AKB48の旅

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STU48「暗闇」の当て書き

2018年01月24日 | AKB
思い返してみても、秋元氏が作詞した膨大な(少なくとも秋元グループの)作品群の中で「力」のある曲は、ほぼ例外なく当て書きであることが分かる。ここで言う「力」とは、ヒットするとかしないとかではもちろんなく、何か奥深い芯のようなものが通っている、あるいは硬質感とも言うべきソリッドな存在感を示すものくらいの意味。隠れたものを含めた、ひときわ名曲群とも言える。近作だと「世界はどこまで青空なのか?」がその好例になるだろうし、欅坂46の作品群や、少し弱いかも知れないけど「インフルエンサー」なんかもそう言えるだろうと思う。AKB48本体だと「僕たちは戦わない」まで遡らざるを得ないのかな。

そこで謎なのがSTU48の「暗闇」ということになる。この曲が醸し出す固い肌触りと奥深さは、間違いなく当て書きであろうことを暗示してる。では誰当てなのか。

歌詞は例によって抽象度を(意図的に)上げてあるので、直接的なヒントは見つけられそうにない。センターは瀧野さんだけど、瀧野さんの人となりは、明らかにこの歌詞とは合ってないように思う。STU48の(暫定的な)チームカラーとも合ってない。もちろん瀬戸内のイメージとも思えない。「暗闇」のMVをけっこうな回数見てるけど、いつまで経っても違和感が拭えない。

やはり最大のヒントは、題名でもある「暗闇」ではないか。こんなダークな題名をSTU48の、しかもデビュー曲に持ってくることの「予定調和を壊す」感が半端じゃない。そこは例によって秋元氏が「変態的」に狙ったのだとしよう。それでも「暗闇」という言葉は、なお隠れようもないネガティブな残響を残す。そんな宿痾の如き陰を抱えるのは誰なのか。私には該当者を一人しか思いつけない。

以上のような世迷い言は、当然の如くあくまで私的な「妄想」に過ぎないわけで、こうして記事にするつもりはなかった。そこに、51stシングル選抜が発表されて、あ、これって書いても良いのかなという安易な気持ちになってしまった。次のAKB48のシングル選抜の人選が、鮮やかな状況証拠に見えてしまった。岡田奈々さんのセンター。これが答え合わせのように思えてしまった。アルバム段階で既にしてセンター扱いだったろと指摘する向きもあるかも知れないけど、AKB48本体の表題曲のセンターは、やはり重みが違う。意味するところが違うと思う。

「暗闇」は岡田奈々さんへの当て書きなんじゃないか。そう考えて歌詞を読み返してみると、いろいろ腑に落ちるものがある。そんなふうに納得してしまう自分がいる。