泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

斉明・天武・持統天皇などが訪れた 「吉野離宮」跡

2015年08月04日 15時17分56秒 | 歴史

奈良県吉野郡吉野町宮滝には、「宮滝遺跡」(国史跡)があります。吉野川流域最大の遺跡で、縄文時代後期の土器や、飛鳥時代から平安時代にかけての建物跡も発見されており、「吉野離宮」の所在地として推定されています。

今回は、飛鳥時代を創った斉明・天武・持統天皇などが訪れた、「吉野離宮」跡を紹介したいと思います。

「日本書紀」によれば吉野には、応神・雄略・斉明・持統・文武・元正・聖武天皇らが行幸した離宮が置かれていたとされています。これらの宮(離宮)は、奈良県吉野郡吉野町宮滝付近であったと言われています。

飛鳥時代には、「斉明天皇」が656年に、「吉野宮」を造営しました。場所は、「吉野歴史資料館」への進入路が交差する辺りで、「吉野宮」の中心的な施設である苑池と建物などの遺構が出土しています。「吉野歴史資料館」において、「吉野離宮」の復元模型や土器などが見れます。

この離宮は、聖なる山である「青根ケ峰」を真南に見るように意識して、建造されていたと考えられていたようです。

壬申の乱(672年)以前に、大津京から逃れた大海人皇子(後の天武天皇)が過ごし、乱が勃発した時に挙兵したのもこの「離宮」だと言われています。「天武天皇」亡き後、「持統天皇」は、なんと31回も「吉野宮」へ行幸しています。

「持統天皇」をはじめとして、この時期に「吉野宮」への行幸が集中する理由については明らかになっていませんが、「青根ケ峰」への信仰や、壬申の乱に勝利し天皇となった天武天皇の系譜に属する人々が、この「離宮」を特別視したためと考える説などがあるようです。

「万葉集」などの詩歌には、この離宮周辺の景観がたくさん登場します。古代の人々は、宮滝周辺の山々や、淵と瀬が続く吉野川の景観は、「神仙の住む場所」として意識されていたのでしょうか。実際にこの場所に立ってみると、とても不思議な感覚に陥ってしまいました!

                                   

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