幻の詩集 『あまたのおろち』 by 紫源二

幻の現在詩人 紫源二 の リアルタイム・ネット・ポエトリー

 嘘偽りなく、嘘偽りそのもの

2011-07-19 23:23:23 | Weblog

 
 
  こんばんわ。
 
  今日は、まだ、夜の11時。
 
  なんだか、とっても遅い台風が近づいてきているらしい。
 
  それなのに、明日は、朝の9時にてくてく外を歩かなければならない。
 
  雨が小ぶりになっていればいいのだが・・。
 
 
  そんなことより、
 
  土曜日は、生まれて初めて、”ヒーリング”を受けた。
 
  ”ヒーリング”。
 
  確かに、癒されたのかもしれない。
 
  いいえ、まだ癒されていないのかもしれない。
 
  でも、心についた深い傷には気付いた。
 
  それに気付かせてくれた”ヒーラー”は、
 
  確かに、すご腕のヒーラーに違いない。
 
  深い傷に気付いたときは、心は動揺しなかった。
 
  それはある程度、すでに気付いていた。
 
  でも、
 
  私を傷付けた相手がなぜそうなのか聞かれたとき、
 
  ぼくは、少し涙ぐんだかもしれない。
 
  目から涙が滲んできた。
 
  相手が私を傷付けたのにも理由がある。
 
  相手がどうしてそうなったのか、
 
  ぼくにはわかった。
 
  それがわかったとき、涙が滲んできた。
 
  可哀そうだったのかもしれない。
 
  相手は、私を傷付けた以上にボロボロだとヒーラーは言った。
 
  そのとおりだろう。
 
  ぼくも深い傷を負ったが、
 
  相手もそれ以上に、すでにボロボロだった。
 
  なぜそんなにボロボロだったのか、
 
  ぼくにはその理由まで分かったから、
 
  少し、涙が出てきた。
 
 
  この傷を修復するには、ヒーラーのヒーリングだけでは治らない
 
  ぼくにはわかっている。
 
  
  ハッとさせられるようなことも指摘された。
 
  確かにその通りだ。
 
  ぼくは、自分に煙幕を張って、
 
  ときどき、他人から正体がわからないように真の姿を誤魔化すことがある。
 
 
  ぼくの魂が垣間見られないように・・・
 
 
  そのとおりだ。
 
 
  善を悪にくるんで、表現しようとする。
 
  純粋なものを、過激に過剰に血生臭くして見せようとする。
 
  純情なものを、下世話な猥雑なものにして見せつけようとする。
 
  
  それらは、ぼくのカモフラージュなのだ。
 
 
  なぜなら、生のままの純情さを表現すると、
 
  必ず自分が傷付けられ、
 
  怒りと恐怖を覚えつつも、
 
  無力感に付き落とされ、
  
  あざ笑われたから。
 
 
  たしかにそのとおりだ。
 
 
  ぼくの表現を、だれも正視できないのは、
 
  ぼくが傷付いている痛みを、だれも共感したくないから。
 
 
  そのとおりだ。
  
  
  そのとおりなのだ。
 
 
  そのとおりの表現。
 
 
  ぼくの魂そのもの。
 
 
  嘘偽りなく、
 
  嘘偽りそのもの。
 
 
  だから、これから、
 
  自分を癒すのだろう。
 
  
  自分では自分を癒したいとは思わない。
 
 
  でも、これから、もしかしたら、
 
  自分の傷を死ぬまでに綺麗にしてから
 
  生まれたばかりの赤ん坊のようになって、
 
  死ぬのかもしれない。
 
  そして、もし、そうなれたら、
 
  死もまんざらでない気もする。