

さて、かねてから訪ねてみたいと思っていた町、それは福井県の「敦賀市」である。新潟からクルマで出かけるには少し遠いものの、春の到来とともに今年のまち巡りの最初に思い切って出かけることにした。
敦賀は三方を山で囲まれていて、北側には敦賀湾。若狭湾の東端にあたり、ここは北前船の時代からの良港でもあった。古くは若狭街道・北国街道、鉄道では北陸本線の要所として栄えてきたことは容易に想像できる。(写真上:舞鶴若狭道から見た敦賀市遠景と敦賀港「みなとオアシス敦賀」脇のモニュメント)
そう、昨年3月、北陸新幹線の金沢・敦賀が延伸開業し、福井県も新幹線の走る都道府県に仲間入りするとともに、北陸新幹線の始発(終着)駅となった敦賀の町は、再び交通の要所として注目を集めている。


鉄道は、1884年(明治17年)に長浜・敦賀間が開業。当時は東海道線の一部として、その後北陸線として福井・金沢・富山と延伸されていく。敦賀開業当初は、終点は「敦賀港(つるがみなと)駅(正確には「金ケ崎駅」が最初)」であった。
この敦賀・敦賀港の間は、福井延伸によって盲腸路線となるのだが、この路線こそ「港の町・敦賀」と「鉄道の町・敦賀」を結びつけ、名実ともに「港と鉄道の町・敦賀」を作りあげることになったのだ。
というのも敦賀港では、明治期からウラジオストク航路が開設され、その後も朝鮮半島や旧満州への玄関口となった。敦賀と敦賀港の間の支線(通称:敦賀港線)は、東京からも船との連絡を図るための「欧亜国際連絡列車」が直接乗り入れる路線だった。(写真上:敦賀駅から港に伸びる旧敦賀港線)


第二次世界大戦の影響などにより、旅客列車は廃止されるが、その後も不定期の旅客列車や貨物線(国鉄分割民営化により「JR貨物」が運用)として利用されていたが、2009年(平成21年)ここを走る列車の姿は消えた。
といっても、比較的最近まで使用されていたということもあり、廃線跡はしっかり残っている。敦賀港駅(旧金ケ崎駅)付近は金崎宮・金ケ崎城跡など金ケ崎公園として市民の憩いの場となっている。(写真上:金ケ崎公園内の金崎宮への参道と貨物駅構内にあった汽車用のランプ小屋)
また、欧亜国際連絡列車の発着駅であった旧敦賀港駅舎(1913年建設)は、敦賀港の金ケ崎緑地(敦賀市港町)に復元され「敦賀鉄道資料館(写真下)」として公開されている。これが「海を越えた鉄道」と言われている文化庁もお墨付きの鉄道遺産回廊の中心都市・敦賀なのである。

