2010年10月放送の作品ということで、3年前が初回放送。3年ひと昔を実感させてくれる。たぶん私が、最初に前田さんのことを認識した作品ということになる。当時の記憶はあやふやだけど、それなりの印象は残った。たぶん、ああ、これが噂に聞く前田敦子か、そんな感じだったような。
今あらためて見直してみて、当時のリアルタイムとは前田さんの見え方がまったく変わってしまったことが実感されるし、それとともに作品の見え方もずいぶんと変わったように思う。私の記憶が確かなら、リアルタイムでの前田さんに対する見方は、当時のマスコミの論調みたいなものに迎合してて、演技なんかろくにできないんで、苦肉の策としてのアンドロイド設定、みたいな感じだったように思う。
けれども、こうしてそれなりに前田さんという人物を知った後になって見返してみると、むしろ前田さんという人にジャストフィットされた設定に見える。14歳でAKBに入ってから、普通の女子中高生であれば経験したであろうことをまったく知らず、その一方でAKBのセンターという、極めて特殊で特異な経験を積んできた、そんな前田さんと、このQ10/久戸花恋の設定が、見事に重なる。このあたり、秋元氏の陰があるのかなとも思うけど、どんなもんだろう。少なくともクレジットはなかった。
作品自体は、佐藤健さんの独白で進む感じだけど、世界観がなんとも古くさいのが興味深い。台詞回しも、描かれる街の様子も、心臓病なところも、これっていつの時代だよって突っ込みたくなる。Q10の始動が奥歯のスイッチというのも、それってサイボーグ009?だし、アンドロイドの抑揚のないしゃべり方も、電池切れのQ10に充電するシーンで描かれるアンドロイドの体内も、何もかも古めかしい。そして、極めつけが、ラスト近くでなぜか流れる「戦争を知らない子供たち」。
いちおうこのまま最終回まで見続けるつもりだけど、記憶の彼方の最終回の「感動」は、そのまま再現されるんだろうか。
今あらためて見直してみて、当時のリアルタイムとは前田さんの見え方がまったく変わってしまったことが実感されるし、それとともに作品の見え方もずいぶんと変わったように思う。私の記憶が確かなら、リアルタイムでの前田さんに対する見方は、当時のマスコミの論調みたいなものに迎合してて、演技なんかろくにできないんで、苦肉の策としてのアンドロイド設定、みたいな感じだったように思う。
けれども、こうしてそれなりに前田さんという人物を知った後になって見返してみると、むしろ前田さんという人にジャストフィットされた設定に見える。14歳でAKBに入ってから、普通の女子中高生であれば経験したであろうことをまったく知らず、その一方でAKBのセンターという、極めて特殊で特異な経験を積んできた、そんな前田さんと、このQ10/久戸花恋の設定が、見事に重なる。このあたり、秋元氏の陰があるのかなとも思うけど、どんなもんだろう。少なくともクレジットはなかった。
作品自体は、佐藤健さんの独白で進む感じだけど、世界観がなんとも古くさいのが興味深い。台詞回しも、描かれる街の様子も、心臓病なところも、これっていつの時代だよって突っ込みたくなる。Q10の始動が奥歯のスイッチというのも、それってサイボーグ009?だし、アンドロイドの抑揚のないしゃべり方も、電池切れのQ10に充電するシーンで描かれるアンドロイドの体内も、何もかも古めかしい。そして、極めつけが、ラスト近くでなぜか流れる「戦争を知らない子供たち」。
いちおうこのまま最終回まで見続けるつもりだけど、記憶の彼方の最終回の「感動」は、そのまま再現されるんだろうか。