忘れることが多くなったのですが
仏道修行においては
忘れることが一番の罪といわれます
普通では、
記憶にございませんとか
忘れましたと言えば
それですまされますが
仏道修行になれば不安という
罰が与えられるということです。
憶念不忘ということがあって
心に深く念じて忘れない
修行の中の三十七道品にも
四念所処・四正勤・四如意足にも
五力にも「念」ということが
出てきますので
忘れるということが
修行の妨げになるのです。
偉い先生でしたか
絶対に、忘れましたということを
おっしゃらないで
忘れたのではありません
今、出てこないだけです。
と言われておられました。
(それを忘れたというのですが)
私たちも多くなりまして
「あの、あれあれ、!」
「ああ、そうね、あれね」
という具合に「あれ」で
すべてが事足りてきます。
忘れたのではなく
数時間か、日にちが立って
突然、
出てくることもあるのですから
まるっきりなくなってしまった
わけではないのでしょう。
「忘れたり、思い出したり」
ということで
意外なことが蘇って来たり
さっきまで覚えていた大事なことが
何かの拍子に記憶から消えていて
困ったことがあるのです。
いい面では
昔に聞いた話が思い出されたり
そして、また考え直したりと
それはそれで深まっていくような
味わい深くなってくるような
こともあるのです。
1回や2回聞いたぐらいでは
記憶に残らないかもしれませんが
しかし、
1度聞いたことでも
強烈に記憶に残ることもあります
ですから、
忘れたり思い出したりで
いいのではないかと思います。
聞いたことは心のどこかに
残っているものです
それが何かの拍子に
湧き出てくるかもしれません
思い出したらそのとき
また、
味わいなおしてみればいいのです。
二十歳代に聞いた
安田先生の講義が今頃
思い出されてくるのですから
その言葉は
今、思い直してみると
また違ったものとして響いてきます
不思議なものです。
別な面から言えば
二十歳の頃のことを今もって
考えているのですから
成長してないのかもしれません。
いつまでも学生気分です。
会を重ねるたびに
聞いたり、聞いても
右から左に抜けたりと
何も残らないような気もしますが
忘れたり思い出したりで
どこかに残ているかもしれません
毛穴から入っていくので
大丈夫でしょう。
身に添うように残りますから
聞法ということも
憶念不忘というものの
雑用雑事に追われ
心も千々に乱れるのですから
致し方ありません
蓮の花も数千年も眠っていて
突然、何かの刺激で
芽生えるのですから
聞いた種は必ずいつかは
花開く時が来るのです。
「忘れたり、思い出したり」
しながらも歩み続けることさえ
忘れなければいいように思います。
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