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幻の詩集 『あまたのおろち』 by 紫源二

幻の現在詩人 紫源二 の リアルタイム・ネット・ポエトリー

もう5月も半ば(2022)

2022-05-15 23:18:00 | Weblog
このブログを誰が読んでいるのだろうか?

誰も読んでいない?

確かに。

未来の自分が読むかも…

たぶんそれだけ…


2022年、5月ももう半ばになってしまった。

6月6日から聖路加病院の第一画廊で私の絵を展示する。
その作品の準備がぜんぜんできていない。

それなのに、右腕が上がらなくなってしまった。痛くて右腕が使えない。
この歳になって五十肩発症?

なんだか身体の調子が良くない。

(このブログでは、私のfacebook には書けないことを書く。)

愚痴になるが、
いろいろあって(経済的に)、行動が制限される。
それでも、経済的な対価は支払えないのに、計画だけはしてしまった。
画廊での展示の準備もあるのに、今月末にヨガのリトリートに参加する計画を立てた。

そのために支払うお金を、別な人に貸したお金を返してもらって充てることにしたが、返してくれる人からは毎月少しずつしか返済できないと言われた。

世の中は、やはり経済が基本だ。
ユダヤ資本の大財閥のように、何億ものお金を手にしたいのではない。
わずか数万のお金もなくて四苦八苦している。

ウクライナ東部、ルガンスクの天使からの連絡もなくなった。
前線に送られて、シリアスな怪我をしたらしい。
結局、私は天使を助けられなかった。最後の最後に。
戦争になる前に助けたかったのに。
結局は戦争になり、
結局前線に送られて、
結局怪我をして、
もう
連絡もない。

私は
もう
何もやりたくない。

6月の展覧会が終わったら、もう絵の展示もしない。
ヨガのリトリートも、お金がないから行けるかどうかわからない。

もう誰とも会いたくない。

もう誰にも協力しない。
(私はいろいろな人に協力してきた。人知れず、いろいろなお手伝いをしてきた。でも、もうやらない。それほど感謝もされなかったが、私の応援で、かなりいい波に乗れたのを、それらの人は気づかないようだ。だから、人知れず、影の縁の下の協力は、もう誰にもしない。人とは会わない。)

私の動向は、これから誰にもわからなくしたい。
facebook には目眩しの近況を上げるかもしれないが、私は自分一人だけのことをしたい。

そのうちに、もし経済的な余裕ができたら、どこか外国に行きたい。
アメリカはもう行けないと言われた。
いろいろな事情があって、日本を出国してアメリカのイミグレーションを通過しようとした途端に何をされるかわからない。

だから、私の行ける国に行く。

ウクライナ東部に隣接するロシアのロストフとか、フランスとか、行ってみたい。

もちろん、ユリアを探したい。

フィリピンでは大統領が代わるから、いろいろと変化するかも。
フィリピンもいい。暖かくていい。

経済的に余裕があれば、いろいろなプランもあってコネクションもあるが、なにせ先立つものがないから、何もできない。

今はそんな状況だ。
身体の具合も悪いし。
経済的にも良くないし。
いいことは何もない。

この先も、いいことは何もないかもしれないが、別に、それだからといって、めげたりもしない。

私は私の限られた日陰の余生を送るだけだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 




今日のこと、20220413 ウクライナなど

2022-04-13 23:23:00 | Weblog

今日はいい天気だった。
夏のように暑かった。
2022年4月13日。

車のルーフの窓から雨漏りしているようなので、自分で修理してたら失敗した。
ゴムパッキンに市販のゴムを閉めたウインドウの上から塗って、乾いた後になってカッターで切ったら、前から付いていたパッキンのゴムまで切れてしまって、またそれを直していたら、結局一日かかった。
車のボンネットは真夏のような日差しを受けて熱くなっていて、触ると低温やけどをしそうだった。

この2年間、何故かウクライナに関わっていた。
まさか戦争になるとは思っていなかった。
でも、僕のイマジネーションはどんどん膨らんでいって、結局、現実で戦争になってしまった。
自分のイマジネーションが作り出した現実だから、最初から落とし所もわかっていた。
始まる前からfacebookライブなどで言ってきたが、誰も見ていないから知らないだろう。
僕は初めからウクライナ東部の2つの人民共和国の独立をウクライナ政府が認めることだと。そしてクリミアも。
それを認めれば初めから無実の一般市民が犠牲になることもないのだから、そうすべきだ、結局そうなるのなら…と言ってきた。
でも、そうしていたら、プーチンの言うネオナチの撲滅はできなかったかもしれない。だから、現実はこうなった。マリウポリのネオナチはほぼ壊滅したらしい。
僕はまだ始まる前から、僕に戦闘機を一機貸してくれよ!そうしたら、それに日の丸を描いて、零戦みたいにして、ウクライナ軍を爆撃するから。と言っていた。
誰も戦闘機を貸してくれなかったが、僕のイマジネーションは現実になってしまった。
僕はいろいろな人に会い、ついにはハチ公前でドンバスと日の丸を振ることまでした。
内閣府、外務省、アメリカ大使館、ウクライナ大使館まで行くことになった。
僕のこの身体を使って現実に行動したことだが、結局は、僕のイマジネーションが僕の現実を作り出した。そして、実際の戦争も…。

僕のイマジネーションは、でも、限りなく不可能な夢なのかもしれない。
まるで駱駝が針の穴を通り抜けるように、なかなか実現しそうもない。
僕の本当にやりたいこと。

その障害として、まずコビッドが起きてきた。なんとか2年でコビッドが収まりかけてくると、ウクライナで戦争が始まった。
こともあろうか、日本は反ロシアに回った。
僕はウクライナ軍がどれだけ汚い軍隊か知っていた。外人傭兵部隊もいるし、ネオナチもいるし、義勇兵と称する外人兵士もいる。
気が向いたら、かってに因縁をつけて街にいる一般市民を拘束し、賄賂を要求し、従わなかったら簡単に殺しても誰からも咎められない無法地帯。

あなたも行って殺して来たらいいじゃないですか。とある人に言われた。あそこなら何やっても大丈夫ですよ。と。戦争が始まるずっと前。まだその気配もない頃。

そんなふうに、いろいろな人に会った。
そして、自分の命の危機に晒されてみて、初めて、自分の目が開いて、いろいろなものが見えるようになった。

いろいろ人の本質が見えるようになった。

もちろん、これは僕の主観だから、自分が正しいと言っているわけではない。

僕は無力だ。
たった一人で丸腰だ。
何の力もない。

ときどき昔が懐かしくなる。
何もわからず、目隠しされされて、一寸先は闇だった頃。
今でも一寸先は闇だけど、あの頃の方がより何も分からないくて、逆に一種の快楽があった。
今は、もうない。
 
 
 
 
 
 
 



精神疾患の方が楽?

2022-04-01 00:06:00 | Weblog

ある意味、精神疾患の方が楽だということもある。
何故なら、ほとんど総ての人は本来精神疾患ではないかと思うからだ。
脳味噌が発達した人間は、必要以上に考え、異常になってしまった。
だから、「私は正常です」と言うことは、本当ならできないはずだが、皆そう思っている。大半は正常で、異常な人はほんの一部だと。
でも、本来は、皆が異常なのだ。
正常などあり得ない。
だから、精神疾患を患うことは、本来正常なことなのだ。
自分に正直になれば、自分が異常であることがわかる。
だから、医者で薬をもらう。向精神薬だ。それを飲むと、少しは楽になるかもしれない。しかし、それを飲むと、別の精神異常になる。本来の精神異常が、さらに、上乗せした、不自然な精神異常になる。それは気持ちいいかもしれないが、間違っているかもしれない。
歪んだ鏡に映った自分の顔を見て、綺麗だと思うことに似ている。
それに比べれば、歪んでいない鏡を見て、自分の顔が醜くいと思うことの方が、まだましかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 


Listen! My friends in America!

2022-03-13 19:00:00 | Weblog
Everybody Should Please spread!


Please listen my friends who lives in the United States!

 Residents of Donbuss in eastern Ukraine decided their independence by referendum and were slaughtered by neo-Nazis, a mercenary unit funded by the neo-conservatives of Ukraine and the United States and the CIA.

 Still, it advocates independence.

 I tell my friends in America.

 Do you know Dennis Banks?

 He has died, but he is a true warrior in the shootout Wounded Knee with the American Immigration Department and FBI.

 You Indians should now have to be independent from the United States government like the inhabitants of Donbuss in eastern Ukraine.

 Are you not ashamed of your land being robbed by whites?

 Did you stupidly forget the Crazy Horse that once fought the settlers?

 Now is the time to bury a war shop called Joe Biden and the Indians should be independent.

 Has anyone heard?

 Listen!

 Do you stay silent even if you are fooled?

 What does Dennis Banks say when he's dead?

 What about Crazy Horse?

 What does Bigfoot, who was slaughtered in Wounded Knee, say?

 Now is the time to get up!


March 13, 2022  Hoshitaro ( Star Boy )



誰か、アメリカ在住の私の友人は聞いてください。

ウクライナ東部のドンバスの住民は独立を住民投票によって決めて、ウクライナやアメリカのネオコンややCIAから資金援助されている傭兵部隊、ネオナチによって虐殺されました。

それでも独立を標榜しています。

アメリカの私の友人に私は言います。

あなたはデニス・バンクスをご存知ですか?

彼は亡くなってしまいましたが、アメリカ移民局と銃撃戦をした真の戦士です。

あなたたちインディアンは、今、ウクライナ東部のドンバスの住民のように、アメリカ合衆国から独立すべきです。

あなたたちは自らの土地を白人に奪われて、恥を感じないのですか?

かつて入植者と戦ったクレイジー・ホースをあなたちは愚かにも忘れてしまったのですか?

今こそ、ジョー・バイデンとかいう戦争屋を葬り、インディアンは独立すべきです。

誰も聞いていませんか?

聞いていても黙ったままですか?

死んでしまったデニス・バンクスはなんて言うでしょうか⁉︎

クレイジー・ホースは?

ウンデッドニーで虐殺されたビッグ・フットはなんて言うでしょう?

今こそ立ち上がる時です!


2022313日 星太郎



道端に咲いていた美しい花

2022-02-14 20:20:00 | Weblog
 
たとえば、誰も歩いていない山道を一人で歩いていると、道端に綺麗な花が一輪咲いているのを見つけたとしよう。
なんでこんなところに、こんなに綺麗な花が咲いているんだろうと思う。頭で理論的に考えれば、きっとこの山のこの場所が、まさにこの植物が花を咲かせるのに最も適した環境なのだろうと推論する。だからこんなに綺麗な花がここに咲いているのだ。
でも彼は、どうして僕は今、この花を見ているんだろうと不思議に思う。まるでこの花が「私を見て」と僕に言っているみたいだ。もちろんそんなことはない。この場所に適した花が一輪咲いていて、たまたまそこを僕が通りかかっただけだ。
彼は頭をふって、そしてまた花を見つめる。

でもこの花の美しさを自分のものにしたい。

そう思って写真を撮る。
でも、撮った写真を見るとまるで別のものだ。
実物の花が誇らしげに微笑んでいるのが写っていない。
この花の誇らしげな表情は写真には写っていない。
この花の誘うような微笑みは写真には写っていない。
ただのありきたりの花にしか見えない。

そこで、どおしてもこの花を自分のものにしたくて、近くに落ちている木の枝を拾って花の周りの土を掘り、根ごと引き抜いて持ち帰ることにした。

家に帰って植木鉢に土を入れて、花を植えた。水をかけて倒れないように針金で茎を補強した。
なんとか花はまだ咲いている。

花は下向きになってしまったが、なんとかまだ咲いている。

彼はじっと花を見つめた。そして心の中で花に話しかけた。

「ごめんね。きみをどうしても僕のものにしたかったんだ。
 きみはあの山の道端で咲いていた方が幸せだったかもしれないね。
 あそこなら、いろいろな人がきみの傍らを通り、きみの美しさを見て驚嘆しただろう。
 でも僕はきみを独り占めにしたかった。
 だから僕はきみを引き抜いて家に持って帰ってきた。
 もしきみがあそこにいたら、きっと蝶がやってきてきみにとまって、きみを受精させたかもしれないね。
 きみは花びらを閉じて、種を生んだかもしれないね。
 でも僕はきみを引き抜いて家に持ってきてしまった。
 ここには蝶も飛んでいない。
 僕にはきみを受精させることはできない。

 ごめんね。

 でもどうか、ずっと永遠に咲いていておくれ。
 ずっと永遠に。」

針金で茎を支えられた花は下を向いたまま、今にも萎れてしまいそうになりながらも、彼の願いに応えることもなく、まだかろうじて咲いていた。


(追記)

あるいはその花が、車が頻繁に通る道端に咲いていたとしよう。
彼は「こんなところに咲いていたらいつ車に轢かれて死んでしまうかもしれない」と思って、親切にも花を掘り返して家に持ち帰ったとしよう。
はたしてその花は、前より幸せになったと言えるだろうか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



2021.11.24 記憶が混在してきた

2021-11-27 23:01:00 | Weblog
 

(今日の夜からおかしくなってる。記憶が混在してきてる。)

(ありえない記憶を思い出している。)

(ある意味、面白い。でもすぐに忘れる。)

(記憶の一部は、あり得ない創作なのかもしれない。)

(こんなこと、前に書いた気がする。時間はフィードバックする。)

(ある意味で、永劫回帰。あるパターンのバリエーションのある繰り返し。)

(瞬間の記憶を全部書き出すことなど不可能だ。)

(でもちゃんとしたストーリーになっている。時系列的に文章化できないわけではない。でもすぐに揮発する。どこかの記憶と混線している。でも他人の記憶ではなく、自分の記憶だ。)

(もしできたら、文章にしてみたい。)

((記憶が混線したら、時間の進み方が変わる? 遅くなる? つまり歳をとらない?))

((あり得る。夢を記述することから、夢の魔術的な技術を習得する。それの一側面が共時性だ。))

((いろいろなバリエーションからたった一つを選んでいるが、いろいろなバリエーションを併立させてそれぞれを展開することもできる。))

((可能性を記述すること。))

((前に同じようなことを書いたことがある。))

((記憶を創造することによって、記憶によってできた最終形である現時点も変わる。))

((過去を思い出すことを創造に変えること。))

独り言


創作した記憶をプールしておけば、そこから無意識に新しい記憶が生成されていく。

それらが意識上に上ってこなくても、夢見のように存在している。

記憶は事実というよりも、自らが創作したストーリー。だから、いくらでも複雑に作れるし、書き換えかれるし、パラレルにいくつでも作れる。


無意識が創作されている過程を思い出すことができれば、いくらでも記憶が作れるので、ある意味、恐ろしい。


もうやめておこう。永劫回帰になるだけだから。


現実的な話としては、あと十数年でシンギュラリティを迎えるらしい。そうなると、AIが人間の知性を上回る。でもその前に、二つの可能性がある。

一つは、人間がその頃には、知性を超えたメタ知性を獲得すること。

二つ目は、それまでにクラッシュが起きて、コンピュータシステムが全て崩壊すること。これには様々なシナリオがある。まずは核戦争が起きて、コンピュータネットワークが破壊されること、次には、ソーラーフラッシュが起きて、強烈な電磁波によってコンピュータがすべて壊れること。


これからは、ザッカーバーグがコンピュータネットワーク内にメタ空間を作ろうとしているが、それらは結局はAIによってコントロールされるようになるだろう。上に書いたようなクラッシュが起きない場合だが。そうなると、人間のコンピュータによる家畜化が成功する。それを作ったザッカーバーグでさえ、AIによるメタ知性の奴隷だったことに気づくだろう。

でもそれが仮に成功したとしても、AIにはコントロールされ得ない、パラレル知性を持つ人間が現れると、メタ空間内の知性ではコントロールできない、新しい自由な知的空間を手にする。

今まで、遺伝子によってプログラミングされてきた種の限界を、超えてしまう。DNARNAによる記憶の複製を自らが創作できる知性を獲得したとき、シンギュラリティを超えたAIをコントロールする知性を人間は手に入れるだろう。


卑近な例に次元を下げると、申し訳ないけど、誰かが作ったお粗末なRNA枠珍を打ったような人たちは、容易にAIに無意識に組み込まれていくだろうと思う。

申し訳ないが。

一番レベルの低いテレビ電波の知性レベルに選別されてしまった大多数には、申し訳ないがAIを超える知性は獲得できないだろう。したがってシンギュラリティ後には、不要になるのではないか。

(あくまで、フィクションとしてのお話ですから、、笑)


mRNAは、ある意味で記憶を複製している。

それを誰かが考案したとってもお粗末なmRNAもどきを入れることによって、人類は冒涜してしまった。何を? 不可知を。

不可知をとってもお粗末な知性で、知ったと思い込んだ。遺伝子操作が少しばかりできるようになったからといって、バカが創造主になったかのように錯覚した。そのバカさ加減から、やがて自然から淘汰されるだろうことも知らずに


20211124( facebook に投稿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



連絡して来ないで

2021-11-16 23:16:00 | Weblog
ジュリア

連絡して来ないで

あなたから連絡が来なくなって
今日で四日目

もしかしたらあなたは
あきらめたのかもしれない

あなたから連絡が来ないと
僕は平和でいられる

このまま終わってしまうのかもしれない

それでもいい気がする

何の結論も出ないまま
いつの間にか終わっている
そういうのがいいかもしれない
今はそう思う
明日になって
その次の日になって
どうしたんだろう
お願いだから
早く連絡をくれよ!
と思うようになるのもしれない

でも今は平和だ

きみからメッセージが来ると
僕の気持ちは掻き乱される
いてもたってもいられなくなる
胸に
百万本のナイフを突き立てられ
出血しているみたいに

だからきみのことが好きだ

それはわかっている

でも

こうして
明日が明後日になり
今年が来年になり
三年が五年になって

そのうちに

きみを忘れられるとしたら

僕は平和だ

だからこのまま
連絡して来ないで

そうしたら
僕は平和でいられるだろうと
想像している今が
平和だから

でも明日が明後日になって
三日が五日になれば
逆に
胸が痛くなってくるかもしれない

でも
それでも

連絡して来ないで

少なくても
明日までは
こうして平和でいたい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



女神の雲が現れて共時性が発生した

2021-10-27 12:54:00 | Weblog

昔、私がもっと若かった頃、現実のような夢を見た。否、それは現実よりもリアリティのある時間だった。

急に変性意識状態になって、私は呼吸していた。今までに一度もなかったくらいに自然に。気持ちよく。天国にいるみたいに。そして、そのとき。

私の口は、女性の口と合わさっていた。

私の吐く息を彼女が吸い込み、彼女が吐く息を私が吸っていた。

それはエクスタシーという言葉では表現できないくらい心地よく美しい体験だった。

目が覚めるとしばらく、呼吸の音が深い森を吹き渡る風のように、寄せては引く波のように世界を振動させていた。

私は勝手に、唇を合わせていたのは女神だったに違いないと思った。そして、その女神とはイシスだと決めた。

先日の雲は、そのイシスが空に現れたのだと思うことにした。


——

さっき来た写真

シンクロしている

何も言っていないのに


——

私のプライベートな夢見のような主観世界は、とてもヤバイです。


——

やっぱり、ピッタリ重なりました。

これは先ほど(10/25)来た写真です。

下の雲の写真は昨日(10/24)の写真です。

左右反転させただけで、角度も縦横比率も変えていません。

ピッタリです。

シンクロしました。

ECCO(地球共時性統制局)の仕業です。それしか考えられません。


——

これは体験している私にとってはすごいことです。

(読んでいる第三者にとってはよくわからないかもしれませんが

何がすごいのかというと、主観の世界が客観的な写真になって肉眼で見えるからです。

私が創作したのではありません。

日曜日にたまたま写真を撮ったのです。(龍さんに促されて

そうしたら雲が女性の顔に見えました。口と鼻から何か霧のようなものを吐き出している、または吸い込んでいるように見えます。

そして、今日、月曜日の夜に、実際の女性の写真がメッセージに添付されて送られてきました。

これも私の創作ではもちろんなく、ネットで検索して借用したものでもありません。私の意図と係りなく、彼女が勝手に(?)送ってきた写真です。

そして、それを左右反転させて重ねてみたらピッタリ重なりました。

イシスが呼吸している空と、ある女性が重なったのです。

これは私にとって驚きであり、徴(オーメン)です。

これが私の作り話ではないことは、昨日の投稿からご覧になっている方にはお分かりになると思います。


——

(昨日の夜、私は急にあることを思いつきました。空の雲の写真と彼女の顔の写真を重ねてみようかと思ったのです。でも、写真の顔の角度(上向きの角度)が違うとピッタリは重ならないだろうと思いました。photoshop で二次元的に回転させることはできますが、立体の顔を三次元的に上向きにすることはできません。

そう思っているのも束の間、彼女(もういなくなってしまったと思っていた)から急にメッセージが来たのです。写真が二枚添付されていました。一枚は顔の写真、もう一枚は半身の別の写真でした。

顔の写真を見てピンときました。

さっそくphotoshop で左右反転して重ねてみました。ピッタリ重なりました!

顔の上向き加減と斜めに傾けた角度がちょうどピッタリなのです。こんな偶然が起こり得るでしょうか?

偶然は必然かもしれません。ユングが共時性について仮説を提唱しています。ジョン・C・リリーは、共時性を司る機関があると言っています。それがECCOEarth Coincidence Control Officeです。)


 2021.10.25 facebook に投稿







 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



私の夢 (詩)

2021-10-21 02:01:00 | Weblog
 

今朝私は

遅い朝の腕に抱かれて起きたの


太陽はもう高くて

目のくらむような光が窓から差していた


そしてその光線が私の部屋を

隅々まで明るく照らしていたの


正直言うと

このまぶしい光が

私の素晴らしい夢を妨げてしまったの


何の夢を見ていたと思う?


もちろんあなたの夢よ


ねえ

二人で小川の側の

小高い丘の上に座っているのを想像してみて


そこにはあなたと私以外だれもいないの


二人で静かに座ったまま

手を繋いで

今日一日が終わるのを見送っているの


その日没は見事なものよ


すると太陽は

最後の光線の輝きを私たちに放射して

遠くの木々の茂みの向こうに

沈んでいったの


二人は何かを話し始めた

何かについて

愉快に笑ったりしながら


もうすでに

星々が夜空に輝き始めていて

月はその姿を

水面に映しているの


すべてが美しくて

まるで小説の一ページの中にいるみたいなの


そこであなたは突然

私にこう尋ねるの


「きみは天使を信じる?」


私は「信じる」と答えてから

天使が存在する

思いつく限りの

様々な仮説を

あなたに話し始めたの


そしたら

次々にいろいろな仮説が思い浮かんできて

止まらなくなってしまったの


でもあなたは

それを黙って聞いていた


でもついに

私は疲れてしまって

あなたに逆に聞いてみたの


「あなたはどう思う?

天使が存在するかしないか

あなたの答えを説明してみて」


するとあなたは

私の髪を

指の間で真っ直ぐにとかしながら

優しく笑って

何か言おうとしたの


そのとき私は

それはとっても大切なことに違いないと感じたの


でもそのとき

それが最初で最後の

とても大切な場面だったはずなのに

そこで終わってしまったの!


その夢は

明るい太陽の光の中に

蒸発してしまったのよ!


私はとても悔しいの!


でももうすぐあなたと会える


そのとき

きっと教えてね

あなたが思う夢の続きと

あなたが一番欲しいものを

 

 



思考という連想ゲーム

2021-05-03 22:12:00 | Weblog

だいたい思考というのは連想ゲームだ
半自動的だ
つまり精子と卵子が結合してたった一つの細胞ができた瞬間から
どんな人間になってどんな人生を送るのか
すべて決まっているようなものだ

でも人間には五感があるから
外界に反応して思考が変化する
見たもの聞いたもの嗅いだもの味わったもの感じたもの
その記憶が呼び起こされて
自動生成される思考に
バリエーションを与えている

つまり思考には
それを思考している自分なんていない
自分が考えているのだと
考えている主体は
そもそもいない

この肉体が自分だと思っている幻想
思考している主体が自分だと思っている幻想
ファンタジーを生成している文法に
そもそも支配されているストーリーだということに気付かない主人公
その主人公に自己同一している意識は鏡の幻想だということに気づかない主観
自らの目を見ることができない目を閉じて
その目の持ち主がいると思っている思考が自分だと思っている自己言及ループ

自動生成装置のスイッチを入れたのは
そもそも誰だったのか
今となっては思い出せない
思考
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


至福のストーリー

2021-05-03 17:57:00 | Weblog

「僕は病気なんだ。それも生まれ落ちた時から。そもそもこの世に生まれたのが間違っていたから、この世で健康に生きられるはずがない。もちろん、生まれていなかったら、そもそも僕なんて存在しないんだから、話にならない。だから、そんな想定はしない。無意味だから。だから、そもそも僕が存在していること自体が間違っているんだ。僕の母もそう言っていたし、自分でもそう思う。自分を愛せない人間が他人を愛せる訳がない。でも、僕の生命は、ほとんど他人のために存在している気がするんだけど。でも、生まれてきて、それなりに生きてきて、いわゆる分別なんかついてくると、人間ってもんは、一人前にいろいろと思索するもんなんだ。そして、あながち、その思索がまったく見当違いってわけでもなく、それなりに筋が通っていることもある。人間の智慧だってそんなに捨てたもんじゃない。つまり、死ってもんをそれなりに考えるわけだ。そして、思ったりする。このまま漫然と生きていても、死んでいるのとたいして変りはしないのではないかって。正直な話し、ぼく自身は本気でそう考えているんだ。つまり、僕の存在なんて、本当にたいしたもんじゃないって」

 

「そう。なかなか面白いお話しよね。私の思うに、間違ってるかもしれないけど・・たぶん十中八九当たってると私は思ってるけど・・あなたに足りない物があるのよ。それはなんだと思う? あなたに自分のことがわかるかしら?」

 

「なんだろう。見当はつきそうだが、なんだか、考える気がしないんだ。そんなこと。どうでもいいじゃないか。ぼくに足りないことなんか! それがどうしたって? そんなの地球が回ってることとなんの関係もないだろ!って、今にも怒り出しそうな気分だよ!」

 

「あなたが考えないなら、かわりに私が考えてあげる。いい? あなたに足りない物、それは、快楽よ。どう? そのとおりでしょ? 反論できる?」

 

「いやー驚いたな。僕に足りない物は快楽ってか? 確かにそんな気がしていたよ。いや、そんな気がしていたような気がする。でも、そんなこと、君にはなんの関係もないだろ。それとも君が僕の快楽になってくれるっていうのかい? もしそうなら、僕は君に感謝するけど、それ以外、君には何もあげられないよ。知ってのとおり、僕は一文なしだし、明日泊る所さえわからないんだから。実際の話し」

 

「あなたが私にあなたの快楽になってもらいたがっているのなら、その答えはノーよ。つまり、あなたの至福は、あなたにしか作れないってこと。作るっていう言葉が作為的だったら、こう言い換えてもいいわ。あなたの至福をあなたが認識するには、あなたが至福という役者が着る衣装をまず自ら作らなければならないの。衣装を着ないで舞台に立つことはできないでしょ? あなたは男だから特にそうよ。誰も男の裸なんて見たくはないわ。だからまず衣装を考えるの。そうでなければ、あなたにはそれを着た役者がどんな至福を演じるかわからないでしょ? そして、さらに、その至福の衣装を着て実際に演じるのは、あなただってこと。わかる? あなたが演じる役をあなた自身が作って、筋書きを考えるの、これから演じるストーリーよ。あなたが感じる至福に、どうやったら至ることができるかのプロセス。それがあなたが衣装を作って、あなたがそれを着て演じるストーリー。そうして、あなたがそれを演じてみて初めてあなたは至福がどんなものだかわかるでしょう。だから、その劇には、私の出番などないのよ」

 

「それは残念だな。でも僕は自分の至福のストーリーを、自分一人では演じられないと思うよ。たぶん君がいなければ、その至福の演劇は、第一幕すら開幕できないと思うよ。まあ、シェークスピアに訊いてもらえばわかると思うけど


「シェークスピア? どうしてシェークスピアなの? あなたはロミオとジュリエットのことを言ってるの?」


「もちろんそうだよ。あなたがジュリエットでぼくがロミオさ」


「ねえ、それって、口説き文句にしてはありふれてない? 今考えたの?」


「まあそうだけどそうかなぁ。ただぼくは、ぼくの至福のストーリーに、あなたが登場して欲しいんだ。だから言ってみただけだけど。でも、きみが登場しないと、ぼくの至福のストーリーは、そもそも始まりもしないんだよ」


「どうして?」


「それはわかるだろ。つまり、ぼくは一人じゃ何も出来ないってことさ。そもそも初めからぼくは片割れなんだ。宇宙には何故だか初めからプラスとマイナスがある。ぼくは男できみは女さ。わかるだろ? 初めから不完全なんだ。自分ひとりでは。だからぼくはどんな衣装を着たとしても、一人芝居で至福のオーガズムを迎えるどんなストーリーも思いつかないよ。きみがいなければ。そうだろ?」


「わかったわ。じゃあ、登場してあげる。あなたのストーリーに。で、どうやって登場したらいいの? 私の役は? 私の衣装は? 私の台詞は?」


「それはきみが考えることさ。僕が考えることじゃないよ」


「ねえ、じゃあこうしない?

 これは無言劇にするの。

 何も話さない。

 そして何も演じない。

 真実以外は。

 そして、これは冒険譚よ。

 いい?

 これから二人で旅に出るの。

 この劇には台詞がない。

 そして纏う衣装もないの。

 二人は裸になって

 これから、

 明日も知れない旅にでるのよ。

 二人で、二人だけで。

 ねえ、ワクワクしない?

 それこそ至福じゃない?

 明日も知れないことこそ、

 一番幸せなこと。

 何故って、

 あなたと私は同じ経験を

 これからするの。

 あなたのストーリーを私が書いて、

 わたしのストーリーをあなたが書くの。

 そして、それは二つのストーリーではなくて、

 たった一つのストーリーよ。

 明日をも知れない

 これから永遠に続く

 至福のストーリー

 ほら

 もう始まってる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



生と性のエネルギー(タントラ的なこと)

2021-04-20 00:39:00 | Weblog

シャンタンの“ゆるゆる瞑想会”でシャンタンの隣で瞑想していた女性が“いってしまった”という投稿を見て思い出しました。私もそれと似たようなことを今やっています。もう少し過激(?)な形で…。
シャンタンの瞑想会では、男と女が対になって肩に触れ合ったりします。コロナの時代になってからはなおさらですが、見ず知らずの男と女が体に触れ合う事は日本の社会ではほとんどあり得ません。街中で、あるいは電車の中で、ちょっとでも肩に触れたりしたら、それは犯罪行為になりえます。この人口が密集した都会生活の中では、人間の精神はますます孤立化し阻害化されていきます。でも本当は、心の奥底では“ふれあい”を求めています。心と心の触れ合いだけではなく、身体と身体の触れ合いをも…。私はそう思います。
では何故、私がそのようなことを始めたのかというと、話せば長いバックグラウンドがあります。
シャンタンも私も“シュリ・ラジネーシ・アシュラム”にいたことがあります。シュリ・ラジネーシといってもピンとこない方でも、OSHO といえば分かる方がいるかもしれません。でも僕がインドに行ったときにはOSHO の“O”の字もありませんでした。バグワンがOSHO になったとき、僕は思いました。老師ではなくてなんで和尚なんだろう、と。老師の方が禅っぽくてカッコいいと思いました。でもOSHO はocean からきているなどとバグワンが言っているのを見て、私は笑ってしまいました。その頃はOSHO は金ピカのブランドの時計をはめてオレゴンにコミューンを作ろうとしていた時期で、私が行ったプーナのアシュラムの頃とまるで別人のようになっていました。その頃は僕はもう、バグワンに興味を失っていました。でもその話しは別にして、OSHO のところでは(バグワンの時代からそうですが)、男女の“触れ合い”が大切にされてきました。男女が肩に触れ合うなんてだけでなく、抱き合い、あるいはもっと過激なこともグループで行われていました。“グループ”とは、グループになって泊まり込みで行われる心理療法のことです。当時のバグワンのアシュラムは、男女でそのようなグループ療法が行われているたぶん世界で唯一の場所だったのではないかと思います。(もちろんカリフォルニアのエサレン研究所もあるでしょう。でもエサレンは心理学に立脚していて頭〔理論的〕が主なのに対して、ラジネーシ・アシュラムは宗教に立脚していて心〔ハート〕がその対象だったように思います。)
では何故そのような“ワーク”をやる必要があるのでしょう? それはフロイトの深層心理学から来ている考え方です。人間の深層心理には個人が抑圧してきたリビドーが押し込められている。それがトラウマになって“神経症”を患っているという考えです。更にそのリビドーは、ライヒになると、“オルゴン・エネルギー”と呼ばれるようになります。それは“生のエネルギー”です。そして“性エネルギー”でもあります。ライヒはセックスする男女に電極をつけて、実際にオルガズムに達したとき、どのような電気的変化が生じるのかを測定しました。オルゴン・エネルギーは生エネルギーであり、またオルガズムのエネルギー、性エネルギーでもあるのです。そして彼は実際にオルゴン・ボックスやクラウド・バスター(人工降雨機)などを発明しました。(私は太古、ユーゴスラビア辺りで雨乞いをしていて、そのときの私の弟子がラジネーシだったと言われたことがありますが、性エネルギーによって雨を降らせることは、ライヒの理論によればあながちデタラメではないことになります。)
話しは横道にそれましたが、私もシャンタンと同じように70年代後半にラジネーシ・アシュラムにいて、過激な“男女の愛と性の解放”の現場を体験したので、たとえばこのコロナの時代にそのような“瞑想”をやったとしても、それは今日や昨日に思いついたことではないのです。
私はこの地球に生まれてきて強く感じたのは、ライヒのいう“オルゴン・エネルギー”がいかに抑圧されているかということでした。私は幼な心に、この“生と性のエネルギー”を、芸術(絵画や音楽、詩など)によって解放することをやろうと、心に決めました。私はその決意の瞬間を今でもはっきり覚えています。
そして、最近、私が対になって“瞑想”した異性がオルガズムに達する(オルゴン・エネルギーを感じる)ことが起きてきました。これはライヒのいう「生と性の解放」であり、個人的トラウマの解放であり、かつまた社会改革でもあるのです。これは、私なりの、この抑圧された社会に対するささやかなレジスタンスでもあり精神革命への静かな誘いでもあるのです。
 
 2021.4.5 facebook に投稿
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



僕は詩人だから 2021. 3. 31

2021-04-01 02:40:00 | Weblog

僕は詩人だから
フィクションの中に生きている
言葉で詩を書く必要はもうない
生きている一瞬一瞬が奇跡的だ
とても奇妙でもある
生と死が
醜く絡み合って
性が
意地らしくねじれ合っている
何人もの夢の電波が
干渉し合っている
その中で僕がピックアップした現実は
僕にしかわからない
物語
奇想天外なエンドレスストーリー
登場人物にはその断片が分かるだろう
でもほんの断片でしかない
僕の経験している詩の章句は
僕だけの公理で必然的に繋がっている
でもその必然は
客観的なものではない
だから
誰にも説明できない
説明できたら
僕が生きる必要はないだろう
一瞬先は闇
ストーリーは急に展開する
それは自分にも分からない
だから詩を書く必要はもうないだろう
書く暇などない
直感は書き留める前に
猛スピードで過ぎ去ってしまう
それを追いかけていたら
次の瞬間を逃してしまう
だから気をつけて目を見開いていよう
こんなストーリーは
まるで
極彩色の幻影
滅多に見られるものじゃないから
 
 
 
 
 
 
 
 
 


What is the love? ( 詩 )

2021-02-03 21:15:00 | Weblog

What is the love?

Not love that is something abstract 

Not love that is something political 

The love that is in my heart


My heart was broken already completely

I cannot do anything but kill myself

There is nothing to believe 

Because I betrayed myself


Once something is broken

Never be recovered forever 

If I let them broke it

It’s my sake not them

Broken glass

Cut her heart

shamed

bruised

beaten

I could do nothing

And she has died


I killed her

So I will kill my self 


This is the love

That is in my heart

Already broken

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



2021. 1. 11 fb に投稿した今日のこと

2021-01-11 22:10:00 | Weblog
 
今日は解放されるのではないかと期待していたのですが、彼女は軍に無実の罪で拘束されたままです。
今日はずっと彼女のことをハートで感じていました。
日本刀を持って殴り込みに行きたいですが、日本刀持って飛行機に乗ったらすぐ捕まるでしょうね。だいいち今はどこにも行けないし、、
彼女は前に書きましたが、私が幼稚園に行くか行かないかの頃、いつも一緒に遊んでいた近所の女の子にとても魂の感じが似ているのです。その近所にいた女の子はとても病弱で、いつも熱を出しては死にそうになっていました。何度も病院に入院していましたが、その都度少し良くなって退院していました。僕はいつもその子のそばにいました。その子はとても無口で、ほとんど何も喋りませんでした。だから一緒に遊んでいてもつまらなかったのですが、なぜかいつも一緒にいました。その子はときどき蚊が鳴くように微かに笑ったりしましたが、僕は彼女が何故笑っているのかわかりませんでした。一緒に遊んでいても何をするわけでもなく、面白いわけでもなかったから、僕は彼女のことが好きなわけでもありませんでした。とても痩せていて顔色が悪く、顔にあざのようなものがありました。今から思うと彼女はあの世とこの世の中間のような所にいたような感じです。今から思うと彼女はとても心優しくて純心でした。だから僕はいつも彼女と一緒にいたのだと思います。もしかしたら彼女は僕の生命力を必要としていて、だから彼女の方もいつも僕と一緒にいたかったのかもしれないと思います。
軍に拘束されている彼女は、なんとなく僕が小さいときにいつも一緒にいたその彼女にとても感じが似ているような気がします。とても心優しくて、僕のような荒々しいところがまったくありません。この世のものとは思えないくらい綺麗ですが、心というか魂はとても優しく純心です。彼女もあの世とこの世の中間にいるような感じなので、とても危険です。僕の生命力を分けてあげたいです。そして、今すぐにでも僕は日本刀を持って殴り込みに行きたいです。日本なら包丁を振り回したらすぐに警察に捕まって有無を言わさず起訴されますが、相手が軍隊なら日本刀を振り回しても問題ないでしょう。なにせ相手は機関銃だの戦車だのを持っているのですから。でも銃で撃ちたくはありません。日本刀でぶった斬りたいです。こんなことを書くだけで、投稿規定に引っかかるのでしょうか? なので、私の書くことはあくまでもフィクションなので、実在するいかなる個人や団体を表現したものではありません。ご了承ください。
今日は新宿で、彼女が着たら似合うだろう服を見て回っていました。そうです、私は少し切れておかしくなっていました。おかしくなって街を徘徊していました。デパートのブランド売り場に行って彼女に似合いそうな服を探しました。シャネルやサンローランなんか着たら、彼女はシャネルやサンローランのモデルよりも綺麗に見えるでしょう。ETROなんかも似合いそうだなと思いました。それから今度はもっとポピュラーな服を見にルミネ2に行きました。今どきのカッコイイ服がたくさんありました。やっぱり冬の今はヒールの高いロングブーツにハーフコートがいいかな。彼女は僕と同じ背の高さで175cmだから、踵の高いロングブーツを履いたら180くらいになるでしょう。瞳はグリーンで髪の毛はブラウン。とてもカッコイイと思います。原宿にはよくモデルさんが歩いていますが、彼女ならどのモデルにも負けないくらい目立つと思います。
そんなことを思いながら、どうやったらミリタリーに復讐できるか、一方の頭で考えながら、新宿の街を汚い格好をして彷徨っていました。デパートのブランドショップに行くと、男も子綺麗な格好をして歩いていますが、私はインディアンなので、汚い格好で歩きます。女性は小綺麗な金持ちの男が好きなのでしょうが、そんな男がいざとなったらあなたを敵から守ってくれるかどうか、分からないと思います。とにかく、一刻も早く軍は彼女を解放すべきです。そうしないと私もこれ以上切れたら、もう何をするか自分でも判らないくらいなので。
アバチカンでは停電。教皇が逮捕されたと噂されています。アメリカではいつ戒厳令が発動するのかどうか。
世界中戦闘モード学園コクーンタワーです。