四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

浅羽城(埼玉県坂戸市)

2018年02月24日 | 100名城以外の城館跡


城 名:浅羽城(あさばじょう)
別 名:萱方城(かやがたじょう)
形 態:平城
時 期:中世(室町―戦国期)
築城者:浅羽氏?
城 主:浅羽下総守?
遺 構:なし
指 定:― 
所在地:埼玉県坂戸市鶴舞1丁目

埼玉県坂戸市内にある浅羽城跡を訪ねてみました。城跡は完全に住宅団地(鶴舞団地)や水田となり遺構はなく城跡の面影はと
どめておりません。団地内にある公園付近一帯が城跡と推定されているようです。
浅羽氏は、武蔵七党のひとつ児玉党の一族である入西三太夫資行の子小太郎行成(行業)が浅羽に住して浅羽氏を名乗ったのに
始まるといいます。弟の次郎大夫遠広は小代(現在の東松山市正代)に住して小代氏を名乗り、新大夫有行は越生(入間郡越生
町)に住し越生氏をそれぞれ名乗りました。




鶴舞団地の中にあるこの公園付近一帯が浅羽城跡とされています。この公園の名称はタイヤ公園




浅羽城跡(萱方城跡)の説明板
萱方城とはかつてここが萱方村であったことからのようです。




上述の通り遺構はありませんので写真を撮っても意味はないのですが、一応、このあたりだということで・・・




タイヤ公園と道を挟んでこちらの公園は「城跡公園」の名称になっています。
道路より一段高くなってはいますが、城跡の名残ではなく、単に住宅地造成による産物でしょう。




左側が城跡公園 中央がタイヤ公園




城跡公園の北側に広がる田園地帯




浅羽氏の祖である浅羽小太郎行成(行業)の供養塔(板石塔婆)が建立されている「万福寺」(坂戸市北浅羽193)
この万福寺から八幡神社にかけて館(北浅羽館)が築かれていたと考えられるとのことですが、遺構等はありませんので?




覆屋の中にある供養塔(板石塔婆)と説明板




供養塔(板石塔婆)の説明板①




供養塔(板石塔婆)の説明板②




覆屋の中にある供養塔(板石塔婆)




覗きをしてみました(笑)




始祖浅羽小太郎行成(行業)が鶴岡八幡宮から分祀したと伝わる八幡神社(坂戸市北浅羽262)




八幡神社社殿

散策日:平成30年(2018)2月24日(土)

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