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行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

北陸トンネル・急行「きたぐに」の火災事故の慰霊碑訪問

2025年05月26日 | 鉄道


敦賀に行って旧北陸線を辿ってきたが、中山峠越えの難所を回避するため、旧線より南側の木の芽峠の直下に掘られたトンネルが「北陸トンネル」である。延長は13870メートル、国内在来線では最長トンネルで、開通当初から複線・電化の北陸本線自慢の長大トンネルだ。(現在は、ハピラインふくい線)
このトンネルは1957年(昭和32年)着工、1962年(昭和37年)に完成・開通。敦賀側、今庄側の坑口のほか、中間の2か所から立坑や斜坑を掘りながら突貫工事で進められ、そのトンネル掘削方式は世界からも注目を集めるものであったとか。
このトンネルの完成により、先に紹介したとおり旧線の勾配克服やスイッチバックによる列車交換などが必要なくなり、大幅なスピードアップと輸送力の増強が図られたのである。(敦賀駅を挟んで上り方・敦賀~木ノ本間の「深坂トンネル」は1957年開通、「鳩原ループ」は1963年開通。写真上は、トンネルの敦賀口と今庄口)



このトンネル内でショッキングな鉄道事故があった。1972年(昭和47年)11月6日の深夜、大阪発・青森行の急行「きたぐに」が走行中に出火。トンネル内で緊急停車、乗務員による消火作業でも手におえず、火災車両の切り離しを試みたが架線に通電されておらず、列車をトンネルから脱出させることはできなかった。
敦賀午前1:02発、火災発生時刻はその数分後(写真上:当時の時刻表、JTB時刻表1972年12月号は事故直後に発刊されたもので、食堂車連結の記号が残っている。)深夜時間帯であり乗客は就寝中であったこと(列車は、新潟までの間、寝台車5両を連結)、トンネル内で煙が充満したことやトンネル内に明かりがなかったことなどから、死者30名という鉄道火災事故としては最悪の事故となってしまったのだ。
そんな中、同じくトンネル内を走行中の上り急行「立山」(火災発生後30分後にトンネル内に入り緊急停車)が、「きたぐに」から避難してきた乗客225人を救助したのは不幸中の幸い。まだ通電区間で停車していた「立山」は、後退しながらトンネルを脱出し今庄駅まで戻ったという。



「食堂車から出火!」となると厨房設備が火元と考えがちだが、実際は床下の電気暖房機の過熱によるものとのこと。ただ、この頃の食堂車は斜陽傾向にある中、急行列車では「きたぐに」と「十和田」だけに連結されていた食堂車は廃止となり、その後トンネル内の事故対策なども各所で施されるきっかけにもなる。
地元の羽越線では、子どもだった自分でも見ることのできる時間帯に食堂車を連結して走っていた「きたぐに」、青い12系客車(食堂車は「オシ17」)はとてもかっこよかったし、食堂車廃止後ではあったが何回か乗車したこともあった。あの列車が!と子どもながらに事故のことを記憶している。
この火災で亡くなった方の冥福を祈るため、北陸トンネルの敦賀側には慰霊碑が建立されている。こちらにもぜひ手を合わせたいと思って今回敦賀の訪問となった。(慰霊碑入り口はフェンスが張られているが、訪れる人のため施錠はされていない。写真下。もう一方は、DeAGOSTINI社の「鉄道データファイル・優等列車の系統」から。)

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歴史的宿場町・鉄道の町「今庄」に、いまも残る鉄道魂

2025年05月20日 | 鉄道


新潟から敦賀へ。先に触れた旧北陸線のトンネル群を訪ねるためには、まず今庄(南越前町)に立ち寄らなければならない。米原からの北国街道(東近江路)と、敦賀で丹後街道と合流した北陸街道(西近江路)が出会う昔からの交通の要所で宿場町として栄えた町だ。
この町は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されており、古い宿場の街並みを色濃く残している。「旅籠・若狭屋(写真上)」をはじめ国の登録有形文化財も多く、街道沿いの町屋には「うだつ」や「虫籠(むしこ)格子」などが今でも残り風情を醸し出す。以前紹介した宿場の成り立ちは山形・楢下宿風景は徳島・脇町(美馬市)に似ている。
都(京都)から山中・木ノ芽・栃ノ木の各峠を越えてやってきた旅人が、この今庄でその疲れを癒したのだろうが、北陸線による鉄路が通って時代の流れを急速に加速させた。ただ、鉄道にとっても「北陸トンネル」が開通する以前は、山中峠に挑むための最前線基地が置かれていたのが北陸線「今庄駅」であった。



現在の今庄駅(写真上)は、宿場の東側に位置し、宿場側に駅舎が建てられている。小ぢんまりとしているが、宿場町の景観にも配慮した外観、中には観光案内所(観光協会)や「今庄まちなみ情報館」がある。この情報館が、伝統的な街並みや鉄道の町として栄えた今庄の町のことを紹介してくれる。
このガイダンス施設で旧北陸トンネル群の情報を頭に叩き込んだ後、中山峠に向かうことになるのだが、鉄道の町として賑わった今庄駅そのものにも魅力がいっぱい!旧駅の模型(写真下、1955年頃のジオラマ)を見ると魅力的な設備を有していて、その中でも当時蒸気機関車のための給水塔や給炭台が今でも残っている(写真下)。
峠越えのための補助機関車を連結・取り外すため、当時の全ての列車は今庄に数分間停車する。必然的にホームには駅弁をはじめ立ち売りが行きかい(大聖寺駅の駅弁「高野商店」は今庄が発祥の地)、この地方の名物でもある「今庄そば」の売店もあったという(「今庄そば(豊岡商店)」も福井駅構内で営業)。峠に挑み、峠を越えた機関車や鉄道マンとともに、乗客の憩いの場となって賑わったようだ。



当時は250人の鉄道員が今庄に住み、各世帯に一人は鉄道にかかわっていたといわれるほどだったが、北陸トンネルの開通により優等列車は通過するようになる。JRの民営化、北陸新幹線の開業と並行在来線化などを経て、現在今庄駅は簡易委託駅さえ外れて完全無人駅となる。
第三セクター「ハピラインふくい線」では30分に一本程度の列車運行は確保されているが、乗降客は100人(/日)ほど。日に何本か設定されている快速列車でさえほとんどが通過する駅になっていて、私が訪れた時も鉄道保線の人たちのほかには上り列車(敦賀行)を待つ乗客は一人だけ。
ただ、情報館の展示はもとより、駅の前には蒸気機関車(D51?)の動輪がドンと飾られているし、国道沿いの今庄住民センターの敷地内にはD51が状態よく静態保存されている(写真下)。旧北陸線のトンネル群の遺構整備・観光化なども考え合わせると、いまも今庄の町の「鉄道魂」が見えてくる。





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旧北陸線の鉄道遺産・トンネル群をクルマで訪問

2025年05月09日 | 鉄道
ゴールデンウィーク中、仕事が忙しくてなかなか記事をアップできなかった。「ブログサービス終了」の告知も気になるところだが、まだ敦賀の記事は途中であるから気を取り直して書き込むことにする。



さて敦賀の鉄道について触れてきたところだが、先に触れたとおり北陸本線の途中駅の敦賀だが、国際連絡列車という港のつながりとともに、山に囲まれたこの地の地形によって鉄道の町が形成・発展したという見方もできる。どうしても補助動力車の付け替えなどもあるからね。
旧北陸線は敦賀の上り方向である木ノ本~敦賀間に刀根越えの急勾配(25‰(パーミル))があり、下り方面の敦賀~湯尾の間にも中山峠(25‰)が壁のように存在していた。現在、これらの間はいずれも新線が建設され、勾配克服のため深坂トンネル、鳩原(はつはら)ループ線、北陸トンネルなどが誕生している。
これら廃線となった旧線は車道(県道)や歩道として現在も活躍していて、クルマやバイク・自転車で容易にアクセスでき、間近に鉄道遺産を見ることができる。特に、敦賀~湯尾間のトンネル群は国の登録有形文化財に指定され、土木学会選奨土木遺産でもある。(上り方の「柳ケ瀬トンネル」も土木遺産。)




新潟から福井に入り、今庄からこの旧北陸線の県道を使って敦賀を目指すことにした。今庄駅と今庄宿でかなりの時間を過ごしてしまったが、旧線にも見どころ満載!旧大桐駅跡が残っていたり、スイッチバックの中山信号所、連続トンネルにトンネルのレンガ積みの解説、扁額のレプリカなど整備・保存されている。(写真上・下)
特に中山信号所では、単線ならではの列車交換用のスイッチバックの跡がハッキリと残っていて、信号所の敦賀側の折り返し線は有効延長を延伸するため行き止まりのトンネルが掘られたという。区間内最長の中山トンネル(1194m)と隣り合わせで見ることができる。
中山トンネルは暗くて長い。直線であるが、旧線は現在の規格より狭く作られているとのことで圧迫感を感じるとともに、照明などは無し。暗いし狭い道で対向車が来ないかとついついアクセルを踏んでしまう。11か所あるトンネル群の途中には信号機が設置されているところもあるが、この区間ですれ違ったクルマは1台だけだった。




途中、敦賀に近くなると北陸自動車道と並走するこの路線だが敦賀に近い葉原トンネルを抜けると人家も見え、間もなく国道に合流する。その後、最後に現れる樫曲トンネルは遊歩道となっていて、トンネルのレンガの積み方の説明やトンネル内にはランプ、そして土木遺産や登録有形文化財のプレートなどもゆっくりと見学できる。(写真下)
旧北陸線のトンネルでは側壁に石積み(敦賀市阿曽の石材、葉原トンネル付近)、アーチ部に長手積みの施工方法のほか、樫曲トンネルなどでは側壁部に他に比べても強度が得られるレンガの長手と小口を組み合わせた「イギリス積み」が採用されていているという。様々な工法が見られるのもこのトンネル群の特徴だ。
以前、補助動力として蒸気機関車を連結し、喘ぎながら急勾配を上る列車の姿も音も今はない。そんな峠と峠の間にある敦賀駅。かつては峠に挑む緊張感と峠を克服した鉄道マンの声が飛び交っていたのは確かで、そんな環境が敦賀の町の活気を担っていたのであろう。

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新幹線開業を機に、敦賀駅の機能や役割を探ってみた

2025年04月30日 | 鉄道


昨年3月、延伸開業した北陸新幹線。終点であり起点にもなった敦賀駅の構内を探索してみた。駅に降り立つことは初めてなので、その変わりようは図り取ることはできないのだが、市街地側の西口(まちなみ口、写真上)に加え、新幹線のある東口が整備されたことは容易に予想できる。
敦賀駅は、JR西日本(金沢支社)の管轄。新幹線開業により敦賀以北の北陸線は並行在来線「ハピラインふくい線」となり、7面あるホームはJR在来線(北陸線・小浜線)と共用する形になっている。新幹線は、駅東側の旧側線があった場所に2階コンコース、3階4面ホームと新設された。
新幹線に近い東口には駅長室・JR事務室や「みどりの窓口」が西口から移転(ハピラインふくいの事務所は西口)。敦賀市は駅の橋上化を計画し、西口には観光案内所などが入る「敦賀駅交流施設オルパーク」を設置したが、新幹線との接続駅によくある光景として、新設の新幹線口に機能が移転し、在来線の出入口のとアプローチが長い通路で結ばれることになった(写真上:西口から東口へ向かう連絡橋へのエスカレーターで。写真下は新幹線コンコースとホーム。)。



まあ、JR西日本の駅でもあることから、関西との結びつきが強いのは敦賀に限らず金沢や富山も一緒。新幹線でつながったのは関東・東京ではあるが、東京直通の最速型新幹線「かがやき」は日に上下9本といったところ。一方、大阪と敦賀を結ぶ在来特急「サンダーバード」は上下25本ずつとなっている。
また、敦賀と東京の北陸新幹線直通の時間と、米原・名古屋で東海道新幹線の乗り換えで時間を比べてみると実に微妙な立ち位置にあることも確か。「しらさぎ」を使って名古屋で乗り換えると時間的には北陸新幹線が早いのだが、米原乗り換えだと東海道経由が早い場合もあるようだ。
そんな北陸各都市と関西・中京とを結ぶ旅客の需要に応えて、敦賀駅の新幹線ホームの下には、特急電車(サンダーバード・しらさぎ)専用の乗り換えホーム(31番~34番線、写真下:名古屋行・大阪行の特急が発車を待つ33番・34番ホームと。新幹線高架下を到着入線する列車)が新設された。もちろん新幹線においても、敦賀・富山間都市間との都市間列車の設定も多い。敦賀とすれば、東京に1本で行ける!というのは、まあ選択肢が一つ増えたといった感じなのかもしれない。



在来線へも足を入れてみた。7番線にはハピラインふくいの521系の芦原温泉行の電車が北陸線からの接続列車の到着を待っていた。6番線には間もなく223系の快速電車が入ってきて、あわただしく乗り換えする乗降客の姿があった(写真下、到着列車に遅延あったのかも?)。
その到着列車は、折り返し関西方面へ向かう快速(新快速)になるのだが、なんと行先は「播州赤穂」?福井県の敦賀から滋賀、京都、大阪、そして兵庫の西のはずれ赤穂線の播州赤穂まで、5県をまたぎ走行距離275.5キロ、所要時間4時間強。調べてみたところ、最長区間を走る在来普通列車とされている3323M(米原からは3523Mの新快速)列車がこれだ!
ともあれ、北陸新幹線の終点でもあり起点でもある敦賀。北陸地方と関西・中京を結ぶ路線の乗換駅としての重責や、小浜線やハピラインふくい線など地域交通のターミナルの役割も担い、国内最長区間を走る列車の始発駅でもある。再び鉄道の町としての重要性が再認識されていることは確かだ。

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敦賀市内には、鉄道にかかわる歴史と未来が存在する

2025年04月23日 | 鉄道
鉄道の町・敦賀の市街地で、鉄道の町を象徴する場所を訪ねてみることにする。



まずは、敦賀駅。駅自体については後日また紹介しようと思っているのだが、駅前(西口)の脇にひっそりと設置されている歴史を伝える記念碑を訪れてみた。「交流電化発祥之地碑(写真上)」とある。確かに北陸本線は直流・交流、しかも50Hz(ヘルツ)・60Hzと複雑な電化方式を持つ路線である。(北陸新幹線開業により、並行在来線が三セク運営となり、現在残っている北陸線の区間(米原~敦賀間)は2006年に直流に改変。)
北陸線のうち米原(旧田村)と敦賀間が1957年(昭和32年)に交流電化発祥の地であるというものなのだが、これには条件が付く。「世界最初の60Hz交流電化」ということ。交流電化だけをいえば、実用試験が行われていた仙山線(50Hz)がわずかに同年に完成していた。
今では新幹線に採用されている交流方式だが、急勾配区間を克服するために導入された北陸線や仙山線の成功により、新幹線をはじめとした日本の鉄道の発展があったと考えると、鉄道の町としては貴重なモニュメントでもある。以前、敦賀運転センターにあったこの碑は、新幹線開業により現在の地に移設されたという。



これまたひっそりだが、市街地に保存車両もあった。敦賀駅にも近い市街地のど真ん中の「本町第3公園」には、C58蒸気機関車が静態保存されている(写真上2枚)。昭和15年製造で、1971年(昭和46年)まで風光明媚な路線・小浜線で活躍していたという。C形だから旅客用だったんだろうね。
また、敦賀港近くの赤レンガ倉庫脇には、キハ28形気動車が展示されていた(写真上)。急行型として全国で活躍気動車だが、全面運転席のガラスがサイドまで回り込んでいること(パノラミックウィンドウ)や下部にスカート(排障器)があるタイプで完全な状態で保存されているのはここだけとの説明書きがあった。
保存車両のほかにも、前回紹介したように旧敦賀港駅舎(写真下)やランプ小屋(写真下:内部の展示ランプ)など、超貴重な建物や鉄道遺産が残されているのも敦賀ならでは。旧北陸線の米原方向の「柳ケ瀬トンネル」、福井方向の「葉原トンネル」の扁額(横額プレート、複製、写真下)なども展示されている(敦賀鉄道記念館脇に柳ケ瀬トンネルのもの、赤レンガ倉庫脇に葉原トンネルのものを展示)。



三方山に囲まれた敦賀。古くは欧亜国際列車の発着地で、急勾配の中に敦賀があり補助動力車の連結や交直流のデッドセクションを境に動力車の付け替えや電車の乗り換えなども存在したはず。鉄道の町として発展しない理由はないのである。
そん市内で、いたるところにモニュメント(ブロンズ像)がある。よく見ると「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」のキャラクターなどの像だ。もしかすると敦賀は松本零士氏の出身地ではないか?と思わせるほどなのだが、そうではないようだ。何の因果があるのか?
敦賀市は敦賀港開港100周年(1999年)を記念し、市のイメージを「科学都市(原子力発電)」、「港(敦賀港)」、「駅(敦賀駅、敦賀港駅、北陸線などの鉄道路線)」とし、将来像と重ね合わせたところ宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999に行きついたとのこと。敦賀駅から氣比(けひ)神宮までのシンボルロードに28体のモニュメントがある。(写真下:敦賀駅前の「星野鉄郎とメーテル(銀河鉄道999)」の像とモニュメントの説明、見出し写真は「佐渡酒造(宇宙戦艦ヤマト)」像)




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JR越後線の都市近郊型の新駅「上所駅」が開業して

2025年03月26日 | 鉄道


前回も少し触れたが、地元新潟でJRの新駅として「上所駅」が誕生した。ダイヤ改正当日の運用開始ということから、話題性としては遅いのであるが、せっかく地元だし、めったにないことでもあるので出かけてみることにした。
上所駅はJR東日本の越後線、白山・新潟間にこの3月15日のダイヤ改正とともに開業した。新潟駅からだと西方向へ僅か1.2キロ地点。時刻表を確認しても2分程度、新潟駅からだとそれほど列車の速度を上げずに上所駅の対面式ホームが見えてくる。
先に新潟駅を紹介したとおり、新潟駅周辺は再開発により鉄道線が高架となっていて、和合線(県道164号白山停車場女池線)の跨線橋をめがけて越後線は地上へ駆け下り、その先に上所駅がある。



上所駅周辺は、旧中央卸売市場があったところで、その跡地に住宅街が広がるとともに、駅周辺の再開発も相まって住民の要望が高まり、新潟市JRとの協定で設置が進められた新駅である。
対面式ホームは、上り(吉田・柏崎方面)が1番線、下り(新潟方面)が2番線。島面ホームにしなかったの線路幅(構内敷地)が膨らむことによる周辺住宅街への影響を抑えたようだ。(従来の越後線もこの付近までは複線化されていた。南北ホーム入口は、狭い地下道で結ばれている。写真下)
そのせいかホーム幅は狭い。駅舎や駅前のロータリーとかはない。(1番線改札外はまだ工事中の場所がある。)地方の無人駅で見られるSuicaの簡易改札機がホーム入り口に設置されている。都会近郊型と言えばいいのか、臨時停車場的というかといったところ。



新潟・上所間は越後線唯一の複線区間。日中は、キッチリ1時間に上下3本というダイヤが組まれていて、利用者にとっては時刻表いらずとなっている。利用者?やっぱり高校生なんですよねー。
上所駅の北側には、県立新潟南高校がある。徒歩数分という至近で通学生徒にとっては利便性が飛躍的に向上した。高校や大学が多い越後線の特徴でもあり、登下校の時間帯はホームに高校生があふれるのではないか?(訪問時は春休みの時期で、日中だったから閑散としていたがー)
乗降客の見込みは4600人/日。この数字は新潟駅・柏崎駅を除くと越後線では隣の白山駅に次ぐ乗降客数となる。さて、どうなるか?想定の数字を見ると、ホーム上の安全面が少し気になる。

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手にした時刻表で「青春18きっぷ」のリニューアルを知る

2025年03月22日 | 鉄道


たまに鉄道ネタを。昨年の暮れに、今春のJRグループのダイヤ改正のプレス発表があった(写真上:新潟支社発表)。地元では越後線に新駅「上所駅」が開業したことがちょっとしたニュースであるが、そのほか大きな改正はなかった。
それでも、ダイヤ改正があったからには最新の時刻表を手にするのが鉄の習性、JTB時刻表3月号の「次号(4月号)で創刊100年」との記載を見て、本屋で取り置きをしてもらい4月号を発売日に手にすることができた(写真上:JTB時刻表2025年4月号表紙、写真下:時刻表「100年のあゆみ」を紹介する付録。)
100年ですかー?大正14年の「汽車時間表」が前身で、私が初めて手にしたのは小学校の4年生、父が職場から持ち帰る月遅れの「交通公社の時刻表」をむさぼるように見ていた。それがいまの「JTB時刻表」ということになる。



時刻表はダイヤ改正がない限り、毎月買う必要のないことも確か。しかし、臨時列車の案内やお得な切符などはネットでも検索できるが見慣れた時刻表の中では要チェックポイントでもある。その「おトクなきっぷ情報」に「青春18きっぷ」の案内が。
青春18きっぷは、5日分または5人分として非連続・分割利用が可能だったはずなのに、「連続する5日間=12,050円(または3日間=10,000円)」という、何だか別の切符になったような説明が記載されている。
これまでも仲間や家族と5回分をシェアしながら列車での小旅行を楽しんできた経験からすると、実に使いにくい。しかも、連続して使い切らなければならないと思うと、綿密な計画と覚悟が必要になってくる。これは手を出しにくくなったな!



実はこの切符のリニューアル(改悪といっていいが)は、昨年12月の冬の発売から適用、10月にプレス発表されていた(写真上)。これに愛用してきた人の不満がかなり寄せられ反対署名運動なども起きていたという。(JRは、署名を受取拒否したそうだ。)
JR側としては「自動改札機を利用できる」と便利になったことをウリにしているようだが、その裏側には改札人員の削減、つまりJRも深刻な人手不足と省力化が求められているとの見方もできるのである。(自動改札機では、非連続・分割(複数人)利用の対応が難しいらしい。)
確かに、これまでの青春18きっぷは有人改札を利用しなければならなかった。駅によっては混雑する場合もあった。でも、駅員とわずかの会話を交わし、スタンプを押してもらう。それが18きっぷのいいところだと思っている人も多いはず。また旅の情緒が失われた気がする。

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富山のライトレールも「まちづくり」の一環なんだ

2024年11月29日 | 鉄道


富山「富岩水上ライン」で富岩運河の見どころを堪能しながら、環水公園から終点の「岩瀬カナル会館」まで乗船。この乗船券には復路の路面電車の運賃が含まれていて、富山の新交通インフラをダブルで楽しめるといったものになっている。
チケットの案内には「路面電車」という表記になっているが、これは富山自慢のLRT(ライト・レール・トレイン)で、富山地方鉄道の「富山港線」ということになる。正確に言うと「トラムトレイン」という分類になるそうだ。
私が乗車した「岩瀬浜」は、富山港線の終点、そこから専用軌道を利用して旧JRの富山港線を活用し、市内に入って路面軌道を「富山駅」へ。富山地鉄の市内軌道本線や環状線(市電)と相互乗り入れをしている。(富山港線は第三セクターの時代があり、市電路線にも富山市が所有する部分があるなど、富山市が密接に関与している。)



さて富山港線、「富岩トラムライン」とでも呼ぼうか?岩瀬カナル会館から岩瀬浜駅までは、ほんの数分の距離。運行間隔は日中でも15分間隔が保たれており、すでに入線していた緑色の2連接低床車体の0600形は、富山ライトレール時代からの新時代を切り開いた生え抜き車両。「ポートラム」の愛称がある(写真最上段、見出し画像は剱岳をバックに走るポートラム)。
8編成ある同形車両には異なったカラーが施され、キャラクターもある。生え抜きといっても2006年運用開始だから内装もきれいで都会的。連接部にロングシート、ほかはボックスシートになる。もちろんワンマン。そのほかに、デ9000形(セントラム、写真上の交換列車)、三連接のT100形(サントラム、写真下・富山駅前で)が市電区間と主に共用運転をしている。(0600形、デ9000形は新潟生まれ!新潟トランシス製。)
岩瀬浜から富山駅へは30分弱。「奥田中学校前」までの専用軌道(第一種鉄道事業)線から、道路(軌道事業)に入ってクルマと一緒に走ったり、反対列車とすれ違ったり、牛島町の交差点で大きくカーブし富山駅に向かう車窓は、何とも都会を感じてしまう。



ところで、この富山港線は「富岩鉄道」によって大正期に開業した。その後、合併などにより会社名を変えるなどして戦時下に富山地方鉄道から国有化され、国鉄からJR西日本の路線となるのだが、JRの民営分割・合理化の流れの中で、JR西日本は超赤字路線だった同路線を実質廃線の検討をしていることを明らかにする。
それを何とかしようと富山市が中心となって第三セクター「富山ライトレール」が設立され、2006年(平成18年)開業する。お隣、高岡市の万葉線の例もあったのだが、国内で路面電車が新設されるのは実に久々のことであり話題を呼んだ。また、国有化を経て戦前の事業者(富山地方鉄道)に運営が戻るのも珍しいこととか。
富山市内を走る電車には歴史があり、そしてコンパクトシティを目指す富山市のまちづくりにも注目が集まり、宇都宮のライトレール事業にも波及したともいえる。様々な形の電車が走る市電を見ていると、何とも羨ましさと嬉しさが湧いてくる。(写真下:富山駅前の市電乗り場と、「県庁前駅」で古参電車デ7000形の雄姿。)



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新・新潟駅(その4)、あの店も出店!CoCoLo新潟の魅力と課題

2024年11月11日 | 鉄道
新しくなった新潟駅、あまりにもエキナカのCoCoLo新潟が変貌し、魅力的であるがためについつい長居をしてしまっている。が、まあもう少しだけ紹介し、今回で一区切りとしたい。



前々回紹介したとおり、CoCoLo新潟は、新潟駅自体の機能の関係か、バスターミナルをはじめとした公共交通のアクセスの関係から、EAST SIDEに力が入っているような気がする。まあ、これは仕方ないこととしても、実はWEST SIDEにも魅力的なショップがある。
西口の改札前の通路は(写真上)、万代広場と駅南のけやき通り方面を結ぶ通路にもなっていて、スターバックスコーヒー、吉野家、丸亀製麺など全国展開するチェーン店など(写真上)通勤通学の地元客の利用も多い場所ならではのラインナップのほかに、「ニシデリストリート(写真下)」というアリアがある。
このエリアの奥まったとこっろにあるのが「市玄」というラーメン屋(写真下)。あえてEAST SIDEの「ニイガタバル★麺横丁」のグルメエリアから離れたこの場所に、以前紹介したことのある(この時は「ラーチャン」のカテゴリーで)新潟あっさりラーメンの人気店がひっそりと店を構えているのである。この店、私自身もイチオシの店なので、見つけたときには嬉しさの限り。



市玄は、前回少し触れた「ことぶき寿司」と同じ会社「enn」の経営。ennは、ことぶき寿司を展開する中で本社機能を新潟市中央卸売市場内に移転、市玄をオープンさせ、その後も場内に2店の飲食店を早朝から営業している。新潟の台所を支えるために働く人たちの胃袋を支えている。
市玄の看板メニューは「朝っぱラーメン(写真下)」というマグロなどの海鮮系で出汁を取った究極のあっさりラーメン。朝早くから食べることができるようにとの味付けであるが、市場内にある本店では握り寿司やチャーハンのセットメニューが人気である。
そのラーメンに新潟駅で出会うことができるとは。ただ市場内の本店は午前6時の開店だが、CoCoLo新潟のWEST SIDEニシデリストリート店はオープンスペースのため、エリア内の他店と開店時間を合わせ午前10時、メニューも本店より絞っての営業となっている。もちろん、あさっぱラーメンはありますよ!



このニシデリストリートは、名前のとおりテイクアウトを中心としたお店が並ぶエリアで、市玄のスペースでも海鮮系の商品を開発・販売するつもりだったらしいが、イレギュラーで人気ラーメンの駅進出となった。ただ、そのためか店のスペースは極めて狭い。隣の「とんかつ太郎(写真上)」も同様、狭いイートインでのメニューはカツ丼一本。
とんかつ太郎?ここはタレカツ丼発祥の店ですよ!こちらも新潟の名店。そのほかにも、燕三条で人気イタリアンレストランのBit Market(写真下)、新潟米をアピールしようと壱成(新潟市)が運営するおにぎり屋「新潟おにぎり・笑ん結(えんむす、写真下)」、おなじみ角中グループの「はっぴ商店/横浜こがね庵」などが出店している魅力的なエリアなのである。
ただ難点はとなると、いまのところ駅改札を挟んだEAST SIDEやバスターミナルとの距離的な問題。以前、西自由通路となっていた場所にあるので、今後工事中の万代広場の完成とともに、駅前の弁天方面と西改札へのアクセスがどうなってくるのかがカギを握る場所になりそうだ。



ということで、新しくなった新潟駅の魅力や課題をダラダラと書き込んでみたものの、新潟の玄関口はとにかく綺麗になったし魅力的なところにもなったという感じはするが、今後は「ニイガタ2㎞」を機能的にリンクさせ、集客を図り、まちの活性化を見出せるかが一番の課題となる。
特に、古町をどうするか?ご承知のとおり、当時の新潟の一大ショッピング街であった古町で、鳴り物入りでオープンした地下商業施設の「西堀ローサ」は来春運営会社(三セク)が会社の解散を発表し、テナントへの退店要請を行うことになっている。
古町も「古町どんどん」や「古町夜市」など、商店街や市民団体がイベントでの集客を図ろうと頑張っているが、一方で新潟駅のリニューアルに巨費を投じてきただけに、その恩恵を2キロ圏内が享受するための具体的計画や、交通体系を含めたインフラ整備・対策なども、重ねて新潟市は求められることになるだろう。
(写真下:現在工事が進められる新潟駅前万代広場の工事現場と、仮の万代口から見る駅前通りの「東大通」は、万代・万代島地区、古町地区を結ぶ幹線である。)

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新・新潟駅(その3)、「食」にも新潟満載のラインナップが

2024年11月07日 | 鉄道
今春オープンした新潟駅のエキナカ「CoCoLo新潟」は、食事を楽しむといういう点でも充実している。前回総菜やテイクアウトの店もあると紹介したが、ここでは店舗業態から2つレストランエリアと駅弁について、新潟発という視点でその特色づくりを探ってみたい。



EAST SIDE2階の一番東側、南館への通路近くには「ニイガタバル★麺横丁(写真上)」がある。遅い時間までお酒の楽しめるバルのほか、特に山形市とラーメン消費量を争う新潟の玄関口・新潟駅にあって、県内ラーメンの名店が出店している。
新潟市の人気店「ラーメンいっとうや」をはじめ、新潟をラーメン王国に押し上げただるまやグループが「だるまやNIIGATA BASE」、同じく角中グループは「まぜしゃもじ」、そして燕三条背油ラーメンの名店として全国・世界系列17店を誇る「燕三条らーめん潤」だ。
このラインナップは、県外客への大きなアピールとなるだけではなく、新潟県民も注目のスペースになるのではないだろうか?半ラーメンを注文してハシゴしたいくらいでもある(「半ラーメン」というメニューがあるかは不明!)。



新幹線東改札口を出て南側のエレベーターを降りるとWEST SIDE1階の「エキナカキッチン」がある。こちらはちょっとしたレストラン街になっていて、ゆったりと食事を楽しむのによさそうだ。
全9店舗、うち新潟初出店の店が6店舗ある。仙台牛タンの「利久」や今月オープンの「鎌倉パスタ」も初上陸組。ただ、県内企業としては、阿部幸製菓(小千谷市)が「米」つながりでフォーのレストラン「PHO’ MINH(フォーミン)」を、enn(新潟市)が「ことぶき寿司 c/o まいもん寿司」を新たにオープン。県内注目企業の出店だ。
ことぶき寿司は県内でも寿司店を数店営業している実績があるが、実績というと旧新潟駅時代から長年CoCoLo新潟で営業してきた「長岡小嶋屋」がここでも営業していることがうれしい。新潟県人としては「へぎそば(写真上;長岡小嶋屋の野菜てんへぎ)」は県外からのお客様に是非食べていただきたいからね!



だた、エキナカの飲食店やテイクアウトの店が充実をしていく中で、心配なのは駅弁である。米どころ新潟の駅弁文化はぜひとも残したいと思っているのだが、ありましたよ,駅弁屋!新幹線東改札口の前に「新潟三新軒」のショップが(写真上)。
こちら新潟三新軒の看板が出ているものの、以前から連携している新発田三新軒、神尾弁当の弁当もを扱っている。全部で17種類。自分自身は電車に乗る機会は少なくなっているものの、車内で駅弁を楽しみたいという人のため新潟の力を見せてほしい。
お米といえば、エキナカのコンビニである「NewDays(ニューデイズ、写真下)」では、駅弁とともに白いコメのおにぎりのパック(写真下)を販売をしていた。県内産のブランド米3種類「南魚沼産コシヒカリ、ミルキークイーン、新之助」の三種類の食べくらべができるというもの。これもインパクトあるなー!


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新・新潟駅(その2)、心揺さぶる「CoCoLo新潟」のリニューアル

2024年11月05日 | 鉄道


新潟駅、前回紹介したとおり、駅やホームそのものが高架化されて、バスターミナルが移設・新装したことが駅周辺整備事業の最大のポイントではある。しかし、自分自身一番驚いたのは、エキナカ(実際は改札外)の商業施設「CoCoLo(ココロ)新潟」の大変貌である。
新潟駅2階の改札内コンコースを東西通路で挟んで、加えてバスターミナルを挟んで1階にも、かねてから「ビックカメラ」などが入っていた南館や西側のメッツ館などを合わせると、テナントの数は160店舗。
今春、お土産品や食料品などを中心としたEAST SIDEがオープンし、次々にファッション・コスメエリア、バル&麵横丁やグルメストリートなど、駅を真ん中に西に東にエリアを拡大してきた。(写真上:南館からEAST SIDEへの入口、EAST SIDEの案内図)



CoCoLo新潟のグランドオープンは、今年4月25日(3月27日にEAST SIDEの一部が先行オープン)。JR東日本新潟シティクリエイトが運営する。(写真上:東改札口方向からEAST SIDEへ、WEST SIDE1階のファッション・コスメエリアは百貨店の様相)
お店の数もそうだが、とにかく広い。以前のCoCoLoは直線的な通路と店舗の区割りだったが、その通路を何本も張り巡らし、時には曲線を描き、1階に2階に。東京駅より複雑かもしれない。
自分は下調べによる情報インプットと鉄分が入った血により大体の方向感覚は備えての新潟駅への出陣であったが、初めてだと道に迷うというか、なかなか目的地に行きつけないということもあるかもしれない。



東口改札前の通路がエキナカのメインストリートだが、CoCoLo EAST SIDEへの入口が並んでいくつか設置されている。一等地には新潟の名店が並ぶ。大阪屋、加島屋、丸屋本店、田中屋本店といった既存組に、ブルボンや亀田製菓、ヤスダヨーグルトなどの新潟ブランドが並んでいる。
新潟県初進出で話題になっているのは「成城石井(写真下)」、こちらも東改札に近い位置に陣取る。県内初出店は、37店舗。このほかほか、以前このブログでも紹介してきた「中条たまご(写真上)」「canelé de CHIANTI(Atelier CHIANTI、写真上)」などのショップもある。
WEST SIDEには既存の「ぽんしゅ館」があるが、EAST SIDEのお土産品売場の一角に、吉乃川、久保田(朝日商事)のショップ(写真下)もある。以前の東館にも種類を扱う店舗はあったが、日本酒王国・新潟のメジャーな蔵元の力の入れようが分かる。



食料品、生鮮品はEAST SIDE1階の一番東側にあって、佐藤食肉が肉と加工品を、にいがた海鮮家(大栄魚類)が魚・海産を販売する。このエリアは旧万代口のCoCoLo同様に集中レジ方式。そのほか弁当・総菜を扱うテナントもこのフロアに並んでいる。
目を引くのは「明治屋(MEIDI-YA、本社・東京都)」の新潟ストアだ(写真下)。というのも、明治屋は輸入食品やジャム、冷凍・レトルト食品、自社ブランド食品などで人気を得ているが、実は19年前に古町5番町で店舗を閉店、再度新潟に帰ってきた大手食品ストアだ(集中レジ内のため、酒類の販売はない。)
新潟ストアの店長・渡邊竜之さん(写真下)は、19年前の古町店舗閉店時の店長。一旦明治屋を離れて仙台で仕事をしていたものの新潟ストアを開店する際に再登板の声掛けがあった方。長岡市出身だけに、新潟での再オープンを嬉しそうに話してくれた。



一応カテゴリー別にフロア・エリアが分けられているとのことだが、店によっては扱う商品が多様なため、「あの商品はどこにあるの?こんなところにもあった!」と何度か行かないと店の志向が見えてこないかもしれない。
また、食料品売場が改札から遠いということを難点とするのは、JRを使うという前提の地元民(自分)の叫びか?以前、万代口にあった時のことを考えると、発車直前にという技は発揮できない。まあ、バスターミナルには近いからなー。
全体的にEAST SIDE(東改札、写真下)の方がアクセスが良く、店舗が充実している感がある。イベントにも活用できる1階「潟リウム」前のエスカレーター(写真下)が東改札に、バスターミナルのエスカレーターや駐車場のエレベーターもEAST SIDEへ利用者を誘客を送り込んでいるのは確かだ。




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新・新潟駅(その1)、「青い灯」が消えて4年の進化は?

2024年11月03日 | 鉄道


ようやく山形を抜け出して新潟に戻ることができたのだが、ふと「新潟駅」を見てみたいと思い立って出かけることにする。孫と電車で行く約束をしていた場所だが、今回は一人でクルマでの訪問となる。
というのも、新しくなった新潟駅を見たことがない?まったく電車に乗っていなかった訳でもなく、乗り換えなどでは使っているはずだが、コロナの影響もあってハイエースに乗り換えてからはクルマでの移動も多くなりっているのはこのブログでご紹介のとおり。
その新潟駅、2022年6月に完全高架化になった。地上にあった在来線ホームを新幹線ホームに合わせるというもので、すでに2018年には在来線5番線と上越新幹線11番線の同一ホームの乗り換えが可能になっていたが、最後残っていた高架ホーム1番線が供用開始(写真上)となって全面開業となった。(工事中、地上に設けられていた8、9番線は廃止・撤去された。)



これは新潟市が中心となって進める「新潟駅周辺整備事業」の一環として、鉄道・道路の連続立体交差事業、周辺幹線道路の整備事業、駅前広場整備事業などに合わせ、JR新潟駅そのものの利便性を向上と新潟の玄関口として整備が図られたものである。
駅そのものもそうだが、新潟駅周辺の信越線・白新線、越後線と地上道路の立体交差により、周辺の混雑は解消されるとともに、駅直下にバスターミナルを整備(写真下)することで南北を結ぶ「軸」とし、文字どおりターミナル化するもの。
以前万代口前には、新潟交通のスイッチバック式ターミナルがあったが、駅前の混雑をかいくぐるかのようにバスを乗り場まで寄せていたものが、一転、駅直下で行ったり来たりUターンもできて、バスの走行や乗降も見るからに快適さが見て取れる。



事業開始が2012年だから12年、高架ホームの供用開始から6年、新潟駅の「青い灯」が消えて4年、着実に整備は進められてきているが、残すは万代口の広場と駅舎へのアプローチ。2025年度(2026年春)完成の予定だ。(新潟駅の再開発事業の第一段階として、「南口整備」は2007年から実施されていた。)
このような大規模での新潟駅リニューアル化は実に約60年ぶり。自分と同年代の3代目駅舎は懐かしさも感じるが、今後はスマートな駅舎と駅周辺施設が乗降客を見守り、ターミナルから次々とバスを吐き出していく。その姿は都会のようだが、地方でも一極集中のような気がしてならない。
市が推し進める「新潟駅~万代~古町」の新潟都心軸「にいがた2㎞」の玄関口として位置づけられている新潟駅、次回紹介する駅ナカの商業施設などの整備も行われているが、駅を拠点として今後の「まち」としての進化がどうなるか注目していきたい。(写真下:工事中の地上ホームと旧新潟駅舎・旧バスターミナル(いずれも2020年11月撮影))

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まほろばの里にあった廃線跡は、いまも東西「高畠駅」を結んでいる

2024年10月24日 | 鉄道


山形の石橋を探して高畠の町を歩いていると、「高畠駅」という看板を目にした。高畠駅はJR奥羽線の駅のはずだがー、そうだ!ここには旧高畠線があって、高畠駅は高畠町役場などがある市街地にあったことに気が付く。
奥羽線の米沢・山形間が開通したのは1900年(明治33年)、前回、前々回紹介している米沢までの開通の翌年で、高畠鉄道は奥羽線の旧糠ノ目駅(現高畠駅)と旧高畠駅の間が1922年(大正11年)に開通。その後、二井宿まで延伸され、1943年、山形鉄道高畠線となった。
旅客輸送のほか、貨物の取り扱いも行っていた。というより、高畠周辺では製糸業が盛んで、生糸や製品の輸送や材木、果物などの地域の特産物を輸送する目的が強かったとも言われている。1974年(昭和49年)、水害によるダメージをきっかけに全線廃止。先に紹介した「くりはら田園鉄道」よりかなり前に廃止。「赤谷線」の廃止よりも10年前のことだ。



旧高畠駅は高畠鉄道開通後、それまでの木造駅舎から、1934年(昭和9年)立派な駅舎が完成(写真上)。これは地元の特産品である凝灰岩「高畠石」を使用しているが、石で作られた駅舎は珍しいこと。石造りのプラットホームなどとともに、登録有形文化財として保存されている。
駅舎の色彩や大正ロマンを感じさせるデザインは高畠のシンボル的な存在である。また、駅構内はきれいに公園化されており、一角には当時活躍したED1電気機関車やモハ1などの車両も展示されていることから地域住民や鉄道ファンにも親しまれているという(写真上)。



廃線跡は、赤谷線と同じくサイクリングロード「まほろば緑道」として整備がされていて、現高畠駅から「日本のアンデルセン」といわれた童話作家・浜田広介の記念館、高畠市街・旧高畠駅、「まほろば古の里歴史公園」や道の駅「たかはた」、蛭沢湖など高畠町の観光スポットを結んでいる。
高畠市街と奥羽線・現高畠駅までは5キロほど。まほろば緑道は通勤・通学など生活路線として利用されているが、沿道は桜並木があって、さぞ桜の時期には見事なのではないかと思う。前述のとおり、かなり早い時期に廃線となってはいたが、跡地はしっかりと保存されている。竹ノ森駅はポケットパークに、和田川の橋梁は桁部こそ架け替えられているようだが、橋脚は以前のもののようだ(写真下)。
まほろば緑道整備にあたっても、沿線に浜田広介記念館や道の駅などを配したことは地域の熱意を感じるし、観光面でも効果的ではないだろうか。(「高畠ワイナリー」は、奥羽線の上り方面で奥羽線を跨ぐが、高畠駅からも1キロほどなのでレンタサイクルでも行ける。)



まほろば緑道は、廃線跡をそのままに奥羽線の現高畠駅(起点・旧糠ノ目駅)まで続く。旧糠ノ目駅は、1991年(平成3年)に「高畠駅」と改称される。山形新幹線の開業前年のことである。17年振りに「高畠駅」の復活だ。
国鉄分割民営化の以前に無人駅(簡易委託駅)になった糠ノ目駅であるが、高畠駅と改称したことにより東西の自由通路の開設、東側に「太陽館」の建設に伴い駅舎機能を東側に移転、新幹線が停車する駅としてJR直営駅としても復活を遂げた(2015年から業務委託駅)。
それ以後も店舗、温泉施設、ホテルなどができて、市街地方向の東口が名実ともに高畠町の玄関口となった。高畠線の起点・糠ノ目駅のあった場所だ。まほろば緑道は、「まほろばの里」にある町の東西・新旧の高畠駅を今もしっかりと結んでいるのである。(写真下:JR奥羽線高畠駅の東口付近、自由通路入口は高畠線の始発地点であり、奥羽線東側の現高畠駅舎・太陽館は市民や観光客の憩いの場所にもなっている。)




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奥羽線のスイッチバック駅跡をジグザグで踏破

2024年10月15日 | 鉄道


米沢訪問するからには、ぜひ行ってみたいと思い続けていた場所、それは奥羽線のスイッチバック式の駅跡だ。奥羽線の福島・米沢間には、かつて4つのスイッチバック駅が存在したが、山形新幹線開業に伴い全てが本線上に駅を移転、スイッチバックも廃止されたが、新幹線で通過する際は旧駅を車窓から眺めながら、いつか行こうと思っていた。
クルマで行くのは簡単だと思っていたが、なかなかの難所。萬世大路の栗子峠(明神越えを含む)とともに、この間を結ぶ峠道はなかなか人を寄せ付けない。古くからの難所で、米沢藩は峠越えに危険が伴うことや戦略上の理由で通行を禁止していたこともあったそうで、前回登場の土木の鬼で山形県令・三島通庸が山形発展のために明治期に入ってようやく開削を試みた場所なのだ。
どうせ鉄ちゃんを自称するなら、電車で行こうと思い立つ。しかし、そんな県境の場所を通る路線ということもあり、福島・米沢間を通しで運行する列車は一日6往復しかない。これはハイブリット方式で行くしかないなと、地図と時刻表を読み解き早朝、米沢駅に向かうことになる。(写真上:早朝の米沢駅舎とホーム)




奥羽本線は、東北本線福島駅を起点に、米沢から山形・新庄・大曲と出羽山地の内陸部を北上し、秋田、大舘、弘前、終点・青森までの484.5キロ結ぶ路線。青森、福島の両側から建設が進められたが、福島・米沢間が開通したのは1899年(明治32年)のこと。萬世大路より南の板谷峠を超えるルートである。
しかしこの板谷峠も難所。最大勾配38‰(パーミル)で碓氷峠で紹介したアプト式の採用も検討された路線。かつ豪雪地帯であったことから、米沢までの40キロ区間だけで20か所のトンネル(開通当初)と急カーブの連続、谷間を走ることから高所に鉄橋をかける必要もあった。実際、列車故障事故や積雪、豪雨などの自然災害などによる不通も多かった路線だ。
その急勾配路線に駅を設置するため、本線から平坦地に線路を引き込むのが通過可能型のスイッチバックである。それがこの区間14キロほどに4駅連続で設置されるというなかなか他では見られない路線・区間。スイッチバックでジグザグに刻まれた動脈の開通が米沢をさらに開化させた。(写真上:大沢駅とその周辺、写真下:峠駅のスイッチバック旧駅への引き込み線とスノーシェッド)



福島県側から赤岩駅(福島県福島市、2021年廃止)、板谷駅、峠駅、大沢駅(いずれも山形県米沢市)。今回は米沢市域にある3駅を訪問したが、これらの駅は山形新幹線建設に伴い標準軌に改軌を行った際に、本線上に新駅を建設することになり引き込みスイッチバックは旧駅とともに使用されなくなった。
碓氷峠と同様、勾配克服に補助機関車(4110系蒸気機関車など)を必要としていた時代からすると、山形新幹線開通に伴い導入された「つばさ(初代400系)」や719系5000番台交流型近郊電車の開発・導入により、安全性やスピードアップ化の波がこの板谷峠を通る奥羽線の路線や駅の姿、車両を大きく変えたのである。
いずれも旧駅舎などは取り壊されているが、本線から旧駅にかけての区間は現存の3駅はスノーシェッドに覆われていて、引き込み線の部分は新駅に通じる通路などとして利用されながら、鉄道遺構として保存されている。これらは近代産業遺産に認定されている。(写真下:板谷駅のホーム上からのスイッチバック線と旧駅のホーム跡)



今回、米沢駅の駐車場にいったん車を止めて、米沢7:16発→大沢7:27着、(大沢駅滞在22分)大沢7:49発→米沢8:00着、(米沢駅滞在8分)米沢8:08発→峠8:25着、(峠駅滞在12分)峠8:37発→米沢8:54着と、数少ない列車を自分自身もスイッチバックしながらこまめに乗り継いで二駅を訪問。
その後、クルマに乗り換えて、萬世大路の第三世代にあたる国道13号で西栗子トンネル経由で板谷駅へ。大沢駅、峠駅はクルマでももちろん行ける場所ではあるが、険しい山道を通る上、大沢駅と峠駅の間は道なき道(一応県道だが)を大きく迂回しなければならないことから、今回の移動手段となった。(赤岩駅跡へは、周辺の道路事情などから訪問を断念。)
最後の訪問地の板谷駅に立った時、警報機が鳴りだし列車の接近を知らせる。福島方面から下りの山形新幹線「E6系つばさ」が線路脇にある36‰を示す勾配標をものともせず「翼」を得た如く軽快に急坂を登り終え走り抜けていった。苦労してスケージュールを練って、そして時間を費やしながら鉄道遺構を見た後だったので、技術の進化を目の当たりにした感じがした。(写真下:今回使用した二往復分の切符と、板谷駅を通過する「つばさ」。左の速度制限標識の下に「36.0(‰)」の勾配標が見える。)

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碓氷第三橋梁(めがね橋)はもちろん、見どころ満載「アプトの道」

2024年09月05日 | 鉄道


群馬訪問最終章は「碓氷鉄道文化むら」の記事の続きになる。鉄道文化むらがある信越本線・横川駅から軽井沢間の碓氷峠越えの区間の約11キロ、アプト式時代に使用されていた旧線は1997年に廃線になったが、現在その一部は「アプトの道」として遊歩道(ハイキングコース)として整備されている。
その途中にあるのが写真の通称「めがね橋」と呼ばれる旧信越本線「碓氷第三橋梁」である。全長91メートル、高さ31メートル、イギリス人技師により設計されたというレンガ造り4連アーチ、使用したレンガの数は200万個とも言われている。1893年竣工。現存するレンガ造りの橋では国内最大規模で、国の重要文化財である。
碓氷峠の山の中にあるのだが、遊歩道でのアクセスのほか、私のような汗をかきたくない、時間がないという者のため?旧国道18号からすぐ橋梁下部に容易にアプローチが可能で、遊歩道に続く階段で橋の上まで登ることができる。(当然、遊歩道利用者は階段を降りて下から見上げることも可能。)旧18号沿いには駐車場やトイレも完備されている。紅葉の頃は人気スポットだという。



この第三橋梁、歴史的に見ても価値があることは間違いないのだが、実は先の富岡製糸場の世界遺産登録が検討されている時点では、構成遺産群の一つとして候補に挙げられていたものの、橋梁の建造目的は繭や生糸などの貨物輸送よりも、旅客輸送に重点が置かれていたことから削除された経緯がある。(せめて土木遺産であってもいいと思うのだが…)
ただ、遊歩道は横川駅(鉄道文化むら)から途中の6キロの旧熊ノ平までであるが、その間にある第三橋梁を含む5つの橋梁、10か所のトンネル(遊歩道区間すべてのトンネル)、加えて丸山変電所蓄電池室及び機械室、熊ノ平変電所本屋と18もの鉄道関連施設が国の重要文化財に指定されている。遊歩道を歩かなかった自分はかなり損をしていますね!
前回からの繰り返しにはなるが、鉄道文化むらだけでなく、アプトの道を歩くことによて貴重な鉄道遺産に触れることができるほか、周辺には碓氷関所、坂本宿、峠の湯、碓氷湖など見どころも多い。上信越道「碓氷橋」(全長1,262メートルの斜張橋)」、碓氷湖の「夢のせ橋(碓氷湖の人道橋)」、アプトの道には含まれないが「碓氷第十三橋梁(重要文化財)」などなど、周辺には群馬が誇る橋の数々、こちらもぜひ見てほしい。


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