エイコちゃんの家に戻るにはまだ早い。とりあえず元来た道を熱田方面に進み、海沿いの道に車を停めた。長浜小にも程近いこの道は、僕の通学路コースの1つでもあった。こういうとき海が近くにあるといい。湾を眺め潮風に吹かれているだけで、気持ちが満たされる。由美ちゃんは家にちょっと用事があるからとそのまま車を出発させた。たぶん30分も経たないうちに戻って来られる。町が小さいと、こういう風にすぐに家に帰れるのがいい。3人で海岸線をそぞろ歩いた。静かな波の音を聞いていると、たちまち意識の淀みや心のざわめきが消えていき、何かに執着することなくゆっくりとした時の流れに身を委ねることができるような気がした。海を見ていると、人間を含め生物はみんな海から生まれたものなんだよなぁと感じてしまう。
ずいぶん前に閉店したと思われる「サンキュー」という店名の喫茶店の店舗がそのまま残っていた。当時は子供だからお店のなかに入ったことはなかったけど、店の前は何百回となく通った。知っているお店が30年近く経っても残っているのを見ると嬉しい。眼前の海は堤防で囲まれた貯木場として利用されており、当時はいつも大きな材木がいくつも浮かんでいた。コンクリートで固められた海岸から真下の海面を覗くと、ボラがスイスイと泳いでいた。昔と同じだ。サヨリやカワハギ、触ると指が腫れてしまうアイタロウなんかをよく釣ったものだ。コンクリートの波打ち際を大量のフナムシがうろついている。まるで海のゴキブリ。ちょっと気持ち悪くて、昔からあんまり好きになれなかった。薄い緑色の透明な海水の2メートルほど下に海底が見える。ウニがいた。マキちゃんが真剣に捕まえて食べたいと言った。ここにかぺ君がいたら、まよわずザボンと飛び込んで採ってくれるだろうに…。
そうや、紀ちゃんの家に行かん? とエイコちゃんが言った。紀ちゃんの家はすぐ近くにある。町が小さいと、思いついたらすぐに友達の家に遊びに行けるからいい。エイコちゃんはさっそく紀ちゃんの家の方に向かって歩きながら、彼女に電話をかけている。ものすごい行動力だ。うちら近くにおるんよ、今から行くけえね。この気軽さがすごい。ヲイヲイ「隣の晩ご飯」じゃないんだからそんないきなりな展開はありなのか、思いながらも、小学校のときは一度もお邪魔することのなかった紀ちゃんの家に向かって僕もヨネスケな気分で歩き始めた。
すぐに紀ちゃんの家に着いた。地元の郵便局を営んでいた彼女のお父さんは地元の名士的な存在だった。家もすごく立派な豪邸だ。玄関は反対側の通りに面しているから、海側から来た僕たちは庭の方から入れてもらった。綺麗に手入れされた庭園に足を踏み入れると、すでに僕たちが来ることを知っていたお母さんが待ちかねたように縁側に立っていて、エイコちゃんいらっしゃい、あらマキちゃん懐かしいわね、まあ児島君、久しぶりね~、よく面影が残ってるわ、と言った。お母さんも久しぶりに会う僕たちを見て嬉しく感じてくれたのだろう、縁側に立ったまま、児島君、あなたのお母さんのこともよく覚えてるわよ、PTAでも一緒だったしバザーの出店品を作ったりしてたのよ、と懐かしそうにひとしきりしゃべり続けた。まさか僕のことを覚えてくれているなんて思ってもいなかったし、しかも流れるように鮮やかに昔の逸話が出てくるものだから、ちょっとびっくりしてしまい、その場に立ち尽くしてそのまま話を聞いた。
家に上がらせてもらって、お茶とお菓子をいただきながら、紀ちゃんのお母さんの話を聞いた。由美ちゃんも戻ってきた。娘の同級生のことをこんなにしっかりと覚えてくれているなんて、すごい。人間の記憶って、いつまで経っても完全には色あせたりしないものなのだ。覚えてくれていて嬉しい。僕の母のこともはっきりと覚えていてくださった。バザーに出す洋服を作るために、この家でウチの母を含め数人で刺繍などの作業をしていたこともあったのだそうだ。紀ちゃんのお姉さんと僕の姉も同じ学年で、紀ちゃん一家とは何かとご縁があったということも知った。
不思議だ。僕の知らないところで、こうして人の記憶のなかに自分が存在しているのだ。せっかくお互いがお互いことを思い出していながらなかなか実際に会ったり連絡を取り合ったりすることができないのが辛いところだけど、きっとそういう「想い」は有形無形のエネルギーになって、想われる人に何かを与えているのだと思う。エイコちゃんたちが僕のことを覚えてくれていたのを知ったときにも感じたのだけど、こういう風に人の記憶のなかで生き続けているということは、直接相手に伝わることはなくても、大きな力になってその人を守っているのではないだろうか。28年ぶりに突然訪れた友達の家で、そのお母さんから懐かしいねと言われるなんて、なんとも嬉しいことじゃないか。
郵便局長だった紀ちゃんのお父さんは、地元でとても有名だった。僕の母に後で聞いたところによると、紀ちゃんのお母さんは当時も行動的でテキパキとしておしゃべりも上手で、母親たちの間で中心的な存在だったそうだ。いろんな話が次々と出てきて面白く、僕たちは紀ママの語る当時の様々なエピソードや昔話に楽しく耳を傾けた。目の前の貯木場にはもうあまり材木が置かれなくなってしまったこと、この辺りの家の海側に面した造りが独特なのは、昔は道路がなくて直接海に面していたからであるということ、郵便局営業の傍ら何かをやってみたいと思った紀ママが「花束書房」という素敵な名前の小さな書店を始めたこと、景山先生のこと、などなど。子供の視点ではない、大人の視点で当時の様子を伺うことができて面白かった。それにしても、紀ちゃんにこんなに魅力的なママがいるなんて知らなかった。
紀ちゃんも後でエイコちゃんの家にきてバーベキューに参加する。帰りに誰に送ってもらうかを話していたら、紀ちゃんが、近いから歩いて帰るよと言った。するとママが、誰かに送ってもらいなさい、魔物が出るから、と言って笑った。それが面白くて僕も笑ってしまった。ずいぶん長居をしてしまったので、ではそろそろということでおいとますることにした。思わぬ再会に感謝をしなければ。お母さん、楽しい時間をありがとうございました。
帰りの車のなかで話に気を取られていたら、エイコちゃんの家に向かう道に入り損ねてしまった。なので、せっかくだからその先にある「ゆうひパーク」という展望台のあるドライブインに行くことにした。僕がいたころにはなかった施設で、レストランやフードコート、土産物売り場などがある。
車を降り、展望スポットに立って、紺碧の浜田湾をしばし眺めた。夕刻が近づき、みんなと一緒にいることや、浜田に戻ってきていることに少しだけ慣れ始めたと同時に、もう最後の夜が近づいて来ていることを実感する。でもみんなのおかげですっかり浜田を満喫できたから、とても充実した満腹感のある気持ちだ。由美ちゃんがお土産物を買いに行った。愛する旦那様への品だろうか。
綺麗な景色を見つめるマキちゃんとエイコちゃんは、幼稚園で一緒になって以来、ずっと一緒に時間をすごしてきた親友だ。ふたりの間にはツーと言えばカー、山と言えば川の、熟年の漫才コンビにあるような、あうんの呼吸が感じられる。兄弟とも夫婦とも違う、親友だけにしかない絆。それは見えない糸で確かにふたりをつなげている。わずかでも沈黙が訪れると、その見えない糸で結ばれたふたりの存在感が、じわじわと僕の心に迫ってきた。高校卒業と同時に浜田を出たふたりには、この雄大な景色はどういう風に映っているのだろう。湾内に浮かぶ二つの島、馬島とやな島。青い空と海が、浜田に暮らす人々、浜田を巣立っていった人々すべてを優しく包み込んでいる。ふたりの後ろ姿をフレームに収め、こっそりシャッターを切った。
旅の終わりを感じ始めた心境とも重なって、ふたりにあらためて今までのお礼を言いたかった。だけど周囲には人がたくさんいてワイワイ言っているし、ふたりもごく普通に振る舞っているので、いきなりしみじみしてお礼を言うのもなんだか気が引けて、上手く切り出せなかった。黙って景観を眺めた。僕を浜田に導いてくれたエイコちゃん、マキちゃん、由美ちゃん。この28年、彼女たちがずっと仲良くしていたことを知り、そしてそれを身近に感じられたことが嬉しかった。帰ってきた場所が、人と人との深いつながりで支えらえた、温かいところで本当によかった。そんなことを思いながら。
(続く)
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ずいぶん前に閉店したと思われる「サンキュー」という店名の喫茶店の店舗がそのまま残っていた。当時は子供だからお店のなかに入ったことはなかったけど、店の前は何百回となく通った。知っているお店が30年近く経っても残っているのを見ると嬉しい。眼前の海は堤防で囲まれた貯木場として利用されており、当時はいつも大きな材木がいくつも浮かんでいた。コンクリートで固められた海岸から真下の海面を覗くと、ボラがスイスイと泳いでいた。昔と同じだ。サヨリやカワハギ、触ると指が腫れてしまうアイタロウなんかをよく釣ったものだ。コンクリートの波打ち際を大量のフナムシがうろついている。まるで海のゴキブリ。ちょっと気持ち悪くて、昔からあんまり好きになれなかった。薄い緑色の透明な海水の2メートルほど下に海底が見える。ウニがいた。マキちゃんが真剣に捕まえて食べたいと言った。ここにかぺ君がいたら、まよわずザボンと飛び込んで採ってくれるだろうに…。
そうや、紀ちゃんの家に行かん? とエイコちゃんが言った。紀ちゃんの家はすぐ近くにある。町が小さいと、思いついたらすぐに友達の家に遊びに行けるからいい。エイコちゃんはさっそく紀ちゃんの家の方に向かって歩きながら、彼女に電話をかけている。ものすごい行動力だ。うちら近くにおるんよ、今から行くけえね。この気軽さがすごい。ヲイヲイ「隣の晩ご飯」じゃないんだからそんないきなりな展開はありなのか、思いながらも、小学校のときは一度もお邪魔することのなかった紀ちゃんの家に向かって僕もヨネスケな気分で歩き始めた。
すぐに紀ちゃんの家に着いた。地元の郵便局を営んでいた彼女のお父さんは地元の名士的な存在だった。家もすごく立派な豪邸だ。玄関は反対側の通りに面しているから、海側から来た僕たちは庭の方から入れてもらった。綺麗に手入れされた庭園に足を踏み入れると、すでに僕たちが来ることを知っていたお母さんが待ちかねたように縁側に立っていて、エイコちゃんいらっしゃい、あらマキちゃん懐かしいわね、まあ児島君、久しぶりね~、よく面影が残ってるわ、と言った。お母さんも久しぶりに会う僕たちを見て嬉しく感じてくれたのだろう、縁側に立ったまま、児島君、あなたのお母さんのこともよく覚えてるわよ、PTAでも一緒だったしバザーの出店品を作ったりしてたのよ、と懐かしそうにひとしきりしゃべり続けた。まさか僕のことを覚えてくれているなんて思ってもいなかったし、しかも流れるように鮮やかに昔の逸話が出てくるものだから、ちょっとびっくりしてしまい、その場に立ち尽くしてそのまま話を聞いた。
家に上がらせてもらって、お茶とお菓子をいただきながら、紀ちゃんのお母さんの話を聞いた。由美ちゃんも戻ってきた。娘の同級生のことをこんなにしっかりと覚えてくれているなんて、すごい。人間の記憶って、いつまで経っても完全には色あせたりしないものなのだ。覚えてくれていて嬉しい。僕の母のこともはっきりと覚えていてくださった。バザーに出す洋服を作るために、この家でウチの母を含め数人で刺繍などの作業をしていたこともあったのだそうだ。紀ちゃんのお姉さんと僕の姉も同じ学年で、紀ちゃん一家とは何かとご縁があったということも知った。
不思議だ。僕の知らないところで、こうして人の記憶のなかに自分が存在しているのだ。せっかくお互いがお互いことを思い出していながらなかなか実際に会ったり連絡を取り合ったりすることができないのが辛いところだけど、きっとそういう「想い」は有形無形のエネルギーになって、想われる人に何かを与えているのだと思う。エイコちゃんたちが僕のことを覚えてくれていたのを知ったときにも感じたのだけど、こういう風に人の記憶のなかで生き続けているということは、直接相手に伝わることはなくても、大きな力になってその人を守っているのではないだろうか。28年ぶりに突然訪れた友達の家で、そのお母さんから懐かしいねと言われるなんて、なんとも嬉しいことじゃないか。
郵便局長だった紀ちゃんのお父さんは、地元でとても有名だった。僕の母に後で聞いたところによると、紀ちゃんのお母さんは当時も行動的でテキパキとしておしゃべりも上手で、母親たちの間で中心的な存在だったそうだ。いろんな話が次々と出てきて面白く、僕たちは紀ママの語る当時の様々なエピソードや昔話に楽しく耳を傾けた。目の前の貯木場にはもうあまり材木が置かれなくなってしまったこと、この辺りの家の海側に面した造りが独特なのは、昔は道路がなくて直接海に面していたからであるということ、郵便局営業の傍ら何かをやってみたいと思った紀ママが「花束書房」という素敵な名前の小さな書店を始めたこと、景山先生のこと、などなど。子供の視点ではない、大人の視点で当時の様子を伺うことができて面白かった。それにしても、紀ちゃんにこんなに魅力的なママがいるなんて知らなかった。
紀ちゃんも後でエイコちゃんの家にきてバーベキューに参加する。帰りに誰に送ってもらうかを話していたら、紀ちゃんが、近いから歩いて帰るよと言った。するとママが、誰かに送ってもらいなさい、魔物が出るから、と言って笑った。それが面白くて僕も笑ってしまった。ずいぶん長居をしてしまったので、ではそろそろということでおいとますることにした。思わぬ再会に感謝をしなければ。お母さん、楽しい時間をありがとうございました。
帰りの車のなかで話に気を取られていたら、エイコちゃんの家に向かう道に入り損ねてしまった。なので、せっかくだからその先にある「ゆうひパーク」という展望台のあるドライブインに行くことにした。僕がいたころにはなかった施設で、レストランやフードコート、土産物売り場などがある。
車を降り、展望スポットに立って、紺碧の浜田湾をしばし眺めた。夕刻が近づき、みんなと一緒にいることや、浜田に戻ってきていることに少しだけ慣れ始めたと同時に、もう最後の夜が近づいて来ていることを実感する。でもみんなのおかげですっかり浜田を満喫できたから、とても充実した満腹感のある気持ちだ。由美ちゃんがお土産物を買いに行った。愛する旦那様への品だろうか。
綺麗な景色を見つめるマキちゃんとエイコちゃんは、幼稚園で一緒になって以来、ずっと一緒に時間をすごしてきた親友だ。ふたりの間にはツーと言えばカー、山と言えば川の、熟年の漫才コンビにあるような、あうんの呼吸が感じられる。兄弟とも夫婦とも違う、親友だけにしかない絆。それは見えない糸で確かにふたりをつなげている。わずかでも沈黙が訪れると、その見えない糸で結ばれたふたりの存在感が、じわじわと僕の心に迫ってきた。高校卒業と同時に浜田を出たふたりには、この雄大な景色はどういう風に映っているのだろう。湾内に浮かぶ二つの島、馬島とやな島。青い空と海が、浜田に暮らす人々、浜田を巣立っていった人々すべてを優しく包み込んでいる。ふたりの後ろ姿をフレームに収め、こっそりシャッターを切った。
旅の終わりを感じ始めた心境とも重なって、ふたりにあらためて今までのお礼を言いたかった。だけど周囲には人がたくさんいてワイワイ言っているし、ふたりもごく普通に振る舞っているので、いきなりしみじみしてお礼を言うのもなんだか気が引けて、上手く切り出せなかった。黙って景観を眺めた。僕を浜田に導いてくれたエイコちゃん、マキちゃん、由美ちゃん。この28年、彼女たちがずっと仲良くしていたことを知り、そしてそれを身近に感じられたことが嬉しかった。帰ってきた場所が、人と人との深いつながりで支えらえた、温かいところで本当によかった。そんなことを思いながら。
(続く)
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実は、私もこっちゃん&エイコの後姿をこっそり撮り、なんだか一人で感動しとりました。
そこには当時の学級委員長と副委員長の姿が・・。
しかし、こっちはまだあつい。
写真のよーな服きてます。
後ろ姿はおもわず撮っちゃうよね。先生夫妻の後ろ姿はえかった。
腰、お大事にね~。
紀パパJ-ジ氏はずっとPTA会長しとんさったわ。当時私は大人と接することが苦手だったんだけど、紀ママは気さくに話かけて下さってすごい親しみを感じてたよ。「花束」にもだいぶお世話になりました。
この日も由美号大活躍だったね、サンキュー
花束書店いきたかった。J氏はPTAの会長もしてたんだね。すごい。
由美ちゃんの車で橋も渡ったよね。由美ちゃんありがとう!
児島王子のブログを読むといろいろな妄想が膨らんで、なんかニヤーとすることもあります
友達、思い出、故郷って宝物ですね!
しかしこの旅行記我ながらちょっとセンチメンタルになりすぎてますよね(笑)。でもあと少し、妄想モード全開で書き進めます(^^)
みんなどんどん妄想していこう
たしかに素はでるけど表情がわからんぞ(笑)
ともかく妄想するのはもうよそう、じゃなくてこれからが妄想本番だよ!