幻の詩集 『あまたのおろち』 by 紫源二

幻の現在詩人 紫源二 の リアルタイム・ネット・ポエトリー

 1985

2013-02-20 01:12:57 | Weblog

 
 
  ぼくの時間は あの時 止まってしまった
 
  わけもわからない友達ができて
 
  わけもわからず楽しかったとき
 
  なにかが僕の中で始まった
 
  すごく楽しいこと
 
  決めた訳でもない
 
  ただの思いつき
 
  きみは死んだらしいけど
 
  それも最低の死に方
 
  ぼくにはよくわかる
 
  きみはきみに暴力を振るった
 
  きみはきみをも愛していたってことだ
 
  死ぬほど可愛がったってことだろ
 
  ぼくが死ぬとしたら
 
  もっとぜんぜん違う死に方をするだろうと思う
 
  たぶん他人には理解できないような死
 
  ぼくも、きみといつも、無意識的に気が合って、遊んでいたから
 
  そこらへんにいる人と同じような平凡な死に方はしないと思うよ
 
  一種の芸術かもしれないよね
 
  死に方っていうのにも
 
  それなりに美学っていうもんがあるじゃない
 
  でもその美学ってもんをやたら大げさに誇張すればするほど
 
  田舎くさい野暮ってもんになるけどね
 
  きみは、結局、最低の線から上には出られなかったってことだよね
 
  どんなにもがいても、きみはいつも最低だった
 
  それなのに、きみがこんなになつかしいのは
 
  きみにも美学があったっていうこと
 
  つまり、
 
  あの時代、ポール・マッカートニーを一緒に聞けたってこと
 
  1985って曲をよく一緒に歌ったよな
 
  ポールのかっこよさがきみにはわかっていた
 
  そう、勉強なんて、なにも分からなくたって
 
  1985年になれば、なにもかも終わってしまうんだ
 
  っていうジョーク
 
  それが僕らの遊びだった
 
  中学生のくせに
 
  やたらにひねくれたジョークをひねり出して笑ってたよな
 
  それには、ポールの曲の方が合っていた
 
  ジョンのイマジンも最高だけど
 
  ぼくはゲーセンにシングル盤を置き忘れてきて
 
  もう一枚買ったんだ
 
  でも、政治的メッセージがある歌は
 
  ぼくらの遊びのバック・ミュージックには合っていなかった
 
  ちょっとうさんくさいしね
 
  世界平和なんて
 
  ジョンだって不良のままの方がよかった
 
  ヨーコのアートの影響受けて
 
  ギンズバーグやティモシーリアリーなんかとつるんでいるのが
 
  かっこいいと思ったんだろうけど
 
  本当は、ポールともっとつるんでる方がもっとかっこよかったかもしれない
 
  まあ、どうでもいいけど
 
   
  もう一度、若くなってみたい気がするよ
 
  1985年でもいいから、戻ってみたい気がするよ
 
  
 
 
  
 
 
  
 
  
 
  
  
   
 
  
 
 

 碧い空

2013-02-15 00:08:20 | Weblog

 
 
  空がどんどん碧くなって
 
  僕はどくどく鼓動を早める心臓を抱えて
 
  見えない天国への階段をぐんぐん昇って行く
 
  なんだ、結局、悟りとは、このように簡単なものだったのか