幻の詩集 『あまたのおろち』 by 紫源二

幻の現在詩人 紫源二 の リアルタイム・ネット・ポエトリー

 精神は脳内化学物質の奴隷か?

2012-01-22 02:37:19 | Weblog

 
 
  オリンピックで、ドーピングはいけないことになっている
 
  でも、もし、ドーピングして100mを8秒で走ったとしたら
 
  金メダルは取れないけど
 
  やっぱりそれが最高記録なのではないかな?
 
  公式記録からは削除され
 
  歴史には残らないかもしれないけれど
 
  それと同じように
 
  昔は、滝に打たれ、座禅し、荒行、苦行をして
 
  やっと体験できた境地を
 
  今は、簡単にドラッグで体験できるとしたら
 
  たとえ副作用で廃人になっても
 
  それを体験したいと思ったりするんじゃないかな
 
  人間なら
 
  そんな境地に達したいと思ってもおかしくはない
 
  でも逆に
 
  宗教で言われているそうした神秘体験
 
  宗教的境地
 
  それらは、脳内のエンドルフィンとかドーパミンとか
 
  あるいは、まだ未知の分子によるのだとしたら
 
  うつ病が、今流行りのセロトニンをコントロールする薬で治ると宣伝されているように
 
  脳内分子薬物によって
 
  世界平和を実現することも可能なんじゃないかな?
 
  ブッダになれる薬
 
  超能力者になれる薬
 
  将来、分子が化学合成され、製薬会社で売り出されるかもしれない
 
  シャーマンになれる薬・・・これってすでにあったよね
 
  つまり、インディアンもマヤ人も
 
  聖なる儀式にドラッグを使ってきた
 
  脳内の神経伝達物質の流れをちょっと変えるために・・・
 
  そうすると、今まで体験できなかったリアリティに目覚める
 
  宗教は、そんな、非日常のリアリティに立脚しているのなら
 
  宗教的な崇高な境地も、信条も
 
  今、流行りの、唯脳論で説明されてしまうよね
 
  それって、とても陳腐だよね
 
  だから、ぼくは、そんなドラッグなんてやめたんだ
 
  たったの10代で・・・
 
  そして、そんなもの(脳内伝達物質)には還元され得ない
 
  それでいて
 
  神秘家が体験してきた、至高体験を経験してみたいと
 
  想い続けてきた
 
  ヨハネはパトモス島で
 
  まさかドラッグをやっていたわけじゃないだろうし
 
  そのときのヨハネの脳内の化学物質を調べたって
 
  黙示録の謎は解けっこない
 
  そうでしょ?
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 ブラーフマチャリア?

2012-01-22 02:08:19 | Weblog

 
 
  ブラーフマチャリアって知ってる?
 
  性の超越
 
  性的欲望の昇華だって
 
  まるで水を熱すると沸騰して水蒸気になるように
 
  低次のエネルギーは高次のエネルギーに昇華される
 
  怒りも、憎しみも、恐れも、同じようにようにして昇華されるんだって
 
 
  そうかもしれない
 
  でもなんか信じられないな
 
 
  千日回峰して、滝に打たれて、お上人様が修行して
 
  やっと到達できる心境なのかと思ったら、そうじゃないんだって
 
  タントラでは、瞬時にそこに達するんだって
 
  突然、全てが今ここにあることに気づくんだって
 
 
  そうかもしれない
 
  でもなんか信じられないな
 
 
  存在って祝福に満ちてるんだって
 
  それは想像を絶しているんだって
 
  期待していたどんな幸せも吹き飛ぶほどの至福なんだって
 
 
  そうかもしれない
 
  でもなんか信じられないな
 
  ドラッグでもやらない限り
 
  そんな幸せ感じられないんじゃない?
 
 
  究極の境地は、家に帰るようなものなんだって
 
  そして、そのとき
 
  つまり悟ったとき
 
  禅の和尚はどうしたかって?
 
  ただ、一杯のお茶を所望しただけなんだって
 
 
  そうかもしれない
 
  でも、それが究極の境地だなんて
 
  信じられないな
  
 
  羨ましいとは思うよ
 
 
  でも、ぼくは、きっと
 
  死ぬときにそれがわかるかもしれないな
 
 
  それよりも前はあり得ない気がする
 
  それよりも後なら、あり得ないこともない気がする
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 無言の言葉

2012-01-18 02:08:55 | Weblog

 
 
  頭がこんなに痛いのに
 
  なにか書けるだろうか?
 
  言葉なんて形骸であり
 
  言葉で表現できることなんて
 
  ほとんど意味がないに等しいのに
 
  それでも、言葉にしなければ伝わらない
 
  でも
 
  確かに
 
  言葉では伝わらないものが
 
  目と目を見るだけで伝わることがある
 
  その情報量は膨大だ
 
  でも、言葉にはできない
 
  言葉にした途端にすり抜けてしまう
 
  例えば、その人の本質
 
  それがAさんとBさんの違いなのだが
 
  言葉では語れない
 
  顔かたちの違いではない
 
  その人の持って生まれた個性
 
  そして、今までの人生で蓄積した経験による個性
 
  驚くほど人それぞれ
 
  美しかったり、醜かったり
 
  強かったり、弱かったり
 
  奥が深かったり、浅かったり
 
  輝いていたり、くすんでいたり
 
  暖かったり、冷たかったり
 
  そんな二律背反で表現できないほど
 
  皆、それぞれ
 
  ベテルギウスとハンバーガーほどにも違っている
 
  でも、それぞれ違っていても
 
  お互いに言葉だけは通じる
 
  ある程度しか通じないとしても
 
  それでも、まったく通じないということはない
 
  そして、その言葉の中にこそ
 
  その人が発する言葉の中にこそ
 
  その人の本質が見える
 
  言葉にはならない本質
 
  言葉にはできない個性
 
  まるで、その人がなぜ生まれて来たのかを語っているよう
 
  無言の言葉で
 
  まるで、その人の一生が透けて見えるよう
 
  無言の言葉で
 
 
  無言の言葉
 
  そして、誰でも同じように
 
  その無言の言葉を感じている
 
  だから、逆に言葉が通じる
 
  全部通じる訳ではないが
 
  それでも、お互いに共有できる何かがある
 
  それが、人間の本質なのかもしれない
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 今いるぼくは、まぼろし

2012-01-09 01:55:38 | Weblog

 
 
  ぼくには快楽がない
 
  夜中、車しか走らない幹線道路を自転車で走って
 
  くたびれて部屋に戻る
 
 
  同じ道を往ったり来たり
 
  ぐるぐるまた同じ所に戻って
 
  まったく前に進まない
 
 
  ときどき、同じ顔に出会う
 
  ぐるぐる彷徨い、どこにも辿り着かない似たもの同士
 
  知り合いでもないのに
 
  また出会ったなって
 
  お互いに、目と目を見合わせて、照れ笑い
 
 
  旅は永遠
 
  永遠の旅
 
  それがわかっていれば
 
  この永劫回帰に
 
  もっとくつろげるはずなのに
 
 
  真っ黒な闇の中に
 
  色彩が浮かび上がる
 
  綺麗かもしれないが
 
  イメージには意味はない
 
  でもなつかしさはある
 
 
  快楽への郷愁
 
  理想への失恋
 
 
  ぼくは
 
  ぼく自身は
 
  ただ
 
  想い出の中だけに存在しているのではないか
 
 
  それとも
 
  夢の中?
 
 
  想い出の中
 
  記憶の中
 
  夢の中
 
  
  脱け出せなくて
 
  今いるぼくは、まぼろし
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

 新しい認識は決まり文句によってはもたらされない

2012-01-08 03:30:28 | Weblog

 
 
  まったく新しい認識は
 
  まったく新しい言葉の使い方によってのみ可能となる
 
  そして、それは常に意識的意識の実験の過程であって
 
  今まで一度も経験されていない
 
  実感を伴なうものでなければならない
 
 
  決まり文句は
 
  なんの認識ももたらさない
 
  死んだ形骸である
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 オリジナルな思考

2012-01-08 03:21:11 | Weblog

 
 
  思考の流れの裏にかくれた
 
  閃きの煌めきが
 
  ほんの瞬間瞬いている
 
 
  思考に気をとられて
 
  気付かないだけ
 
 
 
 
  行動は動機という種子の成長過程であり
 
  新たな動機の原因となる
 
 
 
 
  生きているということは
 
  一つの認識の過程である
 
  そして、その認識は
 
  特定の意味を越えるものでなければならない
 
 
 
 
 
  特定の思考過程に囚われない思考をすることが
 
  ぼくにとっての”禅”であり
 
  ”禅状態”である
 
 
 
 
  功利的動機から行為することを一旦やめてみると
 
  宙ぶらりんの状態になる
 
  そこから
 
  オリジナルな思考が始まる