本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

信心を獲る

2020-09-18 21:02:11 | 漢字

何気なく書いていた

「信心を得る」というように

ところが書き写していた

『十地経講義』を見ると

「信心を獲る」と書いてあります。

 

漢和辞典には

「得」は、道でものを拾う

というのが元の意味でそこから

求めて手に入れる

とあります。

それに対し

「獲」は漢字はケモノ偏

ですから、

猟をして手に入れた鳥や獣

ということで、うばいとる

というような意味があります。

そして、

二つ使って「獲得」カクトク

という熟語もあります。

 

信心の場合、

なぜ、「獲」を使うのか

ここには深い意味があるようです

 

仏教辞典には

「得」という項目があり

プラープティという印度の言葉を

「得」と訳し

得た所のものを我が身に引付けて

つなぎ止めておく力

という意味があります。

また、

「得」には「獲」と「成就」の

二つのあり方がある

というように、

結構難しい内容を含んでいます

 

得度トクドというように

戒を受けて僧侶になる

その場合は「戒を得る」と

得を使います。

 

ところが、厳密には

「獲」には、

未だかつて得なかったもの、

またかつて得たが失っていたもの

を今得る、という意味があります

その場合、「獲」はギャクと

読みます。

 

信心ということも

未だかつて人間が経験しなかった

しかし、本来は人間の心の中に

眠っていた心ということで

あえて、「獲」という字を

使ったのでしょう。

 

仏教でも「獲得」と熟語で

使う場合もあります

その時はギャクトクというように

発音します。

 

また、「菩提心をおこす」

という場合は

「菩提心を発こす」と

「発」という字を使います

「発菩提心」ホツボダイシン

というように、

 

願をおこすというときにも

「発願」ホツガンと

いうように使います

また、

一念発起という場合も

この発という字が使われます

 

出発、という言葉があるように

初めて心をおこす

というときにこの「発」

という字を使うようです。

菩提心を発オこす

というように

今まで迷っていた人間の中から

菩提心が初めておこった

今までなかったことがおきた

ということで

「発」という字を使うのでしょう

 

「獲」にしても「発」も

そこには翻訳してこられた方の

深い思いのようなものを感じます

他にもいろいろな言葉があると

思いますが

あだやおろそかに

漢字一字を取ってみても

その中に含まれている

思いを感じ取らなくては

経典の意味も分からないように

思います。

 

 

 

 

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