四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

菅谷館跡(埼玉県嵐山町)

2015年02月18日 | 続日本100名城


菅谷館跡は、鎌倉時代の有力武士であった畠山重忠が文治3年(1187)以前から居住していた所と伝えられています。菅谷館がいつ誰によって築かれたのか明らかでは
ありませんが、現在までのところ、重忠時代の遺構は確認されていませんが、館跡を含む周辺地域は菅谷と呼ばれ、館跡近くの平沢寺の中世寺院跡からは、重忠の曽祖父の
「平朝臣慈綱」(秩父重綱)銘のある久安4年(1148)の年紀を刻む経筒が出土しており、秩父平氏の流れをひく畠山氏の拠点が古くからこの地にあったと考えられて
います。また、元久2年(1205)6月、畠山重忠が鎌倉に向かって出立したのは、「小衾郡菅屋館」であったことが『吾妻鏡』に記されています。その後、山内上杉氏と
扇谷上杉氏が争った長享年中の大乱(1487~1505)の際には、城郭として使われていたと考えられています。『松陰私語』によれば、松陰という陣僧が、「河越城に
対し、須賀谷旧城を再興して鉢形城の守りを固めるように」と進言したとあります。この「須賀谷旧城」が現在の菅谷館跡にあたると考えられます。なお、現在みられる土塁や
堀などは戦国時代のものです。現在までに5回に及ぶ発掘調査が行われていますが、出土資料の年代は14世紀末から16世紀前半、つまり戦国時代以降の資料が中心です。
昭和48年5月、鎌倉時代の代表的な武蔵武士の館に起源をもつ中世城館の遺跡として国指定に指定され、平成20年3月には比企城館群菅谷館跡と名称が変更されました。          
                               〔埼玉県立嵐山史跡の博物館 編集・発行リーフレット「菅谷館跡」から引用〕




今、菅谷館跡が見頃です!!

まだまだ寒い日もありますが、実は、今、当館が立地する国指定史跡「菅谷館跡」が見頃を迎えています。
草が枯れ、木の葉が落ちて、土塁や空堀、郭の様子が一年の中でも最も観察しやすくなっています。
館跡の中では、コウバイやハクバイの花もちらほらと咲き始めました。
早春の一日、菅谷館跡の散策はいかがでしょうか。

埼玉県立嵐山史跡の博物館のホームページを覗いてみたら、上記の一文が載っていました。
曇り空で肌寒い日ではありましたが、この言葉に誘われ「菅谷館跡」を歩いてきました。




国道254号線バイパスに架かる歩道橋の上から菅谷館跡・嵐山史跡の博物館入口を




入口に立つ「国指定菅谷館跡」の石碑






二重土塁と泥田堀




搦手口(菅谷館跡・嵐山史跡の博物館入口)です






搦手門・土橋跡を内側から






三ノ郭の紅梅 ちょっと見頃を過ぎているようでした




菅谷館跡の案内板




三ノ郭(1)




三ノ郭(2)




蔀土塁(しとみどるい) 

西ノ郭から三ノ郭内部の様子を直接見通せないように設けられた土塁






正坫門と木橋




木橋




西ノ郭(1)




西ノ郭(2)




西ノ郭と二ノ郭館を遮る堀




西ノ郭にある大手門跡  (ここかどうかちょっと自信がありませんが)




建物跡と井戸跡(三ノ郭)




空堀道(二ノ郭)




二ノ郭跡(1)




二ノ郭跡(2)




二ノ郭跡に建っている畠山重忠像




二ノ郭跡(3)




二ノ郭跡(4)




二ノ郭と本郭の間にある空堀(1)




二ノ郭と本郭の間にある空堀(2)




二ノ郭と本郭の間にある空堀(3)




本郭出桝形土塁




本郭と二ノ郭の間にある空堀






二ノ郭跡の白梅




南郭について




南郭(1)




南郭(2) 




菅谷館跡の石碑と案内板  ここの石碑は国指定史跡になる以前の埼玉県指定史跡のころのもの




この案内板に菅谷館跡についての説明があります




本郭への小口?




生門跡(本郭)




本郭(1)




本郭(2)




本郭(3)




本郭(4)  戦国時代・・・後北条氏のことでしょうね




菅谷館跡内にある『埼玉県立嵐山史跡の博物館』




企画展「戦国時代は関東から始まった」の展示品の図録は購入済みでしたが、実際の展示は見ていなかったので館跡を散策後に入館しました。

一応、この「菅谷館跡」の初攻城は2009年5月ですが、折に触れ何度か一部を散策しています。
企画展への入館の際に受付で頂いた「菅谷館跡見て歩きガイド」によると、30~40分の行程とありました。
どうしても細かく見てみたい(写真も撮りたい)ことから2時間近くかかってしまいました。そのくせ、肝心の
場所の写真が撮ってなかったりという結果です。散策前に「菅谷館跡見て歩きガイド」を手にしていれば効率的で、
且つ、見落としや写真の取り損ないもなかったかもしれませんでしたが後の祭りです。今回に限らず地図を
見ながら歩けばよいのでしょうが、いつも考えなしに夢中で歩くだけでなものですから。
次は、地図を見ながらと反省するも、また同じことの繰り返しになりそうです・・・

攻城日:2015年(平成27年)年2月17日(火) 続日本100名城選定前          

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