行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

注目!ドラマ・ひきこもり先生と佐藤二朗という俳優

2022年12月30日 | テレビ・テレビ番組
年末の豪雪に見舞われ、相変わらず外に出る機会を失っている。そんな時には、昼は除雪、夜は酒とテレビ。そんなことで、またまたテレビ番組と主演の俳優・佐藤二朗を取り上げてみたい。
今回見たのはNHK土曜ドラマの「ひきこもり先生シーズン2」。昨年夏に放映された全5回シリーズ一作目の続編。一作目の再放送を見て、今回シーズン2が放送されるということで楽しみにしていたが、2回シリーズの全編は見たものの、後編はクリスマスイブの12月24日放映。除雪の疲れと酒を飲み過ぎて放送開始の午後10時にはダウン。「NHKプラス」で見ることになる。
佐藤二朗の役柄は、11年間ひきこもりの経験があることを買われて、ある中学校の非常勤講師となった焼き鳥屋の店主。問題を抱え普通クラスで学習できない生徒を指導する「ステップルーム」という特別教室で、学校や親、子どもたちを相手に奮闘する教師役を演じる。



といっても、単なる学園ドラマではない。自分自身も対人恐怖症を抱えていることもあって、思ったことが口に出すことができず、正に悪戦苦闘の連続。ところが、その役が妙に彼の顔つきや話し方にピッタリ合ったドラマになっている。
最近いくつかのドラマにも出演していて、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では比企能員(ひき・よしかず)役の印象に残る。数々の野望を抱き陰謀や暗殺計画を企てる役柄もはまり役で、バラエティー番組出演時のギャップにも注目していたところ、今回ひきこもり先生を見ることになった。(「比企能員」と「ひきこもり先生」の「ひき」つながりか?やるな、NHK!)
ご本人には申し訳ないが、決して演技派という訳ではない。ただ、ぶっきらぼうな口調や視線をそらして難しそうな顔をするところ、唾を飛び散らしそうな力の入った激しいセリフのシーンなど、実際はそんな人はなかなかいないだろうが、いて欲しい、いてもおかしくない存在感を発揮している。



単なる学園ドラマではないというのも「ひきこもり」や「いじめ」など学校や子どもが抱える問題だけでなく、「ヤングケアラー」、「コロナ感染症」による「リストラ」、「ホームレス」などからくる「貧困」など、現在社会が抱える問題と強く向き合った内容になっている。そう社会派ドラマでもある。
脇を固める俳優もいい味を出している。鈴木保奈美、佐久間由衣、高橋克典、室井滋など、佐藤二朗演じる上嶋陽平をそれぞれの立場と思いで支える役柄にも好感が持てる。涙と感動なくしては見れない。ぜひ続編?続々編を望みたい。



しかし、佐藤二朗は調べてみるとまた魅力的です。信州大学卒業後、テレビ局入社を目指して就職活動をするも失敗の連続。それで就職した先がかのリクルートなのだが、入社式に違和感を覚え一日で退社。俳優養成所も入団試験に落ち、別の劇団に入団するも1年で退団。その後、広告代理店の営業で過酷な労働のなか営業トップの成績もやっぱり俳優がやりたいと、ようやく30代で役をもらったとか。
半ば「ひきこもり先生」は、佐藤自身の人生経験が糧になっている?それでも様々な役柄を演じていることも分かるし、映画監督、脚本家、吹き替え(声優)やナレーション、バラエティ番組やラジオDJ、執筆活動などなど、活動の幅は広い広い!ひきこもり先生とともに、ご本人の今後の活動にも注目していきたい。(写真は、NHKプラス(オンデマンド放送)から借用。)
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W杯、若い選手の追っかけとチーム作りを考える

2022年12月27日 | スポーツ・スポーツ観戦


FIFAワールドカップに限らず世界大会となると、やはり若い選手を追っかけてしまう。今後活躍しそうな選手を前回のユーロの時のように紹介しておきたい。
注目のフランス・エムバペも23歳。若いがすでにパリ・サンジェルマンの中心選手として活躍中。ただ優勝したアルゼンチンからエンソ・フェルナンデス(21歳)が今回の最優秀若手選手として選ばれた。こちらはポルトガルリーグのベンフィカ所属。ビッグクラブへ移籍が考えられるし、将来的な飛躍に期待されてのことだろう。
自分的にはアルゼンチンなら、メッシに憧れて代表入りを目指したというフリアン・アルバレス(22歳)を推したかったのだが、こちらはすでにマンチェスター・シティに所属しているので、この辺が最優秀若手を選ぶのに影響しているのだろうとも思う。



スぺインでは、前回ユーロでペドリを紹介した。東京オリンピックでも活躍し、所属もバルセロナということだが、バルサのチームメイトでもあるカビ(18歳、写真上)は今回株を上げた。まあ、そのファイとあふれるプレーは、すでにバルサの中心選手の趣がある。
嬉しかったのは、やはり前回ユーロで取り上げたクロアチアのグヴァルディオル(20歳、写真上)の活躍。あのフェイスガードを付けたセンターバックの選手だ。現在、ドイツリーグのライプツィヒに所属するが、こちらは間違いなくビッグクラブ、メガクラブからオファーがあるに違いない。
お気に入りはというかお勧めは、ガーナのサリス(23歳)、ブカリ(24歳)、そして注目のモハマド・クドゥス(22歳・アヤックス、写真下)。アメリカの若きキャプテン、タイラー・アダムス(23歳・リーズ、写真下)も今後必ず名前を売り出してくるに違いない。



今回のW杯は、そんな若い選手が多く起用されている大会でもあって、いま紹介したガーナは平均年齢が24.7歳、出場国の中で一番若い。スペインが2番目で、アメリカは3番目(25.5歳)。エクアドルが4番目と、これらはどのチームも若い躍動感があったし、面白い試合を見せてくれた。
特にアメリカは今後強くなりますよ!グループリーグ第二戦のイングランド戦では、11人中8人が25歳以下。特に中盤のアダムスを中心にムサ(20歳)、マッケニー(24歳・ユベントス)、エースのプリシッチ(24歳・チェルシー)が並ぶ布陣(写真下)。これは次の大会が本国を中心とした共同開催なので力が入るだろう。
日本はドイツ、スペインと強豪国を打ち破ってグループを首位で通過した。しかし、若手と呼べるのは久保建英(21歳)くらい?もちろん次の大会も町野、田中、伊藤など期待できる選手は多いが、チームづくりとして若手育成、経験値を上げるなども考えていかないと、と思った次第です。

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W杯が終了、熱戦の裏側で新旧交代の足音も

2022年12月26日 | スポーツ・スポーツ観戦


遅まきながら、サッカーワールドカップカップの感想でもと思い久々の更新。
優勝はアルゼンチン!南米とヨーロッパが対抗する図式は見えていたが、前評判の良かったブラジルではなく、メッシ率いるアルゼンチンが頂点を極めた。初戦こそサウジアラビアに苦杯を喫したが、試合ごとにメッシが調子を上げていき、アルゼンチンに36年ぶりの優勝をもたらした。
そう前回の時はマラドーナが優勝の立役者だった。マラドーナと比較されてきたが、メッシ自身も5回目のW杯で35歳。最後のW杯と言われる中、数々の記録を打ち立てながら、これまで届かなかったW杯トロフィーを大会MVPとともに手にした。



私は、決勝トーナメントでイングランドに勝ったフランスの優勝を予想していた。大会前の情報やグループステージを見て、ブラジル、フランス、イングランドの中から優勝チームが生まれるとの予想していた。
というのもフランス代表は負傷者が多く、ベンゼマ、ポグバ、カンテなどの主力選手を欠いてのカタール入り。ヴァランも決勝トーナメントになってから戻ってきたといったところだったのに、スピードや強さ、組織力も備えていたように思う。
エンバぺはもちろんトップスターで技術も高いが、右サイドにもデンベレの速さの脅威があり、トップのジルーには高さと経験、トップ下のグリーズマンが司令塔として機能し、ピボーテのチュアメニが攻守に活躍。決勝戦を含め、とても見事な試合続きだった。



日本の活躍もよかった。ドイツに続きスペインをも撃破。「三苫の1ミリ」は確かにきわどいものの、ドイツからクレームが寄せられるとは。決勝戦にもフランスから抗議があるとか。いい試合が続いていたのに、水を差すような話題も多いことも確かでもある。
モロッコ、頑張りました!というか、素直に見ても粘りのあるいいチームだし技術的にも高い選手が多かったと思う。アラブ、イスラム、アフリカという人々の期待と誇りになった。
若い選手の活躍も多かったが、メッシは最後の大会とか、クリスチャーノ・ロナウド(ポルトガル)も37歳。この大会を境にエムバペやハーランド(ノルウェー代表で今大会参加せず。マンチェスターC所属)の時代が来ることになるのだろうか。
(写真は、AMEBA TVから借用。)
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旧横浜停車場は、現・桜木町駅付近にあったというゆかりで

2022年12月18日 | 鉄道
前回は、鉄道開業150周年ということで新橋の「旧新橋駅停車場」を紹介した。どうせなら当時の終点でもある横浜駅(旧横浜停車場)も見に行こうと思い立ち東海道線、湘南電車に乗り込んで向かうことにした。
現在、新橋・横浜間は26.9キロ、東海道線だと所要時間約25分。開通当時の資料を見ると、約29キロで約53分かかっていた。これからすると、当時は時速30キロ程度の速度での運転だと考えられる。
距離の差は、実は当時の横浜停車場は、JR根岸線(京浜東北線)の現・桜木町駅付近であったという(横浜・桜木町間は約2キロm路線位置は変わっていないと言っていい。)。現横浜駅は、当時の停車場の位置を変えながら、少し東京寄りに移動したということになる。



桜木町駅を降りると、鉄道開通150周年の飾りが目に付く(新橋他、他の主要駅にも多く見られるのだが…)。ここは、みなとみらい地区の最寄り駅。横浜市内のJR駅では、横浜、鶴見に次いで乗降客数は3番目。観光客も多いはずの駅である(写真上:JR桜木町駅ホームとみなとみらい方向の駅前広場)。
ここの周辺には、「汽車道」と呼ばれる横浜港への臨港線の鉄道遺産、産業遺産なども多く、最近更新頻度が落ちているブログネタ満載の場所であるが、今回は150周年の軌跡をたどるために、みなとみらいとは反対側の西口方向に出ることになる。
ホテルメッツはJR東日本系のホテル。そのビル(JR桜木町ビル)の1階に「旧横濱鉄道歴史展示(旧横ギャラリー)」という2020年に同ビル(写真下)がオープンしたときに整備された場所がある。なんで「館」とか「スペース」とかが付かないのか分からないけど。



そこには鉄道開業当時に使用された「110形蒸気機関車」が展示されている(写真上)。大宮や青梅で静態保存されていたが、2019年から修復作業が行われ、ゆかり深いこの地で展示されることになった。1961年に鉄道記念物に指定されている。
機関車の後ろには当時使用されていたものを再現した中等客車が一両。その周りには、旧横浜停車場周辺のジオラマやパネル、当時の信号機や駅員の制服など、鉄道開業当時の貴重な資料が展示されている(写真下)。鉄道ファンは必見の場所。
前述のとおり、鉄道に限らず魅力的な横浜港周辺には産業遺産も多いので、また時間の持てる時に訪れて、紹介しておきたいと後ろ髪を引かれながら、滞在1時間程度で再び東京に戻ることなる。後日また来ます!





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鉄道発祥の地・旧新橋停車場で「0哩ポスト」発見

2022年12月15日 | 鉄道
大河津分水が通水100周、関屋分水が50年という節目の2022年も12月と年の瀬を迎えている。ただ鉄道はというと開通150周年ということで、JR東日本では様々な特別企画を打ち立てているが、なかなか参加する機会を得ていない。
というか、コロナ禍で、鉄道旅はここのところめっきり減ってしまい、東京出張の折に新幹線を使うくらいで、東北復興支援の旅さえも一時中断気味。ローカル線の旅、特に只見線の復旧祝いに走破したいと思っていても、奥会津にはクルマがどうしても便利だしなー。
そんな中、東京出張の折、せっかくの鉄道開通150周年記念を迎えた今年のうちに、その歴史を振り返っておきたいと新橋に向かった。鉄道発祥の地、「汽笛一声新橋を」の新橋。決して飲み行ったついでの話ではない!



確かに新橋はサラーリーマンのオアシス。日比谷口には「SL広場」なるものがあって、蒸気機関車C11が静態保存されている。ここはテレビ局の報道番組などで、サラリーマンにインタビューする映像がよく流れる場所。一度インタビューされたことがあったが、その時は酔っていてよく覚えていない。
150年前、当時の新橋停車場はその反対側の銀座口から徒歩数分、汐留シオサイトの一角・汐留シティセンターの近代的ビル群の中に、石張りのいわゆる明治期の西洋風の建物が一見ミスマッチのようでもあるが、それがむしろ存在感を誇示している。
ここは以前汐留の貨物駅として使用されていたところだが、その前身が新橋停車場ということになる。汐留駅廃止後、遺構調査が実施され、当時の基礎石やプラットホームの跡、当時の写真などから大きさや建物の向きまで、2003年に忠実に再現されたものである。(写真下)



現在、「鉄道歴史展示室」として、鉄道遺構を間近に見ることのできる施設として無料で開放されており、企画展示のほかに、外には当時のプラットホームや再現軌道、0哩(マイル)標識などが再現されている。飲み屋街とは反対方向だけど、何かのついでに立ち寄っていただきたい。
特に再現軌道は面白い。当時の軌道は、下の写真の奥側の方を見てわかるとおり、枕木だけでなくレールの高さの半分くらいまで小石を被せている。Ⅰ(アルファベットの「アイ」)型をした双頭レールは、一旦新潟柏崎の製油所で使用されたものを再現するために逆輸入したらしい。
また「0キロポスト」ではなく「0哩(マイル)」表記なのは、もちろんメートル法がまだ採用されていないことと、イギリスからの技術導入の証でもある。イギリスやアメリカでは今でも距離の単位でヤード・マイル使いますからねー。


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大河津分水通水100周年、6館リレー展を制覇して

2022年12月07日 | 土木構造物・土木遺産


コロナ明けの活動は、「大河津分水通水100周年」関連から。まあ、コロナ禍にあって、「関屋分水通水50周年」関連を含めて、イベント等には全く参加できなかった。この記念すべきこの年、この世にいたのにと思うと残念でならない

そんなこともあろうかと、この夏から一人で関連の施設などを見て回っていたのだが、そんな時、これまでも何回かお邪魔している「信濃川大河津資料館」で見かけた「6館リレー展」のポスター。県内の6施設が大河津分水を中心として越後平野の治水の歴史を振り返る企画展を実施していることは以前にも少し紹介した。
各施設で期間を区切り、今年7月から順次開催。少し時間が空いて、今回、長岡市にあっる「県立歴史博物館」の企画展を最後に6館のスタンプリレーを無事コンプリートすることができた。半年に及ぶ長い期間であった。(写真上:信濃川大河津資料館から大河津分水の旧自在堰・可動堰の眺望と、通水100周年記念の飾りつけをされた館内。いずれも再掲。)



6館とは、「信濃川大河津資料館(燕市)」をはじめ、以前にも紹介した「分水良寛記念館(燕市)」と「長善館史料館」、そして長岡市にある「市立科学博物館」、今回お邪魔した「県立歴史博物館」、そしてこちらもお馴染みの「新潟市歴史博物館みなとぴあ」である。
まあ、その都度紹介しているということもあるので、ここでは詳しくは説明しないが、信濃川に関する治水の歴史の中で、良寛の存在や高橋竹之介、大竹寛一はじめ長善館で学んだ門下生の活躍などは、通水100周年によって新しい発見に満ちたものであった。
その中で、こちらも何回かはお邪魔しているのだが、締めくくりの県立歴史博物館の展示資料は、大河津分水が長年越後平野で暮らす人々の悲願であったことを十分伝えていたし、当時の測量記録や絵図・図面、工事中の写真などなど充実した展示内容だった。(写真上:分水良寛史料館内部と、長全寺史料館の外観。いずれも再掲。)



何回もこのブログで触れているが、信濃川・阿賀野川の大河が新潟の地で日本海に流れ込み、豊かな土地を形成したことは確かなのだが、平野部には砂丘があるため水はけが悪く、低湿地帯の農地は毎年のように洪水に悩まされていた。
それを一挙に解決したのが大河津分水。それ以外にも切り落としや排水施設などを各所に設置することにより、県内の生活は格段に潤うことになったし、新潟平野は今も守られている。この治水の取り組みに尽力した先人に感謝するばかりだ。
スタンプラリーもそんな思いで半年を言う時間を費やし、ガソリン代や入館料を支払い、コンプリートしていただけるノベルティはクリアファイルとエコバック?まあ、先人が私財を投げ出し、何年もかかって取り組んできたことを考えて、大事に使わないとですね!
(写真上:みなとぴあの企画展のエントランスと、県立歴史博物館のエントランス。内部は撮影禁止。写真下:「6館リレー展」のパンフレットとスタンプカード。そして景品のエコバックとクリアファイル。)



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抗原検査で陰性も、その後のPCR検査でまさかの陽性

2022年12月02日 | 健康・病気
12月に入ってました。ちょっと、ここに来てブログ更新が遅れてしまっているのは、コロナ!
先月くらいから、また猛威を振るっているようだが、10月に長男一家が襲われ、先週ついに我が家にも上陸してしまった。どうやら保育園で感染した孫が発症直前に遊びに来て、佐渡からの逆輸入みたいな形で妻が倒れ、そして私にも。
気を付けていたといってもだんだん慣れっこになって緩んでいたことも確か。特に家族の中では無防備になりがち。やはり移動することで感染が広がること、無防備な家庭内感染が多いことがくしくも証明された形になった。あの時、孫と風呂入ったからなー。



佐渡に帰った孫はすぐに高熱。次の日保育園では同じような症状の子どもが何人か出ていて、集団感染。妻に症状が出たのはその翌日。やっぱり高い熱だった。これは危ないと、マスクだけでなく、手袋にキャップ、ビニールの防護服と、警戒しながら看病を続けていた。
自分の場合、全くというと嘘にもなるが、喉の痛み、その後に鼻水・鼻づまり程度。熱も最高で37.4度だから、自分では感染していないと踏んでいたし、少しだるかった時に抗原検査キットを使ったが陰性。大丈夫だと信じていた。
妻の症状が出てから二日後、少し寒気がしたものの、熱はそれ以上は上がらない。むしろ平熱。体調も万全とはいかないまでも、晩酌もしていたし食欲もあったし、味がしないとかいうこともなかったし、孫との接触からも6日が経過していた。



ただ、いつになったら仕事に出れるのかと保健所(県の相談センター)に問い合わせたところ、「それって、症状ありじゃない?とにかくPCR検査を受けてください」と言われ、県の広域型の検査場をネットで予約。翌日、厳重な防護服の係員がフロントガラスの向こうでフリップを見せながら、ドライブスルー検査。
翌日に、メールで「陽性」でした、とあっさり。孫との接触から1週間が経過してのこと。妻からか?それにしても抗原検査は何だったんだ?ちょっとショックで落ち込むことになる。
県の規定で、検査日から7日間経過後、24時間経過するまで療養とのことで、私の場合、その前に4日間濃厚接触者で休んでいたから、12日間も会社に行けない日が続いている。早めの検査をするべきだった。皆さんも気を付けて!早めの検査を!PCRで!
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