本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

各発無上心・共発金剛志

2024-03-31 18:26:20 | 十地経

各発無上心

(かくほつむじょうしん)

共発金剛志

(ぐうほつこんごうし)

 

こういう言葉があります

各発と共発

この「発」という字

普通には「はつ」と読み

ますが

仏教的には特に「ほつ」

と読むのが通例です。

 

一念発起(イチネンホッキ)

とか

発菩提心(ホツボダイシン)

というように、また

得度したお坊さんを

新発意といいます

読み方は「しんぼっち」と

独特な読み方です

新たに志をおこした

仏になる心(菩提心)を

起こしたという意味で

 

普通には「おこす」という

と、「起こす」と

この字を使いますが

菩提心をおこすという場合

には、「発」という字を

使います。

 

開経偈(かいきょうげ)

というお経を読む時

最初に唱える言葉の中に

「百千萬劫難遭遇」

(ひゃくせんまんごう

 なんそうぐう)

百千萬という、それも劫

という長い時間の中で

たまたま出会ったんだ

ということです。

 

こうしてこうやったら

出会うだろうという

そういうことではなく

偶然にも出逢ったという

そういう教えなんだ

という意味です

 

それでこの「発」も

こういうふうにして

菩提心を起こした

というのではない

たまたま自分の中から

沸き起こるように

生まれ出てきたという

ことで、

この「発」という字を

使うのだと思います。

 

そういうことを講義では

 

「各発といったら個人で

おこした精神力ね、

個人的ですね。

我々が個人の努力で

やせ馬の尻を叩くように

おこして、

しっかりせんならん

というようなものだ。

 

そういうものは

おこしてみても

成立しがたいと。

一応やってみるけど

その相場は決まっとる。

個人のまじめな心で

おこしたような菩提心

というものは、

景気のいい時は続くけど

景気が悪くなったらすぐ

止めてしまうというような

 

そうじゃなく

持っと根元にある菩提心

ですね。

我々がおこすんじゃ

ないんだ。

我々が、我々からおこした

んじゃない。

 

我々をその中に

呼びかけとる菩提心です。

我々の根底に流れている

菩提心、それに帰れ

というんだ。

我々のおこした菩提心の

挫折によってもっと深い

根元の菩提心に帰れ。」

 

各発、

各々各個人がおこした

菩提心

それは限界があります

発菩提心といって

おこした時は覚悟もあり

顔つきもきりりと

引き締まった面構えです

ところが

誰でも経験があると

思うのですが

続かない、

挫折してしまいます。

 

そこに、共発という

ことがあると思います

修行する友ということも

ありますが

真言宗では「同行二人」と

お大師様と共に

というのですが

何かしら妥協できない存在

講義では

「根元の菩提心」

というような表現です。

 

自分の中にあるのですが

自分の心を超えている

そういう自分の中の

根元にある菩提心です

勝手な妥協を許さない

そういうものに出会って

本当の歩みが始まる

ように思うのです。

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 円空 仏 | トップ | 厭離穢土・欣求浄土 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

十地経」カテゴリの最新記事