本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

共(ぐう)と不共(ふぐう)

2019-08-06 20:54:46 | 住職の活動日記

「共」という字は

普通にはキョウと読みますが

仏教読みでは特に「ぐう」と

読みます。

共・不共、ということで

出てきます。

 

共は、ともにするということで

もとの意味は物をささげる

そういえば、そなえる

「供」という字があります。

そこから、一緒にするという

意味に用いられます。

共存共栄とか

共通、どれにも通用する

というような言葉があります。

 

また、仏教では

「共業」「不共業」という

言葉も出てきます。

(ぐうごう)、(ふぐうごう)

と読みますが、

業が同じである、というのと

業が同じでない

 

ちょっと違うかもしれませんが

こういう例もあるのではないかと

思うのです

子猫とか子犬は可愛くて

蛇はどうも気味悪い

中には蛇が好きという方も

いらっしゃいますが、

愛らしい姿ということも

あるでしょうが

ずっと昔から

何かしら共通した業を持っていた

そこに共感するものを覚える

のではないかと思います

蛇は足がなく全身これ足という

何も共通するものがない

業が一致しない

ということで「不共業」

可愛いと感じるのは

何かしら同じ業がある「共業」

ということも

言えるのではないかと思うのです?

 

ちょうど『十地経』の中で

第四地に出てくるのが

「常に念じて

如来力無畏不共仏法に随順す」

という一文です。

ここに出てくる「不共仏法」は

仏にだけにある特別なもの

ということで、

「不共」というのです

私たちとは共通するものがない

仏だけに備わっているもの

そういう徳のことを言います。

 

それには十八あって

「十八不共仏法」といいます

仏の十力、仏の四無所畏、

仏の三念住と仏の大悲です。

どう考えてもこういうものは

私たちにはない

それで「不共」というのです

 

ないから、関係ない

というのではなく

「常に念じる」というところに

第四地の修行があるのでしょう。

 

まあ、難しく

分かっているわけではないのですが

「共」「不共」という

言葉が気になりました。

 

そういえば人間でも

何かしら「馬が合う」とか

どうもあの人とは「馬が合わない」

ということがあって、

何がどうあって合わないのか

これがあるから合う

というものでもなく、

何か分かりませんが

合う合わないということは

何か共通する業というものを

感じるのでしょう。

 

身近なところでは

「共」「不共」ということも

馬が合うとかいうことに

似ているのかもしれませんね!

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夏の紫陽花 | トップ | ゴーヤのカーテン »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

住職の活動日記」カテゴリの最新記事