本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

作る者なくして作られ、滅する者なくして滅する

2024-07-26 19:56:54 | 十地経

「一心三界。

三界一心というのは、

一心が三界を作るという

のである。

これは三界を作った者は

ないものであるという

ことである。

神や仏が作ったのでなく、

人間が作ったのでもない。

一心が三界に似て転変した

 

作る者なくして作られ、

滅する者なくして滅する。

 

自然ジネンであるという。

作者を必要とせぬ。」

 

なかなか難しい。

三界(サンガイ)というのは

私たちの住んでいる

迷いの世界です。

それを三つに分けて

欲界・色界・無色界と

こういう世界に棲んでいる

 

欲界というのは

欲ですから、

損得勘定の世界です。

普通いう儲かった損したと

言ってあくせくとしている

まあ、一番の関心事です。

それから

色界(シキカイ)というのは

色恋の世界というのでは

なく、

欲界よりも少し上の世界で

簡単には芸術の世界で、

絵画を見て楽しんだり

音楽を聞いて楽しむ

また、お茶を楽しむとか

そういう楽しい世界に遊ぶ

ということです。

 

無色界になると

色も形もなく

思想とかイデオロギーに

生きるという

最終的には一番激しい問題

を含んでいます。

考え方が違えば

生き方も違ってきます。

 

そういう三界に生きている

というのが

私たちのあり方だと

いうのです。

 

そして更にその三界は

一心が作ったといいます。

「三界は虚妄コモウにして

ただ是れ一心の作サなり」

ということが、

華厳経の十地品の中に

でています。

 

この世界というのは

私たちがいようがいまいが

現存としてあると思ってい

ます。

例えば、ここから見える

比叡山は私が生まれる前か

らあるし、

私が死んだ後も変わらずに

そのままあると考えます。

 

ところが、

「三界は一心の作なり」

というと

この三界は私の心が作した

もので、実在している

というのは妄想である

といっています。

 

ちょっと理解し難いです。

 

このことは適切でないかも

しれませんが、

私の場合20年周期で

熊本と京都に住んでいます。

京都に住所を移したら

熊本へ来ると妙に

観光気分のような

お客様のようなあり方に

なってしまう。

熊本に住所があるときは

京都へ来ると

見るもの聞くもの珍しく

興味津々で見えてしまう。

 

熊本も京都も

何一つ変わっていない

変わっているのは

私の心だけです。

同じ京都と熊本でも

自分の心が作り出している

それによって

まったく違った世界を

作り出しています。

 

よくあいつは憎い奴だと

嫌なことを言われて

よくもそんな酷い事をいう

ものだといって憎むのです

が、

よく考えてみると

その時は酷いことを言うと

憎く思うのですが

昼間聞いたことを

夜になっても思い出して

腹を立てている

それは、自分の記憶に

腹を立てているのです。

 

憎いと思った人は

違う人に対しては

とても良い人なのかも

しれません。

勝手に憎い人というのを

作りあげて、その思いに

腹を立てている

ということです。

 

これはあまりいい例では

ありませんが、

三界というのは

私たちの一心が作り出して

いるということです。

 

事実は

私が死ねば比叡山もなくな

るし、この家もなくなる

今、住んでいる家は

私が作り出した家であり

他の人にとっては

同じ家であっても違う家を

演出しているのです。

 

難しいようでも

仏教とほかの宗教との違い

がはっきりしてくる問題

でもあるようです。

 

 

 

 

 

 

 

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