
金尾要害山城跡 (埼玉県寄居町金尾) 別名:寄居要害山城 金尾山城など 標高:229m 比高:130m
1532(天文元)年に花園城を拠点とする藤田重利(のち康邦)が築いた城で重臣の金尾弥兵衛が城主を務めていたとされる。
重利が北条氏康に従属してからは天神山城などとともに娘婿北条氏邦(氏康の3男)の持城とな、鉢形城の西方の支城として機能してきたが、
1590(天正18)年の豊臣秀吉による小田原攻め鉢形城が落城すると廃城となった。
現在は金尾つつじ山の愛称で呼ばれ、1万株のつつじが4月中旬から5月中ごろまで見ごろを迎える。



主郭跡は狭く現在は物見櫓(見晴らし台)が建っている 鉄製でなく木製である所は砦を意識したのだろうか

主郭を囲む馬防柵 戦国の城跡を感じさせてくれます

物見櫓(主郭)からの眺望は開けており敵の動きがよくわかりそうです
左手方向には花園城 右手方向には鉢形城があります

二の郭跡にある愛宕神社脇に設けられた「金尾山由来」

二の郭跡

主郭跡の物見櫓(見晴らし台)から二の郭跡を見下ろす

三の郭跡

歩いていたら落ちていました やはり鉢形城の支城だっただけのことはある(意味不明?)
5月に行われる「寄居北條まつり」には、ここ金尾から金尾城隊も出陣します。
金尾山由来書によれば「馬出」の文字もありましたがどこにもそれらしい場所はありませんでした。
まあ、つつじ見学がてらの城跡散策でしたからすべてを見てきたわけではありませんので・・・
攻城日:2015年(平成27年)4月22日(水)