幻の詩集 『あまたのおろち』 by 紫源二

幻の現在詩人 紫源二 の リアルタイム・ネット・ポエトリー

メディテーションと自己言及

2017-11-11 09:30:26 | Weblog


メディテーションと自己言及



「瞑想って言葉の響きが好きなんだ」
 
「英語だとメディテーションでしょ?」
 
「そう。メディテーションっていう言葉の響きも好き」
 
「どうして?」
 
「だって、なんだか神秘的だし、静かで、知的で、宇宙の秘密が隠されているみたいじゃない?」
 
「宇宙の秘密?」
 
「そう。内なる宇宙の…。もしかしたら、自分の中にもコスモスがあるのかもしれない。その内なるコスモスが、外の宇宙と照応しているかもしれない…。」
 
「あなたの中にあるのは、カオスだけじゃない?」
 
「そういう気もする。なんだか、存在に意味などない気もするけど・・。そして、僕はいつも、いや、ときどき、死にたくなるんだけど…。死にさえ意味なんてないんだから…僕の存在なんてなおさら無意味でしかないだろ?」
 
「まあ、あなたは、なにもしないから、存在している意味もないかもね」
 
「でも、瞑想しかできないシッダルータは、誰かに『あなたは何ができますか?』と尋ねられて、『私は瞑想ができる。断食ができる』と言ったそうじゃないか。それがそんなに自慢できることなのか、僕は最近分からなくなってきたけどね」
 
「あなたは瞑想できる?」
 
「いや、できない。いや、できないと思うよ。瞑想しているつもりでも、ただ瞑想なんてしているつもりだけで、本当はなにもできてやしないんだと最近そう思うようになったよ。シッダールタのように自慢できるほどの自信は近頃どんどんなくなってきている。やっぱり仏陀はそのことひとつをとってみてもすごい人だと思うよ。『私は瞑想できる』と断言したんだからね」
 
「瞑想って、できるとかできないとか、そういうことなの? まるで自転車が乗れるとか、英語が話せるとか、逆立ちで歩けるとか・・」
 
「いいや、僕はそうは思わないね。瞑想って、できるとかできないとかの範疇にそもそも入らないものだと思うよ。だって、瞑想って何をやるのかも、そもそもまったくわからないものだもの」
 
「じゃあ、あなたは瞑想じゃなくて、なにをやっているの?」
 
「たぶん、瞑想ってどういうことだろうって思ってるだけかも」
 
「瞑想しながらそう思っているの?」
 
「そう。おかしいだろ。瞑想の自己言及を、ただ無意味に延々と続けているだけなんだ」
 
「自己言及って、合わせ鏡の”鏡の迷宮”のことでしょ? 自己言及する命題は、永久ループの罠にはまってしまって、結局、論理的には真偽が判定できないって、なんかの本に書いてあったわ」
 
「そう。瞑想って自分を見つめることだから、モロ自己言及だし、ガチで鏡の迷宮無限ループなんだよ。仏陀はそれができるんだと自信を持って他人に言えたんだ。たぶん仏陀は若い頃、自己言及のループから脱け出したんだろうね。それとも、合わせ鏡の鏡像世界の罠にはまらずに済んだのかもしれない。鏡に映った鏡像を見るのではなく、実在しているものを見たのかもしれない」
 
「合わせ鏡の無限の空間って、本当は存在しない無限空間だものね」
 
「逆に、無限の宇宙空間は、ほんとうは鏡に映ったただの見せかけだけなのかもしれない」
 
「見せかけ?」
 
「そう。見えるってそもそも見せかけを見ているだけなんじゃないかって思ったんだけど」
 
「光、よね。それって、光が一番速いから、時間を過去にはさかのぼれないっていう物理学者が考えたことじゃない?」
 
「そう。この物理的宇宙は、光が最速らしいよ。でも、それって、目玉に物理の理論を還元させた結果じゃないかって思うよ。そもそも人間には光しか見えないから・・。でも、それってただの見せかけを見せられているだけだったら、光も実在するんじゃなくて、闇を見ているだけかもしれない」
 
「なんか、ギリシャ時代のソフィストみたいな話しになってきたわね」
 
「そう、思考による推論って、ギリシャ時代からなにも変っちゃいないのさ」
 
「その思考も、見せかけ?」
 
「そう。思考していることが現実だとか、無矛盾の思考が真理だとか思っていること自体が見せかけにだまされているってことだと思うよ」
 
「そもそも人間は、そう考えるように仕組まれているってこと?」
 
「そう。でも、そうすると、僕は逆に神が存在するんじゃないかって思うんだ。なんか矛盾しているようだけど」
 
「つまり、人間があらかじめそう思考する、つまり、デカルトで言えば“万人に共通に分配されている理性”にしたがって思考するように仕組まれているなら、それを仕組んだなにものかがそもそも存在する、あるいは存在したことになるんじゃないかってこと?」
 
「そう、まさにそのとおり、それがぼくが考えていたことだよ!」
 
「そうでしょ。だってあなたは私、私はあなただもの」
 
「そして、神には、私を通してしか近づけない。その私は、万人に共通に分配されている主観ってことだけどね」
 
「そうね。『私には、私によってしか、私は神を知ることはできない』。論理学の三段論法とはまったく別の、それこそ自明な命題だわ」
 
「そう、誰も証明する必要のない、あらかじめ真であると万人が認める、認めざるを得ない自明の第一命題。そこに、既に“私”と“神”があるけどね。」
 
「それって、でも、言葉そのものがそのように出来ているからじゃない?」
 
「そう。そのように出来ているって逆に不思議だよね」
 
「そうね。言葉が本来持っているロジックって、本当に不思議ね。言葉によって語られ得なければ誰にもわからない真理って、そもそも言葉によって成り立っている言葉そのものかもしれないわね」
 
「ほらね。今度は言葉の自己言及だ。その罠にはまってしまうと永久ループしちゃうよ」
 
「でも、永久ループすること自体が、なんらかの実在の証明なのかもしれないわ。例えば、”私”っていう抽象が実在していることとか、”言葉”っていう抽象がそもそも存在しているってこととか」
 
「そうかもね。でも、もう今日は夜遅いから、この辺でやめておこうよ」
 
「そうね。そうしましょう。では、おやすみなさい」
 
「おやすみ」