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埼玉県所沢市小手指元町3-28-44に鎮座する北野天神社(きたのてんじんじゃ)を参詣してきました。
正式名称は名称は物部天神社・國渭地祇神社・天満天神社であり、その総称として「北野天神社」と呼称されています。
境内には歴史上の有名人にまつわるものが複数あります。
【北野天神社の由緒】
北野天神社は、景行天皇40年日本武尊東夷征伐の際に建立した物部天神社(延喜式内社)に比定され、さらに国渭地祇神社、
出雲祝神社の延喜式内社3社を併せ祀っているといいます。欽明天皇12年には武蔵野小手指原の霊神及び日本武尊を合祭、
長徳元年(995)には、菅原道真の子孫・武蔵国司菅原修成が京都北野天神を勧請し、坂東第一北野天神と称して祀るように
なったといいます。その後戦火により衰廃したものの、天正19年(1591)に前田利家が再興、徳川家康より社領8石の御朱
印状を拝領、慶安2年(1649)には社領50石へ加増されたといいます。明治5年郷社に、明治34年には県社に列格、大正
元年9月に富岡村の小手指神社と稲荷神社を合祀したといいます。 (「猫の足あと 埼玉県寺社案内」より引用)
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西側参道
「縣社 北野天神社」の社号標 縣社は旧社格で現在は廃止されている
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北野天神社説明板
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石灯篭の並ぶ参道
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西側参道を進むと拝殿正面に対して90度横向きとなります
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南側参道 こちらがいわゆる表参道のようです
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北野天神社略記
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一の鳥居 神額は「北野宮」
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二の鳥居 神額は「北野天満宮」
この鳥居の後は石灯篭。石碑が多雨並ぶ参道を通り社殿正面に
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拝殿正面
左側の参道が西側参道
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ちょっと近づいてみました 狛犬は石灯籠の陰で写っていません
普段から狛犬には関心がありませんので気にもしていませんから(今のところは)
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北野天神社とは、物部天神社・国渭地祇神社・天満天神社3社の総称
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拝殿 ここ北野天神社の社紋は前田家の家紋の「加賀梅鉢紋」 前田利家が再興したためでしょうか
天満宮や天神社といった菅原道真を祀った神社の社紋は梅紋が大半のようです。しかし、菅原道真の家紋が梅紋であったと云
うことではないようです。道真の家紋がどんなものであったかはわかりませんし、まだこのころは家紋というものがなかった
時代でもあります。後世、菅原を名乗るものが梅紋を使うようになったようです。
道真といえば「東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」の歌があまりにも有名で、道真イコール梅の花という
イメージから梅紋を使っているようです。一般的に天満宮の総本社とされる太宰府天満宮の社紋は「梅花」北野天満宮は「星
梅鉢」。ちなみに東京の湯島天神も「加賀梅鉢」です。
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拝殿と本殿を横から
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手水舎
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北野地名由来の碑と大納言梅
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石碑裏面の北野地名由来記
簡単に言うと京都の北野天満宮の分霊を坂東第一(坂東で最初に)で祀り北野天神社と称したことから地名が北野となったと
いうことのようです
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大納言梅 - 天正18年(1590)前田利家献栽、現在は二代目
当時の前田利家献の官職が大納言であったことに由来する名のようです
菅原道真の子孫 まあ自称でしょうね
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宗良親王遺跡
説明板にある正平7年の正平とは南北朝時代の南朝が使用した元号で、文和元年(1352)と同一ですが、この年に行われたの
は武蔵野合戦です。小手指ヶ原合戦はそれより前の元弘3年(1333)行われた新田義貞と鎌倉幕府との戦いで、この戦いによ
って鎌倉幕府は滅びましたが宗良親王はこの戦いには絡んでいません。
敢えて「小手指ヶ原合戦の御在陣跡」としたのは、すぐそばが小手指ヶ原であり、武蔵野合戦(足利尊氏と新田義宗との戦い)
と言う一連の合戦の中において、小手指が原で合戦が行われておりますので、その際の陣場と言う意味でのことと善意に解釈
します(とは言え、誤解を与えることは確かです)
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宗良親王 於小手指原作歌
「君のため 世のためなにか をしからむ すててかひある 命なりせば」と刻まれている
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左卜全芸道碑
碑文には、「常道の芸では先がしれてる されば 道遠き苦難のみちを求めん」と刻まれています。
左卜全(1894~1971)は、ここ小手指北野の出身の俳優、オペラ歌手で、晩年の《ズビスバー パパパヤー やめてケレ やめて
ケレ やめてケーレ ・・・》と言う歌詞の「老人と子供のポルカ」が有名です。
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尊桜(みことざくら)
日本武尊が東征の折、お手植された桜で、4度目の蘖生(ひこばえ)といいます。
手前の歌碑は享和2年(1802)に建立
「そのかみや 移しうへけん むさしのに にゐばりやまの 桜ひと木を」と刻まれているようです。
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力石
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境内社 石宮神社 これ以降も境内社の紹介ですが境内社の表現は省きます
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小手指神社
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小手指神社説明板
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小手指神社社殿前にある「航空神社跡」の標柱 以前ここは航空神社だった?
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稲荷社(左)と八雲社(右)
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同上
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文子天神社(はた神様)
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諸神宮
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諸神宮説明板
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神楽殿
歴史上の人物の名が沢山出てきましたね。日本武尊、源頼朝、宗良新王、前田利家、徳川家康、左卜全など
中にはここで初めて知った名もありましたが・・・
参詣日:平成30年(2018)8月19日(日)