幻の詩集 『あまたのおろち』 by 紫源二

幻の現在詩人 紫源二 の リアルタイム・ネット・ポエトリー

緑色の顔のひと (1)

2019-08-31 01:58:25 | Weblog

誰にも知られることなく
私は一人で暮らしている
これといった趣味もなく
特別な主張も主義もない

とくにファッションにこだわることもなく
食べ物の好き嫌いもない
いつもスーパーの惣菜を買ってきて
アパートの部屋で誰にも見られることもなく
一人で食べる

テレビは見ない
これといって好きなタレントもいないし
スポーツにも興味がない
だから今何が流行っているのかもわからない

仕事場では誰とも親しくならない
最低限の挨拶やコミュニケーションはするが
自分の意見を言ったりしたことはない

誰からも気にされることもなく
注目されることもない

それでも私は存在していて
生きている


そんな同じような生活を何年もしていたのに
今日初めて駅で
私を見つめた人がいた
なぜかそのひとの視線が忘れられない

そのひとは山高帽を被り
緑色の顔をしていた























drawing 「 it's gonna be alright 」

2019-08-26 23:07:59 | Weblog

It's gonna be alright

pen on paper












「もうすぐ奈落の底に落ちるかもしれないけど、生きていたら最悪だな」
「生きることはやっかいだからね」
「そう、いろいろ面倒なことしなくちゃならないから」
「あなたはいっそ独房に入れられた方が天国かもね」
「そう、そこで死ぬまでお絵描きできるならね」






















夜になると

2019-08-24 02:57:36 | Weblog

夜になると眠れなくなる

誰か助けてほしい

なんでも僕のことがわかるスピリチュアルカウンセラーのように

できれば思いがけないことを指摘してくれればなおいい

僕の過去世とか(?)

夢を見ている間に行っているところはどことか(?)

そういえば、不思議ちゃんに会ってる頃は僕も不思議だった

スピリチュアルなことが身近にあったし

サイキックなことが簡単に起きると思っていた

でも考えてみると

他人のことを理解するなんて

サイキック的なこと以外のなにものでもないような気がする

僕は弱く弱くなって

ついには自分で立ち上がれないくらい無力になって

地面にしゃがみ込んだ

そうしたら

僕の素足をたらいの中で洗ってくれた人がいた

鮮明な夢を見て

そして僕は脳を壊した


あの頃と何が変わったのだろう

何も変わってない気がする

逆に言えば全てが変わった

僕の行動

周りの環境

何をして何に追われていたか

全部が変化しているが

本当は何も変わっちゃいない

見る夢は変わったが

見る主体は変わらないように

そして

この主体が問題なんだと

主体それ自身が思っている

でもそうじゃない

そう思っている思考は

じつは主体ではなくて

その他大勢の中の客体の

ごく一部でしかないということだ

それに気づく人はほとんどいない

だから

僕は誰にも助けられない





















四次元バカンス

2019-08-18 01:13:04 | Weblog


南の島に行って青い海に浮かんだ

白い砂が風に飛ばされて目が見えなくなった

深い海の底に沈めば明日を思い煩うこともないと思った

でも夜になれば腹が減って見知らぬ街の雑踏の中を歩いた

外国人観光客の一人として誰でもない自分のまま

思い出もない見知らぬ誰かと一緒に明日もわからないその日暮らしをすれば

親も兄弟も友人もいない自分でいられる

旅とは本来そのようなもの

行くあてもなく彷徨いながら

自分は誰かと問う自分すらもいない

過去の記憶は風化した遺跡のように風に飛ばされ

未来を写し出す映写機はショートして点滅しているだけ

光の明滅は

南海の波しぶきとなり

スローモーションになり

孤立した現実が夢の中に浮かんでいる
























最近の話題の美術展に関する感想 2019.8.9 Facebook

2019-08-14 21:13:54 | Weblog

最近の美術展に関して、保守対リベラルの図式での対立に関して、私の私的感想を書いておく。
まず、日本人はなんでも欧米の猿真似をする必要はないと思う。(以下「思う」は省略する。)
ドクメンタやベネチア・ビエンナーレのような国際的な展覧会を日本でも開催しなければならないという強迫観念は抱く必要はない。欧米の猿真似は明治の近代化だけで充分だ。
そして、パリからニューヨークに美術の中心が移ったのは、ロックフェラーなどが投資したからだ。ウォーホルやポップアート、コンセプチュアルなどがアートと呼ばれるようになったのは、ニューヨークの石油金融資本が投資したからだ。
そのニューヨークのリベラリズムが、今もなお、世界最先端の現代美術だというのは、もしかしたら時代遅れかもしれない。
今、こんな思考実験をしてみたらどうか。
例えば、ドイツの国際展で、ヒットラーを賞賛するアート作品が展示されたとする。たぶんユダヤ人権擁護団体が猛烈に抗議するだろう。一方でネオナチは、「これは表現の自由だ。現代アートであり政治ではない」と主張する。これは今回の愛知トリエンナーレの真逆の想定だ。昭和天皇の肖像を焼く、に対して、ヒットラーを賞賛する。極右が表現の自由を主張し、リベラルが展覧会を批判する。
このようなことがもし起きたとしたら、ニューヨークタイムズは即、これはナチスの賞賛だ。断じて許されない。現代アートとは呼べない。と記事を書くだろう。
たぶん、ドクメンタでは、このようなことは起こり得ないだろう。ヨーロッパ現代美術のキュレーターはもう少しユーモアのセンスを有しているはずだ。
ところが、アート後進国の日本の地方都市で、このような想定の真逆のことが実際に起きた。そして、現代アートの危機だと島国の中で騒いでいる。その現代アートとは、欧米の猿真似アートなのではないか? いや、ニューヨーク以後のロックフェラー資本のアートなのではないか?


2019.8.9 Facebook に投稿





















世界の破綻 2019.8.4 Facebook

2019-08-14 21:10:18 | Weblog

急激に何かが変化して始まっている。太陽の光や銀河の中心太陽からのパルスのせいかもしれない。日韓の摩擦や北朝鮮のミサイルもそうだし、香港のデモ、イギリスのBrexit、ドイツ銀行の破綻、イランのウラン濃縮もそうだ。それらが一気に火を吹いたらどうなるか。ドルもユーロも円も人民元も紙くず同然になったらどうなるか。それでも世界に有り余る兵器のスイッチは押されるのだろうか。火山噴火と地震が頻発する中で宇宙線が地球に降り注ぎ、デジタル通貨もAIも機能しなくなり、地球は臨界に達するのだろうか。

2019.8.4 Facebook に投稿





















この世は霊界であるというイマジネーション

2019-08-14 21:06:29 | Weblog

この世は霊界であるというイマジネーション
 
すべては偶然によって起きている
と考えると
記憶から自由になる
 
つまり、見る、聞く、歩く、すべての行為は
奇跡であると感じる
 
見た瞬間、そこに対象物が存在する神秘
そこにものが存在するのは
物理的に存在するのではない
霊的に存在しているのだ
つまり、奇跡として偶然そこに存在しているのを目撃しているのだ
どこにでも普遍的に演繹される物理法則など存在しない
あるのは、自ら明らかに認識できる奇跡のみだ
それ以外どこにも、還元されるべき共通する認識など存在しない
あるのはただ、私がいて、奇跡によって認識できる世界が偶然存在しているということ
 
理由などだれにもわからない
だれにも創造できない
自らが存在し
自らが認識できる世界が存在すること
太陽が輝き
地球の上を歩いていること
それは今起きている偶然であって
自分もその偶然の存在として奇跡的にある
 
ここは物理的世界ではなく
霊的世界なのだ
生も死も超越している
物理法則の及ばない存在の法則が存在している
それは夢のように永続している
ただし直線的な時間の中には存在しない
 
まちがった情報によって
間違った認識をさせられていただけなのだ
つまり、感覚は物理的なものだという誤謬
光は物質であるという偏見
光は霊的な存在であり
熱も霊的な存在なのだ
そこに様々な情報が貯えられている
様々な情緒、記憶、知性が宿っている
単なる光のスペクトルに分解できるだけの速度ではない
単なる水を一度上昇させるだけの熱量ではない
それは叡智であり愛であり人格であり精神でもある
それらと人間を分離することはできない
否、あらゆる存在は分離しがたく奇跡として存在している
 
事実、存在そのものが奇跡なのだ
なぜならそれは、偶然、たった今、在るものだから
ところが、記憶によって今が分裂する
誤謬によって記憶が分裂し、
死んだ時間のベクトルが
直線的に流れ始める
 
そのとき、すべての光は凍結し
固い物質の還元主義の名の下に
地下に埋葬される
それは一方向にのみに進む
単一な基準に還元され
イマジネーションの宇宙は
非可逆的事象の必然と化す
 
そのときアダムは楽園から追放され
永遠に天国には帰れない罪を背負う
 


2017年 同日 Facebook に投稿





















夜見る夢を実現する?

2019-08-14 21:03:39 | Weblog

きみは言ったね
 
夢をいつ実現するのかって
 
ぼくは夢は見たことがない、夜見る夢以外は、って言った
 
それってきみを失望させたかもしれないけど、本当なんだ
 
ごめんね
 
こんなふうに言えばよかった
 
つまり、
 
ぼくが実現させようとしてる夢ってなんなんだろう、って
 
自分でもわからないから教えてくれよ
 
きっときみには見えているのかもしれない
 
ぼくにも見えないぼくの姿が
 
だからそんなことを言うんだろ?
 
それってとても貴重なことなのに
 
きみを裏切ったようで後悔してる
 
でも、
 
夢なんてないんだ
 
夜見る夢も悪夢ばかり
 
そんなの絶望的だろ?
 
それがぼくの体験している”現実”なんだ
 
だから、
 
きみといるときだけは
 
忘れてしまいたい
 
何もかも忘れてただ天国にいる、きみと
 
そんな時間だけがぼくの夢
 
白いシーツにくるまれて
 
裸でゴロゴロまどろんで
 
外には太陽の光
 
きみの肌を照らす
 
それが夢だったのだと
 
後から気づくのが現実だけど
 
ぼくには夢なんてなかった
 
だから、
 
努力もしなかったし、
 
策も練らなかった
 
あるがままにあっただけだ
 
それって失敗の原因?
 
敗者の後悔先に立たずってわけ?
 
そして、きみはどこかに去っていき
 
今頃セレブになってるってこと?
 
それでもいい
 
策を弄じて成功のための競争なんてまっぴらだから
 
詩人には成功なんてない
 
それだけは真実だから、
 
覚えておいてほしい
 
詩人は決して夢を見ないことを
 

2017 同日 Facebook に投稿





















沖縄からの船上でDr. Bob としょうたろうと僕で話し合ったこと

2019-08-14 00:42:58 | Weblog

Dr. Bob をカリフォルニアから日本に連れて来るときに、沖縄から東京への船の上でボブとしょうたろうと僕がこれからのことについて議論したことを今でもよく思い出す。
3人は、今の石油原子力経済はやがては行き詰まる、だから、エネルギー循環型の経済にしなくてはならないと思っていた。そのためにパラワン島に行って、カサバ芋を作ることにしていた。パラワン島にはカサバ芋の畑がすでにあった。カサバ芋の澱粉からアルコールを作り、絞りかすを家畜の餌にして、家畜の糞をカサバ畑の肥料にする。作ったアルコールで自動車を走らせる。石油の代わりにアルコールをエネルギーにするのだ。アルコールは燃えても水ができるだけで、環境を破壊しない。エコでクリーンなエネルギーだ。石油経済はやがて原子力経済に移行する。アメリカではウラン採掘場でインディアンを働かせてインディアンを虐殺している。それが今のアメリカの石油原子力経済を担う連中のやっている世界支配のやり方だ。我々はそれを終わらせよう。そのためにパラワン島に行こう。ということでは3人は一致していた。
でも、文字通り一文無しで、これからどうやってその夢を実現する? 実際、この船賃だって、台湾で物乞いをして得た金でやっと乗ることができたくらいなのに…。
僕はこう主張した。東京に着いたら、どこか日本の商社の人とコネをつくる。三井とか三菱商事とかそういったところだ。そして、ボブが商社に行ってプレゼンテーションをする。我々が考えているアルコールをエネルギーにする循環型経済の新しいライフスタイルモデルだ。そのプロジェクトをフィリピンに作るので投資してほしいと日本の商社に商談するのだ。
それに対して、しょうたろうは即座に反応した。僕らがやろうとしているのは、パラワン島でカサバな畑を作ってヤギを飼い、アルコールを作って、アルコールで走る船を手作りして、それでフィリピンからインド、さらには中近東まで航海して、石油原子力経済に代わる新しいエネルギー循環型の経済をデモンストレーションして周ることじゃなかったのか。日本の商社なんて、今の経済システムの金を頼りにするなんて、本末転倒してるじゃないか。と。
確かに、しょうたろうの言っていることが一番正当だった。僕も確かにその通りだと思った。でも僕はしょうたろうに比べると、彼ほどの体力はないと感じていた。パラワン島で畑を耕すことくらいまではできそうだった。でもパラワン島にすでにあるという船のキール。それから、林から木を切り出してきて製材して、何十フィートもある船を仕上げるだけの体力は僕にはないのではないかと、密かに思っていた。正直言ってだから僕は日本の商社に投資してもらう案を考えついたのだった。でも、しょうたろうはそれは甘い考えだと言った。
「僕たちが言っている “self sufficient” (自給自足)っていうのは誰の力も借りない、金の力も使わないってことじゃないのか!」
としょうたろうは言った。
でも、2人の話を聞いていたDr.Bobは、僕の案を採用した。
(後日、東京に着いたDr.Bobは、実際に、三菱商事に行ってプレゼンテーションをした。それも2回も。でも、結局、パラワン島での夢は実現しなかった。)

しょうたろうは、今では高原の中に、文字通り自らの手で豪邸を建てて、悠々自適に自然と伴に生活している。

2019.8.3 Facebook に投稿