本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

春よ来い!

2016-03-06 18:08:38 | 住職の活動日記

春よ~~ 

まぶたとじればそこに、…

 

   

 

部屋の中に入れているアマリリス

日当たりとこの暖かさのせいで

グングン新芽を伸ばしています。

 

   

 

新しい新芽が伸びるのを

毎日見るのは楽しみです。

 

外に置いている「ムスカリ」

 

    

 

北側で日は当たらないものの

可愛い花をつけています。  

その隣のシクラメンも

 

  

 

年をまたいでたくさんの花を

元気に咲かせています。

 

駐車場のコンクリートの

仕切りにしている芝生、

今はまだ茶色の様子です。

 

   

 

そこに毛虫が出てきました。

この暖かさで眠りから醒めた

ところでしょうか。

そして、一輪だけですが

 

  

 

紫の花も出てきました。

 

裏に回ると、

 

  

 

牡丹が新しい芽を出しました。

なんだか炎が燃えだしているようで

萌えいずるというようすです。

 

  

 

たくさんの花芽を付けています。

日一日と元気に育っていくことでしょう。

 

小さなところにも春の息吹が

感じられます。

植物にとって育っていくということは

命が感じられますが、

私たちにとっては気温の変化

春寒料峭、

身体がついていかない、

気を付けなければならない

時でもあります。

 

ご法体大切に励みましょう。

 

 

 

 

 

 

 

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鴻ノ巣山散策道

2016-03-05 17:21:38 | 住職の活動日記

気温も上がり19度

ちょっと動けば汗ばむ陽気、

以前お参りした「水渡神社」へ、

その時はまだ寒くもあり風も強く

裏山の散策道は断念。

 

  

 

鳥居の前のお宅、梅が見ごろ、

 

  

 

まるで微笑んでいるような、

 

  

 

ちょうど見ごろの花も、

 

参道を登り、本殿へ

 

  

 

拝殿は工事中ながら

本殿の前まで行けて参拝できます。

 

  

 

本殿横の紅梅も満開、

 

いざ!! 

  

 

鴻ノ巣山散策道へ

 

   

 

案内図を確認して歩きはじめます。

 

  

 

山道はとてもよく整備されていて

なだらかな道を気持ちよく歩きます。

 

途中階段もありますが

約20分で山頂へ

 

   

 

ここで一服、おにぎりとお茶を頂き、

 

   

 

山頂からの景色も格別

 

  

 

眼下には大久保の町並みを望み

 

  

 

海抜は117,9メーター

 

  

 

山背展望台という名前です。

 

京都の町も「山城の国」といいます。

桓武天皇が京都に都を開かれるとき

「此の国は山河襟帯し

自ずから城を為す。

よろしく山背国を改め山城の国と

成すべし。

また子来(しらい)の民、

謳歌の輩、異口同時辞に

平安京という」

という詔を発しておられます。

 

ここでは昔の地名がそのままに

使われているのでしょう。

 

山頂から、階段を下り

途中には桜の展望所があり

 

    

 

ここから見る桜は

また見事な風情なのでは

 

下ること25分、

もとの神社へ到着です。

足腰が弱っている私たちには

ちょうどいい散歩コースです。

 

   

 

社務所に到着して見上げると

「シイノキ」、水渡神社のシンボルで

樹齢300年、13メーターの高さ

裏に回ると

 

   

 

この木も頑張っているんだ!!

表から見る分には立派ですけど

裏から見ると、皮一枚

そしてその皮を支えるように

新しい幹が育っています。

 

この山を下ったところに

鴻ノ巣山公園があり、

 

  

 

のどかな天気に家族連れで

賑わっています。

 

  

 

梅も満開の見ごろ、

 

気持のいい一日です。  

 

 

 

 

 

 

 

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聞くということ

2016-03-04 17:35:55 | 漢字

聞くということは大変重要で、

お経の最初の文句は

「如是我聞」(にょぜがもん)で、

真言宗では(じょしがぶん)と

読みますが、

聞くということが最初の行です。

 

「聞・思・修」ということもあり、

よく聞いて、よく考え、行動する。

 

ところが、最近   

聞き取りにくいことが

ちょくちょくあり、

すぐ反応して返事できない!!

「聞こえてますか??」

と、問い返されることしばしば、

 

念のために、

いつもの四条烏丸耳鼻咽喉科へ

聴力の検査です。

その結果は、

やはり、お年ということでしょう。

普通の高さの音は聞こえている、

けど、高い音と低い音は

どうも聞こえてないようです。

「まあ、補聴器とまでは  

様子を見ましょう。」

ということで、

周りの方に少し大きく話してもらい

こちらもより集中して聞くように

心掛けなければいけません。

 

人間の五感のはたらきも

一番ウエイトを占めるのは「視覚」

目で見ることが83パーセント、

次が「聴覚」で、11パーセント

そして、「臭覚」の3,5パーセント

「触覚」が1,5パーセント、

「味覚」の1パーセント

と続きます。

赤ちゃんを見ていますと

味覚・触角が一番のはたらきを

しているようです。

動物は視覚聴覚もさることながら

臭覚も大きな部分を占めている

ようです。

親子とか仲間とか臭いで

判断しているのではないでしょうか。

 

聞法ということがあります。

教えを聞くのは耳からです。

 聞くということも非常に難しい、

自分の都合に合わせて

聞くのではなく、

自分を抜きにして聞く、

嫌なことでも、

自分をまな板に乗せたつもりで、

自分の痛いところを

素直に聞く、

 

聞思修といわれるように

修行の第一は聞くということです。

なかなか聞けないのは

知らず知らずについてしまった

心についてしまった

撥水加工のようなもので、

自分に都合の悪いことは

跳ね返してしまう

そこに素直に聞けないことがあります。

 

それを破るには

さらに繰り返し繰り返し

聞いていくしかないのです。

 

聞くという字も

「聞」・「可」・「聴」とあります。

「聞」はきこえる、声が耳に入る

「可」はききいれる、可決という、

「聴」は聞こうと思ってきく、

「聴」と「聞」は微妙に違って

こちらから先方を聞く場合は「聴」

先方のことをこちらへ聞き取る

そのときは「聞」を使います。

教えを聞くという時には

重ねて「聴聞」というように使う

ときもあります。

 

お経の最初の文句

「如是我聞」は

お釈迦さまの教えを私たちが

聞き取るということで

「聞」を使うのでしょう。

インドの言葉でも「我」という字は

主格ではなく、「わたしが」ではなく

ロカティブという「わたしにおいて」と

厳密に分けているようです。

お釈迦さまの教えを私において

このように聞き取りました。

という意味になるのでしょう。

 

聞くということも

よくよく考えれば

結構都合よく自分に合わせて

聞いているものです。

そして都合の悪いことは

上手に聞き流しているものです。

 

本当に聞くということは

簡単そうで難しい!!

これから、ますます

耳も老化していくとなればなおさら

しっかり聞かなければ

と、診察受けてしみじみと思いました。

 

 

 

 

 

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世界の名画を一堂に!!

2016-03-03 21:12:14 | 住職の活動日記

世界の名画が1000点余、

一同に見ることができます。

ここは、

 

   

 

大塚国際美術館。

宇治より2時間、神戸を通り

明石海峡大橋を渡り、淡路島をぬけて、

鳴門の渦潮を下に見て、

鳴門大橋を渡りきったところに、

この美術館はあります。

 

大塚製薬が75周年の記念事業

として設立されたそうです。

噂には聞いていたのですが、

その迫力には驚かされます。

 

そして何よりも面白いのは

写真撮影OKということです。

 

  

 

システィーナ礼拝堂壁画、

実物と同じ大きさで再現され、

まず最初に圧倒されます。

 

    

 

大塚の技術で陶板に焼き付けられ、

本物と寸分変わらない色使い

その技術には驚きです。

 

   

 

人の皮を剥いだような姿が

作者のミケランジェロだそうです。

 

見たことのある名画、

 

  

 

フェルメールの

「真珠の耳飾りの少女」

本物は柵越しに離れたところから

でも、

ここでは間近に見ることができ

この名画とツーショットの写真も

撮ることができます。

 

     

 

この名画もまるで舐めるように

どちらからも見ることができ

細部の描写もよく見ることができます。

 

    

 

「最後の晩餐」

修復前と修復後の絵が対比して

展示してあり、

 

   

 

修復後のキリストは穏やかな顔で

口元はやや開いているような

新しいキリスト像が発見されたとのこと、

 

   

 

また、マリアの「受胎告知」も

この天使の羽は本当に

飛ぶことが出来るような

力強い羽根に描かれています。

ダビンチの科学者としての

一面だそうです。

 

一服して、

なにせ全部を見て歩くと

4キロの距離になりそうです。

 

外にでると、

 

   

 

モネの「大水蓮」

この絵はモネが本当の日の光で

見て欲しかったということで、

太陽の光のもとで見ることが

できます。

 

  

 

陶板に焼いてあるので、

1000年たっても変色することなく

あるということは

モネ自身が見たら大喜びでしょう。

 

     

 

「スクロヴェーニ礼拝堂」

本物がそのまま再現されていますが

その天井のブルーの色が

なんとも美しい吸いこまれそうな

そして星が輝いています。

 

   

 

また、ルドンという方の

「仏陀」の絵も面白い、

なんだかお地蔵さまのような

そんな姿に描かれています。

 

  

 

ゴッホの「ひまわり」

近寄ってみると、

 

  

 

その立体的に盛り上げて

作られているところは

やはり絵に本物と同じような

深みが出ているのでしょう。

この絵は売店に小さな複製があり

同じように焼きものです。

値段も手ごろなので求めました。

 

   

 

このムンクの「叫び」

        …

ここまで見て、

やはり、疲れます。

見尽くしたという感じですが、

見足りないような思いもします。

何回足を運んでも、

新たな感動があるようです。

リピーターの方も多いとか。

 

この建物、佐川美術館と同じで

竹中工務店が手掛けているようです。

不思議な作りで、

入ったところが地下3階、

国立公園の中なので

建物自体が地中に埋まっている

岩を掘りぬいて建てられたのでしょうか?

 

いやいや、見応えのある

美術館です。

 

 

 

 

     

             

 

 

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肥後のひな祭り

2016-03-01 20:47:00 | 住職の活動日記

熊本も寒暖の差が激しく、

お不動さまの28日はいい陽気

 

  

 

庭の梅も花は少ないものの

北側で寒い場所で開いています。

 

   

 

古木で10年ほど前に

やって来たのですが、

なかなか元気にならず、

カイガラムシもついて

歯ブラシで取ったものの、

何とか老体に鞭打って、

 

  

 

ちらほらと花を咲かせてくれます。

 

熊本では「肥後のひな祭り」と

銘打って、下通(しもとおり)では

 

    

 

たくさんのいろいろな形の

ひな飾りが飾ってあります。

 

   

 

一番大きな雛壇は真中の檀には

誰でもがお雛様の気分になれる

スペースが開けてあります。

 

ふと気がついたのですが

 

  

 

熊本は東京と同じで、

お内裏様が左、お雛様が右に

いらっしゃるようです。

関西では反対で右にお内裏様と

お飾りするようです。

 

   

 

竹をモチーフに桃や飾り餅で

飾られたお雛様も風情があります。

 

  

 

竹の中にはかぐや姫も、

 

   

 

春を感じさせる「おひな様」

見ているだけで気分も

明るくなるようです。

 

目を下にやると、

 

   

 

熊本のマンホールは

「ひごつばき」が有名なので、

花をモチーフにしたデザインです。

 

当院の近くに昔は

「肥後藩鉄砲所」という所があって、

今では、鉄砲を作ることなく

その技術を生かしてマンホールの

蓋を作っているようです。

 

これはディナーに出てきた

 

  

 

「すいぜんじ海苔」

水前寺公園にはきれいな水が

わき出ていて、そこで取れる

海苔なのです。

味は淡白で海苔というより

海藻に近いような、

まあ、海苔も海藻なのですが

あっさりした海苔を主張しない

そのような味なのです。

 

29日は一転

小雪のようなものが舞う

真冬の寒さに逆戻り、

 

  

 

アジサイの新芽も

震え上がっているようです。

 

   

 

もみじの古木も

竜のようなうねりを見せて

太い幹が伸びていますが

その芯の部分は腐ってアリの巣になり

皮一枚で成長を続けています。

日に日に変化し

四季の繰り返しの中で成長したり

やっといのちをつないだり、

新しい命を吹き出したりと、

わずかな庭なのですが

変化を見るのは楽しいものです。

 

  

 

帰ってみると近くの梅は

見事な満開で、香りを漂わせ

 

    

 

陽の光を浴びて

ほほえんでいるようにも感じられます。

 

弥生三月、

お寺は行事も重なり

矢のごとく過ぎていくようです。

 

 

 

 

 

 

    

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