お父さんのマリポタ日記。
マリノスのこと、ポタリングのこと。最近忘れっぽくなってきたので、書いておかないと・・・
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6下旬にしまなみ海道、ゆめしま海道を走った後は再び岡山へ舞い戻り、最後は吉備路をのんびりサイクリング。もう8月も終わりですね。アップが遅くなってすいません(^_^;

※動画はこちら

起点は岡山総合公園らしいのだが、道標が現れるのはそこから2〜3キロの実家近くの笹ケ瀬川付近。車と平行して走るのはほんのわずかで、ほとんどが田んぼの中を駆け巡る自転車・歩行者道。唯一の坂は6%の歩道橋という、ど平坦コースが25キロ先の総社まで続いている。

ネックは補給所がないこと。田んぼの中なのでコンビニも簡単には見つからず、途中にあった休憩所は東屋はあるが、トイレも自販機もない。おまけにこの猛暑の中、日陰もなく結構きつかった。

コース上の名所としては吉備津彦神社、吉備津神社、造山古墳、重文の備中国分寺の五重塔などがあるが、造山古墳で出会った「吉備の大王」にはびっくりした。5世紀前半に築造されたというこの古墳は全国でも4番目の規模で、「大王」がいたと想定されているそうだ。ちなみにこの「大王」は09年に建立されている。


笹ケ瀬川沿いの岡山側のサイクリングロード起点。総社まで21キロキ



国道180号にかかる歩道橋。このコースで唯一の坂



吉備津彦神社



吉備津彦神社と吉備津神社の間のサイクリングロード



吉備津神社参道



吉備津神社参道手前の自転車道案内板



吉備路にある桃太郎伝説の説明


【桃太郎伝説】 吉備津神社、吉備津彦神社の主祭神である吉備津彦命(きびつひこのみこと)の温羅(うら)征伐の伝説をもとに「桃太郎」の鬼退治の昔話ができたといわれている。

昔、吉備の国に温羅という、恐ろしい鬼がいた。それを退治に来たのが吉備津彦命である。吉備津彦命は吉備の中山に陣を張り、温羅の立てこもる鬼ノ城(きのじょう)めがけて矢を射るものの、矢は温羅の投げた巨岩と空中で衝突して共に落ちてしまう。そこで吉備津彦命は一計を案じ、弓に一度に二本の矢をつがえて放った。そうすると、一本は巨岩に阻まれたものの、残る一本が温羅に命中した。温羅は川を血潮で真っ赤に染めながら、鯉に化けて海に逃れようとしたが、吉備津彦命は鵜(う)に化けて、この鯉をとらえて退治したのである。

吉備路には吉備津彦命が射る矢を置いた「矢置岩」や、矢と岩がぶつかって落ちた「矢喰宮」、鯉に化けた温羅をつかまえた場所とされる「鯉喰神社」など、温羅伝説にまつわる地名や旧跡が今も数多く残されている。


ちなみに鬼ノ城はここから北西に10キロ。「吉備津彦命の矢が届いたのかな?」などと疑念を持たず、壮大な古代のロマンを楽しみましょう。


吉備津神社



吉備津神社の約400メートルの回廊



14キロ地点の津寺休憩施設



鯉喰神社の案内板



左へ曲がると造山古墳駐車場



吉備の大王



吉備の大王



サイクリングロードから望む造山古墳。案内板には自転車のオブジェ



備中国分寺の五重塔



備中国分寺の五重塔



きびじアリーナ手前。自転車道はこのあたりで終了



きびじアリーナ



岡山市街から約24キロ


母親の実家が吉備津神社の近くだったこともあり、ママチャリでは途中まで走ったことがあったが、総社まで行ったのは初めて。往復50キロを走り、最後は岡山総合公園にあるファジアーノ岡山の本拠・シティライトスタジアム前の人見絹枝さん、有森裕子さんにご挨拶して3日間のライドを終了した。高校の大先輩にあたる人見絹枝さんは28年アムステルダム五輪800メートルで銀メダルを獲得し、日本女子初の五輪メダリストとなった。有森裕子さんは中学の後輩。もちろん面識はありませんが(^_^;


シティライトスタジアム前の人見絹枝像



シティライトスタジアム前の人見絹枝像



シティライトスタジアム前の人見絹枝像



シティライトスタジアム前の有森裕子像


猛暑の中、3日間で300キロ走り、さらに自転車と8キロのリュックを背負って移動したことが影響したのか、帰宅後はぐったり。喉も痛くなったこともあり、週末に予定していた国立の清水対横浜戦は観戦を断念した。63歳にとってはハード過ぎるスケジュールだったようですな…。

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