以下北原里英ぐぐたす11月06日18:34引用
やばい!やばいよみんな聞いてくれ!!
わたし今日朝起きて味噌汁作っちゃったよ!!新妻か!!!
昆布からダシとっちゃったよ!!本格派か!!!
これがまた美味しいのよ!!いい女か!!!
明日雪降るかもしれん、これは………
以上引用(改行位置変更)
地味だけど、北原さんの文才、というよりは、地頭の良さと「優等生」ぶりがよく分かる投稿だと思うんで引用。さっしーの書く文章と比べると、いろいろと面白いかも。
北原さんのこの投稿の場合、記述された対象であるところのイベント、つまり「本格的な味噌汁を作ってみたら美味しかった」という、恐らくは事実が元ネタで、それを面白くなるように再構成してる。けれどもそこに、イベントそのものからの飛躍はないし、再構成された文章にも、意外性はない、どころか「欧米か!」なんだし。
言葉の選び方も良く言えば的確、悪く言えば凡庸で、各行のオチの「新妻か!!!」「本格派か!!!」「いい女か!!!」も、ちゃんと適度な距離感で、「正しく」オチてる。そして「大オチ」(←そんな言葉ある?)は、「明日雪降るかもしれん」という、穏やかな自虐という分かりやすさ。
ある意味、理詰めなわけで、女性でこれだけ理詰めな文章を書けるところが、北原さんの素晴らしいところなんじゃないかと思う。でもって、ちょうどこれの真逆のような文章を書けるのが、さっしーということになる。さっしーの場合、元ネタが事実であっても、その取扱は虚実に囚われることはない。その再構成ぶりは、飛躍どころか関係性のいかなるルールにも縛られない。しかも言葉の選び方が突飛で、ともすると分かりにくくなることさえ厭わない。
否定表現でしか「説明」できないもどかしさだけど、北原さんの真逆と言うとアレだけど、反対側ではなくて、そういう設定の対立軸の「外」にいる、そんなさっしーの立ち位置の特異性。うまく説明できてるんだろうか。
「りのりえはガチ」というのは、もちろん人間関係としてなんだろうけど、こういう思考形態というか、物事の捉え方についての根本的な違いのようなものが、逆にうまく噛み合う、そういう相性ということでもあるんじゃないか、とか書いてみる。
やばい!やばいよみんな聞いてくれ!!
わたし今日朝起きて味噌汁作っちゃったよ!!新妻か!!!
昆布からダシとっちゃったよ!!本格派か!!!
これがまた美味しいのよ!!いい女か!!!
明日雪降るかもしれん、これは………
以上引用(改行位置変更)
地味だけど、北原さんの文才、というよりは、地頭の良さと「優等生」ぶりがよく分かる投稿だと思うんで引用。さっしーの書く文章と比べると、いろいろと面白いかも。
北原さんのこの投稿の場合、記述された対象であるところのイベント、つまり「本格的な味噌汁を作ってみたら美味しかった」という、恐らくは事実が元ネタで、それを面白くなるように再構成してる。けれどもそこに、イベントそのものからの飛躍はないし、再構成された文章にも、意外性はない、どころか「欧米か!」なんだし。
言葉の選び方も良く言えば的確、悪く言えば凡庸で、各行のオチの「新妻か!!!」「本格派か!!!」「いい女か!!!」も、ちゃんと適度な距離感で、「正しく」オチてる。そして「大オチ」(←そんな言葉ある?)は、「明日雪降るかもしれん」という、穏やかな自虐という分かりやすさ。
ある意味、理詰めなわけで、女性でこれだけ理詰めな文章を書けるところが、北原さんの素晴らしいところなんじゃないかと思う。でもって、ちょうどこれの真逆のような文章を書けるのが、さっしーということになる。さっしーの場合、元ネタが事実であっても、その取扱は虚実に囚われることはない。その再構成ぶりは、飛躍どころか関係性のいかなるルールにも縛られない。しかも言葉の選び方が突飛で、ともすると分かりにくくなることさえ厭わない。
否定表現でしか「説明」できないもどかしさだけど、北原さんの真逆と言うとアレだけど、反対側ではなくて、そういう設定の対立軸の「外」にいる、そんなさっしーの立ち位置の特異性。うまく説明できてるんだろうか。
「りのりえはガチ」というのは、もちろん人間関係としてなんだろうけど、こういう思考形態というか、物事の捉え方についての根本的な違いのようなものが、逆にうまく噛み合う、そういう相性ということでもあるんじゃないか、とか書いてみる。