本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

神足 …  !?

2015-11-06 19:31:28 | 住職の活動日記

「神足」

この地名も読めません。

やはり長岡京市の字名で

JR東海道線、長岡京駅付近

の地名です。

『こうたり』と読みます。

 

昔、高校生の頃、

熊本から京都へ切符を買った時

その切符が「神足」と記してあり

京都なのですが??

と言った記憶があり、

京都付近の駅まで乗れますよ、

ということで、

勝手ながら「じんそく」と読んで

この地名はその頃から

頭のどかに残っていました。

 

近くには「神足神社」もあり、

やはりとても古い地名のようです。

吉田金彦という先生の話によると

この地名の語源は

カム(神)イタリ(到)の約語であろう、

この地に神さまが降り立った、

神さまがやって来た

ということを「神足」の二字で

表したのではということのようです。

 

仏教でも「神足」という言葉が

出てきます。

この場合は素直に『じんそく』と

読みます。

仏教で使う場合『神』は神仏の

神ではなく、ほとんどの場合「精紳」

という意味で使います。

 

「神通力」も精神通力の精が

略されたものです。

神通というと五つあり

神足通、天眼通、天耳通、他心通

宿命通、

これらはすべて精紳の集中から

出てくるはたらきでしょう。

「神足」をさらに四つに分けて、

経典ではよく如意足(にょいそく)

という言葉で出てきます。

 

四如意足(四神足)というと

欲如意足(意欲)

精進如意足

心如意足(念如意足)憶念不忘という

念とは忘れないということです。

思惟如意足(慧如意足)

意欲と努力と心に深く忘れず、

智慧に依って観る力から

引き起こされてくる「定」(三昧)

ということです。

 

三昧によって人間の妄執

執着という迷いを打ち破って

いくということで

この四如意足(四神足)ということは

とても重要なことなのです。

 

三昧ということによって

人間の心を浄めていく

ということがお経には

繰り返し繰り返し

出てきます。

ということは、

私たちは本来持っている

能力を自分で失っている。

それを回復させるという意味が

三昧にはあるのです。

人間の持っている能力を

回復させると、

 

「神」という字が入るものですから

何か、神さまから頂くとか

仏から賜るとか思うのですが

ないものを外から

輸入してくるのではなく、

本来あるものを

本来ありながら失っているものを

回復指してくる

というのが仏教の立場のようです。

 

「神足」という字も

神さまの方から見れば

神さまが降り立たれたところ

という大切な意味もあり、

仏教から見れば

精紳ということで、四如意足という

意欲をもって努力に念じて

智慧を生み出す

そこに三昧が生まれ

人間の本来の力を回復させると、

 

神足

なにかしら面白い発見でもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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