“言語”は、“思考感覚”の表現である。“思考感覚”とは、思考を感じる感覚のことである。この感覚は、倫理に縛られてはいない。倫理は思考そのものの道筋を規定する。しかし、正しい筋道を踏んだ思考であるからといって、正しい答えに至るとは限らない。“正しい”ことと“無矛盾”であることは別物だから。また、“正しいこと”がいつも“快感”であるとは限らない。正しいことはイデアに属し、快感は感覚に属するものだから。そして感覚は、神経繊維の束が集積した感覚器官によってその刺激が識別され、意識に運ばれ、意識化される。イデアは、思考によって辿りついた正しい認識と似たものであるが、美のイデアは、感覚器官が識別した最高の感覚と似ている。“美”とは、視覚における味覚であり嗅覚であり触覚である。“美”のイデアは全ての感覚器官を逆の向きから、つまり精神から肉体へと刺激する。