イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

ゴルゴ38  Part II

2008年09月09日 21時58分28秒 | 連載企画
と、そんなことをふと思ってしまうのはほかでもない、翻訳という作業をしているとき、それを行なっている自分が常に「独り」(一人ではなく独り)であることを意識させられてしまうからだ。

もちろん、作業全体を俯瞰すれば、翻訳は独りでなされる行為ではない。そもそも、オリジナルの書物が生まれるまでにだって、すでにものすごくたくさんの人が関わっている。エージェント、出版社の営業担当者、編集者、校正担当者、そして、著者。謝辞には、そのほかにもたくさんの人の名前と、その人たちへの感謝の言葉が並べられている。さらに、著者は誰かに特別な思いを込めて、たとえば「いつも私を○×してくれた○×へ」などと一言、初めの真っ白なページに一言書いていたりする。一冊の書物は、たった一人の著者によって書かれたものとされることが多いとはいえ、実際はこのように数多の人々の存在なくしては成立しないものなのだ(そうでない場合もあるかもしれないけど)。それから、一番大事な存在である、読者。下手をすれば数百万人やそれ以上の人たちに読まれることを考えれば、書物と、その周辺の事象に、孤独を見ることは正しくないのかもしれない。

そしてその点から考えれば、翻訳もまったく同じだ。エージェントがいて、出版社の多数の人々がいて、翻訳会社や企業の発注者がいて、監訳者がいて、チェッカーがいて、DTPオペレーターがいて、翻訳者がいる。そのほかにもたくさんの人たちが関わっている。翻訳者は、あくまでもそのなかの一人にすぎない。チームのメンバーのなかの一員でしかない。たくさんの人に支えれることによって、翻訳者は翻訳ができる。だから、翻訳者は独りだ、なんてことをいうのは、間違っているのかもしれない。いや、実際、間違っている。

だが、ここで私が問題にしたいのは、そうした大勢の人々がかかわりを持つ、全体的なプロジェクトの流れのなかにおける翻訳者の役割についてではない。あくまでも、局所的な視点で見た場合の、翻訳という作業それ自体の孤独性についてなのである。エクリチュールとしての言葉は、あくまでも独りの人間によって世界に生み出され、そしてそこに翻訳が介在する場合、翻訳者も独りであることがまず前提とされる。そして、孤独なのは翻訳者だけではない。翻訳に関わるほとんどすべての人たちが、孤独かもしれないのだ。監訳者しかり、編集者しかり。そして、やっぱり読者しかり。なぜなら、書き、訳し、読むという行為は、基本的に独りで行なうものだからだ。

ここでいう孤独とは、独りでいて寂しい、といった類のものではない(しかし実際は、とても寂しい)。翻訳という作業がある意味において個によってしか成り立たない、個人に依存している、という意味での孤独なのだ。端的に言えば、同じ訳文を同時に二人で翻訳することはできない。そういうことだ。スポーツで言えば、個人競技。つまり、翻訳はサッカーではなく、ハンマー投げなのだ。高校の放課後のグラウンドで、サッカー部の選手がワイワイいいながらシュート練習をしたり、華麗なパス交換をしたり、ラフプレーをして胸倉をつかみ合ったり、その直後に同じ相手に激しくタックルして地面に転がせたり、倒れた相手が立ち上がろうとするのに手を差し伸べてちょっと仲直りしたり、それを見ていたマネージャーが胸をときめかせたり、そういう華やかな青春を繰り広げている横で、翻訳者は独り、グルグルと回りながら黙々とハンマーを投げたり、マイハンマーをタオルで拭き拭きしていたり、銀色のメガネをキラリと光らせながら、今日の練習日記を書いていたりするのである。

つまり翻訳者の日々の仕事は、ハンマー投げの選手が黙々と練習するそれにかなりり近い。コーチはいる。チームメイトもいる(でもハンマー投げはマイナーなので、陸上部全体でも2、3人くらいしかいない。下手したら1人しかいない)。恋人も実はいる。だけどやっぱり練習には孤独がつきまとう。山本から来たパスを笹谷がシュートする振りしてスルーし、峰山が豪快に左足を一閃、ネットを揺らす、なんてことはない。あくまで、坪内(ハンマー投げ選手、2年生、理系)の目の前にあるのは、今日も明日も明後日も、鉛色したハンマーだけなのである。あくまでも自分だけを見つめて、自分の力で繰り返しハンマーを投げなくてはならないのだ。

私は中学で陸上部、小学校と高校でサッカー部だったので、どっちのよさも知っているつもりだ。どちらが明るくてどちらが暗いとかは思わない。ハンマー投げにはハンマー投げの楽しさがあると思う(私の種目は長距離だったが)。でもやっぱり、この2つはそもそも根本的に違う。そもそもサッカーは独りじゃ試合ができないから、とにかく他者との共同作業を意識させられる。それはそれなりに気を使ったり、ぶつかったり、ライバルとの競争が激しかったりと、いろいろ大変な面もあるのだけど。でも、孤独に翻訳をやっているとどうしてもあのサッカー部の連帯感が、恋しくなることがたまにあるのだ(続く)

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   /ー-ニ.._` r-' |……    「で、それとゴルゴに何の関係が...」

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Natsume)
2008-09-09 22:51:44
翻訳は孤独だから嬉しくて楽しいです。
\(^0^)/
Unknown (iwashi)
2008-09-10 07:10:14
ぼくも孤独を愛してますよ~
名前も孤島ですし(^^)

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