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何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

今年の寒波・豪雪の特徴は?連日、店の除雪作業に出動中

2025年02月17日 | 仕事(教育活動・いちご・建設・選挙含む)


豪雪の冬には、「大雪」のことを話題にすることが多い。今回もそんな冬になったということなのか?各地で記録づくめの豪雪というニュースも飛び込んでいる。
確かに、昨年暮れに降った雪といい、正月明けに降った雪といい、今回は数日間寒波が続き降雪の日が続くといった印象だ。決してドカ雪まではいかないまでも、数センチから数十センチの降雪とともに、季節風で吹き溜まりができたり冷えて雪解けは凍結したりといった具合だ。
こうなると除雪作業の日が毎日のように続くということになる。「冬場の運動不足解消に!」と降り始めの頃は前向きに考えていた除雪も、連続で訪れる寒波と数日間続くことからさすがに体力消耗も激しい上、いつまで続くんだ!という精神的にも消耗も激しいのが今年の特徴でもある。



自分としては以前と違う除雪のシチュエーションがある。というのも、これまでは家の周りを除雪するだけで済んだが、この冬はイチゴの店の除雪も担当。何せ店先だけでなくお客様用の広い駐車場や国道との取り付け、テラス、スロープ、そして通用口などその守備範囲が格段に広がったのである。
郊外のにある店舗形態からクルマでの来店がほとんど、多少の雪でもきれいにしてお客様を迎える必要がある。しかし2月初旬の4日間続いた寒波は強烈で、毎日のように早朝から除雪作業が続いた。積雪はそうでもなくても、小型除雪機ではなかなか除雪にも時間と手間がかかる。仕方なく重機に頼ることもあった。
除雪専門のアルバイトを頼んだり、キッチンクルーの応援を求めたり、僅かな積雪とはいえ広い場所を開店時間までに除雪するためには早朝からの作業で時間を掛けるか、または人海戦術しかない。



なんとかここまで(2月中旬まで)たどり着いたという感じがするが、今週はまた長い期間日本列島に居座る寒波がやってくるとの予報がある。先週末ようやく寒さも緩み雪も消えかけたというのに、今日(2月18日)も降雪と強風、気温も急低下。今回は三連休まで1週間寒さが続くとのこと。どうなることやら。
春は近い。もう少しの辛抱。というより、今回この話題を書き込むため、このブログ内で触れた近年の豪雪を紹介した記事を振り返ってみた。あまり雪の話題は書き込みたくないのだが、確かに豪雪のたびに触れてきた記憶がある。
2021年2022年連続の豪雪時の記事が掲載されていた(写真下)。この時から比べると、まあまだマシかな?まだ店がオープンする前のことで、自宅付近の写真になるのだが、今回この時のような寒波・豪雪、さらに長引かないことだけを祈るばかりだ。


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盛岡市民のソウルフード「福田パン」に早朝突入!

2025年02月10日 | 食(グルメ・地酒・名物)


北上川を遡って、今回は盛岡で一泊。出かけるときの楽しみはその土地土地の美味しいものを口にすることであったが、減塩食を継続しなければならない身、わんこそばも冷麺もじゃじゃ麺も封印!
冷凍の減塩弁当とスーパーに立ち寄っても栄養成分表示で「食塩相当量」を確認しながらの「中食」。ビジホの寝床でネットで食べられそうな名物はないかと調べると「福田パン」が目に留まる。まあ、パンも食塩を使っているので要注意なのだが、一般的にコッペパンの塩分相当量を一食とすれば許容範囲。
頭の片隅にテレビ放送で見たことのある福田パン、盛岡ではソウルフードであると紹介されていたの記憶が。なんと、宿泊したホテルから10分ほどのところに「福田パン矢巾店」があるではないか!朝7時からのオープン。翌朝、早速訪問することにした。



福田パンの創業は1948年、戦後まもなくの頃だが、物資不足で食材が手に入りにくく、当初はソフトフランスパン。ほどなく、岩手大学の売店で扱われるようになり、学生がパンと牛乳でおなか一杯になるようにと工面をしていたという。
学校給食でのレシピは福田パンの製法とは違ったものの、子どもたちに食べてもらいたいという思いで製造ラインを拡大。ほどなく「コッペパン」を製造販売するようになり、高校への出張販売で大ブレイクした。
ふっかふかのコッペパンは、市内の高校のほぼすべてで昼休みに並ぶようになり、福田パンの出張販売には人だかりができたという。若い学生の胃袋をがっちりつかんで、1980年代には市内スーパーなどでも取り扱いが始まり、盛岡の市民食の地位を勝ち取ったのだ。本店のほか市内に3店、盛岡駅「iwate teto teto」でも買える。



ふっかふかのパンもさることながら、常時50種類以上あるトッピングが凄い!クリーム系(甘い系)は30種類上の中から二種類を組み合わせることができる。調理系も20数種類のトッピングを追加できる。ご当地メニューや季節限定のトッピングもあるので、その組み合わせは無限大と言っていいほどだ。
自分の場合は定番と言われている「あんバター」と「ジャムバター」をチョイスした。クルマを運転しながらあんバターを頂いたが、確かに一つ食べたらお腹にずしり、というより60を過ぎた時分には少し重い。
山王海ダム見学後、東北道の紫波サービスエリアに立ち寄ったが、売店には福田パンの箱が山積みに置かれ、コラボ商品なども販売されていた(写真下)。盛岡のソウルフード「福田パン」、新潟でいうと「イタリアン」みたいな感じだろうか?




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胆沢川にある日本最大級の「円筒分水工」に立ち寄る

2025年02月07日 | 土木構造物・土木遺産


「円筒分水工」という言葉をご存じだろうか?以前から長野や富山にその農業用の土木構造物があると聞いていたので気になっていた。土木遺産にもなっている富山の「東山円筒分水槽」は、ついこの間行った黒部に近かったんだけど、時間の都合上パスした。調べると新潟にもあった。まあいずれもまたの機会に!
今回紹介する胆沢(いさわ)川にある円筒分水もチェックはしていたが、胆沢ダムから田瀬ダムに向かう途中、急いでいたためうっかり通り過ぎてしまった。「日本最大級の円筒分水」との看板を目にして、そうだった!とUターンしてたどり着いた次第だ。
前回の志和(紫波町山王海地域)と同様、ここ胆沢川流域・胆沢扇状地においても水争いが絶えなかった。そこで登場するのが分水工。円筒分水工は、かんがい用の水をサイフォンの原理を利用して公平に分水するもので、多くは円形の美しい形をした施設である(残念ながら、私が訪れたとき農閑期・渇水期のため沸き上がる水は見れなかった。)



やはり、胆沢川でも江戸期のこと、伊達政宗家臣で後藤寿安(じゅあん(寿庵とも)=ラテン語でJohannes(ヨハネ)、キリシタンの館主)が開削した「寿安堰」と、当時女性が中心となって掘られた「茂井羅堰」があったが、この堰は取り入れ口も近く争いの基になっていた。
山王海と同様、昭和も戦後になってからのこと、胆沢ダムの前身である北上川5大ダム・石淵ダムが直轄事業で着工。さらに食糧増産の観点から広大な胆沢扇状地が注目され、並行して国営胆沢川農業水利事業のかんがい施設整備の一環として、1948年、この胆沢川の「円筒分水工」が施工されたのである。胆沢平野土地改良区が管理運営。
その後も土地改良事業が導入されている胆沢扇状地であるが、この分水工も改修などを重ねながら、現在も「茂井羅中堰(茂井羅水系・北側)」と「寿安堰水系(茂井羅南堰、松ノ木沢川含む・南側)」に公平に分水している。日本最大級で、水が湧き出る姿が美しいとインフラツーリズムでも注目の集まる施設である。今度は水の豊富な時にでも行ってみたい!(写真下:その後、各事業・制度を活用した土地改良事業の竣工を記した記念碑、徳水園内。)

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山王海ダムの「平安」の込められた意味とは

2025年02月04日 | 土木構造物・土木遺産


山王海(さんのうかい)ダムを紹介しておきたい。岩手県のほぼ中央、盛岡市の南に位置する紫波町(しわちょう)にある。そう以前紹介した「オガール紫波」のある町、その中心部から西の方向、奥羽山脈を源とする北上川支流の滝名川(写真上)の上流にある。
農業用のかんがい用水を供給するために建設されたダムで、山あいにひっそりとその大きなガタイを隠している。中央土質遮水型のロックフィルダムで、堤高61.5m、堤頂長241.6m、3840万㎥の総貯水量は農業用のかんがい用水専用ダムとしては全国第一位の規模である。
麓の升沢地区は「志和稲荷神社」で有名だが(写真上:志和稲荷神社の大鳥居)、そこからの管理道路となっている山道は狭く、カーブと急坂が続くが、クルマで10分ほど進むと植栽で「山王海」と文字が刻まれた大きな堤体が目に飛び込んでくる(見出し写真)。不気味な真っ暗なトンネルをくぐると天端脇の管理事務所前に着くが、ゲートが閉ざされていて単なるダムマニアを寄せ付けない。(写真下:管理用道路のトンネルと管理事務所のゲート前)



先の5大ダムでも触れたが、北上川のは支川は流域面積が狭いことから、農耕が盛んになった江戸期から各支川の沿川集落では水をめぐる争いが絶えなかったという。「志和の水喧嘩」と言われるこの地の水論は三百年も続き大小の争いは記録に残るものだけで42回。中には死者を出すということもあった。
土地改良事業が始まった近代においては、北上川の鉱毒汚染事案などもあり本川の水をかんがい用に引き込むことは問題があったため、大正期のため池構想から20余年を過ぎた1952年に農地開発営団事業により山王海ダムが完成した。これが第一期のもので、その後国営山王海農業水利事業により嵩上げ工事を行い、現在の山王海ダムとなった。
旧ダムは、完成当時、日本のアースダムでは初めて土質工学を取り入れたダムで、「東洋一」の土堰堤ダムであった(堤高37m、堤頂長150m、総貯水量959万㎥)が、そのダムの堤体を取り込んで世界でも例のない嵩上げ工法により新山王海ダムが2001年に完成した。



1978年から始まった国営山王海土地改良事業では、新山王海ダムの工事とともに、南側の葛丸川に葛丸ダムを建設。山王海ダムのダム湖(写真上:ダム湖は「平安の湖」)を貯水池とするため葛丸川上流に頭首工を設け導水路を建設し、さらに取水トンネルで必要な時に葛丸ダムに水を戻すという国内では珍しい「親子ダム」とする工事も行われて、より安定的な水管理を行っている。(写真上:事務所前に設置された親子ダムを説明する看板)
堤体の「平安 山王海 2001」の文字は、水争いが永遠になくなることを意味しており、旧ダムにも同じく「平安 山王海 1952」と植栽されてた願いが継承されている。ダム事業者は農林水産省(東北農政局)で、管理・運営を山王海土地改良区が担当している。(写真下:管理事務所前の水争いのなくなる願いが込められた歌碑と、ダム堤体には「平安」も同様の意味がある。)
5大ダムの中でも北上川の本川に建設されている四十四田ダム以外では、洪水調整のほか貯水をかんがい用水や上水道などに供給しているものが多いというのも、北上川支川のダム群の特徴でもある。




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