幻の詩集 『あまたのおろち』 by 紫源二

幻の現在詩人 紫源二 の リアルタイム・ネット・ポエトリー

オカルト雑誌の発祥と精神世界の出版社

2019-07-15 01:14:14 | Weblog

前に同じようなことを書いたことがあるかもしれないが、もう一度付け加えて書いてみる。
学研のムーという雑誌は有名だが、もともとは、私が働いていた編集プロダクションの社長が学研に持ちかけた雑誌の企画だった。カリフォルニアから帰ってきた私が、精神世界の雑誌を作ったらどうかと社長に提案したのだ。もちろん、その頃 “精神世界” という言葉は使われていなかったから私はこんな風に説明した。「科学で解明されていない不思議な現象がたくさんある。超能力もそうだし、夢の世界や死後の世界もそうだ。催眠術や心霊現象もそうだし、UFOもそうだ。それらは非科学的というより科学の範疇を超えている。いずれ科学がもっと発展したら、それらの現象も解明されるかもしれない。でも、それらが何かわからなくても、それらをオカルト呼ばわりするのではなく、現代の科学の範囲でアプローチする雑誌を編集したらどうか? 雑雑誌の名前は『スーパー・サイエンス』としたらどうか。活字よりもヴィジュアルを重視した月刊のムック版がいい。」
その編集プロダクションの社長(杉原荘六氏)は、もともとは学研で編集長をされていたが、児童書の編集では飽き足らず、仲間を引き連れて独立し、編集プロダクションを設立した。だから、『スーパー・サイエンス』の出版企画を古巣である学研に持っていった。ところが、その雑誌の編集を我が社ですることもなく、しばらくしてから、学研から『ムー』という雑誌が創刊された。(アイデアだけ盗まれたということか?)これは私がもともと企画して、私が働いていた編集プロダクションの社長が学研に持っていったアイデアである、と言っても、今では誰も本気にする人はいないだろう。でも当時、主に児童の教材を出版していた学研が、オカルト雑誌を出版することは、当時は誰も考えなかったことだったと思う。
学研のムーは、今では誰もが知っている雑誌になったのだから、私に“企画印税”を支払ってくれてもおかしくはない話だと思うが、その発祥の事情まで知っている社員は今では誰もいないのかもしれない。でももし、企画印税を支払いますよと言われたら、もちろん来るものはこばみませんが…。(笑)

その後、私は“精神世界”の出版社である“たま出版”で働いた。その頃、創業者の瓜谷社長は、“精神世界”を網羅する様々な団体や教祖的存在にコンタクトして、『精神世界フォーラム』という催しを主催していた。当時社員だった私もそのイベントを手伝っていたので、様々な精神世界の関係者を実際に見ることができたし、お話する機会にも恵まれた。
その当時、シャーリー・マックレーンの『アウト・オン・ア・リム』が大ヒットした頃で、翻訳された山川夫妻とアメリカの女性チャネラーも『精神世界フォーラム』に参加された。その場でチャネリングして、サン=ジェルマンのメッセージを伝えて、「誰か協力してくれる人は名乗り出るように」と言われた。私も手を上げて協力すると申し出たが、後日、リーディングをすると言われたが、私は行かなかった。でもそのときのチャネリングがきっかけで、“ニューエイジ協会”が設立されたと私は記憶している。正式名称は“国際”がついたかもしれない。あるいは、私の記憶違いかもしれないが。ただ、『アウト・オン・ア・リム』をきっかけにして、その後、チャネリングが大流行することになったのは確かだ。80年代初めの頃だ。ポール・ソロモンも『精神世界フォーラム』で公演したと記憶している。その後、ポール・ソロモン氏はテレビに出演してチャネリングをした。ポール・ソロモンは、日本から救世主が現れると予言していた。それから、マイトレーヤのベンジャミン・クレームも公演した。そのほか、様々な団体や教祖のお話しも聞いた。
でも、私は正直言って、どの団体も、どの先生も、どのチャネラーも、どの教祖の話にもあまり感動はしなかった。なぜなら、一つには、私が17才でインドに行って聞いたバグワンの話しに比べると、どの人のお話しも色あせて見えたからだ。もう一つの理由は、私は“神”と直に対話していたからだ。でも、この二つ目の理由は、誰も本気にしないだろう。だから、内緒にしておこうと思う。