「僕は病気なんだ。それも生まれ落ちた時から。そもそもこの世に生まれたのが間違っていたから、この世で健康に生きられるはずがない。もちろん、生まれていなかったら、そもそも僕なんて存在しないんだから、話にならない。だから、そんな想定はしない。無意味だから。だから、そもそも僕が存在していること自体が間違っているんだ。僕の母もそう言っていたし、自分でもそう思う。自分を愛せない人間が他人を愛せる訳がない。でも、僕の生命は、ほとんど他人のために存在している気がするんだけど。でも、生まれてきて、それなりに生きてきて、いわゆる分別なんかついてくると、人間ってもんは、一人前にいろいろと思索するもんなんだ。そして、あながち、その思索がまったく見当違いってわけでもなく、それなりに筋が通っていることもある。人間の智慧だってそんなに捨てたもんじゃない。つまり、死ってもんをそれなりに考えるわけだ。そして、思ったりする。このまま漫然と生きていても、死んでいるのとたいして変りはしないのではないかって。正直な話し、ぼく自身は本気でそう考えているんだ。つまり、僕の存在なんて、本当にたいしたもんじゃないって」
「そう。なかなか面白いお話しよね。私の思うに、間違ってるかもしれないけど・・たぶん十中八九当たってると私は思ってるけど・・あなたに足りない物があるのよ。それはなんだと思う? あなたに自分のことがわかるかしら?」
「なんだろう。見当はつきそうだが、なんだか、考える気がしないんだ。そんなこと。どうでもいいじゃないか。ぼくに足りないことなんか! それがどうしたって? そんなの地球が回ってることとなんの関係もないだろ!って、今にも怒り出しそうな気分だよ!」
「あなたが考えないなら、かわりに私が考えてあげる。いい? あなたに足りない物、それは、快楽よ。どう? そのとおりでしょ? 反論できる?」
「いやー驚いたな。僕に足りない物は快楽ってか? 確かにそんな気がしていたよ。いや、そんな気がしていたような気がする。でも、そんなこと、君にはなんの関係もないだろ。それとも君が僕の快楽になってくれるっていうのかい? もしそうなら、僕は君に感謝するけど、それ以外、君には何もあげられないよ。知ってのとおり、僕は一文なしだし、明日泊る所さえわからないんだから。実際の話し」
「あなたが私にあなたの快楽になってもらいたがっているのなら、その答えはノーよ。つまり、あなたの至福は、あなたにしか作れないってこと。作るっていう言葉が作為的だったら、こう言い換えてもいいわ。あなたの至福をあなたが認識するには、あなたが至福という役者が着る衣装をまず自ら作らなければならないの。衣装を着ないで舞台に立つことはできないでしょ? あなたは男だから特にそうよ。誰も男の裸なんて見たくはないわ。だからまず衣装を考えるの。そうでなければ、あなたにはそれを着た役者がどんな“至福”を演じるかわからないでしょ? そして、さらに、その至福の衣装を着て実際に演じるのは、あなただってこと。わかる? あなたが演じる役をあなた自身が作って、筋書きを考えるの、これから演じるストーリーよ。あなたが感じる“至福”に、どうやったら至ることができるかのプロセス。それがあなたが衣装を作って、あなたがそれを着て演じるストーリー。そうして、あなたがそれを演じてみて初めてあなたは至福がどんなものだかわかるでしょう。だから、その劇には、私の出番などないのよ」
「それは残念だな。でも僕は自分の至福のストーリーを、自分一人では演じられないと思うよ。たぶん君がいなければ、その至福の演劇は、第一幕すら開幕できないと思うよ。まあ、シェークスピアに訊いてもらえばわかると思うけど…」
「シェークスピア? どうしてシェークスピアなの? あなたはロミオとジュリエットのことを言ってるの?」
「もちろんそうだよ。あなたがジュリエットでぼくがロミオさ」
「ねえ、それって、口説き文句にしてはありふれてない? 今考えたの?」
「まあそうだけど…そうかなぁ。ただぼくは、ぼくの至福のストーリーに、あなたが登場して欲しいんだ。だから言ってみただけだけど…。でも、きみが登場しないと、ぼくの至福のストーリーは、そもそも始まりもしないんだよ」
「どうして?」
「それはわかるだろ。つまり、ぼくは一人じゃ何も出来ないってことさ。そもそも初めからぼくは片割れなんだ。宇宙には何故だか初めからプラスとマイナスがある。ぼくは男できみは女さ。わかるだろ? 初めから不完全なんだ。自分ひとりでは。だからぼくはどんな衣装を着たとしても、一人芝居で至福のオーガズムを迎えるどんなストーリーも思いつかないよ。きみがいなければ…。そうだろ?」
「わかったわ。じゃあ、登場してあげる。あなたのストーリーに。で、どうやって登場したらいいの? 私の役は? 私の衣装は? 私の台詞は?」
「それはきみが考えることさ。僕が考えることじゃないよ」
「ねえ、じゃあこうしない?
これは無言劇にするの。
何も話さない。
そして何も演じない。
真実以外は。
そして、これは冒険譚よ。
いい?
これから二人で旅に出るの。
この劇には台詞がない。
そして纏う衣装もないの。
二人は裸になって
これから、
明日も知れない旅にでるのよ。
二人で、二人だけで。
ねえ、ワクワクしない?
それこそ至福じゃない?
明日も知れないことこそ、
一番幸せなこと。
何故って、
あなたと私は同じ経験を
これからするの。
あなたのストーリーを私が書いて、
わたしのストーリーをあなたが書くの。
そして、それは二つのストーリーではなくて、
たった一つのストーリーよ。
明日をも知れない
これから永遠に続く
至福のストーリー
ほら
もう始まってる」