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昨日の画像と似ていますが、これは書斎です。仕事関係、翻訳関係などの本を入れています。『翻訳の世界』も『通翻ジャーナル』も年代順に並び替えました。
昼過ぎに姉から電話があり、小金井公園にいるので遊びに来ないかと誘われました。もちろん、姉のふたりの子ども、ありさちゃんとげんき君も一緒です。サッカーをしたいそうです。さっそく自転車にのって我がホームグラウンド、小金はないけど勝手知ったる小金井公園に向かいました。
小学校低学年のげんき君はしばらく前から週一回でサッカーを習い始めています。とても筋のいいプレーをします。左利きであり、かつ右足も苦にせず使えるところが将来を期待させます。しかし、近辺にはなかなかひとりで練習をする場所がないのが悩みなのだそうです。ドリブルはとても上手だけど、リフティングがまだほとんどできません(二回が最高)。高校時代はその華麗なプレーで「セルジオ越前」との異名を持っていたほどのわたしです(嘘です)。久しぶりにボールをみて血が騒ぎました。到着するや否やさっそく練習開始です。パス、ドリブル、リフティング、一対一。ありさちゃんを交えての「とりかご」などなど、練習メニューはオシムジャパンばりの非常に密度の濃い、充実した内容のものになりました。
普段は走ってばっかりいるので、ボールを蹴ったり追いかけたりするときのような瞬間的な動きやバランス感覚がとても新鮮で体に心地よく、結構真面目にまたどこかでサッカーを始めたくなりました。サッカーはひらめきがとても大切なスポーツです。瞬間的にアイデアをひらめかせて、それを自らの体で表現するあたりが、なんとなく翻訳にも通じるところがあるような気がします。発想を豊かにし、絶えず変わり続ける局面に応じてその都度最適なプレーを創造し、選択していくのです。もちろん、僕のような並以下の選手は、その創造と選択が失敗に終わることの方が多いわけですが、それも(自分の)翻訳と似ているような気がしないでもありません。
公園の休憩所でベンチに腰かけ、姉が持ってきてくれたお茶とお菓子を四人で食べました。その後、最後に少しだけボールを蹴って、自転車で遊歩道を通って一緒に帰りました。もうだいぶ慣れたとはいえ、いつもの寂しく孤独な休日が、ハッピーなものに変わりました。ありがとう!
げんき君にはリフティングをすすめました。地面にボールを落とさないように、ひとり黙々と蹴り続けることで、必ずリフティングは上達する。今は二回しかできなくても、三回できたら百回できるようになる。そしたら、サッカーが格段に上手くなる。上手くなれば、サッカーが楽しくなる。楽しくなるから、また練習したくなる。だから、もっともっとひとりでボールを蹴ってほしいと思ったのでした。友達には上手い子がいて、肩身の狭い思いをすることもあるそうです。負けるな!げんき!
いやしかし、サッカーは面白い。定期的に公園にボールを持っていってリフティングの練習をしたい欲求が高まりました。サッカーをやっていたときも、全体練習以外にひとりで自由にボールを蹴っているときがとても好きでした。ただ、ランニングの場合は平日の昼間にいい年した大人が走っていても周囲の目は気になりませんが、リフティングの場合はちょっと恥ずかしさがあります。しかし、小金井公園なら広いし人目もあまり気にならないはずです。ゆくゆくは、翻訳者でフットサルのチーム作ってみたいな~などと夢は膨らむのでした。
本題とはまったく関係ありませんが、今日の選択的重力の法則(ジェニングの発展形)です。
The chance of bread failing with the buttered side down is directly proportional to the cost of the carpet.
トーストのバターを塗った面が下を向いて落ちる確率は、カーペットの値段に比例する。
*****************************
カラーボックス12個を組み立て終えました。腱鞘炎になりそうです。寝室に配置し、日本語の本を格納しました。著者名で五十音順に並べたのですが、この並べ方はかなり効果的だということがわかりました。読みたい本がたくさん居並ぶなか、未読の本には申し訳ないような気持ちを感じつつ、村上春樹の『走るとことについて語るときに僕の語ること』を再読。「真の読書とは繰り返し読むこと」みたいな言葉がどこかにあったけど、確かにそうです。二回目を読みたくなる本こそ本当に面白い本だと思うし、読んだものが自分の血肉になるのでしょう。
懸命に小さな体が蹴り飛ばすボールに感じ強き明日の君
昼過ぎに姉から電話があり、小金井公園にいるので遊びに来ないかと誘われました。もちろん、姉のふたりの子ども、ありさちゃんとげんき君も一緒です。サッカーをしたいそうです。さっそく自転車にのって我がホームグラウンド、小金はないけど勝手知ったる小金井公園に向かいました。
小学校低学年のげんき君はしばらく前から週一回でサッカーを習い始めています。とても筋のいいプレーをします。左利きであり、かつ右足も苦にせず使えるところが将来を期待させます。しかし、近辺にはなかなかひとりで練習をする場所がないのが悩みなのだそうです。ドリブルはとても上手だけど、リフティングがまだほとんどできません(二回が最高)。高校時代はその華麗なプレーで「セルジオ越前」との異名を持っていたほどのわたしです(嘘です)。久しぶりにボールをみて血が騒ぎました。到着するや否やさっそく練習開始です。パス、ドリブル、リフティング、一対一。ありさちゃんを交えての「とりかご」などなど、練習メニューはオシムジャパンばりの非常に密度の濃い、充実した内容のものになりました。
普段は走ってばっかりいるので、ボールを蹴ったり追いかけたりするときのような瞬間的な動きやバランス感覚がとても新鮮で体に心地よく、結構真面目にまたどこかでサッカーを始めたくなりました。サッカーはひらめきがとても大切なスポーツです。瞬間的にアイデアをひらめかせて、それを自らの体で表現するあたりが、なんとなく翻訳にも通じるところがあるような気がします。発想を豊かにし、絶えず変わり続ける局面に応じてその都度最適なプレーを創造し、選択していくのです。もちろん、僕のような並以下の選手は、その創造と選択が失敗に終わることの方が多いわけですが、それも(自分の)翻訳と似ているような気がしないでもありません。
公園の休憩所でベンチに腰かけ、姉が持ってきてくれたお茶とお菓子を四人で食べました。その後、最後に少しだけボールを蹴って、自転車で遊歩道を通って一緒に帰りました。もうだいぶ慣れたとはいえ、いつもの寂しく孤独な休日が、ハッピーなものに変わりました。ありがとう!
げんき君にはリフティングをすすめました。地面にボールを落とさないように、ひとり黙々と蹴り続けることで、必ずリフティングは上達する。今は二回しかできなくても、三回できたら百回できるようになる。そしたら、サッカーが格段に上手くなる。上手くなれば、サッカーが楽しくなる。楽しくなるから、また練習したくなる。だから、もっともっとひとりでボールを蹴ってほしいと思ったのでした。友達には上手い子がいて、肩身の狭い思いをすることもあるそうです。負けるな!げんき!
いやしかし、サッカーは面白い。定期的に公園にボールを持っていってリフティングの練習をしたい欲求が高まりました。サッカーをやっていたときも、全体練習以外にひとりで自由にボールを蹴っているときがとても好きでした。ただ、ランニングの場合は平日の昼間にいい年した大人が走っていても周囲の目は気になりませんが、リフティングの場合はちょっと恥ずかしさがあります。しかし、小金井公園なら広いし人目もあまり気にならないはずです。ゆくゆくは、翻訳者でフットサルのチーム作ってみたいな~などと夢は膨らむのでした。
本題とはまったく関係ありませんが、今日の選択的重力の法則(ジェニングの発展形)です。
The chance of bread failing with the buttered side down is directly proportional to the cost of the carpet.
トーストのバターを塗った面が下を向いて落ちる確率は、カーペットの値段に比例する。
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カラーボックス12個を組み立て終えました。腱鞘炎になりそうです。寝室に配置し、日本語の本を格納しました。著者名で五十音順に並べたのですが、この並べ方はかなり効果的だということがわかりました。読みたい本がたくさん居並ぶなか、未読の本には申し訳ないような気持ちを感じつつ、村上春樹の『走るとことについて語るときに僕の語ること』を再読。「真の読書とは繰り返し読むこと」みたいな言葉がどこかにあったけど、確かにそうです。二回目を読みたくなる本こそ本当に面白い本だと思うし、読んだものが自分の血肉になるのでしょう。
懸命に小さな体が蹴り飛ばすボールに感じ強き明日の君
natte iru hito mo imasu. okashi kattari, jiin to
kitari, setsuna kattari... itsum arigato.