行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

新潟ラーメン事情(その3)新潟のラーメンを彩る「二大グループ」の存在

2022年01月30日 | 食(グルメ・地酒・名物)
新潟県内のラーメンを紹介してきているが、この新潟の地にラーメン文化を定着させ、他県からも注目させるまでに至ったのには、余念なく商品開発に取り組んだ二社の頑張りがあったからだと私なりに分析している。



一つは「三宝グループ」。1967年(昭和42年)創業。新潟市の上木戸に「三宝飯店」をオープンし、その後、旧黒埼町大野に移転、「レストハウス三宝」をオープンさせて、1975年に法人化をしている。
名前からも分かるとおり、もともと中華料理を得意としてきて、レストランメニューにも中華が多いのが特徴。その三宝がラーメンのチェーン展開をしたのが1995年「さんぽう亭」の第一号店を燕市にオープンさせてからだ。
「さんぽう亭」と言えば「五目うま煮めん(写真①)」。先にも触れたとおり、あんかけラーメンをしっかり新潟のものとして位置づけることになる。グループの各店でも共通してこの看板メニューは提供されている。

直営のさんぽう亭(三宝亭)は25店舗。これを含めて国内39店舗を展開。そのほかに「三宝亭」としてフランチャイズ国内9店のほか、海外にも進出している。中華レストラン「三宝茶楼」や「楼蘭」といった店もグループの店舗。
そして最近注目なのが、このコロナ禍にありまがら、「味の店・ちづる」や「自家製乾麺鴨だしご飯・かも新」を次々にオープンさせ、積極的店舗展開と新メニューにも挑戦している。
この爽やかともいえる積極的な取り組みに加え、安定した味は信頼の味への進化し、「新潟の味」とも評価されている。もちろん「さんぽう亭」には、濃厚な味噌ラーメン(写真②)や麻婆麺もありまっせ!



新潟のラーメンを語る上で、大きな功績をあげた会社は「だるまやグループ」だ。1980年(昭和55年)設立、昭和58年新潟市古町8番町で「だるまや」が開業。直営店だけで46店舗、500名以上の従業員を抱えている。
こちらはラーメン専門店が中心。「だるまや」のほかに、「らーめん万人家」、「らーめん吉相(写真③)」、「ちゃーしゅーや武蔵(写真④)」、「らーめん亭一兆」、「らーめん亭孔明」、「麺や大舎厘」などを展開。
あれっ?新潟県人なら、これらの店の一つ二つには行ったことがあるはず。「万人家が美味しい!」、「いや俺は吉相派だ!」と談義をする場面もあったのでは?おいおい、実は同じグループですよ!

こちらは豚骨スープに、各店舗で特徴的なチャーシューをドンとトッピングするがっつりスタイルのラーメンが多いような気がする。とは言っても、あっさり味や濃いめの味噌味などもある。
こちらは途中経営陣が変わるということがあって、その後もグループ内でごたごたもあったようだが、時代に合わせて臨機応変にメニューを変化させていったところに何か新潟らしくない経営手腕や商魂を感じる。
つけ麺を主力とした時期、チャーシューの花盛り、背油が人気となればそこを突いてくるという感じ。そのだるまやグループも積極的に新形態の店をオープンさせた。その名も「麻婆会館」。ラーメンの主流を常に追いかけている。アッパレ!




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新潟ラーメン事情(その2)人気急上昇の「麻婆麺」

2022年01月29日 | 食(グルメ・地酒・名物)
前回、新潟五大ラーメンを紹介したが、まだまだ新潟には魅力的、そして個性的なラーメンがある。妙高のとん汁ラーメン、糸魚川のブラック焼きそば(富山のブラックラーメンに対抗してる?)、阿賀町のあんかけラーメンなど。
あんかけラーメンも一つの文化かもしれないが、これは中華料理のというくくりの中で、全国各地にあるものだろうし、妙高、糸魚川もローカルなところでの認知にしか至っていないといっていいだろう。
その中で、やはり五大ラーメンに次ぐ六番手として現れたのは「麻婆麺」ということになろう。今回は、こちらのラーメンとお店を紹介していく。



新潟の麻婆麺の発祥は「ラーメン工房まるしん」と言われている。30数年前、店主の小田さんは脱サラで地元の新潟でラーメン屋を開業。本来、つけ麺をウリにしていて、開業当初は数杯しか「マーボ麺(この店での表記、写真①)」しか出なかったとか。
それが新潟の特有ということもあってか、次第に人気が出始めて、今では看板メニュー。カップ麺でも販売されるほどということは、以前も紹介したとおり。https://blog.goo.ne.jp/jikokuhyou485/e/f2e317680e2993d72bf4a30df033a837
そして、今から10年も遡らない極々最近、人気に火が付いた。「麺屋Aishin」は「麻婆麺(写真②)」は主なメニューとして売り出して、たちまち押しも押されぬ人気店となった。まるしんと似ているような気がするが、関係性は不明。



上の写真で、③は「麵屋太威」の「マーボー麺」、④は「らーめん幸」の「マーボー麺」だ。「麻婆」と「マーボー」と、漢字とカタカナの表記が入り混じっているところが面白い。
一説によると、寒い新潟で、麻婆豆腐のあんが冷めずに熱々に、保温する効果があったからともいわれるが、これは先に触れた背油でも言えるし、あんかけラーメン全般に言えること。背油ラーメンもあんかけラーメンもそんな効果から古くから親しまれたり、人気を得たりしたものとも考えられる。

ただ、この麻婆麺が凄いと言わざるを得ないのは、ここ数年で急速に全県的な広がりを見せていること。どこのラーメン屋さんにも定番メニューとして位置付けられていることも多い。上越の「龍馬軒」、長岡の「喜京屋」など有名店でも人気メニューだ。
また、白い麻婆麺や黒麻婆をウリにする店も出てきて、進化もしてきている。これは、あっさりラーメンや濃厚味噌ラーメンに次ぐ、新潟ナンバー3というまでに、その存在感を押し上げているといっていいのではないか?
おかげで、地元から近いところでも美味しい麻婆麺をいただくことができる。ほら、皆さんの近くにも麻婆麺、あるでしょ?(写真下:地元に近い、⑤「らーめん真」の「麻婆麺」と、⑥「時田」の「麻婆麺」。)

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新潟ラーメン事情(その1)「五大ラーメン編」

2022年01月27日 | 食(グルメ・地酒・名物)


駅弁の次は、ラーメンと行きますかー!このブログでもたびたびラーメンを紹介することがある。新潟は確かにラーメン屋も多く、魅力的な店や種類も多い。
新潟では「五大ラーメン」とか言われる。テレビ番組などで取りざたされているが、あまり意識したことはない。ただ、確かにその傾向はあって、店の特徴にもなっている場合が多い。
特に特出すべきは「あっさりラーメン」。慣れ親しんだ味だ。新潟では名店と言われる「三吉屋」や「新吉屋」に代表されるもの。上の写真①は、「ラーメン拾番」のもの。いたってシンプル。



このところ話題になっているのは、「背油系こってり」と「濃厚味噌」かもしれない。どちらもパンチの利いたがっつり系ラーメン。
燕の名店「杭州飯店(写真②)」は、金属加工の町で出前をするときに、熱々のラーメンが提供できるように背油をぎっしりとスープの上に乗せ、バリアのようにしたのがきっかけだとか。見た目は「脂汗」さえ出そうな感じだが、それほどでもない。
味噌ラーメンは、発酵食品文化がある新潟では必然的に生まれたラーメン。めちゃくちゃ濃厚で「こまどり(新潟市西蒲区)」や「東横(新潟市中央区ほか)」では割り下スープが付く。しかしこちらも、札幌ラーメンほどのコッテリ感はなく、また食べてくなる味。(写真④は「東光(新潟市北区)」)



あれよあれよという間に四大ラーメンに「生姜醤油」と、五大ラーメンとして「三条カレーラーメン」が名乗りを上げてきた。こちらは長岡・三条といったご当地色が強いような気がする。最近ですよねー。
それでも長岡の「青島食堂(写真④)」は、暖簾分けなのかフランチャイズなのか、積極的な店舗展開で一躍時の店となった。マツコのテレビで取り上げられるくらいですからねー。長岡には局所的に数店が看板を掲げ、新潟市でも数店舗、東京・秋葉原にも進出している。
ただカレーラーメンは、もっとローカルな感じ?三条でしか食べられない。てか、一度だけ食べに行ったことがあるのは「正広(写真⑤)」だけなんですが、いつも親しんでいるカレーがラーメンの上に掛けてあるだけ?他の店はどうか分からないが、スープカレーに特色があるように、もうひとひねりしてほしい。

まあ、これが新潟五大ラーメンということになるが、記事の内容としてはいささか当たり前の過ぎる?新潟県人ならだれでも知っているラーメン。自明。
しかし、ここから続きが数回ある。六大ラーメンに名乗りを上げているのが「麻婆麺」。こちらも名店が続々登場。そしてあのラーメン、このラーメン、実に新潟のラーメンは特徴的なものばかり。それは次回に!
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これまでにいただいた変わり種の駅弁・ベスト3

2022年01月25日 | 駅弁
さて、またまた駅弁の話に戻るが、これまで出会った中で、全国でも珍しい駅弁を今回は紹介したい(また、駅弁?と思われる方もいるかもしれないが、このところのネタ不足の中、撮りだめていた駅弁の写真ならゴロゴロと転がっているので。)。



ご覧のとおり、写真は、折の中にそばが入っている。函館本線の「長万部駅」?長万部と言えば「かなやのかにめし」だが、実はそれと人気を二分していたのが「合田」の「もりそば」なのだ。(2004年購入時、600円。最近の情報で650円?)
何にもない長万部の駅で、よくもまあ販売し続けたこと。日本初のそばの駅弁。しかし、当初はごはんが入っていないということで「駅弁」の扱いはされなかったが、のちに特急北斗の車内販売などで人気を博すことになる。
かにめしとともに駅構内での販売から車内販売へと変遷したが、現在は両社とも駅前の店での提供。ただ、そばの駅弁自体は常磐線の原ノ町や山陰線・出雲市などでも以前販売されていた。合田のもりそばを含め、わざわざ足を延ばして購入したことがある。



「高崎駅」の「たかべん(高崎弁当)」といえば「だるま弁当」。根強い人気がある弁当であるが、ここでは数年前まで「上州朝がゆ」なるお粥の駅弁があった。
どこか本家の屋号に似た牛丼チェーンのテイクアウトで使用されるような保温容器に入って、結構温かくいただける。お粥の上にエビと栗、そして別容器に練り梅と味噌漬け、塩が添えられている。二日酔いの朝食にはもってこい!
やはり、新幹線なる偉大な乗り物の登場でスピード化が図られたせいか、朝限定の販売は難しかったようで、数年前に終売。この日は、出張で高崎泊まりだったもので、駅まで買いに言った記憶がある(2014年購入時、450円。https://blog.goo.ne.jp/jikokuhyou485/e/ccddefdff9e3bb12830bc940ebe4acc5)。



こちらは土讃線「高知駅」の名物駅弁「かつおのたたき弁当」。「安藤商店」という、高知の観光名所「ひろめ市場」にも出店する仕出し屋さんが調製・販売している弁当で、カツオのたたき?なんと駅弁にお刺身が入っている!
お寿司(酢で〆て)で提供される駅弁は各地にあるが、ここまで本格的なお刺身で提供されるのは全国でもここだけ?確か、カツオのたたきが入っている容器は、冷蔵保存されていたような気がする。それにしても鮮度だった。
確かに高知と言えばカツオのたたき、ひろめ市場で一杯やりながら食べるのは最高だとしても、こんな素晴らしい食材を駅弁にして、旅人に提供いただけるとはアッパレ!現在1300円(写真は2008年のもので、1050円。https://blog.goo.ne.jp/jikokuhyou485/e/cd2e42d0c4bdc06b140989445561dd84
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全豪オープンテニスでダニエル太郎が躍動!

2022年01月23日 | スポーツ・スポーツ観戦


土曜日の夕方という時間帯、日本中を沸かせたのは、今シーズンのグランドスラム最初の大会・全豪オープンテニスに日本人ただ一人勝ち残っていたダニエル太郎だ。
外は雪だし、コロナだし、休みの日は孫の子守だし、テレビ観戦にはもってこい!大阪なおみも敗退して、日本勢はダニエルただ一人。それほど注目を集めていた選手ではないが、せっかくなので応援しようと思って。
といっても、ダニエルのことはあまり知らない。お父さんがアメリカ人の二世。国籍こそ日本だが、アメリカで生まれ、スペイン・バレンシアのアカデミーで練習をしている。28歳。

全豪オープンの3回戦、勝てばベスト16。グランドスラムの3回戦ででさえ初めての経験なのに、もしかして旋風を巻き起こす?
時に様々な大きな大会では、思わぬ形で新星が現れ、旋風を巻き起こし、注目を集めることも多い。そう、昨年の全米オープンの時のラドゥカヌやフェルナンデスのように。
今回のダニエルも、第一セットは落としたものの、第二セットをあれよあれよという間に5ゲームを連取して反撃に出る。力強いサーブやトリッキーなプレーもさることながら、その顔つきがいい!何かやってくれそうな眼をしている。

ダニエルの相手は、イタリアの若手・シナー(写真下)。現在20歳だが、世界ランク10位。ダニエルはこの試合を迎えるまでは120位だから、かなりの番狂わせがなければシナーが負けることはない(結果、セットカウント1-3でダニエルが敗退。)。
シナーは、ダニエルの力を認めてい居たというテレビの解説。力強いストロークだけでなく、冷静は判断力、作戦に定評があるシナー。この試合でも、恐るべきといっていいほどの修正能力を発揮したといえる。
それにしてもダニエル君、予選3試合はいずれもイタリアの選手と対戦して本選出場を果たし(イタリア人には相性がいいかと、シナー戦も期待した)、本戦に入っても1セットも落とさなかったという好調ぶり。苦手なハードコートも克服し、メンタル面での成長も著しいとか。これからも期待することにしたい。
(いつものことながら、写真はWOWOWから拝借、タブレット観戦だったもので、ちょっと画質が悪いのはご容赦を。)




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これまでいただいた駅弁・ベスト3を発表

2022年01月22日 | 駅弁
新潟の駅弁のクオリティを紹介する機会があったので、それじゃ全国的にはどうなのか?これまた全く自分の勝手な基準により、これまで食した中でベスト3を紹介したい。(順位はつけがたい。すべて出来立てを食したので印象深い。3つの駅弁と駅弁屋を、北の方から紹介する。意外性がなく、もっともなベスト3かもしれないが…)



根室本線(花咲線)で「厚床駅」を訪れたのは、2002年というから20年前。ちょうど小学生の子どもを連れて、JR北海道を走破している時のころ。釧路に宿泊し、わざわざ「かきめし」を求めるためだけに訪れた記憶がある。
調製・販売は、駅前で営業をする「氏家待合所」。100年以上の歴史があり、現在四代目の氏家さんが伝統の味を守っている。駅弁大会などの催事でも人気の駅弁である。現在、1,080円との価格であるが、当時は900円(それほど価格変動してないなー。)
牡蠣の煮汁で炊いたご飯が最高。列車から見える厚岸湾で養殖されるが牡蠣が特産品であるが、ご飯の上には、ツブやアサリも盛り付けらている。シンプルではあるが、極めつけの味だ。



続いて登場は、やはり見た目はシンプルだが、秘伝のスープで炊きこんだご飯が最高の味を醸し出しているのが奥羽本線「大舘駅」の「鶏めし」だ。そう、比内鶏の本場だ。
大館駅前に食事処も構える「花善」は、昭和22年の創業。数々の駅弁コンテストでも入賞の常連駅弁屋。直営で、全国各地で臨時販売をしているかと思えば、フランス・パリ「リオン駅」に期間限定ながら出店。常設化を目指しているとか。
写真は2003年。当時850円が現在は900円。(こちらも価格優等生。)「伝統の灯を消すな!」というより、積極果敢な駅弁屋さんに拍手を送りたい。



西の横綱といったところか、宮島名物の「穴子飯」は、やはり山陽本線の「宮島口駅」前の「うえの」というお店で購入する。(時刻表には、宮島口駅に駅弁マークがあるが、現在駅構内には売店はなく、購入はお店で!セブンイレブンでも買えるとの情報もあり。)
こちらも穴子のだし汁で炊いたご飯の上に、「これでもかっ!」と焼き穴子が乗せてある。調製元は駅弁購入の窓口があるほかに食堂も営んでいて、こちらも行列ができる大人気。創業明治34年(1901年)、駅弁とともに伝統の味を守り続けてきた。
フェリーの宮島口までの通りや宮島にわたってもお店はあるのだが、やはり老舗の味ということか?多くのメディアなどでも、日本一の駅弁とまで言われている。現在2,160円(写真・購入は2004年で、1,470円だっだかと。)




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できれば、雪かきの話題は書き込みたくないのにー

2022年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム


上の写真、確かに見方によっては綺麗でもあるのだが、今年も早々と二回目の雪の話題を書き込むことに。二日連続で、早朝雪かきに追われている。
この日は、仕事でどうしても山間地に出向かなければならなかった。地元だし、クルマで15分程度ではあるが、そこはスキー場も近い地域だから、雪の本場。今日の降り方は、平場とそう違いはないように思えたのだが、積雪は確かに違う。



その山間地には、未だ仕事で守備範囲でもあるイチゴ工場がある。ここでは朝除雪したのに、午前中には20センチほどの追加積雪(写真上)。
工場には、静岡から来たという研修生がいたので「雪にびっくりしたでしょ?」と話しかけると、「まだ、ワクワクしています」とのこと。まあ、何となしには分かる気がする。静岡は飛び切り温かいところだから、そのギャップは外国にでも来たかの気分なのかもしれない。
ただ、かなり降り続いて交通にも支障が出るのではないかとの予感。途中、昼間から除雪車が行きかう光景に出くわす。(写真上)



我が家に戻ると、朝から更に15センチから20センチの降雪。降り続いていたようだ。こちらも朝除雪に入ったばかりなのに、夕方にはまた雪かきの覚悟をしなければならないと思っていた。
すると、こちらも午後からこの日二回目の除雪車の登場。前回書き込んだとおり、ちょっとコンパクトなタイプのホイールローダーだけど、助かります。(写真上:やっと写真が撮れました。)
夕方、またひと汗かけばいいかと思っていたのが、数時間早くなったと思って本日二回目の雪かき。二日間で三回目かー。さて、明日の朝はどんななっていますかね?できれば雪の話題は書き込みたくないのだが…。夕方になって、また降ってきた。
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新潟の駅弁2、消えていった駅弁屋

2022年01月18日 | 駅弁
思い起こしたように、せっかく駅弁の話題を書き込んだのでその続きを。
前回、駅弁業界は斜陽産業と失礼な言い方をしていたが、新潟県内の駅弁製造・販売会社(あくまでも駅構内で販売していたもの)は、全盛期に比べると半分くらいになっているようだ。(まあ、それでも健闘しているといってよいのでは?)
記録によると、上越線・小出駅や羽越線・坂町駅などでも販売の記録があるのだが、今回は、私が駅弁の写真を撮りだめてから、消えていった県内駅弁屋の駅弁を紹介していきたい。



長岡駅には、駅弁屋が三社あった。うち二軒(野本弁当部、長岡浩養軒)が閉業。うち一社については以前このブログでも紹介しているが、中越地震の影響を受けて廃業ということは、悲しい出来事だったし、もったいない気がしている。https://blog.goo.ne.jp/jikokuhyou485/e/11e4b1ba4e9d86ec60b93b65a164830ehttps://blog.goo.ne.jp/jikokuhyou485/e/f3e4472ebf6a5b6853b824be79f99dd8
「野本弁当部」は、先の書き込みのとおり私の判断基準において、ごはんが美味しかったことを記憶している。(「日本海さけかに合戦」が長岡浩養軒、「古志こころ」が野本弁当部。)
現在長岡駅では、「池田屋」のみが構内営業。長岡の駅弁の灯、伝統と歴史を守っていってほしい。



新潟県でも西の方、直江津駅には古くからのライバル二社が営業していた。いずれも駅前旅館で、隣同士。切磋琢磨して駅弁に新しいアイディアを持ち込んできたが、「センチュリーイカヤ」が2008年に駅弁事業から撤退した。
また糸魚川駅の「たかせ」の廃業は2013年というから、ついこの間まで営業していた。かの駅弁女王・小林しのぶさんも「消えた駅弁」シリーズで紹介している。https://mine.place/page/2976f32b-e748-461d-a00a-a35a85e03f75
こちらの二社は、北陸新幹線に開業を前に撤退・廃業ということではあるが、鉄道のスピード化が少なからず影響しているのではないだろうか?(「日本海浜やきめし」がセンチュリーイカヤ、「田舎ずし」がたかせ。)



上の写真は、峠越えの秘境にあった幻の駅弁。妙高高原駅「石田屋」の「笹寿司」と、磐越西線・日出谷駅の「朝陽館」の「とりめし」だ。妙高高原駅は観光地の玄関口として、日出谷駅は鉄道の要所として繁栄した。
石田屋は、駅弁の製造販売のほかに、駅前で土産物店を営んでいたが、鉄道を利用する観光客が激減。2011年、北陸新幹線の開業を待たずして駅弁撤退、土産物店自体も閉店した。
日出谷のとりめしは、かなり古くから駅前旅館の朝陽館が調製。SLばんえつ物語号の運行で一時立売復活、大人気の駅弁となったが、一人で切り盛りしていた店主が高齢化と体調不良により製造販売をやめたという経緯がある。無人駅となった日出谷駅のホームで、一人列車の到着を待つご主人・古沢さんの姿を思い出す。


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新潟の駅弁、最大の特徴で特産といえる「ごはん」で勝負!

2022年01月15日 | 駅弁


寒波到来とコロナ再燃のため、なかなか外に出る機会もなく、来週の大阪出張も結局コロナの影響で取りやめ。ネタ集めに苦労しているが、以前撮りだめた写真などを掘り起こして雑感を書き込むことにする。
上の写真、駅弁だ。新潟駅で購入可能な駅弁の紹介で、「まさかいくらなんでも寿司(新発田三新軒)」と「新潟たれカツ重(三新軒)」。どちらも新潟の代表的な食材を前面に出した人気の駅弁だ。
土地の食材や地方のグルメ・郷土食を活用した駅弁は、各地に存在する。駅弁業界は、鉄道のスピードアップにより斜陽産業となっているが、人気の駅弁はとなると催事販売やネット取り扱いなどにより、その人気は衰えるところを知らない。

ただ、私は好んで「幕の内弁当」を食することが多い。様々な食材が彩りよく配置され、中には必ずその土地を代表する料理が入っている。あちらに箸を運び、こちらに運びしながら、ごはんと混ぜ合わさった時に口の中で広がる味の変化を楽しむのが好きだ。
実はこの時、大事な食材となるのが「ごはん」の存在だ。幕の内弁当には、梅干しをはじめゴマなどのふりかけ類が乗せられることもあるが、白いご飯がしっかりと存在をアピールしているし、メイン食材といってもいいほど重要になる。
ごはん、お米といえば「新潟」の最大・最強の特産品。各地で駅弁をいただいてきたが、新潟の駅弁の特徴はやはりごはんにあるのではないか?そしてその魅力を最大限に引き出すのは「幕の内弁当」と思っている。



この写真は、同じく新潟駅で販売されている「鮭の焼漬弁当(販売:三新軒、製造:新発田三新軒)」と「新潟こしひかり弁当(新潟三新軒)」で、どちらも「銀シャリ」ともいえる白いご飯が特徴的だ。
「鮭の焼漬弁当」は、これでもかというほど大きな郷土料理である鮭の焼漬が入っている。ちょっと安易ともいえる盛り付けと缶詰パインが添えられているところに、ノスタルジックな気分にも浸れる。
「新潟コシヒカリ弁当」は名前のごとくご飯がメイン。やはり鮭やエビ、車麩など新潟ならではの食材を並べているが、この食材に注目し、買い求めるという人はそれほど多くないはずだ。

もちろん、新潟でも人気ナンバーワンの「えび千両ちらし」や、米沢の「牛肉どまん中」、森の「いかめし」、横川「峠の釜めし」などの人気駅弁を否定するわけではない。
新潟の駅弁のクオリティの高さは「ごはん」にあって、それを強調するためには「幕の内弁当」も大切にしていってほしいと思っているのだ。(人気駅弁を主力として製造・販売するばかりに、「幕の内弁当」の火が消えるのは悲しいから。)



蛇足になるが、普段から幕の内弁当を食べているという件について。上の写真は、テイクアウトの弁当屋のものと、スーパーで販売される弁当。様々な食材を取り入れており、いずれも幕の内と言っていいと思う。
ここでもごはんの存在感は大きい。こちらはいずれも「こしいぶき」という品種を使用している。新しい品種というと「新之助」が注目されてるが、こちらもなかなかの味と触感を持つ品種だ。
こうしたところにも、米どころ・新潟というありがたい恩恵を感じながら、幕の内弁当をいただいている。まあ、最近は鉄道による遠出をすることも少ないので、むしろこちらの方が私にとっては三役・横綱かもしれない。
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佐渡金銀山の世界遺産登録「普遍的価値」の議論を!

2022年01月10日 | 歴史・芸術・文化


ついに佐渡の金銀山が世界遺産候補に!という話題でも書き込もうと思ったのだが、報道などではどうもしっくりこない解説がされている。
20年来の佐渡の世界遺産登録の活動は、文化庁の諮問において、文化審議会で審議が行われていたが、年末に「推薦が適当な候補に選定」という答申をした。これまでのケースでは、この答申があれば「推薦決定」という流れがあった。
しかし、政府は「推薦は決定ではなく、今後総合的に判断していく」と前例を無視した形で、異例の注釈をつけて決定を先延ばしにしたものだから、そりゃ地元は困惑しているし、佐渡ファンの私も不満を持っての書き込みだ。

ご承知のとおり、佐渡金山の歴史の中で戦時中の僅かな期間において朝鮮半島出身者が強制労働を強いられていたと韓国側の主張で、韓国外務省は推薦候補の撤回を求めるとともに、ユネスコにも抗議をしているという。
日本の立場からすると、強制的ではなく「募集に応じて自発的に佐渡に来たものだ」としているのだが、どちらの主張が正しいかということは定かではないし、そこが議論の焦点になるのは何とも寂しいような気がしている。
江戸幕府開びゃく以来、平成元年(1989年)までの間、佐渡の金銀山は400年近く幕府や、明治期から昭和にかけて官民挙げて、様々な手法により鉱山開発がされ、時代時代に幕府や国、そして佐渡においては経済だけでなく生活・文化にも大きな影響を与えてきた。



世界遺産に登録されるとなると、観光で成り立っている佐渡には朗報。今の生活が懸かっているだけに佐渡市だけでなく新潟県、そして国や県、市の議会なども巻き込んで、推薦・選定を国に要望していることは言うまでもない。
しかし登録には、「遺産」という文化的・伝統的・歴史的な価値や、難しい言葉であるが「普遍的価値」として時代を超え、時代が流れていったとしても、継承保存していかなければならないものとされている。
単に観光資源としてではなく、様々な困難や負の遺産たるものを含めて歴史がつくられたことを考えると、実は佐渡そのものが流人の島としてだけでなく、揺れ動く時代時代の政権抗争の中で高貴な人が島流しにあって、高い文化、独特の風土が形成されてきたことを見逃してはならない。

そんな佐渡島の普遍的価値こそ「遺産」に値するというのは飛躍し過ぎかもしれない。だた、日本政府も韓国政府も、広くその普遍的価値という部分を議論し、折り合いをつけていただくことを願いたい。
いつまでも過去のことを大声で批判しつづけたり、気を使うばかりに国際的、政治的な駆け引きに使うことだけはしてほしくない。過去に登録の世界遺産を考えても、長い歴史の中で揺れ動きながら登録されたものも多いはずだ。
こんなことを語るとは自分でも思ってもみなかったが、佐渡ファンと言いながら「金山」関連の写真は意外に少なく、この記事への掲載も苦労した。普遍的な価値を認めていないのは自分もそうなのかもしれない。ごめんなさい。
(金山関連の写真の少なさに気が付き、上段は佐渡汽船ターミナルのポスターを使用。中段の2枚は相川金山の坑道、下段は関連施設の北沢浮遊選鉱場跡と大間港跡の写真をやっとこさ見つけた。)








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「土木遺産」の名誉はもらったものの…早く応援に行かないと!

2022年01月07日 | 土木構造物・土木遺産
まだ雪の季節はこれからが本番と言っておきながら、春になったらどこに出かけようかと、パソコンの前に座ると「グーグルマップ」を開いて北へ行ったり、南に出たり、結構忙しい時間を過ごしている?
そんな中で、只見線に忘れ物をしているので、ぜひとも季節を見計らって今一歩、奥会津に足を踏み入れようと思っている。金山町、只見町と奥会津の奥地、只見線や只見川もここからの見どころが頭の中に広がっている。
ひょんなことで只見線をリサーチしていると、あれ?「只見線鉄道施設群」が今年度(令和3年度)の土木学会・選奨土木遺産に認定された。福島県の鉄道関連では、先に紹介した「磐越西線鉄道施設群」に次ぐ2件目(福島県では7件目)。(※土木学会選奨土木遺産のページ→https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/1152、このブログでの「磐越西線鉄道施設群」関連記事:2020年7月15日→https://blog.goo.ne.jp/jikokuhyou485/e/1ddaa750a166677e5ae217c792cfd66e、同年9月29日→https://blog.goo.ne.jp/jikokuhyou485/e/40c3785915dc3420896f36ed0b8cc841



只見線の鉄道施設が認定されたのは、これまた先に触れているが「第一只見川橋梁(写真上。2021年6月3日記事参照→https://blog.goo.ne.jp/jikokuhyou485/e/f068979f126b926430702ae324fcaf69)」を含む16の橋梁(その一つ「第四平石川橋梁は新潟県魚沼市)と、新潟県境の「六十里越トンネル」。このブログでも紹介した「大川橋梁」や「第二只見川橋梁(写真上)」も含まれている。
第一只見川橋梁は国際的にもその優美な姿が評価されていたが、沿線一帯が四季折々の風景を醸し出す観光地であるとともに、豪雪地帯を結ぶライフラインとしての重要性が評価されたようだ。
土木遺産の認定をきっかけに観光や地域の活性化が図られればよいが、気になるのは2011年の「平成27年7月新潟・福島豪雨」で落橋した「第六只見川橋梁」と「第七只見川橋梁」が含まれていないことだ。只見線はこの豪雨で大ダメージを受けた。

第五只見川橋梁と第八只見川橋梁は、一部のプレートガーダー橋の部分が落橋したものの、主な橋桁であるトラス橋部分が残っていたため、今回の認定に加えられたものと思われる。ただ、今のところ不通区間にあり、新しい橋を架け替えている。
第五と第八は主桁は下路トラス(トラス橋の下の部分に線路が敷かれている方式)で、落橋した第六、第七は上路トラス方式(トラス部分の上に線路があり、下が水面に近いところにあるため流失につながった(橋台部分が削られたところもある。)。
只見線は、全線復旧を目指して工事中。2021年度中(令和4年3月まで)に完了する予定だったが、「2022年上半期に完了し、2022年中の運転再開を目指す」という、微妙な言い回しでもどかしいほどの先延ばしがJR東日本から発表されている。

日本でも屈指のローカル線の只見線。利用度の少ない路線として、JR東日本管内では、岩泉線が廃止になったのでワースト1。JR全線でも、下位にあった三江線が廃止。留萌線や日高線の一部廃止などを受けて、ワースト5に迫る勢いで乗降客は激減している。ここをJR東日本は突いてくる!
福島県と沿線の自治体は大きな負担(工事費の2/3)をし、かつ上下分離方式で復旧区間の鉄道施設を福島県が保有する「上下分離方式」を決めている。JRの鉄道敷地は無償譲渡されるが、使用料は減免されるとか。
勲章(土木遺産)はもらったけど、それだけでは食べてはいけない?八十里越(国道289号)の開通(三条市~只見町)などのニュースも飛び交い、オミクロンも怒涛の攻撃を見せている昨今、早く応援しに行きたい気持ちが募るばかりだが。
(写真下:会津川口駅構内、ここから先は未だ普通区間(代行バス)。そして只見駅のホームで。いずれも2003年秋撮影。)

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除雪作業はゾッとするが、昨年に比べればまだ可愛いもの

2022年01月05日 | 日記・エッセイ・コラム


暮れからの寒波により、またまた今年も雪に埋もれる季節がやってきた。
我が家は入り組んだ住宅街にあることから、除雪のオペレーターにとっても難所ではないか。細く曲がりくねった道、住居が密集していることから、除雪車が押した雪を置く場所にも困るところ。
今年は昨年までと違い、かなりコンパクトなホイールローダーが投入されているが、長い距離を押してきた雪が、小さいバケットから零れ落ちてしまい、我が家の玄関先には大きな雪の塊が鎮座することも。
バケットの幅も小さいことから、何回か行き来してくれればいいのだが、上の写真のようにサーっと通り抜けただけのように思えてならない。オペレーターの違いか、重機の性能や大きさの違いか?

そんなことを考えて、前回の冬のことを思い出す。確かブログにもアップしたはず!と覗いてみた。何だか同じこと書いてますな、こういう場所こそ消雪パイプが必要だとか、若いオペレーターが丁寧な除雪作業をしているとか。
(2021年1月10日→https://blog.goo.ne.jp/jikokuhyou485/e/9769d16e151a6e2aa19c824b71b5646a、1月14日→https://blog.goo.ne.jp/jikokuhyou485/e/7e5ce6f1fe8ed7b56ea31c9b610fd6c6 の記事参照。)
ただ、昨年は雪の量が違う!三日三晩降り続いて、積雪はざっと1メートルほど(写真下)。昨年からすれば、今回の雪はまだまだ可愛いところなので、かわいいホイールローダーでも我慢しなきゃいけないってところかも。
地元ではスキー場もあって、こちらは雪が降らないと困るのだろうが、里の住宅地にはお手柔らかにしていただきたい。まだ、これからが冬本番、また雪や除雪のことで書き込むことにならなければいいのだが。


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メッシの17年、594ゴールを放映するテレビ番組を見て

2022年01月03日 | テレビ・テレビ番組


まあ正月休みは天気も良くなかったし、コロナもぶり返しているようだし、そもそもどこへ行っても人出が多いので、家でテレビを見て過ごすのが一番!と、まあ自分に言い聞かせるように、ゴロゴロして過ごす。
お笑い番組や紅白の類の歌番組、ましてドラマなどには興味はなし。まあ、箱根駅伝をはじめとするスポーツ番組を中心に番組表チェックすることになる。(駅伝はじっくり時間を費やして観戦できるけど、CM多いですなー。)
そんな中、気になったのは「WOWOW」で正月早々放送した「メッシ伝説の17年」という番組で、メッシ本人や関係者のインタビューは含まれているものの、そのほとんどがゴールシーン。バルセロナ時代の全594ゴールを一挙に放映するというもの。



この番組は一応前編・後編に分かれているものの、338分(5時間半)。とにかくゴールの山。確かに見事なドリブルや連係プレーなど感動的ゴールシーンも多いのだが、さすがにずっとは見てはいられない。
果たしてこの企画の意図とは何だったんだろうとまで考えてしまう。まるで、今シーズンのリーガの中では故障者が続出し、まだ日程的には半分とはいえ5位のバルセロナ。首位のレアルと勝ち点で15ポイントの差をつけられている。
今シーズンのバルセロナ、チャンピオンズリーグではグループステージで敗退。リーガでも取りこぼしや引き分けが多く、シーズン途中でクーマンを解任し、シャビが急遽登場したことは先にも触れたとおり。https://blog.goo.ne.jp/jikokuhyou485/e/7ec38479944ab917abda457a38569980



WOWOWも苦肉の策だったんだろう。せっかくチャンピオンズリーグの放映権を得ながら、バルサは決勝トーナメントに顔を見せない。リーガでは目を覆いたくなるような冷や冷やシーンの連続。
もちろん、パリ・サンジェルマンでメッシは出場するので、そちらへの誘導とも取れなくもないが、バルサのメッシロス、リーガのメッシロス、WOWOWのメッシロスの表れでもあるようでならない。
メッシは、バルサ所属選手の年俸総額の枠の関係で、シーズン直前に移籍が決まった。「再び戻ってくる」と最後のインタビューでのメッシの言葉。私も待っているが、WOWOWも待ち遠しいのだろうな。
(※すいません。毎度毎度、写真はWOWOW番組及びオンデマンドのホームページから。同番組は、WOWOWオンデマンドでしばらくの間鑑賞することができます。)
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速さを追い求めていた結果…「鉄道と新潟」を読んで

2022年01月01日 | 本・雑誌・映画


まあコロナで思うように電車旅ができない日は続くが、鉄分の補給だけは怠らないようにしたい。
先日訪れた新潟市の歴史博物館「みなとぴあ」で購入してきた本で、「鉄道と新潟」という本がある。地元の鉄道の歴史が丁寧に記されている。みなとぴあのショップには、何かと私の興味を引く本が多い。
この本は、編者が新潟市。10年ほど前に刊行された「新・新潟歴史双書5『鉄道と新潟』」の新装版で平成26年(2014年)に発行された。さすが痒い所に手が届く「新潟日報事業社」発行。



この本は「鉄道輸送の始まりと普及」、「鉄道網の拡充と戦争」、「復興と鉄道網の整備」、「上越新幹線の開業とJRの発足」の4章立て。やはり、前の方の章ほど興味をそそる。
すでに信越線の一部である「直江津線」県内では鉄道網の始まり。明治19年(1886年)、イギリス製の蒸気機関車が直江津港に陸揚げされ、直江津~関山間の運行が県内初路線ということになる。
新潟に近いところでは、明治30年(1897年)に、沼垂~一ノ木戸(現・東三条)は初めてで、「汽笛一声新橋を~」から25年後のことである。当時は沼垂が新潟の中心駅で、当初は「北越鉄道」という民間会社による敷設だったんですね。



新潟の鉄道事業に関しては、様々な紆余曲折、困難と対立、自然との闘いと難工事、資金の調達不足などハードルが多かった。まあ、全国的もそうだったようだが、特に鉄道敷設や誘致に志高い人が日本全国にいたということには感服させられる。かの渋沢栄一も尽力したそうだ。
そんなこともあって、新潟だけでなく全国に鉄道網が普及し、戦時中の物資・人員輸送に応え、その後の高度経済成長期においても国のや地域の発展に寄与してきた。全盛期は昭和40年代前半かな?自動車輸送に台頭されるまで。
そんな時代に新幹線網が各地に伸びていき、蒸気機関車は姿を消し、赤字路線は姿を消し、国鉄民営化、そして現代のコロナの影響。なんだか早さを追い求めた結果、置き去りにしてきたものも多いのでは?この本を読んでそんな感じがしている。
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