本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

今週の言葉 7/22~7/28 「自分で自分を一番見失いやすい …」

2013-07-21 21:18:58 | 今週の言葉

  自分で自分を

 

一番見失いやすいのは

 

  ブレークしたり

 

  低迷したとき

 

 

仏教で一番大きな罪は 「 自分を見失う 」

ということでしょう。

不安という罰が与えられます。

 人間調子がいいときは

世界は自分のものというような錯覚をして

有頂天になってしまうものです。

 また、反対に落ち込んだときは

何もやる気がなくなってしまうものです。

 

いま、読んでいる 「 唯識三十頌 」

大随煩悩 ( だいずいぼんのう ) ということがあって、

そのなかに、面白い煩悩が出てきます。

『 掉挙 』  ( じょうご )  と

『 惛沈 』  ( こんじん )

という煩悩です。

 「 掉 」  普段はあまり目することのない言葉です。

  騒がしい、という意味になります。

 「 挙 」 は何か突き上げられるような落ち着けない

  じっとしておれない、そわそわする。

『 掉挙 』  というのは、そわそわして落ち着かせない。

  静かにさせない。別に何があるというわけでもないのに

  じっとしておれない。

  静寂をを失わせる、というのが本質です。

『 惛沈 』  は反対に、心が何か沈む。

  心が重苦しく沈んでくる。

  何もやる気がしない。

という煩悩なのです。

 

 そわそわするのも煩悩なら、

重く沈んで何もやる気がしないというのも煩悩です。

それによって自分を見失ってしまうのです。

 お経の中では、

「 私たちが我執をもった意識の運命 」

と書いてあります。

 

 人間は我執があると、

そわそわするか、

それともじっと深く重く沈むかのどちらかなのです。

 

 よく三浦先生から、言われたものです。

「 顔が暗いということは腹に一物持っているか

  よからぬ事を考えている、

  明るい心でなければ何事も出来ませんよ ! 」

 

そのことが我執なのです。

我執の心というものは重い、

また、濁っているから暗い、

濁った暗い心は得てして事が起こっても、

それを引き受けて立ち上がる力をなくすものです。

 

 このことは、日常生活よく直面します。

何か物事がちょっとうまくいくと、

そわそわして調子に乗り、 「 掉挙 」 になって、

自分を見失うし、反対に

ちょっと失敗でもすれば、

すぐに落ち込んで 「 惛沈 」 と暗く重いにふけって

これまた、自分を見失ってしまうものなのです。

 

 仏法を聞くということは、

大事なことをしっかり覚え、

それによって意識が散乱しない。

だから、生活に意識において散乱しないという

功徳があるとかいてあります。

 普通の生活の中では心は散りじりバラバラで、

集中力をなくしてしまいがちです。

 だかた、常に教えを聞いていくということは

わかるとかわからない、ということよりも

聞くことによって、私たちの心に集中力が出てくる

という事が何よりも大切なことなのです。

 

 今週の言葉も、

じつは 『 壇蜜 』 という方が

なにかのインタビューに答えて言われた

一言なのです。

 やはり、今もてはやされていても

自分を見失ってはいけない、

ということをよく認識しておられるのでしょう。

 

 

 

 

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