19才の自画像。
やっぱりインディアンだ。
この絵を描いた頃はよかった。
毎週火曜日には神秘学講座に通い
水曜日以外は朝6時に起きて新宿の地下街を掃除した。
やがて、月に1万五千円のアパートに入り
仕事を変えて
助手席に女の子を乗せて車で走ることもできた。
ポケットにはVVSのダイヤモンドをジャラジャラさせて
ダイヤやルビーやサファイア
金やプラチナやパールを売り歩いた。
吉福伸逸の神秘学講座。
吉福さんとえつこさんに可愛がられた。
お世話になりました。
粗大ゴミに捨てられていた大きな鏡を拾ってきて、安アパートの部屋に置いた。
やがて、その鏡で自分を見ながら、自画像を描いてみようと思った。
部屋には、大きなソファベット(前の住人が置いていったもの)と、粗大ゴミで拾った大きな鏡、新聞の勧誘屋からせしめた洗剤しかなかった。(笑)
もちろん新聞はとっていなかった。
アパートに訪ねてくる人といったら、新聞屋とモルモン教くらいしかいなかった。
新聞屋に逆洗脳して、洗剤を大量にせしめたのだった。ジャイアンツのチケットもくれると言われたが、丁重にお断りした。
そのアパートに、カリフォルニアで知り合いになった笑太郎が突然訪ねて来た。
「星太郎は宝石を売り歩いていてヤッピーになったと噂で聞いて心配していたけど、部屋にある大量の洗剤は新聞屋からせしめたものとわかったし、それ以外何もないから安心したよ。いつでも荷物一つでどこでも行けるのが我々だからな。ゲーリー・スナイダーが言ったみたいに」と言われて、さすが笑太郎、と思ったのだった。
この絵はその後、そのあとに知り合いになった敬愛するYさんに「これが僕の描いた最高傑作です」と言って差し上げた。
しばらくYさんの豪邸の居間に飾られていたが、やがて粗大ゴミに捨てられてしまった。
それ以来、自分の作品(?)に対する執着が一切なくなった。
やがて、ニューヨーク帰りの天才画家AKIRA と知り合いになった。
「星太郎、作品が売れるようになったら、金で買われた作品は、買った人が何に使おうと文句は言えないんだぜ。玄関のラグマットにしようが、ビリヤードのまとにしようが、自由なんだ。それでも自分の子供のような作品を金で売るかい?」と訊かれた。
僕は自分の作品を粗大ゴミに出していたので、なんとも思わなかった。
AKIRA は、ニューヨークのジャンキー時代に描いた絵から総てを写真に撮ってファイルしていた。そのファイルを見せらさて、僕は唖然とした。コイツは天才だと思った。
それに比べて僕は、大きい作品のほとんど(総て)を粗大ゴミに出してしまっていた。AKIRA に見せられるのは、とっておいた大学ノートに描いたイタズラ描きの紙切れだけだった。
AKIRA はその大学ノートに描いた紙切れのイタズラ描きを(ダンボールに詰めた)仔細に一点一点見ていって、一枚を「これはいい!」と言って持ち帰った。
その後、僕は固辞したが、AKIRA は絵の代金だと言って1万円くれた。(笑)
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oil on canvas