行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

新入社員研修、地元商店街でフィールドワーク

2021年03月28日 | 旅行記・まち歩き


今年も、新入社員研修のプログラムを担当する場面に恵まれた。年々出番は少なくなっているような気もするが、若い人と一緒に過ごせる時間は楽しいし、言葉を交わし意見を聞くことによって自分自身の勉強にもなる。
入社して1週間足らず。今回は地元からの採用がなく、近隣や県外から、本社、県内外の支店勤務7人がこの日の研修の対象者。
ここのところ社長から座学中心の講義を受けていたが、この日はこれまで勉強したことをもとにフィールドワークを行い、グループに分かれての課題を見つけて、自分たちなりに解決策を導くというもの。

お題は「商店街の活性化」。地方の町では、人口減少、少子高齢化が課題となっているが地元も同じ悩みを抱えている。後継者問題もあって、旧商店街は次々に店がシャッターを下ろすという時代に来ている。
ただ、そこでの生活する人がいて、歴史や伝統を守ろうとする動きがあるところに何らかのヒントが隠されているはず。それを探しに行くというフィールドワークだ。
これは「まちづくり」という観点から、建設業との接点が非常に多いはず。地方の暮らしを守るのも建設業の仕事と言える。この点、伝わっていますかねー?

二班に分かれてまち歩き。商店街でランチをして、チェックポイントのお店で地元の人にインタビューする。昔はどうだったか?現在の客層は?商品のこだわりは?困っていることは?などなど。
物怖じしない積極的なインタビュー、奇想天外な質問、そして町の活性化に対する前向きな意見。その答えはまだ出ていないが、きっと面白いまとめと発表ができると確信している。
それより何より、ノーアポでインタビューをお願いしているのにもかかわらず、趣旨をご理解いただき一生懸命インタビューに答えてくれる商店街の方々。この人たちがいることがこの町の宝なんだな!そこに気が付けるか?

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車庫の古荷物は半世紀前のタイムカプセルだった

2021年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム


お彼岸の中日、今年は天気に恵まれた。コロナの影響もあって、彼岸の水揚げの客は来ないと踏んで、以前から懸案となっていた車庫の上に据え付けられている棚の荷物を整理することにした。終活の一環でもある。
ホコリまみれは仕方ないが、何年も放っておいたもの。多分死んだ親父が、普段使いそうもないものを箱などに入れて整理したもので、何が入っているかは分からない状態。
子どもが小さい時に使ったスキー道具、キャンプ用品、履き古した靴や贈答品の箱。いずれも年代を感じるものばかりだが、その中に木の箱に入れられた荷物がある。何が出てくるか、楽しみなようで怖くもある。



箱の中には「りすぐみ」と書かれたボロボロの袋があり、中から自分の書いた絵が出てきた。「りす組」は保育園の年少組だが、袋の中のスケッチブックで確認できるのは「うさぎ組」。年中の頃のものなので5歳か?孫と同年代の頃の作品となる。
片付けの手を休めてパラパラとページをめくるが、年中の頃にしろ、年長にしろ、なかなかだと自画自賛しながら、ニヤリとしてしまう。箱は、まさにタイムカプセルだった。
一度は捨てようかとも思ったが、思い直し家の中に持ち込んだ。孫にも見せようかと思っている。孫には勝ったな?



時代を感じるのは鉄人28号の絵。もしかすると年長(6歳)の頃に書いたものかなと思うのだが、ハッキリとしっかりと鉄人の絵だと見てわかる。確かに時代だった。調べてみると、鉄人28号のテレビアニメ第1作は1963年から1965年まで。私が4歳から6歳までの間だった。完璧なコピーです。
もう一枚は、蒸気機関車。踏切前の父の実家に預けられていたため、毎日見ていたから。機関士もしっかり描いているし、何より力強い。自然とこのころから鉄分を補給していたんっだろうと想像できる。
お宝とまではいかないまでも、何だか見入ってしまって、少し感傷的にもなる。果たして死んだ親父が、半世紀の時を超えた今、このシーンを想像して保存していたか否か。
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「旧浦村鉄橋」は地元住民に愛されて120年

2021年03月20日 | 土木構造物・土木遺産


まだ雪の残る頃、長岡市の旧越路町にある土木学会選奨土木遺産である「旧浦村鉄橋」を訪れた。鉄橋?そう、初めは鉄道用に掛けられた橋だったが、道路橋に転用された橋なのである。
旧越路町の旧浦村に1898年鉄道が敷設される。対岸の長岡市の間には、日本一長さを誇るの大河・信濃川が存在しており、北越鉄道(現・JR信越本線)がこの地に掛けたのが旧浦村鉄橋。イギリス製の6連の下路式プラットトラス橋。
1952年、信越本線の複線化のために新鉄橋が建設され、鉄橋は新潟県に払い下げられ、岩田橋(写真上:1958年開通)、不動沢橋(写真下:1959年開通)、旧越路橋(1959年開通)の3つの道路橋に移設・転用された。



あばれ川として知られる渋海川にかかる岩田橋と不動沢橋は、単線の鉄橋をそのまま移設したため道路幅3.6メートルとかなり狭い。ただ、住民の強い要望もあって第二の人生を同じ旧越路町内でスタートさせ、見事に現役で働いている。
旧越路橋に転用されたものは、県単体での改築事業は難しいとされ、日本道路公団に事業を継承し道路幅を二車線に拡幅(6.0メートル)し、新潟県では初めて有料道路として生まれ変わった。(旧越路町や長岡市、新潟県が繰り上げて工事費を払ったため1967年に無料化)
しかし、旧越路橋は、現在の越路橋の完成とともに撤去されることになり、その一部が信濃川河川敷を利用した越路公園に移設保存されることになった。(写真下:ちょっと長さを短くして公園内に保存されている旧浦村鉄橋、そしてもう一枚は現在信濃川にかかる信濃川橋梁と現越路橋)



一つの橋梁が、3つに分割されてそれぞれ道路橋として生まれ変わったという物語を持つ上、2つの橋はまだ現役。今年で122歳ですよ。新潟県内では、萬代橋や長生橋を足元にも寄せ付けない圧倒的な長寿ということになる。
萬代橋や長生橋などからするとちょっと地味なところもあって、選奨土木遺産に登録されたのは令和元年とつい最近の話。
ただ、ここでも地元の住民から切望され移設・架橋され、利便をもたらし、また一部は愛されて保存もされている旧浦村鉄橋。土木事業や公共事業の原点を見るような気がする。


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カヌレ専門店は、実はイタリアンレストランだった

2021年03月17日 | 食(グルメ・地酒・名物)


今回紹介するのは、カヌレ専門店(新潟では初めて?)の「Atelier CHIANTI(アトリエ・キャンティ)」だ。(カヌレは、フランス・ボルドーの修道院で古くから作られていたお菓子。)
何でこの店を知ったかは覚えていないが、テレビのローカル局の情報番組で紹介されたことがあるとかで、その記憶が残っていた?結構グルメスポットをローカルの番組で得ることが多いからかな。
毎回ホワイトデーは「Henri Charpentier(アンリ・シャルパンティエ)」だったけど、今回はキャンティのカヌレということになった。

店は新潟駅近く。新しい店構えを想像していたけど、瀟洒(しょうしゃ)な店構え。むしろひっそりとという感があって、ドアを開けるのにも勇気がいるという感じ。
中は広々としていて、カヌレのサンプルが透明のケースに一個ずつ飾られてある。贅沢な空間の使い方、落ち着いた照明、甘い香りの漂うこともあって、ゆったりできる。

カヌレは18種類(うち季節ものが2種類)。全種類が入る箱売りもあるが、6個入り箱、もちろん一つずつ選ぶことも可能だが、18種類見せられるとどれも個性的で美味しそうなので迷ってしまう。
自家製生地を低温で二日以上熟成させ、2時間かけて焼き上げているという。そういうものなのかどうかは分からないが、結構手間がかかっている商品のようである。
娘たちが集まるというので18種類の箱買いをして、どれが美味しいとの食べ比べ論議をするが、1個ずつだから実際は食べ比べにならない。一度に食べられるものでもないので、全種類を制覇するのには時間がかかりそうだ。
プレーンが1個150円、その他が200円。どれも外はしっかり焼かれていて、中はしっとりした触感が楽しめる。

実はこの店、イタリアンレストランであった。コロナの影響で、テイクアウトとケータリングなどで営業を続け、昨年からカヌレ専門店として店頭販売。以前、あの広々とした空間にはテーブルが並べられていたのだ。
思い切った方針転換に思えるが、オーナーシェフはパティシェの経験を持っていて、どこまでコロナの影響が及ぶのか分からない中、従業員の雇用を守るためのチャレンジしたのだとか。営業形態が変わっても、全員在籍して働いているとのこと。
そして、必ずレストラン営業を再開することを固く誓っているという。販売スタッフに聞いたら「5月くらいに再開できればと話している」という。再開したら、こちらも訪れてみたい場所だ。

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佐渡味紀行その13、新進気鋭のお店紹介

2021年03月14日 | 食(グルメ・地酒・名物)
今回の佐渡は、高速カーフェリー「あかね」に乗って、佐渡航路からのお別れを惜しむとともに、評判の揺れを確かめること。前回と前々回にわたって紹介したとおりである。
1泊2日といっても、フェリーを使うとなると佐渡での滞在時間は短くならざるを得ないが、今回も短時間でお店を回ってきたので、紹介しておきたい。今回は、比較的新しいお店を紹介する。



まずは真野新町にある「夕食堂」。名前は夕食堂だが、ランチ営業もやっていて、昼夜の別メニューというのはよくあることだが、いずれもリーズナブルに本格イタリアンが楽しめる。
古い店舗・住宅を改造した店は、きれいな内装ではあるが、家庭的な雰囲気。2019年春オープン。メニューには「沖縄産島らっきょうのマリネ(ディナータイム)」や「オキナワン・タコライス」などがある。オーナーは、沖縄からの移住だという。
娘はあさりのパスタ(ボンゴレビアンコ)を注文、私は佐渡黒豚ハンバーグ(写真)。ハンバーグは外側がカリカリするほどしっかり焼いてあり、なかはフワフワ。本格仕様だ。ランチだとカレーも人気だとか。
真野の通り沿いにあるものの、町中の建物にしっかりと溶け込んでいることから、ひっそりと隠れ家的に存在する。のぼり旗を目印にして!



以前からマークしていて、前回佐渡に来た時も訪れたが休みだったので、今回リベンジ訪問となったのは、「ma_ma(マーマ)」。チーズケーキ専門店だ。両津の加茂歌代という、国道から少し山の方向に入ったところにある。
2019年からネット販売(ECサイト)をはじめ、実際に店をオープンしたのは昨年10月のこと。通販やイベント販売をしながら、あれよあれよという間に評判の店になった。
チーズケーキは4種類。オリジナル、ミルク&チーズ、ショコラ、ホワイトチョコ。そのほかにスフレ、バスクチーズケーキがホールで販売されている。どれも濃厚な味で、とんでもないアピール力のある品である。
こだわりは、厳選されたオーガニック素材を使用し、グルテンフリー。やはり、佐渡乳業の製品を使っているそうだ。少々お値段は張りますが、それだけ価値の高いものだと思う。



最後はカフェレストラン「如月(きさらぎ)」。こちらもマークしていたもので、最近両津港前にあった店が、郊外の国道沿いの空き店舗を改造し、2019年春、新しく店を構えた。
ここでは、サザエカレーが有名だが、このカレーは店を切り盛りする店主が小さい時に肉の代わりにサザエを入れて食べていたもので、佐渡の復刻家庭版カレー。出身地の佐渡市藻浦といえば、弾崎灯台のある、佐渡最北端の遠地だ。
「きさらぎ」は海産物をレトルト商品にしたりする加工場を持っていて、サザエカレーもそのレトルト商品の開発の中から試行錯誤の上に誕生、藻浦の味の復刻にこぎつけた。店先にも、加工商品が並べられている。
そうそうカレー!スパイシーで、サザエの歯ごたえが何とも言えません。写真のように、ご飯が佐渡の形をしている。佐渡汽船のカレーも佐渡の形のご飯だが(2019年9月26日記事参照)、こちらの方がとてもリアルな佐渡ヶ島である。これもこだわりか?









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佐渡汽船・高速カーフェリー「あかね」に初乗船(その2)

2021年03月12日 | ニュース・うんちく・小ネタ


佐渡に向かうため、佐渡汽船新潟ターミナルに到着。コロナの影響もあって、ジェットフォイルが大幅に減便されている状況だが、佐渡の物流を担っているフェリーの便数は確保されている。
とは言っても、土曜の午前便なのに、ロビーや待合室は閑散としている。観光客がパッタリといった状況は、他の観光地同様、佐渡の経済や佐渡汽船をも直撃しているといっていい。
閑散としたターミナルの状況を目の当たりにすると、今回は突然の思い付きの佐渡渡航だが、少しでも支援につながればと思う。

切符売り場で「一等席を1枚ください」というと、出札係員は「1等は、波の影響を受けやすいので、揺れますがいいですか?」との説明が添えられる。
そうなのです。「あかね」は、揺れるという情報が各所で聞かれる。しかも、その揺れはひどく、悪評になっている。実は、それを確かめるのが今回の乗船目的である。
「そんなに揺れるんですか?」と聞き返すと、「まあ、今日の波なら大乗だと思いますよ!」と、加えて「私は乗ったことがないのですがー」との返し。乗船したことはないが、佐渡汽船もお墨付きの揺れる船ということか?



一等は、イス席が並ぶ客室の一番前列。革張りのシートや、前回写真で紹介した専用のラウンジなどがあり、前面の窓から前方を望むことができる。最前列をリクエストしたが、やはり船内はガラガラ状態。
新潟西港は川港。川岸に長い防波堤が続く河口部を20分ほどかけて、ようやくあかねは外海に出る。僅かに白い波は見えるものの、うねりはそれほどでもない。しかし、しばらくすると揺れてきた。しかもかなり激しい揺れだ。
フェリーや釣り船とは明らかに違う揺れは、上下左右に複雑で、大きく揺れたかと思うと急に逆方向に引っ張られる感じ。グルグル回るようで、急に別方向にガクンと持ってかれる。遊園地のアトラクションのようでもある。

それほどの波でもないのに、この揺れ方をするのは、どうやら双胴船という船の構造にあるようだ。二つの胴体をつなぎ合わせた分、複雑に波の影響を受けるのではないだろうか。
フェリーと比すと、航行時間を30分ほど短くスピード化が図られているが、この乗り心地がいくら船内の設備が充実しているとはいえ悪評を買っている。
この日も、船酔いの人ためにイスを取っ払って改造・設置されたというカーペットスペースだけでなく、荷物置き場やキッズルーム、はたまた通路に横たわってしまう船酔いの人が続出。野戦病院のような様子に、客室係員も申し訳なさそうな顔をしている。(決して、船員さんの責任ではありませんから。)

そんなことがあってか、あかねはこの春3月20日の航海をもって引退、売却されることが昨年10月に発表されている。2015年4月21日の就航だから、佐渡航路では5年11か月という短い間の航行となった。
乗り心地の悪評は、佐渡の島民の噂話(噂だけではないのだが)として広がり、先の出札係員のように乗ったことのない人にも敬遠されることになったのは、複雑な思いがある。

あかねの新造船費用は60億円といわれて、両津航路に就航している1歳兄のときわ丸とほぼ同じ値段。ときわ丸に比べ、旅客定員は半分以下、車両搭載も少なく、燃費も悪いそうだ。
鳴り物入りで小木航路に投入されたが、赤字経営が続く佐渡汽船の起死回生の一手にはならず、コロナ影響の旅客数減もあるが、さらに大きな打撃となってしまったことは間違いない。残念!




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佐渡汽船・高速カーフェリー「あかね」に初乗船(その1)

2021年03月10日 | ニュース・うんちく・小ネタ


先の週末、急に思い立って、一人佐渡に向かうことにした。佐渡汽船の高速カーフェリー「あかね」に乗船したことがないので、何とかこの機会に乗船しておきたいと思ったのである。
「あかね」は、本来直江津と小木を結ぶ航路に運用されていたが、冬場は小木航路は欠航となるため、両津航路に就航する「おけさ丸」と「ときわ丸」が順次定期整備に入る間、その代用として運行されてきた。新潟から、あかねに乗るチャンスだ。
本来だと、1月、2月でおけさ丸とときわ丸の整備が終了するのだが、ときわ丸が整備のため停泊していた直江津港において、外国船にぶつけられるというもらい事故に遭遇し、約1か月間あかねの就航が長引いたのだ。

あかねは、いわゆる双胴船。二つの胴体を車両甲板や旅客甲板でつないだ船。実に珍しい形の船なのだ。
オーストラリアのインキャット社製。5,700トンという規模は、ときわ丸に勝っているが、最大収容定員はその4割ほどだから、何とも贅沢な造り。
最大の特徴は、スピード。ときわ丸が19ノット(時速約35キロ)に対し、あかねは30ノット(55キロ)と1.5倍の速さで駆けるように海を渡ることができる。しかもフェリーだから、車両を乗せて。

そのスピードの秘密は「ウォータージェットエンジン」。ジェットフォイルでも取り入れられている方式と同様、後ろに水を噴出しながら推進力を得るためのエンジンを4基を搭載。(そのほかにディーゼルエンジンも4基も備えている。)
装備だけでなく、船内も充実。確かに1歳だけお兄さんのときわ丸(2014年建造・就航)もホテルのようなエントランスホールや船室を持っているが、あかねは全席イス席。(2015年建造・就航。1等と2等のイス席のほか、一部2等席を改造してジュータンスペースが設けられている。)
売店やキッズルームなどもあるので、快適な船旅を提供する環境が整っている。

早いし、きれいだし、設備も整っている。鳴り物入りで導入、佐渡汽船の新しい時代を切り開くはずだった。しかし、この「あかね」は、昨秋10月に、売却が決まったとのプレス発表が流れる。3月20日の両津航路での就航が最後となるのだ。どうして?(つづく)


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道の駅・米沢、為せば成るで全国トップ10入り

2021年03月07日 | 旅行記・まち歩き


今回ご紹介するのは「道の駅」。地方自治体と道路管理者が連携し登録するもので、国土交通省が認定する主要道路沿いの商業施設や案内施設を備えたドライバーの休憩スペースであることはご承知のとおり。
まあ、道の駅マニアというのもあるそうで、スタンプラリーとかもやっているが、私はマニアというのではなく、旅や出張の途中で、美味しいものや土産物を購入する重宝な場所として捉えている。

今回の福島への日帰り出張でも、立ち寄った。普段、新潟から山形や仙台へ行くときに使うのが、国道113号沿いにある「道の駅・いいで」。通称・めざみの里。山形県飯豊町にある。
ここはレストランや立ち食いコーナー(テーブル席もあります)、物産販売コーナーでは、一部地元の野菜や肉なども販売しているのでスーパー的感覚で地元の人も使っているようだ。なかなかの充実ぶり。
地元にある道の駅と比べると、ちょっとうらやましい感覚になり、立ち寄ってはついつい買い物をしたくなってしまう。

ただ、今回は山形南陽市から福島へ向かうということで、東北中央自動車道の米沢中央インターのすぐそばにある「道の駅・米沢」に立ち寄ることにした。(写真上:外観と内部)
2018年にオープンしたこの施設、できてから3年弱と間もないことから施設自体がきれいであることはもちろんだが、施設の配置や機能性にも非常によく考えられていると思った。
中央エントランスを入ると、右が土産物や特産品、地元の野菜などを扱う物販コーナー。左が、フードコートになっていて、丼物、ラーメン、そば、ファストフードなどの店がある。そのほか、米沢牛を味わえるレストランやコンビニ(セブンイレブン)も。高速バスの停留所にもなっている。



ただこの施設、この地方を走る主要国道の13号線沿いにあるわけではない。国道の米沢バイパスからは少し離れたばしょにあり、隣接するのは主要地方道の米沢高畠線。
しかし、2017年に開通した高速道路は国の直轄区間であるため、無料区間。しかも地元が望んでいたサービスエリア設置はかなわず、インター隣接地に道の駅の設置となったそうだ。
でも、その方がよかったんじゃないかな?高速利用者だけを相手にするよりは、地元の人も気軽に利用できるような気がする。結果、管理運営は地元企業や団体が出資する第三セクターが行い、住民参加型の公募債なども発行され建設費に充当したともいう。

そんなことに感心していると、なんとまあ、この道の駅は「全国ベスト10」に二年連続で選ばれているそうな(トリップアドバイザーの口コミを集計したもの。)。2020年、道の駅・米沢は第6位。(山形県では、道の駅・天童温泉が第2位、新潟県の施設はベスト30にも入らず。)
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」。米沢には、美味しいものがたくさんあることも確かだが、上杉鷹山のこの言葉が、今でも人々の心の中にあるんでしょうなー。


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弓と弦で95年の歴史を支える、福島の「松齢橋」

2021年03月05日 | 土木構造物・土木遺産


速攻で日帰り福島出張。午後には帰路に就くことになるのだが、この日はあまりの天気のよさに、以前福島滞在中に訪問をうっかり怠っていた橋を訪問することにした。
市街地にあり、福島市を潤す阿武隈川に架かる橋で、交通の要所、国道4号線、国道115号線となっている橋は「大仏(おさらぎ)橋」。立派なワーレントラス橋であるが、目的地はそのすぐ横(下流方向)にかかる小ぶりなトラス橋「松齢(しょうれい)橋」である。御年95歳!長岡の長生橋よりも一回り上のお兄さん橋だ。(写真上:左側に少しだけ見えるのが大仏橋。)

この橋、架橋されてから95年という年齢だけではなく、その構造が「ボウストリングプラットトラス橋」といって、珍しい構造ということもあって「日本の近代土木遺産2800選」に入りBランク。
ボウは弓、ストリングは弦。弓を橋の構造として置き換えてみると、荷重に耐える仕組みがよく分かる。
現在の橋は4代目。かなり年代物というのを象徴するかのように、幅員は5.5メートルしかなく、クルマがすれ違うことは困難で、今は北側から南側への一方通行となっているが、それほど交通量はなく、大仏橋が架橋され物流を担ってくれるようになってからは優雅な隠居生活といったところか。



加えて、親柱が魅力的。架橋当時のものを復元したものだそうだが、それぞれに5つのタマタマの照明灯を付けて、モダンな様相。正に大正ロマン(橋は1925年、大正14年竣工)だね。
ボウストリング構造の弱点は、どうしてもボウの両端の開口部が、通過するクルマの車高に配慮するとなると広くなってしまうことで、強度に難を生じてしまうこと(写真下を参照)。現在では使われていない構造だそうだ。
ただ、重量制限13トンの松嶺橋だが、路線バスなども走るそうで、まだまだ現役バリバリ。南詰近辺の方々は徒歩で市街地を行き来したりする重要路線でもある。これからも元気で頑張ってほしい。



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春なのに「オータムポエム」とは何ぞや?

2021年03月02日 | 食(グルメ・地酒・名物)


最近、「オータムポエム」なる菜っ葉が人気のようだ。我が家でも、つい数週間前に頂き物でもらったが、黄色い花を付けて、茎も太く、どうも苦そうなイメージがあり、どうやって料理しようかと思い悩んでいた。その時は。
菜っ葉だから、まずはお浸しでいただくことにするが、これが何とも甘いし、適度に歯ごたえもある。全くクセや苦味もなく実に美味しい。
それ以来、何回か購入することになって、ちょっとした我が家のマイブームになっている。

調べてみると、「アスパラ菜」というとう菜の一種で、オータムポエムというのは品種の名前。販売する種苗会社の違いによりオータムポエム、愛味菜(まなみな)とも呼ばれているが、ほとんど同じものといっていいようである。
中国野菜がもとで、品種改良されたもののようで、茎や葉っぱ、花芽などを食べる野菜だ。アスパラ菜は、食感と甘い風味がアスパラガスによく似ていることからこう呼ばれるようになったとか。
寒冷地や露地栽培では夏に種をまき、晩秋に収穫することから「オータム」というネーミングになったが、温暖な地域やハウス栽培では2月から4月が収獲の時期。甘味が特にますこの時期が旬!

全国各地で栽培可能だが、この辺で出回るようになったのは最近のことのようだ。
新潟では上越野菜として指定されている。平成4年に上越市の旧清里村で栽培されたのが始まり。冬場の野菜として需要も高く、栽培面積を徐々に増やし、評価を得てきたことで県内を北上する形になったようである。県内では、ほとんどがハウス栽培。
お隣の新発田市では、アスパラを特産品として指定しまちおこしに活用しているが、収穫時期が完全に反対となるアスパラ菜に目を付け、アスパラつながりの栽培を奨励しているようだ。そんなこともあって、この辺一帯にも今ブームが押し寄せているという図式のようだ。

茹でて食べるのもよし、茹でたものを和えるもよし、パスタに入れるなど炒めてもよし。天ぷらや揚げ物・巻物、いなり寿司の具材にも。鮮やかな緑色が、食欲をそそり、春の訪れを感じさせてくれる。
黄色の花も食べられますし、これまた彩にもなるのだが、実は上の写真のように、今花開こうという「つぼみ」のうちにいただくのが一番美味しいとのことで、こちらもサッと茹でて、ほかの野菜と一緒にサラダにしていただきました。(写真下)



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