行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

我が家に登場したアメリカンサイズのプール事情

2021年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム


我が家にアメリカンサイズのプールが突如設置された。
妻が孫のためにとR社の通販で購入したもの。「2万円もした」とか言っているが、多分2万円では買えない品物であることはバレバレ。R社のサイトを見れば分かること。
とにかくそのサイズの大きさには驚くし、いくら何でもちょっとやり過ぎでないか?いろいろ考え、熟慮の上で購入したのか甚だ疑問が残る。

まず、長男が組み立てに苦労していた。大きいので扱いが悪い。何とか家の中で組み立てたものの、外に運び出すのが容易ではない。
設置場所も二転三転。我が家のような猫の額ほどの庭に、アメリカンサイズは大き過ぎるし、地面の敷砂利の上では丈夫なビニールでも、下がゴツゴツした場所に設置するしかない。
容量もビッグ!ザっと量っただけでも1.6トンの水が入る。半分くらいしか水を入れないとしても風呂の5杯分。水道料もバカにならない。かつ、水道では水が冷たい。(この日は、前日に入れたもので対応。)
使用後の排水も問題。排水溝に水を流しいれる工面をせずにプールの栓を開けようものなら、小さなに庭は水浸しになってしまう。
加えて、使用後の収納場所はどうなる?そのうち、また使うだろうかと車庫の奥にしまったはいいが、解体し収納する場所にも困ることが予測される。その後、また組み立てるのも大変。また最初の課題に戻ることになる。

家で水遊びができることは理想だが、海にでも連れて行けばいいのではないか?浜は暑い?危険?砂が付く?でも、それが水遊びというものではないだろうか。
まあ、買ってやった妻は孫の喜ぶ顔が見たくて買ったのだろうし、実際、喜んで水に浸かっているからヨシとするしかないのだが、私を含めて気軽に買えるネットショッピングの餌食になっているともいえる。


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三島町はテレサ・テンの心のふるさとだった

2021年07月27日 | 旅行記・まち歩き


奥会津、三番目の町の紹介。といっても、「第一只見川橋梁(6月3日記事)」や「アーチ三橋(兄)弟(6月8日)」などでもすでに紹介してきているのが三島町だ。
会津宮下駅がある宮下の旧宿場を中心街としているが、一時期(1950年頃)8,000人近い人口があったが、今は2,000人を大きく下回るという超過疎化の町でもある。

これも先に紹介した道の駅「尾瀬街道みしま宿」がある町でもある。(写真上:JR只見線の会津宮下駅と宮下宿の風景)
「尾瀬街道」とは?沼田(会津)街道のことか?それとも新潟と会津を結ぶ六十里越えのことか?
確かに国道252号は、尾瀬に続く道沿いになることは確かなので深くは追及しないが、宿場町であったことは、街並みを見てすぐに分かる。

第一只見川橋梁を紹介したときに、この田舎町に外国人観光客が大勢押し寄せていることを紹介した。台湾からの観光客が断然に多い。
橋を見に来ていると思いきや、実は台湾出身の歌手で、日本だけではなく世界的にも有名なテレサ・テンが訪れたことが由縁となっている。
テレサ・テンは台湾で14歳でデビュー。日本で「空港」が大ヒット。語学が堪能だったこともあり、世界中で彼女の歌が流れ、「アジアの歌姫」と呼ばれ、作品の累計売上は1億枚以上と言われる。



1977年(昭和52年)日本で発売された「ふるさとはどこですか」のキャンペーンで、「ふるさと運動」を行っていた三島町の特別町民にテレサ・テンが応募したことがきっかけだ。
人気絶頂の若い女性歌手が来るということで、町民は大歓迎!テレサ・テンも短い滞在期間の中で、積極的に交流をしたという。
三島町には随所にテレサ・テンの活動を伝える看板があり、それらを目当てに多くの外国人が訪れるのだそうだ。

何がきっかけになるかわかりませんなー。いっそ「テレサ・テン町」にでもしたら面白かったのに。(と軽々に外部の者は勝手なこと言う。ゴメン!)
(写真上:テレサ・テンが降り立った会津宮下駅の駅前に設置された看板と、特別町民に登録した役場前の看板。写真下:宿泊地でもあり町民との交流コンサートが開かれた「ふるさと荘」と、町内各地で交流の様子を伝える看板。)
(なお、三島町宮下より奥へは未踏の地でもあり、今後訪問の予定だが、続きをお伝えするのは少し先になることをご勘弁いただきたい。)

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奥会津の守り本尊・福満虚空蔵菩薩円蔵寺

2021年07月23日 | 旅行記・まち歩き


奥会津紀行、二つ目の町は、奥会津への入り口にあたる柳津町を紹介する。国道252号が只見川に絡み始める町だ。
只見川は水量豊富な上、いくつものダムで堰き止められていることから、満々と水を湛え川幅も広い。柳津の市街地と言える場所は、川べりの僅かな土地に公共施設や商店が並んでいる。
以前は、旧道は狭かったようだが、今は国道のバイパスが完成し、柳津橋、瑞光寺橋の二つのアーチ橋が町のシンボルとなって、交通の便を図っている。(6月8日の記事参照)

「赤べこ」の発祥の地ということだが、柳津と言えば「福満虚空蔵菩薩・円蔵寺」。日本の三大虚空蔵尊で、空海作の虚空蔵菩薩を安置しているとの謂れがある寺院で、参拝者も多いことから観光の中心でもある。
崖の上に立つ円蔵寺、そこへ続く急な階段がシンボルでもあるが、階段を登り切った境内に「開運・撫牛」が置かれている。これが赤べこの由来ともなっているのだという。
400年ほど前の1611年、会津地方を襲った大地震の際、どこからともなく表れた赤牛の大群が本堂再建のための資材を運ぶのを手伝ったのだとか。赤べこといえば円蔵寺といったところか。



この地の名物と言えば「あわまんじゅう」。ヒエやあわというと、土地がやせている場所や平地の少ない山間部で栽培されるというイメージがあるが、神仏への供物にもなるもので、イネより早く日本に伝来した由緒ある穀物だ。
粟ともち米を混ぜて、こし餡をくるんで蒸したものが名物・あわまんじゅうで、狭い市街地に数件の店がひしめき、昔ながらの製法により造り提供している。粟のつぶつぶ感ともち米の柔らかい触感が絶妙で、とっても素朴な味がする。
こちらは1818年、柳津が大火に見舞われたときに、「もう二度と災難に『あわ』ないように!」と円蔵寺の和尚が門前の菓子職人造らせたのが始まりだといわれている。

つまりは、赤べこもあわまんじゅうも、円蔵寺監修により現在、会津を代表する名物になってきた。made in Ennzouji!
地震の時に材木を寄進した上流部の方々や大火で疲弊する町人たちを大事にしてきた所以が虚空蔵さまの信仰にも興にもつながっているのではないだろうか?
苦難を幾度も乗り越えて奥会津を守り続けた、その入り口にふさわしい本尊。仏の導きっと深い慈悲に包まれた奥会津の旅、ここからが本番!




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ライヴァン通りがある会津坂下町を訪ねて

2021年07月18日 | 旅行記・まち歩き


また少しばかり会津に話を戻してみたい。

奥会津に足を入れてから数カ月、会津地方がとても魅力的な土地なのだが、只見川や只見線のほか沿線の町も魅力が詰まっている。
奥会津の玄関口は柳津町と以前書き込んだが、ベースキャンプとなるのは会津坂下(あいづばんげ)町と言っていいのではないか?
只見線が会津坂下を出ると、利用者が極端に減り、超ローカル線となること。国道49号から国道252号で奥会津に入る地先が会津坂下であり、磐越道のインターもある。

会津若松方向からだと、七折峠を超えたところから奥只見に入ることになるが、坂下の市街地は会津盆地の北西の際。
国道49号から市街地に入ると、直線でかなり広い道路に商店街を要している。昔ながらの匂いをさせながらも何か開けた感じがする場所だ。
この通りが「ライヴァン通り」といって、平成の初期に整備された通りということだ。(写真上:会津坂下の中心街である「ライヴァン通り」と、通勤通学に地元の方が利用するJR只見線の会津坂下駅。)

しかし、「ライヴァン」とはハイカラな名前。その名の由来を地元の方に取材することを失念してしてしまい、家に戻ってからどうしても気になって仕方がない。
思い切って町の商工会に問い合わせると、主任経営指導員の方が丁寧に教えてくれた。「来客」と「坂下(ばんげ)」からきているとのこと。商店街に千客万来を願って付けられたのだ。
もしかして、安積疎水のドールンのように、ライヴァンさんという外国人との接点があったのでは?とも考えたのだが、洒落たひねりでもある。

坂下の名物というと、以前紹介した冷やしラーメン(本年6月22日記事参照)。そのほかには桜刺し、そう会津の馬刺し文化はこの町から広がったといっても過言ではない。(写真下:冷やしラーメン(再掲)と桜刺し(馬刺し))
新潟県の阿賀町を紹介した時も津川の馬刺しを紹介したことがあった(2020年11月3日記事参照)。津川は会津藩。この地の食文化が新潟にも影響を及ぼしていたのだ。
新潟と会津、切っても切れない縁があるようで、新潟の人たちにも会津坂下に「ライヴァン」してほしい。




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EURO2020で若手選手を発掘して見ました

2021年07月14日 | スポーツ・スポーツ観戦


EURO2020も終了、イタリアの優勝でしたね。グループステージだけを見ても、強さが光っていたので、予想どおり。
注目していたのは、フランスとドイツ。いずれも決勝トーナメント・ベスト16止まり。
フランスは手中の勝利をスイスの粘りにすくい取られた?ドイツもチャンスは多かったのに、イングランドのケインとスターリングにやられたといったところ?

最優秀若手選手はスペイン・ペドリですかー、18歳(写真下)。ホントに堅実なパスとトリッキーな動き。シャビとイニエスタが混ざったみたいな選手。
今回も全試合にフル出場の大活躍だったことは確かだが、若いとはいえリーグ戦でも主力選手ですしね。かなり見ているので新鮮味がない。
EUROといえば、やはり普段見たことのない逸材を探し、明日のヨーロッパサッカーを沸かせるだろう選手の発掘の場でもある。

私の場合、20歳以下を狙っていたのだが、大会中に21歳になったのがデンマークの奇跡を生み出したダムスゴーア(写真下)。
各メディアでも取り上げられているので承知の方も多いと思うが、ロシア戦の先制点や、準決勝のイングランド戦のフリーキックは強烈なインパクトを与えた。



ただ、今回はディフェンスでも若手が活躍している。目立たないポジションだけに少しかわいそうな気もするの触れておきたい。
ウクライナのザバルニー(18歳)は、全試合フル出場。クロアチアのグヴァルディオル(19歳)も全試合先発出場だ。
いずれも国内リーグに所属しており、なかなか見ることのできない選手だが、どちらも風格さえ感じられて、今後が楽しみでもある。

そのほかにも、イタリアとの決勝戦でスピードと足技で印象を与えたイングランドのサカ(19歳)、グループステージ初戦のポルトガルに冷や汗をかかせたハンガリーのショーン(20歳)。
チェコの最高傑作・フロジェク(18歳、写真下)、スコットランドの逸材・ギルモア(20歳)なども楽しみな選手。
私の一押しは、出場時間は少なかったもののロシアのムヒン(19歳、写真下)というアンカーがポジションの選手だ。フランスのカンテをどう猛にした感じのディフェンスが光る選手。

必ずや近いうちに脚光を浴びることを楽しみにしている。皆さんもご注目を!(写真は、WOWOWの画面から)





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コロナワクチン、第一回目の接種が終了!

2021年07月12日 | 健康・病気
新しい事務所の慣れない仕事と、休日出勤によるお客様のアテンドにより、ブログ更新がおろそかになった。申し訳ない。
外を出歩いている関係上、近場のネタには事欠かない状況にあるが、なにせ思うように時間がつくり出せない。不徳の致すところ。
それでも旬な話題とすれば、コロナワクチンの第1回目の接種を、先々週のことになるが書き込んでおきたい。

家内の職域接種の仲間に加えてもらった。奥様は看護師であるため、早くに二回目の接種を終了していた。
まあ、考えてみれば、家庭内感染も多い昨今の状況からしても、家族で接種しないと効果も行き渡らないことにもなる。
そうした中で、少しだけ早めに接種できたことはありがたい限りだ。

実は、市役所からもクーポンが送られてきていた。年齢と持病がある人とのカテゴリーだ。
この場合、7月5日から予約開始ということだったが、いつになるかは分からない。少しでも早めの方がいいとの判断。

職域接種は「モデルナ社」製のワクチン。副反応というほどではないが、接種後の腫れや痒みが取りざたされているもの。
しかし、全く問題ありませんでした!押すとちょっと気になる程度だが、そんなのは筋肉注射には付き物。
接種もスムースで、注射の痛みも全く感じない。違和感なし!
ただ、問診会場と接種会場が別々なのはどうなのかなー?暑い日ではなかったのでいいんですが、まだ続くとなると後からの人は大変だわ。



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7月から新しい事務所で新しい仕事に(期間限定です)

2021年07月06日 | 仕事(教育活動・いちご・建設・選挙含む)


7月に入った。今月からは新しい仕事、というか以前からお手伝いをしていた政治(後援会)活動の事務所が新たにオープンしたことにより、そちらにメインを移して仕事場とすることとなった。
後援会活動は、多くのボランティアによって支えられているが、事務所勤務の事務局はシフトで事務所に詰めてくれる。そこの責任者を引き受ける格好となる。
まだまだ事務所内は、荷物や書類、コードなどで散らかっている状態だし、早速、支援者との会議が連夜に渡り続き、ここも神経を使うところ。今後の活動のことを考えると、当分手探りの状態が続くものと考えられる。



政治活動という中で、いろいろな政策などを訴えるということも大事なのだが、最大の課題は猛威を振るって久しく、収束がなかなか見えないコロナ感染症対策ではないだろうか?
対面での活動や人を集めての活動がなかなか思うようにいかない。行政機関がコロナ対策に躍起になっている最中、慎重な行動が求められる。当然のことである。
ご覧のように、感染症の予防グッズはいち早く購入し、事務所オープンに合わせて設置された。そんな中で、気持ちよく事務所を訪れていただける人と、まちづくりなどに関する意見交換などができればと思っている。

殺風景だけど、下の写真は私のデスク。期間限定の事務所開設のため、リース品です。事務用品等は私物をどんどん持ち込みます!


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鮭料理の普及と伝統継承、さすが城下町の老舗「千年鮭きっかわ」

2021年07月02日 | 旅行記・まち歩き


上の写真は新潟県村上市の「きっかわ」。鮭の料理を製造・加工、販売する老舗だ。ご覧のとおりの趣。
前回まで紹介してきた客人の中の一人が、鮭の「はらこ漬け」をお土産に買い求めたいということで、鮭の町・村上に案内することになった。
実は、この「きっかわ」さんは、以前このブログでの紹介したが(2015年12月3日記事参照)、「味匠・㐂っ川(みしょう・きっかわ)」時代のもの。店名が変わっていた。



以前お邪魔したときと店内はそう変わらない。奥の熟成した鮭が圧巻の光景も変わらない。なぜ?
村上市の鮭は千年以上の歴史がある。「伝統の鮭料理に更に磨きをかけ、一方では伝統の枠を超えた新しい製品づくりを行い、新時代を切り拓いて参りたい」と、15代目の現当主が強い思いを込めて「千年鮭きっかわ」と改称した。
創業は江戸初期、当初は米問屋、そして酒屋、伝統の鮭料理を絶やしてはいけないと、今の形になったのは昭和30年代だそうだ。



改名は、平成28年(2016年)。前後し、洋風鮭料理のブランド「Madam Kikkawa(マダム・キッカワ)」を立ち上げたり、2017年には鮭料理専門店「井筒屋」を開店。
とにかく、鮭料理の普及のための活動と伝統をかたくなに守り続ける姿勢には頭が下がる。
客人を案内しても、この店は自慢できるし、期待に応えてくれる。城下町・村上の気質を垣間見るようである。
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