これまでの作業が訳文を作り上げるための「熱い」作業だったとするならば、これからの作業はその熱を冷やし、テキストを熟成させ、固くするための「冷たい」作業だと言える。ベータ版のテキストは、さまざまな人々の眼に触れられながら、この最終工程を通過することになる。
そのメンバーには誰が相応しいか、考えてみよう。
モニター:読者の視点でテキストを読む。映画で言えば、完成前のラッシュを試写して、さまざまな意見を聞く工程だ。書籍を購入してくれそうな読者多数を募り、忌憚のない意見を求める(「ちっとも面白くない」なんて言わないで欲しいものだが.......)。
テスター:この人たちの視点は「強引にバグを検出する」というものだ。つまり、あえて、アラ探しをするために、重箱の隅をつつく。眉に唾をつけて、表現におかしなものはないか、辻褄があっていないところはないか、気に食わないところはないか、意地悪な視点で調べていく。テスターの役割はとにかくエラーを見つけ出すこと。エラーが見つからなければ彼らの存在意義はなくなるのだから、ともかく力技でもこじつけなんでもいいからエラーをできるだけ多く報告していく。もちろん、結果がすべて本当のエラーである必要はない。「エラーではない」と却下されるにしても、なにしろアラを探すのだ。このような穿った視点によって、作り手が気づかないミスやエラーを見つけることが可能になる。
校正者:プロの校正者の視点で、誤字脱字や不適切な表現、言い回しがないかを確認する。出版物としてテキストを世に送り出すために欠かせない作業だ。
内部レビューアー:「熱い」工程を担当した作り手のメンバーが、しばしのクールダウン期間を経てほとぼりが冷めた後に、テキストを読み返す。「あのときはああいう風に訳したけど、今読んでみるとやっぱりこうすべきだな」みたいな視点だ。
内部レビューアー以外のメンバーは、作り手集団とは一線を画す、別集団であるのが望ましい。何のしがらみもない人たちによって、シビアに客観的にテキストを吟味する必要があるからだ。
テキストはアクセスが制限されたウェブ上にウィキ形式でアップされ、フィードバックが反映されていく。テストと反映のサイクルは、何度も行われる。つまり、いったんフィードバックを反映したテキストに対して、再度同じテスト工程が繰り返される。何度かこのサイクルを繰り返し、フィードバックが枯渇しかけた段階で(エラーが完全になくなることはありえないだろう)、テキストはついに完成した(ちなみにこのプロジェクトの正式メンバーとして関わった人数は、ずばり38人だったということにしておこう)。
その間、プロデューサー軍団は、装丁や販売戦略など、売るための作業を進めていく(ちなみに、あまりにも予算をかけすぎたため、すでに初代プロデューサーは更迭されていた)。といいつつ、この当たりの営業的な側面についてはあまり詳しくないので、割愛させていただく。
そして、1年がかりの巨大プロジェクトは、ついにフィナーレを迎えた。マーケティング的には、時間をかけすぎて販売機会を逃したのではないかという意見もあるが、今回のプロジェクトに限ってはいたしかたのないトレードオフだったと言っておこう。
訳文は練りに練った。魂を注ぎ込んだ。やるだけのことはやった。メンバーたちは、緊張の面持ちで、発売当日を迎えた。果たして、読者はこの作品をどう受けとめてくれるのだろうか.......(次回、いよいよ感動の最終回)
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゛ゞ.,,,.ヘij zf´、__
/ー-ニ.._` r-' |…… 「だんだん疲れてきました。これ以上妄想するのは、『もうよそう』なんて.....」
そのメンバーには誰が相応しいか、考えてみよう。
モニター:読者の視点でテキストを読む。映画で言えば、完成前のラッシュを試写して、さまざまな意見を聞く工程だ。書籍を購入してくれそうな読者多数を募り、忌憚のない意見を求める(「ちっとも面白くない」なんて言わないで欲しいものだが.......)。
テスター:この人たちの視点は「強引にバグを検出する」というものだ。つまり、あえて、アラ探しをするために、重箱の隅をつつく。眉に唾をつけて、表現におかしなものはないか、辻褄があっていないところはないか、気に食わないところはないか、意地悪な視点で調べていく。テスターの役割はとにかくエラーを見つけ出すこと。エラーが見つからなければ彼らの存在意義はなくなるのだから、ともかく力技でもこじつけなんでもいいからエラーをできるだけ多く報告していく。もちろん、結果がすべて本当のエラーである必要はない。「エラーではない」と却下されるにしても、なにしろアラを探すのだ。このような穿った視点によって、作り手が気づかないミスやエラーを見つけることが可能になる。
校正者:プロの校正者の視点で、誤字脱字や不適切な表現、言い回しがないかを確認する。出版物としてテキストを世に送り出すために欠かせない作業だ。
内部レビューアー:「熱い」工程を担当した作り手のメンバーが、しばしのクールダウン期間を経てほとぼりが冷めた後に、テキストを読み返す。「あのときはああいう風に訳したけど、今読んでみるとやっぱりこうすべきだな」みたいな視点だ。
内部レビューアー以外のメンバーは、作り手集団とは一線を画す、別集団であるのが望ましい。何のしがらみもない人たちによって、シビアに客観的にテキストを吟味する必要があるからだ。
テキストはアクセスが制限されたウェブ上にウィキ形式でアップされ、フィードバックが反映されていく。テストと反映のサイクルは、何度も行われる。つまり、いったんフィードバックを反映したテキストに対して、再度同じテスト工程が繰り返される。何度かこのサイクルを繰り返し、フィードバックが枯渇しかけた段階で(エラーが完全になくなることはありえないだろう)、テキストはついに完成した(ちなみにこのプロジェクトの正式メンバーとして関わった人数は、ずばり38人だったということにしておこう)。
その間、プロデューサー軍団は、装丁や販売戦略など、売るための作業を進めていく(ちなみに、あまりにも予算をかけすぎたため、すでに初代プロデューサーは更迭されていた)。といいつつ、この当たりの営業的な側面についてはあまり詳しくないので、割愛させていただく。
そして、1年がかりの巨大プロジェクトは、ついにフィナーレを迎えた。マーケティング的には、時間をかけすぎて販売機会を逃したのではないかという意見もあるが、今回のプロジェクトに限ってはいたしかたのないトレードオフだったと言っておこう。
訳文は練りに練った。魂を注ぎ込んだ。やるだけのことはやった。メンバーたちは、緊張の面持ちで、発売当日を迎えた。果たして、読者はこの作品をどう受けとめてくれるのだろうか.......(次回、いよいよ感動の最終回)
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