ぼくの時間は あの時 止まってしまった
わけもわからない友達ができて
わけもわからず楽しかったとき
なにかが僕の中で始まった
すごく楽しいこと
決めた訳でもない
ただの思いつき
きみは死んだらしいけど
それも最低の死に方
ぼくにはよくわかる
きみはきみに暴力を振るった
きみはきみをも愛していたってことだ
死ぬほど可愛がったってことだろ
ぼくが死ぬとしたら
もっとぜんぜん違う死に方をするだろうと思う
たぶん他人には理解できないような死
ぼくも、きみといつも、無意識的に気が合って、遊んでいたから
そこらへんにいる人と同じような平凡な死に方はしないと思うよ
一種の芸術かもしれないよね
死に方っていうのにも
それなりに美学っていうもんがあるじゃない
でもその美学ってもんをやたら大げさに誇張すればするほど
田舎くさい野暮ってもんになるけどね
きみは、結局、最低の線から上には出られなかったってことだよね
どんなにもがいても、きみはいつも最低だった
それなのに、きみがこんなになつかしいのは
きみにも美学があったっていうこと
つまり、
あの時代、ポール・マッカートニーを一緒に聞けたってこと
1985って曲をよく一緒に歌ったよな
ポールのかっこよさがきみにはわかっていた
そう、勉強なんて、なにも分からなくたって
1985年になれば、なにもかも終わってしまうんだ
っていうジョーク
それが僕らの遊びだった
中学生のくせに
やたらにひねくれたジョークをひねり出して笑ってたよな
それには、ポールの曲の方が合っていた
ジョンのイマジンも最高だけど
ぼくはゲーセンにシングル盤を置き忘れてきて
もう一枚買ったんだ
でも、政治的メッセージがある歌は
ぼくらの遊びのバック・ミュージックには合っていなかった
ちょっとうさんくさいしね
世界平和なんて
ジョンだって不良のままの方がよかった
ヨーコのアートの影響受けて
ギンズバーグやティモシーリアリーなんかとつるんでいるのが
かっこいいと思ったんだろうけど
本当は、ポールともっとつるんでる方がもっとかっこよかったかもしれない
まあ、どうでもいいけど
もう一度、若くなってみたい気がするよ
1985年でもいいから、戻ってみたい気がするよ