トライアル・アンド・エラー
trial and error
「試行錯誤」といいます
私も勘違いしていたのは
トライアルをトライtryと
思っていたのです
トライアルには裁判という
意味があります
そして試みるとか試験という
意味もあるのです
試して失敗してと
それを繰り返し本当のものを
見つけ出すというのが
試行錯誤ということです
そのことを
『十地経』の中では
障りと対治ということで
表現されています
「方便智の行によって、
般若に対する愛着を対治して
いったんですけど、
治ということは障りに対して
障りがあるから、
それを対治するというんです
だから、
障りというものと、
それを対治するするものとが
「障」と「治」とが
組み合わさって十地の展開を
与えているのです。
こういうことが
非常に大事なんですね。
障りというものは、
何か妨げている、
妨げているもうやめてしまえ
というのではない。
妨げによって
妨げを超えていく。
困らずにすーっと
いけるものなら、
なんでもないですね。
けど、
困ってやめてしまうのも
これも駄目なんじゃないかね
やっぱり、
困ることを縁として、
それを克服していくと。
こういうところに
ものが発展したり、
成長したりするという
ことがあるのであって、
障りというものを
恐れずに、むしろ、
障りを縁として、
それを越えていくと。
あれも極めて
プラグマティッシュな考え
ですけど、
試行錯誤法ということを
よくいいましょ。
トライアル・アンド・エラー
という。
エラーという失敗を縁として
サクセスという、成功ですね
トライアルということは、
やるということ。
何かやる。
やれば必ず失敗する。
しかしながら、
その失敗ということを
縁として成功するんですわ。
初めから成功したいんなら、
何もやらんに限るんです。
初めから成功しています。
だからして、
何かやれば必ず失敗する。
けど、失敗を恐れるなら、
初めからやらん方がいい。
そういうわけでですね、
人生の智慧といった
ものでしょう、ああいうものが。
あれは、きわめて
プラグマティッシュな、
アメリカ的な考え方ですけど
あそこにあるものは、
アメリカばかりではなしに、
もっと広い、
人生の智慧といったような
ものがあるんじゃないかと
思う。」
真剣に生きたら
必ず「障り」というものが
出てくるはずです
それでそれを「対治」する
乗り越えていく
ということがあります
十地の十という段階も
障りを見出し、
それを対治するということの
繰り返しです
そこが、
トライアル・アンド・エラー
ということで
説明されています
これが難関ということで
私たちの愛着を執着を
対治していくのです。
面白いことに
智慧に愛着した心は
かえって世間の知恵が
対治していくといことは
面白いところです。
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