イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

フリーランス翻訳者殺人事件 6

2009年02月10日 00時33分52秒 | 連載企画
サルの家に サルが住む サルの父と サルの母 サルのこども愛してる サルの家は森に囲まれ

iPodからは、坂本龍一の『サルとユキとゴミのこども』が聴こえてくる。わたしはジョギングをしていた。自宅すぐ近くの多摩湖遊歩道を1.5キロほど走って小金井公園に行き、1周5キロの園内コースを1、2周する、いつものコースだ。家を出る前はあまり意識していなかったが、見上げれば空はどんよりと曇っていて、今にも雨が降り出しそうだった。だがかまわない。ずっと家にこもりきり、引きこもりのわたしにとって、ランニングは一日のなかで唯一、体を動かす手段であり、外の空気を吸う機会なのだ。たまに人に会ったり、図書館にいったり、翻訳学校に行ったり、買い物にいったりすることもある。だが、それらはあくまで数日に一回の割合で発生するイレギュラーな出来事であり、わたしのルーティーンには組み込まれていない。

フリーになることが、これほどまでに孤独なものになるとは予想していなかった。たしかにある程度は予想していた。むしろ、会社を辞める前の数カ月、わたしはたっぷりと自分だけの時間を楽しめる日々が来ることを、なによりも心待ちにしていた。朝から晩まで翻訳にどっぷりとつかり、充実した日々を過ごすことを期待していた。もちろん、その願いはかなった。わたしは文字通りフリーとなり、翻訳することによって報酬を得、生きていく立場になった。翻訳することは仕事人としてのわたしのすべてであり、わたしがやらなくてはならないことのすべてだ。そしてそれは、わたしがもっともやりたいと願っていたことだった。もう昔のように「今の生活は世を忍ぶ仮の姿であり、本当に望んでいる生活ではない」などという嘆きを、心の片隅に抱えたまま生きていかなくてもいい。わたしは、わたしの望む仕事を、臨んだ形態で行っている。もうどこにも行く場所はない。今、ここがわたしのあるべき場所なのであり、目の前にある仕事が、わたしがやるべき仕事なのだ。だが、それはナイーブなわたしが想像していたような、ただ単に楽しいと呼べるような単純なものではなかった。

フリーになるのとほぼときを同じくして、わたしは妻と別居をはじめ、そして離婚した。そしてその後のわたしを待っていたのは、とてつもないほどの孤独と不安だった。わたしはようやく自分の居場所にたどりついたと同時に、一番大切なものを失ってしまったのだ。わたしのこころは傷つき、そしてバラバラになった。夜になると、恐ろしいまでの虚無がわたしの心臓を直撃した。毎朝、わたしは重苦しい夢にうなされるようにして目が覚める。当分、それは終わりそうにない。だが、わたしにできることは、ともかく毎日を生きることだ。時間が何かを解決してくれることを期待して。そして走ることは、そんなわたしの沈んだこころを浮き上がらせ、前向きにさせてくれる。不思議なくらいに、走っているときは明日のことを考えられる。新しい人生を生きている、新しい自分の姿が浮かんでくる。だからこそ、わたしは毎日のランニングを自らに課しているのだった。

わたしは公園に到着すると、3匹の猫の住み家となっている茂みに視線をやり、猫がいないことを確認して、いつもの腕立て伏せスポットに向かった。ストレッチを兼ねて、腕立て伏せを20回。毎日のことなので、この行為はなかば儀式化している。腕立て伏せも同じだ。わたしを前向きな気分にさせてくれる。わたしに筋肉があることを思い出させてくれる。全身の筋肉を感じながら、ゆっくりと、体のすみずみを伸ばすようにして、自分を持ち上げる。気持がいい。わたしは腕立て伏せが本当に好きなのだ。

わたしは再び走り出した。キロ5キロのコースを、今日は時計回りに進む。わたしは走りながら昨夜の不思議な出来事のことを思い出した。まったく奇妙な話だ。ジョン・リスゴーの正体は、NHKの調査員ではなかった。否、彼がNHKの人間であることは間違いない。だが彼が所属するNHKは、「日本放送協会」ではなく「日本翻訳協会」だった。彼はいったい何を求めてわたしの家を訪れたのか。ほぼ間違いないのは、彼はわたしの職業を知っていたということだ。日本翻訳協会の人間が、偶然フリーランス翻訳者の家を訪れるなんてことはありえない。フリーランス翻訳者のような希少な職業の人間の家を、日本翻訳協会のようなニッチな団体の人間が偶然、訪問するなんてことはありえない。彼は、何らかの目的を持ってわたしの家を訪問したのだ。だが、彼は本質とは外れた質問をした。彼が知りたかったのは、わたしがテレビを見ているかどうかなどではなかったはずだ。

ひょっとしたら、彼はわたしの命を狙っていたのかもしれない。あのとき彼は、懐にナイフを忍ばせていたのかもしれない。そして隙あれば、わたしの腹部に鋭い刃を突き刺そうと狙っていたのかもしれない。しかし、――なぜ?

わたしはなかば真剣に、彼によって命を絶たれることを想像していた。なぜなら、彼が相当に怪しい男だからだ。相当にイカれた男に違いないからだ。わたしには、彼が日本翻訳協会の人間ではないことがわかった。日本翻訳協会は「NHK」ではなく、「JAT」と呼ばれている。わたしのようなはしくれ翻訳者でも、この業界にこれだけ長くかかわっていれば、それくらいのことは知っている。JAT主催のイベントにだって、何回か出席したこともある。そもそも、JATはまっとうな団体だ。彼のような男を使って翻訳者の家を突然訪問させるような変態組織ではない。つまり、彼は正体を偽って、わたしの家を訪問した。そして彼はわたしの職業を知っている。

そこまで彼のことを不審に思っていながら、昨夜のわたしは自分でも意外な行動をとってしまった。わたしは彼からもらった封筒を開け、アンケートに目を通した。そんなものに応える義務はないと知りつつ、わたしはなぜかそのアンケートに答えてしまった。そして思わず、なぜかそこに記載されていた翻訳トライアルにも挑戦してしまったのだった(続く)。

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