本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

三世+三界=世界

2024-07-29 20:29:57 | 十地経

「三界一心。

作った誰かも作られた世界

も一心の他にはない。

誰かの一心

というのではない。

誰かも一心に仮立したもの

である。

世界も縁起したもの。

心といっても

普通の識である。

一心が三界を作り、

三界が心を作る。」

 

ということが続きますが

世界ということも

面白い言葉で広辞苑には

仏教語とあり、

衆生が住む時間と空間と

出ています。

三界は私たちが住んでいる

迷いの世界

欲界・色界・無色界の

三つです。

それに対し仏の世界は

「勝過三界」といわれ

この三界を超えていく

ということです。

 

三世というのは

過去世・現在世・未来世

簡単には過去現在未来、

短くは去来現コライケゲンとも

また仏教では

未来ということは当来

(とうらい)当に来るべき

ともいいます。

未来は偶然にやって来る

ものではなく、

現在の中に内包されている

現在の中に未来が約束され

ているとうことです。

 

三世と三界に、

時間と空間で区切られた

ところということです。

「世界」とうことも

西洋の考えとは少し違う

のかもしれません。

 

二人のため世界はあるの

とい歌もありました、

また、昔の映画で

「慕情」という歌には

恋をすると時間も空間も

止まってしまう

というような歌詞があった

ように思います。

やはり世界というと

ワールドといいますか

美しき世界とか

世界という言葉には

神さまが造った

素晴らしき世界という

意味あいがあるようです。

 

ところが仏教でいう世界と

いう言葉の原語は

ローカダートゥといって

壊れるべき場所

という意味です。

というのは、

世という時間的には

生滅変化するもので、

界という空間は方角が

あり限定的な場所という

ことです。

 

ですから、

誰かが造った大きな世界の

中に人間が一人一人がいる

のではなく、

一人一人が世界をもっている

一心作三界といわれるように

一心が世界を作り出している

 

人を好きになった時には

二人の世界という

二人だけの世界があるよう

に錯覚してしまっている

のですが、

事実は二つの世界が

かろうじてどこかの一点で

接しているということです

どんなに仲の良い二人でも

見ている世界は違っている

 

だからといって

別々に生きるのではなく

そういう世界であるという

ことを本当によく知って

見ていくといいうことが

大事なのでしょう。

 

唯識に、

「識のみあって境なし」

という言葉があります。

外に境、境遇があるのでは

なく、すべては

一心が作り出している

ということです。

 

ここに、心といっても

コロコロ変わるから心と

いうのだ、

ということもあります。

ただ単に心を大切に

ということも

よく考えなければ

大きな誤解を生んで

しまいます。

 

この迷いの世界は

自分の勝手な思い込みが

作りだしているという

ことです。

心をよく見つめていかな

ければ、

お互い分かったつもりで

いることが大きな誤解を

生み出し

問題が起きてしまうという

ことのようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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