四季・めぐりめぐりて

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寺尾城(群馬県太田市)

2018年11月09日 | 100名城以外の城館跡


城 名:寺尾城(てらおじょう)
別 名:寺尾館
形 態:居館
時 期:保元2年(1157)
築城主:新田義重
城 主:新田氏・脇屋氏
遺 構:-
指 定:-
現 状:和食屋(新田乃庄本店)
所在地:群馬県太田市寺井町

新田の地に本拠をかまえ、庄司となった源義重は新田氏を名乗った(新田氏の始祖)。以来三代87年にわたり居城し、南北
朝時代には義貞の弟脇屋義助が城主となったのが寺尾城だといいます。
寺尾城の推定地は、片岡郡寺尾村(現高崎市寺尾町)周辺と、 新田郡寺井村(現太田市寺井・天良町)周辺との2説あり、こ
こ太田市にあっては和食屋・新田乃庄本店が建っている場所が城跡と言われていますが、遺構は全くありません。




新田乃庄本店前に建つ「新田庄寺尾城跡」石碑
現在この店舗(本店)は使われていないようですが、道路のはす向かいに、【新田乃庄別館寒山亭】があります。




「新田庄寺尾城跡」石碑




石碑裏面  生垣の手入れがされておらず(失礼)全体を撮ることはできませんが、次のように記されているようです。

  栄枯は夢の如し こ〃谷 地蔵窪 七堂の字址は
  享保年中まで寺尾村の内なり
  清和源氏八幡太郎義家公の嫡孫 新田義重公以来三代
  この地を本拠となし 寺尾館 寺尾城 稱したり
  八代義貞公挙兵六百五十年に當り こゝに碑を建つ
     昭和五十八年六月八日
             新田庄寺尾城史跡保存会

実際、寺尾城が現在の高崎市と太田市のいずれかにあったにせよ、新田館(総持寺)も新田義重の居館とされていますので、
同時期に2つの城館に居したということになります。
家は1軒と思っているのは、私のような底辺庶民の考えることで、中世の豪族ですから複数の居館があっても不思議ではあ
りませんが・・・

散策日:平成30年(2018)10月2日(火)

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