本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

法性が無生である

2021-01-22 20:23:44 | 十地経

「無生法忍」ということから

無生ということでまた

話が展開していくのですが、

 

仏教でいう「法」ということも

考えてみなければなりません

どうしても、「法」というと

法律の法ということが

頭の中にあって、

「法の支配のもと」

ということを

アメリカの大統領でしたか

言っていたようですが、

 

法律にさえ触れなければ、

とかいうことも

私たちの道徳心が下がってきた

昔は、

天知る地知る、我知る、子知る

といってお天道様に恥じないよう

という法律以前の道徳心が

あったようにおもいます。

 

ところが仏教でいう「法」は

そういうものではないようで

辞書には

任持自性ニンジジショウ

軌生物解キショウモツゲ

に二つの意味があるとあります

さらに

それ自体の本性を保持して

改変せず、

能く軌範となって人をして

一定の物事の理解を生ぜしめる

根拠となるもの。

ですから、

任持という面からいうと

自性をもって存在している

一切の存在ということで

軌生物解からいうと

認識の標準となる軌範、

つまり方則、道理、教説という

ことを指しています。

 

仏教とは、と聞かれたとき

仏教の旗印として三法印が

あげられます。

印とは旗印のことで

真実であり不動不変であり

王印のようにどこでも通用し

証明となるものという意味です

1.諸行無常

2.諸法無我

3.涅槃寂静

の三つがこれにあたります。

この2番目の諸法無我は

一切法無我ともいわれ

この場合の法は任持自性の

面です。

すべての存在しているものは

因縁によって成り立っているので

それ自体の実体はない

ということです。

そこで、講義では

 

「法性が無生である、と

こういうふうにですね。

諸法の法性が、この法は

一切法といってもいいですけど

それから、こっちの方は、法性

法と法性に対して無生を

明らかにすると。

一切の諸法は無生であると、

そうすると一切法の法性も

無生であると。」

 

なかなか難しいところです

先生も、言葉を繰り返しながら

言っておられるので

思考しながら話しておられる

ように思います。

 

法と法性ということが出てきます

法はダルマです

あのだるまさんのダルマです

ダルマを法と訳しそのまま音写して

達磨という字も当てました。

法性はダルマターともいい

法の本来の性質というような

ことで、

真如法性とか真法性ともいいます

 

さらに講義では

「諸法、だから、こっちのほうが

諸法、まあいってみれば、

相ですね、

相というものは、

この中にも相があるから、

相という字は広いんですけど

だから性相学、

こういっとるですね。

これが仏教学なんです。

諸法の性相を明らかにする。

諸法の実相ですね。

物の実相を明らかにする

ということが、

諸法の性相学と。

これは、

非常に大事なことは、

論理というものと違うですね

論理というのはね、

ギリシャでも考える。

つまり法法性論というのは、

言葉から考えても存在論です。

それに対して

論理学というものあるんですが

因明インミョウといってですね。

けども論理というものは、

この仏教学では、

世間学になるわけです。

法法性論というのは、

純粋な仏教学の内容でしょう。」

 

と続きますが

なかなか読み解いていくには

「法」ということも

いま一度考え直さなければ

今後「法」ということが

出てきますので

世間でいう法律という

見方をしてしまいますと

大きな間違いをしてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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