本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

厭離穢土・欣求浄土

2024-04-01 20:50:29 | 十地経

先のNHK大河ドラマ

「どうする家康」で

信長が家康に尋ねます

「お前の旗印はなんだ

長ったらしく、不気味な

どういう意味があるんだ」

ということを

「厭離穢土

(おんりえど)

 欣求浄土

(ごんぐじょうど)」

という旗印です。

仏教の言葉を旗印にした

普通の常識では

何とも不気味な言葉

でしょう。

しかし、家康の願いは

この世から戦をなくし

人びとが安楽に暮らせる

世を作りたいという

大きな願いを旗印にした。

 

この迷いの苦しみの世を

厭い離れ 「厭離穢土」

安らかな浄土を請い願う

「欣求浄土」

ということです

ここで、ねがうという字を

「欣」という字を

使っています。

キンとかゴンと読み

よろこぶという意味です

ですから

欣求浄土という言葉には

よろこび願うという

意味があります。

 

この世を厭い離れると

いいますが

しかしながら

普通の心では

厭うという心は出てこない

のです

迷いの世に中の方が

愛おしいのです

「どうせ私をだますなら

だまし続けて欲しかった」

という歌もありますが

やはり、

目覚めるよりも

上手にだまされたい

というのが

私たちの心です。

 

講義では

「生死(迷いの世界)

甚だ厭いがたし、

仏法また欣(ねが)い

がたしと。

おのおの無上心(無上

菩提心)をおこして、

その無上心がなければ

生死は厭えないんだと、

 

無上菩提の心というものが

初めて生死を厭うんだと。

だから無上心をおこせと。

そうして生死を厭いて

仏法を欣えと、

こう激励しとる言葉です。

 

おこしたけれども

生死は厭いがたいと

仏法もまた欣いがたいと

いうんです。」

 

家康の時代は

まさに生きている時代

そのものが地獄のような

苦しい、迷いによって

もたらされる混迷とした

世の中だったのです。

そこには安楽な浄土を

願わずにはおれなかった

そういう背景があると

思いますが

 

この願うという

欣うという、よろこび

もとめるということは

その一番の根底には

菩提心という心が

なかったならば出てこない

そういう願いです。

 

菩提ということも

Bodhiボーディという言葉

の音写で、覚とか智とか

道というように訳されます

心に道心を持った人

ということで菩薩と

Bodhi Sattva

ボーディサットバ

菩提薩埵ボダイサッタ

短く菩薩といいます。

 

菩提心ということが

仏教の根幹です

ですから

お経には必ず

阿耨多羅三藐三菩提

(あのくたらさんみゃく

 さんぼだい)

という言葉が出てきます

直訳すると

無上正真道意となります。

 

この道を求める心

道心という

本当のことが知りたい

そういう願いです

この心がすべてのものを

支えています

この心がないと仏教は

成り立たないのです。

 

こういう心が芽生えたとき

初めて、世を厭うという

厭離穢土という心が

起こってくる

ただ嫌だから

もっといい世界を求める

という心ではないのです。

 

自分自身のえげつない心が

見えてきた、

これではいけないという

そういう心がおこって

初めて

厭離穢土という心が

生じてくるということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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