行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

気が付けば、北海道の消えた鉄路は5線もあった

2022年11月27日 | 鉄道
コロナが我が家にもやってきた。症状は軽いので、療養中はワールドカップサッカーと撮りだめたビデオ鑑賞。ビデオは「鉄道」カテゴリーを録画する設定なっていることから、リストは「鉄道開業150周年」の番組が多い。
そんな中の番組の一つに、北海道のJR線が次々に廃止になっているという情報に触れることになる。私が北海道を路線を乗りつぶしにかかった10数年前からすると、一部路線を含む5路線にその影響が及んでいることに気づく。
最近、東京出張の際には新幹線をに乗ることはあっても、久しく列車旅・乗り鉄を楽しむことはほとんどなくなってしまった今、今年は北海道に2回ほどお邪魔しているものの、もう乗れない北の大地の鉄路に思いを馳せながら、当時の写真を思い起こして掲載させていただく。



北海道の鉄道の歴史は古い。開拓と炭鉱開発が日本の近代化に寄与してきたことは、前に小樽の「手宮線」を紹介したときのとおり。北海道でも有数の炭田地帯である夕張地方を走った「夕張線」は、2019年に廃止となった。
正式には、札幌方面から十勝地方への新路線「石勝線」が1981年に開通したことにより、石勝線の夕張支線として最後を迎えた。最後までという言葉では、この路線では蒸気機関車が国内では最後まで貨物輸送を担っていた路線でもある。
もちろん沿線の炭鉱が次々閉鎖され、その後観光にも力を注ぐがこれが失敗。夕張市は財政再建団体への道を歩むことになったことを思い出す。閉園してしまった「石炭の歴史村」は、子どもたちを連れて北海道旅行した際に立ち寄った場所。いい土地なんですがねー。(写真上:霧の中の夕張駅舎と夕張駅のホーム、2008年8月撮影)



南の江差線は、石灰石を搬出するために敷設された路線。上磯から江差の間は後から延長されたものだが、五稜郭と木古内間は「青函トンネル」の函館側路線として注目され、その後電化されている。北海道のローカル線では珍しい経歴の持ち主である。
この中で、JR発足時に輸送密度(1km当たりの1日平均利用客数)が道内でも最も少ない木古内と江差間が、新幹線の開業を待たずに2014年に廃止された。今回紹介する北海道の5路線の中で一番早く乗車した路線だが、アクセスには一番苦労した路線でもある。
廃止後、江差線は「津軽海峡線」となり、終着の木古内駅は北海道新幹線開業後は停車駅として整備されることに。並行在来線となった旧江差線・津軽海峡線は、第三セクターの「道南いさりび鉄道」へ移管されている。(写真上:江差線の終点・江差駅の駅舎と木古内駅のキハ40、2005年7月撮影)



「札沼線」は、札幌を起点として北に延びる路線だが、一定の距離はあるものの石狩川を挟んで函館本線と並行して走る路線。函館本線・滝川駅に近い石狩川右岸の「新十津川」が終点。当初は留萌本線の「石狩沼田」まで開通していたのでその路線名が付けられていた。
JR北海道の「維持困難区間」として2020年、北海道医療大学と新十津川間が廃止。しかし札幌近郊のニュータウン化や大学の移転などにより、いまは「学園都市線」と名を変えて全線電化され、札幌の市街地では高架化なども行われる。
私が、廃止前の札沼線で十津川駅まで行ったときに、駅までタクシーを呼んでいた。というのも、函館本線・滝川駅までは石狩川をはさんで直線だと2キロほど。効率よく乗りつぶすために呼んだクルマには「一緒させてください」と鉄ちゃんが乗り込んできたことを思い出す。新十津川とはそういう駅だった。(写真上:当時の終点・新十津川駅舎と石狩月形駅での列車交換、2008年8月撮影)



そして留萌本線。テレビドラマのロケ地としても知られる恵比島駅などがある路線は全線廃止もささやかれている中、2016年、留萌と増毛(ましけ)間が廃止されている。この時点で、「本線」と名がつく路線では最短路線となった。
留萌と増毛間の輸送密度は、廃止前の2014年の調査で39人/日で、最初に紹介した江差線の41人よりもさらに低い状況。JR北海道の幹部が沿線自治体を非公式に訪問して廃止を打診していったともいわれる。
留萌は、昔はニシン漁で栄え(数の子・タラコの加工も国内の拠点とされた)、大正期に近郊の炭鉱が発見、合わせて材木などの搬出に留萌線が大活躍したのだが、いずれもトラック輸送に切り替えられ留萌線は衰退の一途をたどることになる。一時期は「SLすずらん号」(「すずらん」はNHKのテレビドラマのタイトル)が運転され、脚光を浴びたのだが…。(写真上:留萌本線のかつての終着駅・増毛の駅舎と構内、2008年8月撮影)



2015年に発生した高波による被害を受け、鵡川(むかわ)と様似の間が長らく不通だった日高本線。以前紹介した苫小牧軽便(王子軽便)鉄道の「海線」の延長でもあるが、昨年(2021年)4月に同区間が廃止となりバス転換されている。
海岸線に近い風光明媚なところを列車が走ることで人気のあった路線であるが、海に近いことが仇になってしまった。「本線」と名がついているものの、すでに支線はなく、前述の留萌本線を抜いて一番短い本線となる(営業キロ30.5キロ)。
沿線の7つの自治体は揃って復旧を望む声を上げていたが、その後も続く台風被害や地震の影響もあり現実路線へとトーンダウン。録画された番組の中で、最後まで復旧を主張し続けた浦河町の池田町長は「これが今後のローカル線の姿」になると訴えていたのが印象的だった。(写真上:日高本線の終点・様似駅ホームと駅前の様子、2008年8月撮影)

次は函館本線が危ない!いや、日高線のことを考えると、岩泉線もそうだったように、自然災害に見舞われた米坂線画どうなるのか心配になってきた。いつかの機会に、また日本のローカル線を紹介していきたい。
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ドーハの歓喜!日本代表がドイツに逆転勝ち

2022年11月24日 | スポーツ・スポーツ観戦


立て続けにサッカーネタ、しかも写真も連続のテレビ画面のパクリで申し訳ない。が、「ドーハの悲劇」を吹っ飛ばす、「ドーハの歓喜(自分の中では「ドーハの奇跡」と言いたいのだが…)」は書き込まない訳にはいかなくて!
開幕したばかりのワールドカップ2022カタール大会。日本代表が入った「グループE」は、ドイツ、スペインとの同居グループで、「死のグループ」と言われている。かなり厳しいグループで、昨晩(11月23日)初戦を迎えた。
相手はドイツ!西ドイツ時代からワールドカップ優勝4回、FIFAランキングで11位。日本との力の差は歴然としており、日本とすれば、どこまでやれるかというのが焦点でもあった。



ご承知のとおり、前半はイライラ。久保谷、伊藤純也が仕事ができず、守備に回るシーンが多かった。しかし、後半選手交代をしてから、ガラリとその動きとコンビネーションが冴える。采配なんだよなー!
堂安の前にボールがこぼれたシーンはともかくとしても、決勝ゴールを決めた浅野の起用とそのゴラッソなシュートは見事としか言いようがない!自分同様、テレビの前でガッツポーズという人も多かったはず。
サウジアラビアがアルゼンチンに煮え湯を飲ませた後だったので、立て続けに奇跡は起こらないのではと思っていた。とても失礼な言い方だが…。



しかし、まだ初戦を終えただけ。第二戦は、スペイン相にコテンパンにされたコスタリカではあるが、こちらも侮れない。ゴールキーパーのケイラ・ナバスは絶対的守護神。まあ、ドイツのノイアーから二点取ったことは自信になるけどね。
スペインとの対戦も今から楽しみ。バルセロナの下部組織で一緒に過ごした久保とアンス・ファティのピッチ上の顔合わせもあるのだろうか?
とにかく、ここのところ眠る暇がないほど。日本時間の朝早くブラジルを見てグループ1回戦が一巡する。さて、優勝はどこかの予想もしないとね!(写真は、NHKニュース&Amebaから拝借。)
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ワールドカップ2022、Amebaが全試合完全無料で放映中

2022年11月23日 | スポーツ・スポーツ観戦


早いものでワールドカップ2022が開幕した。早いものでと言っても、この時期に開催されるというのは少し違和感があるというだけで、EURO2020がコロナの影響で昨年夏に開催されたことからも、スパンが短いという感じがする。
例のごとく開催直後になったが、参加国のサッカー選手が掲載された雑誌を購入してきて、早速若手選手をチェック。昨年、EUROでチェックしたばかりだからねー。新顔を探すのも大変。
テレビ放送はノーチェックだったが、NHK中心の放送?ただまだクループリーグの初戦の数試合を終えたばかりだが、放送しないカードもあるのに気づく。(写真下:NHKの放映から)



遅まきながら調べてみると、放映権を獲得したのは「Ameba(アメバ)」というネット配信をしている「サイバーエージェント」という会社だ。(写真下:4枚の写真はAmebaの放映から拝借)
この会社、最初はブログ(アメーバブログ)でスタート。各種のサービスを提供しながら、スマートフォン向けのサービスで躍進。今や会員数6200万人、ブログ投稿数は24億件というから凄い!
WOWOWやAmazon Primeが注目のスポーツカードをライブ放送するということはこれまでも紹介してきたとおりなのだが、今度はアメバか。また視聴料が課金されるのだろうと思いきや、「完全無料」という。どういうこと?



これまた調べると、かなり早い時期からワールドカップ全試合の無料配信は確定していたようだ。放映権だけでも200億円とか300億円?まあ、いくらなのかは公表されていないが、とにかく相当な高額なはず。
民法地上波が次々放映を断念する中、アメバは「生中継、同時性、無料」のテレビの良さを追求したという。サービスとしての格と、アメバへの期待値が上がればとのことで、とんでもないテレビ界への挑戦なのだ。(ただし、テレビ朝日と提携みたい。)
何か裏がある?と思いきや、パソコンでもスマホでも無料。簡単ン接続できるし、Amazonのfire tv stickでテレビの大画面でも楽しむことも可!加えて、見逃し放送やマルチアングルなど、便利機能も満載。これは楽しめるぞ!


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東京の土木遺産「豊海橋」は、新潟・萬代橋の兄貴だった!

2022年11月19日 | 土木構造物・土木遺産


東京・隅田川の両岸は「隅田川テラス」といって、堤防や護岸施設を親水公園として整備された部分。隅田川の両岸に渡って、東京都により整備が進められており、沿岸住民やオフィスで働く人たちの憩いの場となっている。
前回紹介した中央区新川地区(霊岸島)の隅田川に面する場所もその一部。私が訪れた日はお天気に恵まれ、保育士に連れられ他子どもたちが散歩を楽しんだり、ジョギングをする人がいたりと、隅田川沿いの緑地や舗装された歩道を思い思いに楽しんでいる姿を目にした。
亀島川の水門から隅田川の合流地点である水位観測所から、隅田川テラスを北上する。中央大橋をくぐり、永代橋方向に向かう。亀島河口の南高橋や永代橋も土木遺産なのだが、水上バスからも見ることができた「豊海橋」を見に行くためだ。



南高橋が霊岸島の南端で、北端になる日本橋川の最下流に架かる橋が豊海橋だ。永代橋、清洲橋と同じく関東大震災の復興事業により昭和2年(1927年)に架橋。国内初のフィーレンデール橋と呼ばれる構造の橋で、とても貴重なことから土木遺産に選定されている。
東京には以前紹介した常盤橋のほかにも、多くの土木遺産や重要文化財となっている橋があるのにもかかわらずこの豊海橋を取り上げるかというと、日本初となる構造の橋を設計したのが福田武雄。そう、新潟の「萬代橋」を設計したそのひとであるからだ。
豊海橋の竣工が昭和2年、萬代橋の起工が同年だから、福田は豊海橋を設計した後、すぐに萬代橋の設計に携わったに違いない。多分、先輩の田中豊に尻を叩かれて新潟に向かったのだろうか?萬代橋が田中の指導・監修があったといわれるので、この時代の技術者たちの英知が日本各地で注ぎ込まれていることとともに、隅田川と信濃川の由縁を感じる。



日本橋川は江戸時代には水上交通を担った川のひとつ。上流部には日本橋や常盤橋などもある。初代・豊海橋はもちろん木製で、当時は諸国から廻船がこの豊海橋を目指して、江戸の町に物資を運んだに違いない。赤穂浪士が討ち入りの際に永代橋を渡り、続けて豊海橋を渡ったのちに泉岳寺を目指したと伝えられている。
先代(四代目)は明治36年(1903年)に下路式のプラットトラス橋に架け替えられたが、大正12年の関東大震災で落橋。現在のものが五代目で、永代橋・清洲橋、聖橋、常盤橋、後輩の南高橋にも遅れを取ったものの、めでたく本年度(2022年)土木学会選奨土木遺産となる。
夜はライトアップされることから、本来の重厚な姿は優しく映し出されることもあって、隠れた夜景スポットともいわれているそうだ。ドラマのロケにも使われるそうだが、ドラマは見ないのでノーマーク。



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隅田川、水門は陰の力持ち、水位観測所はひょんなことで注目が

2022年11月17日 | 土木構造物・土木遺産
隅田川を水上バスで下りるのは、橋を見るのが目的だったが、川から街並みを眺めていると、前回も少し触れたとおり、いくつもの川や掘割が川につながっていることに気付く。
隅田川下流は、江戸時代までは海だったところも多く、徳川家康が江戸に国替えになってから、埋め立てによる開発の手が加えられた場所でもある。
いわゆる海抜ゼロメートル地帯。ここでは江戸の町を支えるために栄えた海運の利便性を求め、いくつもの運河(掘割)が計画的に整備されていった。中央区の東側、江東区などの隅田川に近いところは、さいの目状に町が作られていることでも分かる。



ただ、この海抜ゼロメートル地帯の掘割は、高潮や津波といった自然災害が発生したときに、被害を甚大なものとっすることもあり、近代土木が施工されることになった関東大震災以降、防潮のための堰が設置されるようになる。
水上バスから下船後、どうしてもそれが気になり後日東京駅から近い場所の水門を訪ねようと、隅田川の方向に向かってみることにした。
目指すは中央区新川にある「亀島川水門(写真上)」。東京駅からJR京葉線で一駅の八丁堀から徒歩数分。日本橋川が隅田川に合流する部分近くに、やはり海運のために築かれた運河だろうか?亀島川という川にその水門はある。目立たない存在の土木構造物だが、いざという時には力を発揮する。



隅田川には同じような役割を持つ堰・水門が右岸・左岸に数多く存在する。隅田川にある亀島川水門・排水機場は東京都建設局の管理。湾岸部には港湾局管理の水門もある。(写真上:亀島川水門と対岸の大島川水門)
亀島川の河口には「霊岸島(れいがんじま=中央区新川、亀島川と日本橋川に囲まれた場所)水位観測所」が設置されている。明治6年(1873年)からこの場所は水位の観測点だったらしい。やはり海水の上昇などで被害であったことを教えてくれる。
こちらの観測所だが、漫画「3月のライオン」で登場し、聖地となっているとの情報。確かに何のオブジェかと思うような形をしているので、ひょんなことでこちらはスポットが当たることになったようだ。(写真下:霊岸島水位観測所とそこから見た亀島川)

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隅田川の橋、見物するなら水上バスで

2022年11月15日 | 土木構造物・土木遺産
東京出張の際、時間が空いた時にぜひ行ってみたいと思っていた、というかやってみたかったこと。それは隅田川の水上バスに乗って船下り?(船上りでもいいのだが)
というと観光色が強くなるのだが、船から隅田川に架かる橋を一気に眺めることができるのではと考えてのこと。自分自身は、橋マニアとは言えるほどではないのだが、想像しただけでワクワクする。
今の季節だと、日中一時間に1本程度の運行。時刻やアクセスなどを調べた上で、浅草からお台場までの船下り。観光客に紛れて、カメラを抱えて、目をギラギラさせながら乗船する自分がいる。



時間の都合上、船は選べない。というのも、オープンデッキがあっ他方が撮影にはいいのだが、この日の就航は「エメラルダス」というデザイン性に優れたガラス張りの船だ。
運行する東京都観光汽船では、10数年前から「銀河鉄道999」でお馴染みの松本零士氏のデザインによる水上バスを導入。「ヒミコ」、「ホタルナ」に続く第三弾のエメラルダスは最新の船ということになる。
全面ガラス張り、丸みを帯びた船体、船室は白を基調としており、日差しをたっぷりと受けて船内をより明るくしている。指定席のコンパートメントなどもあり人気の船というが、コロナ禍もあってこの日は当日予約で悠々乗りこむことができた。



さて、隅田川の橋。浅草から水上バスの乗り込んで、すぐに吾妻橋をくぐるが、終点の13の道路橋と総武線の橋梁、首都高速の高架橋なども間近に、しかも橋脚や橋桁を下から眺めることはできる。大迫力だ!
隅田川は江戸時代は荒川の本流であった。明治期に荒川放水路が建設され、正式には1964年の河川法改正により隅田川とされた。意外に新しい川なのだ。(以前は、「住田河」とか「角田川」と記され「すみだがわ」と呼ばれていた。)
神田川をはじめ、江戸時代には水上交通の要として、何本もの川や掘割がこの隅田川(大川)に流れ込んでいたということも分かる。ここにも歴史や魅力がありそうだ。



重要文化財でもある橋もある。「清洲橋(写真上)」は、鋼鉄製の吊り橋で、軍が使用していた部材を利用したとか。基礎部分にニューマチックケイソン工法を日本で初めて導入したことでも知られる。
その下流にある「永代橋(写真上)」は、タイドアーチ橋。この二つの橋は一見全く違った工法を用いているようだが、いずれの橋も関東大震災の復興事業として架け替えられ、デザインを対象化させ、ツインブリッジと言われる。どちらも田中豊の設計・指導で、土木遺産でもある。
もう一つの重文は最下流部にある「勝鬨橋(写真下)」。国内では貴重な跳開橋(ちょうかいきょう)で、船の往来時に中央部の桁を跳ね上げる仕組みになっているのだが、昭和40年代を最後に現在は使用されていない。とにかく見どころの多い船旅であった。



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PFIの聖地である「オガール紫波」を視察して

2022年11月12日 | 旅行記・まち歩き


どこかの大臣の発言ではないが、このところPPP・PFIに抱きつかれている?てな感じがする。もちろん仕事の上でのこと。
そんな中、これまた先月の話になるのだが、PFIの成功事例を持つ全国的に見ても最先進地である、岩手県紫波町「オガール紫波」の視察研修に同行する機会を得た。
PFIは官民が連携して、公共施設を民間が建設し運営するというもの。全国どこでも自治体が抱える住民サービスにかかる財政的な問題を、民間の知恵とノウハウ、資金力を使って整備するという手法だ。



紫波町は、平成10年に役場庁舎建設用地として、新設された東北本線の「紫波中央駅」前に10ヘクタールの土地を購入。しかし、なかなか庁舎建設の資金を捻出できず、広大な土地はン外機関塩漬けで放置されたままだった。
ここに民間のノウハウを取り入れ、各種施設配置しながら「町」を作り上げたというもの。実はその中心的存在である庁舎や図書館などもPFI手法を用いて建設された。
これ成功が次から次にと民間の投資を得て、あらゆる施設配置が行われ、年間80万人が訪れるとともに、これまで自治体の視察数は800件。何もなかった未整備地がどんどん人を吸い寄せるエリアになったのだ。



公共施設としては、役場、図書館を中心とした交流施設、子育て支援施設、病児保育施設など。保育所は東京の福祉団体が手を挙げて建設された。
そのほか、ホテルや産直スーパー・マルシェ、ショップ、飲食店、医院のほか、これらの施設に冷暖部などエネルギーを供給する施設も民間の投資により会社が興された。
売上的にどうかなー?と思うサッカー場や屋内バレーボールコートなどのスポーツ施設は、単一競技専用、しかも国際的なレベル(人工芝や床材の部材)で整備されて、県内ならず全国からもアスリートを呼び込んでいる。



PFIの仕組みや手法などをここで述べると書ききれるないので、ご興味のある方はぜひ現地を訪れていただきたい。紫波町としては、人が訪れる・集まることが一つの目的。視察もウェルカム!(現在もなかなか視察日程を取るのは難しいみたいだけど。)
ここでもまちづくりに思いを寄せたキーマンがいるのだが、その声に耳を傾け英断した当時の紫波町長や役所の方々、それを後押しした町民や多くの関係者に拍手を送りたい。
新潟から訪問するのはかなり大変な場所であったが(クルマで走りっぱなしで片道5時間、しかも日帰り)、視察時の説明も手慣れたものだし、内容的にもとても参考になった?いや感動的でしたよ。
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高知城の歴史に思いを馳せて登城し、少し興ざめして下城する

2022年11月06日 | 歴史・芸術・文化


決して城マニアではないのだが、先月高知に出張で訪れた際に、またまた時間があったので高知城を見学する機会を得た。いつもモデルで登場するミーの誘いであるが、いつも娘世代の彼女に様々な機会を与えてもらっていること、このブログの書き込みで改めて知ることになる。
高知には何回か訪れている。「魚梁瀬森林鉄道」や室戸の「むろと廃校水族館」を紹介してきたし、「四万十川」を訪れた時、また前職の関係で「子ども農山漁村交流プロジェクト」の講演に行った時などもこのブログで紹介している。
今回も仕事だが、確かにここ数年で何回と訪れていて「お気に入りの地」とも記している。今回は午後からの会議だったが、前日入りしていたので、目の前の高知城を見過ごすわけにはいかないと、ミーとの朝の散歩となった。



高知城は、当時からの天守閣が残る全国古天守12城の一つだが、火災や震災、明治に入って発布された廃城令、太平洋戦争の戦災などの数多くの危機を乗り越えて、本丸の建造物が完全に残る唯一の城として知られている。天守、御殿、追手門など15棟の建造物が国の重要文化財に指定されている。
といっても、高知市に城を築いたのは戦国時代・長宗我部元親とされているが(大高坂山城)、実際現在の高知城を築いたのは、関ケ原の戦いで土佐の国を与えられた山内一豊。そう、大河ドラマの「功名が辻」の主人公である。(上川隆也ではない。)
ただ、初代のものは江戸初期の火災で焼失(1727年)。現存のものは二代目で、実に26年の歳月をかけて1753年に再建されたもの。これが現存する日本の城の最古参と呼んでいいもの。現在、城の全域は高知公園として一般開放されており、公園内には県庁もある。(周辺には市役所や裁判所などがあり、高知の行政・司法の中心となっている。)



城郭の構造としては「平山城」という、平野の中にある丘などの丘陵を活用した形式だが、やはり天守まで行くとなるとかなりの階段や坂を上っていかなければならない。娘世代について行こうとするとなると、爺の足腰では午後の仕事に差し障りありあり。
少し雨も降りだしたので、天守までたどり着いた後すぐに帰路に就く。歴史の風を浴び、高知の街並みを見ながら山内一豊や山内容堂(15代藩主=豊信(とよしげ))に思いを馳せながら、下城の途に就くことに。
そんな時、三の丸に立ち寄ると「水と光のカーニバルナイト」という移動遊園地(?)なる催し物が開催されているとか(夜のみの開催)。まあ、日本の重要な史跡に浸った後、ちょっと興ざめするかのイベントではあるが、それだけ市民に親しまれている場所ということでヨシとしますかー。
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「写真の町シバタ2022」を見て、思いを巡らす

2022年11月02日 | 旅行記・まち歩き


「写真の町シバタ2022」なる写真の展覧会を知ったのは、お隣新発田市に講習会を受講しに行ったときに、会社で一緒に仕事をするミーさんが帰りに寄ってみたいといったので付き合うことにしたのがきっかけ。
このイベントに合わせて、会社でもお世話になっている写真家・山崎エリナ氏の写真展「はじまりは車窓から」が同じ新発田市役所で開催されていたし、新発田の商店街でも、昔の店舗や懐かしい風景、家族写真などを展示する「まちの記憶2022」なども開催されていた。
この企画は、何年か前から「町を大きなアルバムに」を地元の新発田市の写真館が中心となった実行委員会が実施している。その集合展が市役所のギャラリーを会場に開催されているのだ(11月6日まで、山崎エリナ写真展はすでに終了。)



写真をご覧いただければわかるとおり、何の変哲もないスナップ写真が展示してある。家族や仲間たちの集合写真や思い出の写真。そこには知らない人が移っているのだが、なぜかノスタルジックな気分に浸らしてくれるし、見入ってしまう。
きっと「時代」を見ているんだ、過ぎ去ってしまった時代を!自分の家族や思い出とオーバーラップして、他人なのに自分のように思えて、なぜか懐かしんでしまい自分の過去にタイムスリップしてしまうのだ。
誰でも持っている昔の写真。プロカメラマンが存在するわけではなく、被写体も有名な俳優やモデルでもない。写真の持つ力に注目したことは見事だ!しかも毎年のように展示会を企画したプロジェクトメンバーと、大事に保管していた写真を提供した市民に拍手を送りたい。



そんな展示中の写真の中にお宝写真を見つけた。いつか廃線跡を紹介したいと思っていた「赤谷線」の廃止当日の記念写真があった。キハ58?国鉄色の気動車の前に知らないおばさんが立っている記念写真。1984年4月のことだ。まだ雪がたくさん残っている写真を見て、この年の雪害対策の仕事をしていたことを思い出す。
もう一枚発見!こちらは1912年大正元年に当時、新発田線(現・羽越線)が開業したころの阿賀野川橋梁の写真。何ともかわいい蒸気機関車とともに、初代の曲弦プラットトラス4連が写っている貴重な写真。実は、新津方の1連は1962年の列車とクルマの衝突事故でワーレントラスに架け替えられている。
鉄道写真を撮影しておくというのも、貴重な資料になるということなのか?今年8月の大雨でいまだ不通となっている米坂線をふと思い出す。僅かの時間だがそんな様々なことを思いを巡らす写真展となった。

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