレンガ造りだったとか。これを見れないのは残念!)。また第三発電所と第四発電所の発電所建屋は、RC造りだが古代ローマ風のデザインで、大きな窓と窓の間にエアダクトを兼ねたピラスターが突き出ている。何とも凝った作りが評価されてか近代土木遺産2800選でBランク。(写真下:いずれも第四発電所。第三発電所は、なかなか見れない場所にあるもので。)

この日橋川が持つ物語は、学習素材としても、観光のルートとしても、魅力的に見えるんですが、そう思うのは私だけ?
もしかして、すでに活用されている?観光産業において、日本の近代産業遺産群を巡る「猪苗代物語」なんてツアーがあれば、ぜひ参加してみたいと思うのだが。



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ドールン技師長に会いに猪苗代湖へ

2021年04月04日 | 土木構造物・土木遺産


会津に行ったのはラーメンを食べに行ったわけではない。「安積疎水十六橋水門」を見に行くために、福島県猪苗代湖湖畔まで足を延ばす。小学校の修学旅行で訪れた地だ。(その後も何回かは来ていますがー)
この猪苗代湖から、会津地方に流れ込む川が日橋川(にっぱしがわ)だが、これは阿賀野川(阿賀川)の支流にあたり、只見川・阿賀川が尾瀬を水源としているものの、猪苗代湖の水も流れ込んでいるんです。
会津・蒲生氏の時というから戦国時代、会津湖畔に水門を建設し会津地方の生活用水として灌漑(かんがい)事業が盛んに行われた。それが猪苗代湖の北西岸、日橋川経由で阿賀野川に流れ込む場所だ。(国道49号で会津から郡山方面に向かうと、猪苗代湖が視界に飛び込んでくる場所、左手)



明治に入ると、ここでもオランダ人の雇われ技術者が活躍している。ファン・ドールンがその人。河川輸送、灌漑用水、港建設の専門家で、エッセルやデ・レーケといったおなじみのオランダ人技術者の親方にあたる。
そのドールンは、大久保利通の依頼で安積疎水の開削事業を担当し、山を切り開き、会津とは反対方向である現在の郡山市周辺へ猪苗代湖の水を引き入れることに成功した。明治15(1882)年のこと。
こういう話には、どうしても水利権の争いごとがつきもの。ドールンは、猪苗代湖の水位や日橋川への流量を計算し、安積疎水を開削しても会津地方の流量には影響を与えないことを合理的に説明したという。
十六橋水門は、会津方面への水量を調整するためのものではなく(その役割もあるのですが)、東側の山の向こうにある福島県の中通り地方のために建設された水門で、郡山市の今の経済都市としての発展は、ドールンの偉業によるものとされている。



十六橋水門の傍らにドールンの銅像が立っているが、その脇には渡邊信任の顕彰碑がある。安積疏水土地改良区の初代理事長で、ドールンの後に安積疎水の改修・運営に尽力した人だ。
戦時中、政府は軍需のために金属類の回収命令を発したが、渡邊は農民にドールンの銅像を隠すように指示。オランダと言えば敵国ですからね、当時とすれば命がけで「盗まれた」と嘘を付きとおしたという。ドールンの偉業を後世に伝えたかったんですよね。
ドールンは、信濃川や利根川の治水事業や仙台・野蒜港(運河)、函館港の建設にも携わり、日本における土木事業の原点を築き、日本の近代化に大きく貢献した人なのである。ようやく会いに来くることができました!

安曇疎水十六橋水門は、土木学会「選奨土木遺産」、経済産業省「近代化産業遺産群 続33(東北開発)」、文化庁「日本遺産」。





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喜多方ラーメン・老舗「坂内食堂」で食べるから美味しいの!

2021年04月02日 | 食(グルメ・地酒・名物)


4月に入り穏やかな天気。今週はかなり仕事頑張ったので、平日にお休みをいただき、一人で長距離ドライブに。行先は会津方面。朝早く出たのには訳がある。喜多方で朝ラーをすることを思い立ったからだ。
喜多方は会津地方の中心都市・会津若松市から北に20キロ弱。テレビ番組で取り上げらたことから「蔵のまち」として観光地となったが、その客は食べるラーメンが話題になり、いまや喜多方は「ラーメンの聖地」となっている。
人口4万5千人ほどの町に120軒のラーメン店があるという。その中でも超人気店であるのが「坂内(ばんない)食堂」、平日でも昼は行列ができ、土日となるとそれが50人以上、1時間待ちになる日も珍しくないのだそうだ。



ところがどっこい、この店は朝7時から営業をしている。いくら人気店でも、朝から行列ということはないだろうということで、朝9時過ぎに喜多方に入る。
市役所脇の狭い小路に店はあったが、一旦店の前をクルマで通り過ぎる。というのも駐車場が満杯。嫌な予感がするが、一回りして戻るとポツポツとスペースがあった。僅か10分足らずの時間なのに。
ただ、店に入ると中は広く、お客は数人。もしかして、朝のピーク時間帯が終わったころだったなのか?最初にレジでメニューを見せられ、注文をして会計も済ます方式だ。



一番ポピュラーと思われる「しなそば」注文。間もなくして運ばれてきた。早い。
透き通ったスープに縮れ麺、これぞ喜多方ラーメン。スープはあっさりしているのだが、コクが深い。ここは塩ベースなんだね。少し平べったい熟成の多加水麺はシコシコして、口の中で踊ってくれる。。肉厚チャーシューも見た目より味がしみていて口の中で踊ってくれる。
喜多方ラーメンを喜多方で食べるということは何回かあったが、確かに人気店と呼ばれるだけはある。



店にはお土産用の売店を併設。倅とお嫁ちゃまにおみやげとして買いました。創業60年の老舗の味を持ち帰ることもできる。
また、坂内ブランドは暖簾分けや姉妹店の登場もあって、日本全国には「喜多方ラーメン坂内」(㈱麺食のブランド)としてで広がっている。この会社、海外にも進出しているんですよ。
お土産セットやチェーン店の展開で、いつでもどこでも食べられるのはいいけど、ここまで来て食べた感動が少し落ち込んでしまう?それでも、ここで食べるから美味しいの!
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