幻の詩集 『あまたのおろち』 by 紫源二

幻の現在詩人 紫源二 の リアルタイム・ネット・ポエトリー

病気と自由

2018-03-21 01:21:13 | Weblog

もし僕が病気だとすると、
病気なのだから、他人は多目に見てくれるだろう。
何もできなくても、
サポートしてくれるだろう。
病気(ビョーキ)なのだから。

でも、確かに僕は病気かもしれないが、
誰にもそうとは思われてない。
サポートも受けていないし、
多目にも見られていない。

でも、病気と闘っている。
共存はしていない。
「自分自身」という病気と闘っている。

なぜなら、これはうまいこと手懐けられない代物だからだ。

引きこもりたいが、
引きこもることもできない。

僕には義務がある。
それを果たさなくてはならない。
それを果たしてはじめて、
僕は死ぬことができる。
自由になれるのはそのあとだ。
死ななければ、
今のところ
自由にはなれない。













オウム真理教のいう真理って?

2018-03-19 01:18:36 | Weblog

最近、オウムの地下鉄サリン事件のことを調べている。
1995年3月20日。
僕は銀座の画廊で初の個展の初日だった。
寝坊してもっと早く行くはずが遅れて、慌てて地下鉄に乗って銀座まで行った。
なぜか、まったく誰も乗っていなかった。僕一人だけ。
確か霞ヶ関だったと思う。そのあたりの駅を全部通過していった。なんのアナウンスもなかったと思う。
そのときは何故か、赤軍かなにかの過激派がテロを起こしたんだろうと思った。絶対そうだという確信があったから、次々と駅を通過していってもなんとも思わなかった。
画廊につくと、受付の女の子がテレビを見ていた。霞ヶ関でテロがあったらしいよ。オウムがやったみたい。え、オウム? 赤軍じゃなくて?
そして、僕は何故か家に忘れものをしてきたことに気づいて、「ちょっと家に戻ってくる」と女の子に言うと、「今はやめた方がいいよ」と言われた。「大丈夫、大丈夫、オウムごときに僕がやられるわけないから」と言って、今度はJRを使って家まで戻った。そのとき、そんなにまでして何をとりに行ったのか、今ではすっかり忘れてしまった。
あのあと、村井が刺されて殺された。
何故村井は殺されたのか。
何故ロシアで布教活動ができたのか。
サリンはどこで作られたのか。
覚醒剤を売っていたというのは本当なのか。
それはどこから手に入れたのか。
北朝鮮製なのか。
統●教会との関係。
何故捜査情報が筒抜けだったのか。
などなど、謎が多い。
当時のニュースを見ると、TBSはあやしい。
C●Aと関係あるんじゃないか。
情報操作しているように思える。
上祐はどこまで知っているのだろう。
僕はオウムが出てきたときから知っていた。
僕はそのとき、某精神世界出版社にいた。
オウムの広告も載せていたし、機関紙も読んでいた。
バグワンの出来の悪いコピーだと思った。
「麻原はパイロット・ババのイニシエーションを受けたんだよ」と聞いていた。「誰でも簡単にイニシエーションを受けられるらしいよ」
「まあ、それなりに修行はしたんだろうけど」
それがなんであんなに武闘化してしまったのか?
ヘリコプターを購入して、東京の上空にサリンを撒こうとするなんて。
でも、ラジニーシもオレゴン州に広大な土地を取得して、そこに「ラジニーシ・プーラム」と呼ばれるコミューンを建設しようとした。そのとき、地元住民とトラブルになり、ラジニーシは拘留された。それを機に、サンニャーシンは武装するようになった。オウムができる何年も前のことだ。
カルト集団が反社会的になる過程を見てきたから、オウムが武装しても不思議だとは思わなかった。
でもそれが日本で起きるとは思ってもいなかった。
何故、麻原の弟子たちは、直接チベットに行かないのだろう?
チベット密教なのだから、本場のチベットに行って、チベットの僧院に入って直接勉強すればいいのに。僕はずっとそう思ってオウムを見てきた。
でも、麻原の教義にはアルマゲドンなどのユダヤ、キリスト教の終末思想がミックスされている。勿論、インドでもカルマ・ヨガなどの終末思想はある。まあ、ノストラダムスの預言が迫っていたから、仕方がないのかもしれない。
オウムの信者たちは、ちょうど僕等の世代と一致する。だから、ただの新興宗教のインチキ・グルに洗脳された奴等がやったことで、我々とは関係がない別次元の話だと言って片付けることは、僕にはできない。

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絶対?

2018-03-19 01:09:14 | Weblog
実際にあったことは書かないでおく。でもすぐに“スメルジャコフ”が飛んで来てアリョーシャを慰めたことだけは書いておく。スメルジャコフもカラマーゾフの兄弟なのだ。劣ったものを侮ってはいけない。暴力で人を脅すものは暴力によって裁かれる。憎しみは憎しみを生み、復讐が復讐を生む。しかし、最後は暴力ではなく、法によって裁かれる。たとえ戦争に勝ったとしてもだ。ブッシュは“人道に対する罪”で有罪の判決を受けるだろう。善悪は相対的ではない。あるのだ。ネオプラトニストが「それはある」と言ったように、確かに存在している。もし、“絶対”がなく、全ては“相対”だとしたら、よりましな善があるだけになる。そこには“より速い光”があることになり、より明るい太陽があることになる。光速絶対不変は、ネオプラトニズムだ。太陽が一つしかないこともネオプラトニズムだ。ニーチェが天頂の太陽に照らされたとき、ニジンスキーが神になったとき。それは“相対的”なことではなかった。“絶対”だった。もし“絶対”がなかったら、そのとき“狂気”も消える。それと同時にあらゆる価値も消える。死もなく生もない。生きる価値も死ぬ価値もなく、哲学する意味もなくなるから、あらゆる論理は誤謬でしかなくなる。それを神は「存在しない」と言う。真理? 漠然としていてよくわからないが、それは在ると、巫女は言った。プラトンの時代そして現在もそれは変わらない。私も巫女がそれは在るというのを聞いた。

I Do not write what actually happened. But I will write only that "Sumerjakov" flew immediately and comforted Alishosha. Sumerjakov is also a brother of Karamazov. Do not despise what is inferior. Threatening people by violence is judged by violence. Hatred produces hatred, revenge produces revenge. However, the end is judged not by violence but by law. Even if you win the war. Bush will be convicted of a crime against humanity. Good and evil is not relative. There is. As neo-platonists say "there is" it certainly exists. If there is no "absolute" and everything is "relative", there is better better. There will be "faster light" there, and there will be a brighter sun. Absolute invariance of light speed is neoplatonism. It is neoplatonism that there is only one sun. When Nietzsche was illuminated by the sun on the zenith, when Nizinski became a god. It was not "relative". It was "absolute". If "absolute" does not exist, "madness" also disappears. At the same time all the values ​​disappear. There is neither death nor life. There is no value to live, no value to die, no meaning to philosophy, so every logic becomes error. It says that God "does not exist". truth? I do not know well because it is vague, but “it is there”, the shrine maiden said. It does not change in the era of Plato and now. I also heard that a shrine maiden said “there is”.

じぶんと向き合う方法

2018-03-18 21:48:09 | Weblog


 
じぶんと向き合う方法。
 
目玉では自分が見えない。
 
でも鏡で見ると見えるから。
 
たぶんこの顔のこの頭の中にある脳がこう考えているのだと思う。
 
「考えている自分を客観的に見つめられるか?」と。
 
でも、私はそう考えている思考を意識しているだけで、自分を見つめている訳ではない。
 
では自分、私とは何だ?
 
思考でもない、呼吸でもない、身体でもない。
 
でも、もしかしたら、思考であり、呼吸であり、身体かもしれないもの。
 
それらの総体?
 
だから、じぶんと向き合うとき、それらの活動をできるだけストップさせてみる。
 
そして、意識してみる。
 
「私は意識している」
 
「意識している私」
 
「意識を意識することはできるか?」
 
「私を見つめる私は、私を見つめている私を意識できるか?」
 
「呼吸なら意識できる」
 
「ゆっくり吐いて、ゆっくり吸って、それを見つめる」
 
「息をしている私。息を能動的にしている私」
 
「能動的に息をしている私を静止させる。それでも呼吸は可能か?」
 
「呼吸を止めると苦しくなる。だからといって、呼吸を全て自然にできるわけではない」
 
「止めた時だけ、苦しくなって思わず能動的行為から解放されるが、それも束の間、今度もまた、能動的呼吸が始まる」
 
「意識が始まる」
 
「思考している時、私は私を忘れる。でも、思考は私の思考。なくなりはしない。束の間、思考しなくなる時があるだけ」
 
「座っている、この身体全体が私」
 
「呼吸している、この身体全体が私」
 
「でも、この身体は動かない。動かさない。ただ座っているとき、私は存在しているか?」
 
「何かの刺激に反応して活動が始まった時、私はその反応として、その行為として存在している」
 
「なにもしないでただ座って呼吸しているとき、私はどこに存在するのか?」
 
「この意識が私か? だったら眠くなったときは、私がいなくなったのか?」
 
「そうではない。ただ、忘れただけだ。意識を失っただけだ。集中が切れたからだ」
 
「ただ集中していると、なぜ?、何のために?、」
 
「そして、本当に? 何に? 私は(この私は何だ?)何に意識を向けているのか?」
 
「なぜ? 何のために? 何に?」
 
「呼吸か? 身体か? 思考か?」
 
「呼吸するときの息の流れ、身体の膨らみ、腹と胸に流れ込む空気、そして吐き出す時、鼻から出ていく息」
 
「思考? 思考を思考している思考? 思考って何だ? 私がしている思考は私ではない?」
 
「組んだ脚が痛い。背骨が伸びていない。顎を引いて。脚に重力がかかる。頭は天を指している。でも、私はこの身体から離脱できない」
 
「もしかしたら、思考しか、自分に役に立つツールは存在しないのかもしれない」
 
「私のする思考だが、それは、なにか私以外のものを導き出す通路となるのかもしれない」
 
「デカルトもそう言っていた。そして、シュタイナーもそう言っていた」
 
「クリシュナ・ムルティやラジニーシは逆のことを言っていた」
 
「思考は中古品だ。思考を落とせ。と」
 
「思考を無くしたときに、初めて大いなるものと一つになると」
 
「確かにそうだ。大いなる全体には、私はいなかった。そして、私以外の全てがあった」
 
「でも、思考によってそこに近付く方法もあるのかもしれない」
 
「思考によって、思考を落とすのだ」
 
「さもなければ、人間が言葉を使う意味など無くなってしまう」
 
「名付け得ぬものを名付け、言い表せないものを言い表す」
 
「肉体では近づけない形而上の、より高き至高の存在に、言葉によって近付いていく」
 
「そして、思い出す。とても不思議な体験として、なつかしいものをことを思い出す」
 
「はたして、僕は、チャクラのエネルギーを循環させる」
 
「そして、意識の流れが、肉体を超える抽象的世界と混交させるために」
 
「意識の働き、呼吸の働き、イメージ、抽象の働き、そして、物理的ではないエネルギー、このエネルギーって何だ?」
 
「単なる、重さ×異動した距離×速さではない、何かの仕事をする抽象的エネルギー。たとえば、思考。たとえば、イメージ」
 
「思考、イメージを自由自在にできること」
 
「それこそ、超越」
 
「自分の枠を超えた思考、イメージこそ超越」
 
「真理とは、思考によって行きついた故郷」
 
「不思議な感覚と伴に思い出す」
 
「今まで忘れていたものを、それが初めからそこにあったように」
 
「私の記憶なのか、全体の記憶なのか、私の想い出なのか、全体の想い出なのか」
 
「なつかしくもあり新鮮でもあり、それを思い出すことが自分自身を思い出すことだったかのように」
 
「間違った夢から覚めて、全てが夢であるような夢に目覚めたような」
 
「言葉をしゃべれる私が、新たに思い出した最も古いことは、言葉を超えた記憶にアクセスするには、言葉の階段を最新の最先端まで昇らなければならず、その至高の高みで見える景色の中に、もっとも遠い事象の地平線に、原初の太陽が爆発している、時間の始まりの光景が描きだされていること。そして、今現在までの全てが既に今ここにあるということ。そして、時間は未来とも分化していないということ。」 
 
「私とは、宇宙にあまねく輝く意識の一つの輝き」
 
「存在する宇宙の数だけ、意識があるはずだ」
 
「存在する宇宙の事象の数だけ、意識があるはずだ」
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

What is love ?

2018-03-07 23:39:26 | Weblog

前につくった楽曲を投稿してみます。
(さっきYouTube にあげてみましたが、聴けますかね?)

https://youtu.be/8qfZOKd_ZjI

4トラックのカセットテープのアナログMTRで一発録り(編集なし)でつくったので、音は悪いです。
ギター、ボーカル、ドラムマシンです。
ドラムマシンは両手(足は使わず)で、ハイハット、スネア、バスドラ、ハイハットの開け閉めをリアルタイムで叩いているのでリズムが狂ってます。
技術レベル初心者です。(^-^;
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🎼 What is love ? 💕
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-1-
I understand that love is true
But I don’t know what is love
I wish if you loved me
But I can’t ask you to love me

Cause you may not be in love with me
Even if you don’t know me
Why do I have to leave you
Because I’m blind that love is clear

I can’t forget you
Cause I love you
I can’t forget you
Cause I love you
I can’t forget you
Cause I love you

-2-
I don’t know which do you love me or not
But I am sure I love you
Can I beg you a pardon
Would you help me to say “I love you”

Say you love me too
Cause I love you
Say you love me too
Cause I love you
Say you love me too
Cause I love you


-Facebook 2018. 3. 7-