幻の詩集 『あまたのおろち』 by 紫源二

幻の現在詩人 紫源二 の リアルタイム・ネット・ポエトリー

コンピュータテクノロジーと意識

2019-10-28 00:55:00 | Weblog

コンピュータテクノロジーによってAIができてきて、AIによって逆に人間の意識について再考を迫られる時代を迎えるとは、まだ60年代に気づいている人は少なかったはずだ。ティモシー・リアリーやジョン・C・リリーを除いては。
60年代は、主にドラッグによって意識について再考を余儀なくされていたが、まさか0と1の二進数のコンピュータテクノロジーによって意識が変化するとは思っていなかった。
ところが今や二進数ではなく量子コンピュータが実用化されている。ほんの十数年前は、量子コンピュータなんて、理論上の話であって、まさか実用化されるとは思ってもいなかった。なぜなら、量子のもつれなんて、理論としてはあり得るのだろうけど、そんなことは本当に日常的に起きていることだとは想像もできなかった。
これからは、脳細胞のマイクロチューブル内の量子理論が実用化されて、あの世と実際に交信できるテクノロジーができるのかもしれない。
そうなると益々、我々の意識というものが何者なのか、究極的な倫理とは何なのか、問われる時代になるのだろう。
そのような時代になってはじめて、宗教とはいったい何なのか、宗教的真理とは何なのかが、おぼろげに分かってくるのかもしれない。

80年代、「ニューサイエンス」という名前で、サイエンスが人間の意識を解明することをはじめた。そのときにカプラなどの西洋のサイエンティストが拠り所にしたのは、主にユング心理学だった。ユングは道教などの東洋思想を研究していた。ニューサイエンスから「パラダイムシフト」という言葉も生まれた。ゲシュタルト変換だ。
ジェフリーチューは現代物理学は仏教思想に極似していると言った。
悟りの境地は量子場の世界と似ているのかもしれないと思ったりした。
仏教以前に、インドのシャンカラの哲学は、空(くう)の概念を説いていた。
「人工知能は意識を持てるのか?」という問いは、東洋的には一つの禅の公案のようなものかもしれない。
一方で、西洋的には意識をエレクトロニクスで作り出すテクノロジーを、どこまでも進化させていくだろう。
西洋と東洋の出会いは今でもなお有効な方法論であることは間違いないのではないか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

記憶と夢

2019-10-28 00:37:00 | Weblog

どれほど複雑な事象に見えても
解析すれば単純な構造によってできていることが分かる

それと同じで
様々な経験を
秩序だった意味の構造の中に記憶していく
記憶は
ときに苦く、または甘美でもあるが
それらを二度と同じ状況では味わえないという意味では
儚く無常なものであることは共通している

ところが、記憶の秩序はときにはほどけて
意味をなさない断片になって
花がくから剥がれ落ちる花びらのように空中に漂い
やがてそれらが偶然にも寄り集まって
自律的に再構築されることがある

夢の中で
理性的に構造化された記憶の秩序の中から
断片が剥がれ落ちて
それぞれの記憶の一コマが無意味なものに還元されたあと
偶然にも結合して
意味をなさないストーリーを展開しているとき
それらを創造しているのは自分ではないし
それらを解釈するのも自分ではない

我々はできることなら
自らの体験を自律的に構築したいと願う
ところが体験は意志によっては導き出せない
なぜなら、体験とは常に過去に属し
我々はそれらを記憶の連なりの中に
自律的に意味付けて格納することしかできないからだ

体験とは“私”に属する限り
常に過去形であり
自らの意志によっては
それを創造するすることはできない

夢はその意味では
裏返った現実であり
“私”から解放された過去形が
自由に組織化されつつある
唯一の現在形の体験ともいえる

逆に言えば
我々は夢を見るために
記憶を収集するために
生きているとも言える

様々な記憶の断片から
意味や価値や感情のエッセンスを抜き出して
新しい体験として再構築する
ただし、再構築する“私”は
覚醒時の理性的な“私”ではない
それはあたかも
“私”をすっかり忘れてしまった
私が知らない“私”のようなもの

そのときにのみ
“私”は唯一、私を忘れて自由になれる

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 






黄色い空を見上げ

2019-10-21 01:22:00 | Weblog

黄色い空を見上げ
時の終わりに
空想する風景は
快楽のうねりのような原初の海に
我を忘れて溺れることのできる
夢見る裸体とのコミュニオン




昼と夜が交わるところ
時が止まり
息を殺して
誰からも見えない
白昼堂々の異次元メイクラブ

光速を超える時間旅行の間中ずっと
悦楽に浸った旅の後は
戻ってきた世間はすでに終わっていて
世界には誰もいない
あなたと私以外の誰も


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 




一昨日の夢からのつづき

2019-10-05 11:25:28 | Weblog

仏像

ある計画がある

ロシアに売られた仏像を買い戻すという

そんな夢を見た

意味はわからない

誰が誰から、という主語も対象もないから

何のためにという目的もないから

でも

今ではインターネットとスマホで
いつでもどこからでも思いついたことを世界に発信できる

それはとてもいいことだ

そういう意味かもしれない



今ではインターネットとスマホのカメラで
市民が24時間世界を監視している

ビッグブラザーが市民を街頭の監視カメラで24時間監視しているのと対抗して

ワールドワイドウェッブは蜘蛛の巣状に張り巡らされたヒエラルキーのないグローバルヴィレッジだ

一方で

ワールドワイドウェッブはNSAによって24時間監視されている

つまり世界は常に二元的であるということだ

それがいいとか悪いとか言っているのではなく

ただ世界はそのようになっているということだ

でもだからといって

すべては相対的であってイデアは存在しないということではない

善と悪は存在する

そして善は悪に勝つ

でも

自分は善だと主張する人たちには気をつけた方がいい

もしかしたら彼らこそ偽善者かもしれないからだ

何も知らないことは無邪気でいいことにはならない

今世界で何が起きているのか

偽善者が何を行なっているのか

見透す醒めた目が必要だろう

彼らが彼らの目的で大衆を扇動する洗脳に操らてはならない

自らが知っていると思っていることは

本当はただの彼らによって作られた幻想かもしれないから

一度は常識を疑ってみることも必要かもしれない

何が本当は大切なことなのか

愛、共感、智慧

日々大切なことを忘れて

我々は何のために効率や利益を追求しているのか

企業は利益を効率的に挙げなければならない

でも企業は法人と呼ばれるが人間ではない

人間としての一個人は

何でお金をそんなに稼がなくてはならないのか

それはこの企業社会の中で

効率と利益追求の歯車として

個人が部品として機械の中に組み込まれてしまっているからではないか

そして

イギリスやインドでなくても

ヒエラルキーに組み込まれ

ピラミッドの頂点から最下層までの支配構造の中で

上から監視され

横からもお互いに監視し合って

この社会秩序を保っている

この社会全体が

どこに向かっているのか気づかないままに

もしかしたら行き着くゴールは

世界の破滅かもしれないが

そのとき

群れの羊は

蟻塚の蟻は

その個人は

何に気づくのだろうか


仏像を

ロシアから買い戻さなくても

自分で作ればいいのではないか

それの方がもっといいものができる

そんなふうに夢の中で思った